貞操観念ぎゃくてん・ざ・ろっく! 作:テト
―――結束バンドの初ライブ開催まで1週間を切り、俺がバイトに勤しむ中、4人は隣のスタジオで本番へ向けて練習を行っている。元よりTシャツのデザイン案を引き受けたのは後藤さん家で決めるはずが全く進展せず、マネージャーとして責任を取る形で自ら志願したという経緯があるのだが……以前よりマネージャーの肩書きこそあれど、普段やっているのは彼女らの演奏を聴いた上で指摘やアドバイスを行うぐらいで……あまり役割を果たせていないんじゃないかとずっと内心悩みを抱えていた。だからこそ、こういった音楽面以外でのバンドに関わる仕事に取り組めるのはとても嬉しく感じる。
結束バンドの魅力をより引き出せるよう、素晴らしきデザインを考えてみせるぞ!
そう強く決意し、帰宅後にペンとノートを置き―――それこそ夜が明けるまで机と向き合った結果。
「助けてくださいPAさん……寝ずにぶっ通しで考えてたんですけどマジで何にもアイデア思いつかないんです……」
「あら、これは困りましたねぇ」
傑作を生み出すと意気込んでいながら、言葉の通り一切アイデアが思い浮ばなかったという目も当てられないような残状であった。休憩時間でSTARRYのドリンクカウンターに突っ伏しながら、情けなさ丸出しで縋るように頼った相手は―――STARRYの音響担当であるPAさんだ。整った容姿に黒髪のストレートロングで一見清楚な印象を抱かせるが、その耳元や口元には相反するように多数のピアスがきらめいている……初対面時に後藤さんが『イキってすみません……』と怯えていたが、実際オシャレのオの字も知らないような俺も、こういったイケてる大人の女性像を体現したような彼女には流石にビビってしまったものだ。陰キャが美女の前でキョドらないわけがない、古事記にもそう書かれている。
そしてバンドメンバーと違い基本はスタジオではなくホール側にいることが殆どな事から、自然とPAさんと関わる機会も増えていったのだが……週末は麻布十番のバーで高級なお酒を飲んでいそうだなとか、そんな風に俺が勝手に別世界の人間だと思い込んでいた彼女は意外にもこちら側の親近感を抱かせる要素を持っているのを会話を交わしていくうちに知った。今や俺にとってPAさんは、悩みを打ち明けられる頼れる存在だ。歳の離れた大人でありながら俺なんかにも分け隔てなく優しく接してくれるし、何よりこの貞操観念逆転世界特有の目をギラギラと光らせるカオスな女性達とは遠く離れた落ち着きを持っている。綺麗で内面も立派だなんて、本当に尊敬しちゃうなぁ。
前世の美術の時間にて先生から『君の描く絵はきっと1000年後の未来で古代アートとして評価されているよ』とお褒めの言葉(???)を頂いた経験のある俺は、情けないのは承知の上でPAさんに頭を下げた。
「こんな事、関係の無いPAさんに聞いちゃって申し訳ないんですけど……何かアドバイスとかありませんか」
「私自身、朝起きれなくて単位落しまくった結果留年が決定して1年で高校を中退しちゃったものですから、参考に出来るような知識はあまり持っていませんが……それでも良ければ力になりますよ?」
「…………サラッと衝撃的な過去をぶち込んできて驚きを隠せないんですけど……でも嬉しいです、それじゃあお願いしてもいいですか?」
「フフ、佐伯さんからお願いされる日が来るとは思っていませんでした。夜型な私ですけど今だけは頑張って頭を働かせましょうかねぇ」
PAさんはそう楽し気に微笑むと、深い色を宿した瞳を細めて紡ぐように言った。
「そうですね……デザインに行き詰まったときは一旦考えるのをやめてみるのも手だと思いますよ」
「考えるのをやめる……?」
「頭ではなく、己の内側に抱く偽る事の出来ない正直な感情に従うんです。例えば毎月美容に数万かけてるのに喜多さんや伊地知さんといった現役女子高生の光り輝く若さに当てられて自分の肌質の劣化を本気で憂う絶望の感情とか……ホント、どうして人間は老いには抗えないんでしょうね……」
「あの、何か話ズレてきてません??」
虚ろな瞳で嘆くように呟くPAさん、色々話してだいぶ分かっていたつもりだったのに彼女の知らない一面が短時間で次々と明かされていく……まあ大人の女性ならいくらでも俺には想像しえない悩みを抱えているものだよな。最も俺には雲の上の話だけど、悲しい……話が逸れてしまったので戻すとしよう。
俺はPAさんから受けたアドバイスを踏まえて、一度思考に蓋をし自分の中に存在する気持ちや想いと向き合う。無理に独創的なアイデアを捻り出そうとするのではなく、ただ純粋に彼女達と過ごした日々を思い返す。すると、何時間も悩んでいたのが馬鹿らしくなるぐらいに宝物のような沢山のデザインが頭に浮かんできた。
「……結束バンドのみんなの笑顔と、前を向いて進んでいく姿を見守りながらも……一緒に歩んでいきたいっていう俺自身の気持ちを表現してみようと思います」
照れくささを感じながらも正直に答えると、PAさんは……そしてグイッと俺の耳元に口を寄せて囁くように。
「―――佐伯さんらしい、優しくて純粋な答えですね」
「あ……その、ありがとうございますっ……」
目と鼻の先にPAさんの顔があって……この貞操観念逆転世界において女性側から積極的に距離を詰められるのは日常茶飯事なのだが、相手がミステリアスで色気溢れる美人ともなると流石に恥ずかしく……そんな動揺する俺の姿を見て彼女は面白そうにクスクスと喉を鳴らす。
「佐伯さんは可愛いですねぇ」
「からかわないでくださいよ……」
顔に熱を感じながら弱弱しく言い返す中で……俺はふと、脳内に強烈なデジャヴを感じた。囁かれ離れた今でも耳元でこだまするように存在感を示すPAさんの綺麗な声、今までは深く意識していなかったがこのボイスはとある配信者によく似ており……そう、それは『音戯アルト』という名前でゲーム実況などの配信をしているVtuberである。
俺は音戯アルトのファンで毎回楽しんで見ているのだが……テンションや高音低音の違いこそあれど、それでも偽り切れない特徴的な声のニュアンスが目の前のPAさんと瓜二つだ。まさかとは思うが。
「…………あの、もしかしてPAさんって―――ネットで活動されてる音戯アルトさんだったりしますか?」
「―――は」
その瞬間、PAさんの動きがピタリと止まった……ヤバい、完全にやらかしてしまった。こんな決定的な確証もない与太話を己の内側だけに留めず実際に口に出して尋ねてしまうだなんて。
「す、すみません!いきなり変なこと言っちゃって……今のはどうか忘れてください」
平謝りする俺をじっと見つめた後、きっと気のせいだろうがPAさんの瞳がまるで獲物を捕らえる獰猛な肉食獣のようにギラリと光ったように見えて……彼女は己を宥めるようにゆっくりと息を吐くと。
「……誰にも言わないよう秘密にしていたのに、全く佐伯さんは―――悪い子ですねぇ」
「え……じ、じゃあ本当にPAさんがあの音戯アルトなんですか……!?」
驚きのあまり声を上げる俺に対し、PAさんは妖艶な笑みで再度こちらに顔を近づけてきて……そして耳元に口を寄せると。
「この事は私と佐伯さんの―――2人だけの内緒ですよ?」
とろけるような声で囁いてきたPAさんに俺はただコクコクと頷くしか出来ず……そして両者の間に沈黙が流れ、気まずい俺と特に気にしてなさそうに……いやむしろ嬉しそうにニコニコと微笑むPAさん。この何とも言い難い空気感にいよいよ耐え切れなくなりそうなそのとき、近くの時計が目に入り、ちょうど休憩時間が終わろうとしていた。
俺は慌ててPAさんから距離を取って。
「アッ、アドバイスありがとうございます!大まかにですが自分の中でデザイン案が浮かんできました。えっと、それじゃあそろそろ仕事に戻らなきゃいけないので……ほ、本当にありがとうございました……!」
たどたどしくも正直な感謝の気持ちを込めてお礼の言葉を告げると、ホールを清掃する為のモップを取りに掃除ロッカーへ急ぎ足で向かうのであった。PAさんが音戯アルトだったのは驚いたけれど、それ以上に何て言うか―――
「大人の女性は陰キャDTには刺激が強すぎる……」
まだまだ自分って子供なんだと思わされたよ……え?その理論なら廣井さんもPAさんと同じように当てはまるでしょ?いやあの人はギター弾いてるときとかカッコいいし良い人だけど、それ以上に色々と問題も多いものだから、関わっていて別の意味でずっとドキドキが止まりませんでしたねハイ……
兎にも角にも―――デザインも浮かんだ事だし、これなら明後日にはバンドのみんなに完成したTシャツを見せる事が出来そうだ。これもPAさんのおかげ。
ホント、PAさんは優しくて頼りになって尊敬しちゃうなぁ……!
(反則……反則ですよ佐伯さん)
『アッ、アドバイスありがとうございます!大まかにですが自分の中でデザイン案が浮かんできました。えっと、それじゃあそろそろ仕事に戻らなきゃいけないので……ほ、本当にありがとうございました……!』
顔を赤くしながらも、心の底からの本音と言わんばかりに笑顔でお礼を伝えてくる彼……この世界において男性が女性へと抱くのは基本的に恐怖や警戒といったお世辞にも好意的なものではない。それが常識と化した中で男の側から女性に対して差し伸べられる優しさや、純粋な感謝の言葉など歪んだ社会ではおよそ耳にすることのない、言わば砂漠の中のオアシスである。
(結束バンドの皆さんが彼に夢中なのも分かります、だって私も―――出会ったときから大好きですからね♡)
口には出さず、彼女は心の中で狂おしいほどの感情を膨らませていく。冷たい男ばかりのこの世界でこんなにも無防備に自分を信頼し頼ってくれる、そんなこれから一生出会えるかも分からない存在を手放したくないという思いに至るのは当然の事だ。誰にも渡したくない独占欲が、彼女の中で増長するのを止めない。
(あぁ……本当に、可愛くて愛おしいです。いつも私に向けてくれる真っすぐな笑顔を思い出すだけで、胸の奥が熱くてたまらないですよ。それに私のファンだったなんて、これはもう相思相愛)
彼女は服の袖を口元に当てて。
(―――今すぐ佐伯君を私の手で完全に染め上げて、誰にも見られないように家に閉じ込めてしまいたくなりますねぇ)
そう、真っ赤に染まった顔で瞳を卑しく光らせながら……恍惚とした笑みを浮かべるのであった。