祝福されない赤子として生まれました   作:What's 船長

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第13話

 教団の本殿、面会の間ではなく、今日は、別の部屋にノアは通された。

 

 ベネディクトの私室だった。壁には、聖典の写本が並び、机の上には、教団の財務記録が、山のように積まれている。信仰の場というより、経営者の書斎に近い雰囲気だった。

 

 「早いな」

 

 ベネディクトは、書類から顔を上げずに言った。

 

 「公爵から、話は聞いている。修道院を、街道の治安拠点にする案だそうだな」

 

 「はい」

 

 ノアは、簡潔に、案の要点を伝えた。教団の威信を保ちながら、現実的な役割を担うことで、寄進に頼らずとも、改修費用を確保できる――その理屈を。

 

 ベネディクトは、話を聞き終えると、初めて、ペンを置いた。

 

 「悪くない」

 

 彼は言った。

 

 「だが、お前は、一つ、大事なことを、見落としている」

 

 「何でしょうか」

 

 「清浄派だ」

 

 ベネディクトは、机の向こうで、深く息を吐いた。

 

 「奴らは、教団が、治安維持のような、世俗的な役割を担うこと自体を、嫌う。信仰の場が、街道の宿場のようなものに変わることを、堕落だと言うだろう」

 

 ノアは、その反応を、ある程度予測していた。

 

 「大司祭様は、清浄派を、どう説得するおつもりですか」

 

 ベネディクトは、しばらく、答えなかった。

 

 「説得はしない」

 

 彼は、ようやく言った。

 

 「奴らは、私が何を言っても、疑いを持つ。だから、私は、別の方法を取る」

 

 「別の方法、とは」

 

 「清浄派の中心人物に、直接、この案を持ちかけさせる」

 

 ベネディクトの目に、計算深い光が浮かんだ。

 

 「私からではなく、第三者から出た案として見せれば、清浄派も、少しは、冷静に検討する」

 

 「その第三者とは」

 

 「お前だ」

 

 ノアは、驚いた。

 

 「私が、清浄派に、直接、この案を伝えるのですか」

 

 「そうだ」

 

 ベネディクトは、はっきりと言った。

 

 「お前は、公爵の使いであり、教団の人間ではない。利害関係のない外部の者から出た案として見せれば、清浄派の警戒は、いくらか薄まる」

 

 ノアは、その提案の裏にある計算を、素早く読み取った。ベネディクトは、自分の手を汚さずに、清浄派を説得する役目を、ノアに押しつけようとしていた。もし失敗すれば、責任は、ノアと公爵に向かう。もし成功すれば、その成果は、ベネディクト自身のものになる。

 

 「大司祭様は」

 

 ノアは、静かに言った。

 

 「ご自身は、危険を負わず、成果だけを、お望みですね」

 

 ベネディクトの表情が、わずかに動いた。

 

 「隠さないのか」

 

 「隠す意味が、ありません」

 

 ノアは、まっすぐに、ベネディクトを見た。

 

 「私は、この役目を、引き受けます。ただし、条件があります」

 

 「言ってみろ」

 

 「もし、清浄派の説得に成功した場合、大司祭様は、修道院の改修案を、教団として正式に、評議会に提出してください。今日、この場で、そう約束していただきたい」

 

 ベネディクトは、しばらく、ノアを見つめていた。それから、小さく笑った。

 

 「お前は、十二歳にしては、随分と、取引が上手い」

 

 「学んだだけです」

 

 「誰から、学んだ」

 

 ノアは、その問いに、答えなかった。答える必要のない問いだった。

 

 ベネディクトは、しばらく待ったが、やがて、諦めたように、机の上の書類に、何かを書きつけた。

 

 「約束は、これで良いか」

 

 彼は、書いたものを、ノアに見せた。修道院の改修案を、教団として正式に支持するという、簡潔な一文だった。

 

 「結構です」

 

 ノアは、頷いた。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 清浄派の中心人物――ベネディクトが教えたのは、司祭の一人、フィリップという名の中年男だった。彼は、教団の外れ、質素な礼拝堂で、日々の祈りを捧げていると言う。

 

 ノアが礼拝堂を訪れると、フィリップは、祭壇の前で、静かに祈りを終えたところだった。

 

 「見慣れぬ顔だ」

 

 フィリップは、振り返り、ノアを見た。その目には、ベネディクトのような計算深さはなく、代わりに、澄んだ、しかし頑なな光があった。

 

 「あなたが、大司祭様の使いですか」

 

 「いいえ」

 

 ノアは、正直に言った。

 

 「私は、ヴァンサン公爵様の使いです。大司祭様から、あなたに、ある案をお伝えするよう、頼まれました」

 

 フィリップの表情が、わずかに硬くなった。

 

 「大司祭が、公爵の使いを寄越すとは、珍しい」

 

 ノアは、聖アルバ修道院の改修案を、順を追って説明した。街道の治安拠点としての機能、教団の予算問題の解決、そして、その背景にある、レジナルド家からの寄進の申し出。

 

 フィリップは、最後まで、黙って聞いていた。

 

 「つまり」

 

 彼は、話を聞き終えると、静かに言った。

 

 「大司祭は、レジナルド家の寄進を断る代わりに、修道院を、世俗の役に立てようとしている、ということですね」

 

 「そう理解しています」

 

 「それは」

 

 フィリップの声に、初めて、抑えきれない苦さが滲んだ。

 

 「信仰を、また一つ、政治の道具にする話だ」

 

 ノアは、この反応を、予測していた。

 

 「フィリップ様は」

 

 彼は、慎重に言葉を選んだ。

 

 「教団が、政治に利用されることを、最も恐れているのですね」

 

 「当然だ」

 

 フィリップは、強く言った。

 

 「教団は、王家よりも古い。だが、近年、大司祭のような現実派が、教団を、少しずつ、政治の道具に変えている。寄進を受け、貴族の顔色を伺い、信仰そのものが、後回しにされている」

 

 ノアは、その言葉の中に、フィリップの本当の恐怖を、初めて、はっきりと見た。

 

 彼が恐れているのは、修道院が世俗の役に立つこと、そのものではない。教団という組織が、信仰から離れ、政治の駒に変わっていく、その流れ全体だった。

 

 「では」

 

 ノアは、慎重に踏み込んだ。

 

 「もし、この改修案が、教団を、政治の道具にするのではなく――逆に、教団の独立性を、守るためのものだとしたら、いかがですか」

 

 フィリップの目が、鋭くなった。

 

 「どういう意味だ」

 

 「レジナルド家からの寄進を受ければ、教団は、レジナルド家に、恩を負います」

 

 ノアは言った。

 

 「一方、公爵様の支援を得て、教団自身の判断で、修道院を改修すれば――教団は、どの貴族にも、恩を負いません。むしろ、街道の治安を担うことで、教団は、王国のどの勢力からも、独立した、公共の存在として、立場を強められます」

 

 フィリップは、しばらく、無言だった。

 

 「それは」

 

 彼は、ようやく言った。

 

 「詭弁のようにも、聞こえる」

 

 「詭弁かもしれません」

 

 ノアは、正直に認めた。

 

 「ですが、レジナルド家の寄進を受けることと、公爵様の支援を、評議会の議題として受けることでは、教団が、誰に借りを作るかが、まったく違います。前者は、一つの家への借り。後者は、王国全体への、公的な役割です」

 

 フィリップは、長い間、考え込んでいた。

 

 やがて、彼は、深く息を吐いた。

 

 「お前の言葉には、まだ、信じきれない部分がある」

 

 彼は言った。

 

 「だが、レジナルド家に、教団が借りを作ることだけは、避けたい。それだけは、私も、同じ考えだ」

 

 「では」

 

 「反対はしない」

 

 フィリップは、はっきりと言った。

 

 「だが、賛成もしない。清浄派の他の者たちにも、同じ説明をしてくれ。私一人の判断で、動くわけにはいかない」

 

 ノアは、頭を下げた。

 

 「承知しました」

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 礼拝堂を出たノアは、教団の敷地を歩きながら、今日の対話を振り返っていた。

 

 完全な賛成は得られなかった。だが、明確な反対もされなかった。それは、これまでの交渉とは違う、曖昧な、しかし確実な、一歩だった。

 

 彼は、空を見上げた。日は、すでに、西へ傾き始めている。

 

 半月という期限の中、まだ、清浄派の他の者たちへの説得が、残っている。そして、北部の貴族たちへの説得は、ヴァンサン公爵が担っているはずだが、その進捗は、まだ、ノアの耳には届いていなかった。

 

 複数の糸が、同時に、動いている。

 

 その一本が切れれば、全体が崩れるかもしれない。ノアは、その緊張を、初めて、はっきりと自覚していた。

 

 教団の門を出たところで、彼は、一人の人物と、鉢合わせた。

 

 執事だった。息を切らし、明らかに、急いでやってきた様子だった。

 

 「ノア様」

 

 執事は、珍しく、動揺した声で言った。

 

 「デュヴァル伯爵家から、緊急の知らせが」

 

 ノアの背筋が、強張った。

 

 「何が、あったのですか」

 

 執事は、一度、息を整えた。

 

 「エヴリン様が、レジナルド家の者に、屋敷の外で、接触されたそうです」

 

 その言葉が、ノアの中で、これまでの計算をすべて、一瞬で塗り替えた。

 

 半月という期限を、レジナルド家は、待つつもりがないのかもしれない。

 

 彼は、教団の門を、振り返らずに、駆け出した。

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