祝福されない赤子として生まれました   作:What's 船長

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第14話

 馬車を借りる時間すら惜しく、ノアは、王都からデュヴァル伯爵領まで、走れる限りの道を、馬で駆けた。

 

 屋敷に着いたときには、日が、すでに沈みかけていた。

 

 門番が、ノアの顔を見るなり、すぐに中へ通した。伯爵が、玄関先で、青ざめた顔で待っていた。

 

 「エヴリンは」

 

 ノアは、挨拶も抜きに、そう尋ねた。

 

 「無事だ」

 

 伯爵は、疲れた声で答えた。

 

 「今、部屋にいる。だが――話を、聞いてやってほしい」

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 エヴリンの部屋は、蝋燭が一本だけ灯っていた。彼女は、窓際の椅子に座り、膝の上で、両手を固く握っていた。

 

 「ノア」

 

 彼女は、ノアの姿を見て、わずかに肩の力を抜いた。

 

 「来てくれたのね」

 

 「何があったのか、聞かせてください」

 

 ノアは、彼女の正面に、静かに座った。

 

 エヴリンは、しばらく、言葉を選ぶように、視線を落としていた。

 

 「今日の昼過ぎ、庭を歩いていたら」

 

 彼女は、ゆっくりと話し始めた。

 

 「見知らぬ男の人が、庭の外から、私に声をかけてきたの」

 

 「侍女や、護衛は」

 

 「少し、離れた場所にいたわ。声が届く距離ではなかった」

 

 ノアは、その状況に、意図的な計算を感じ取った。声をかけたタイミングも、距離も、偶然にしては、あまりに都合が良すぎる。

 

 「その男は、何と」

 

 「レジナルド家の者だと、名乗ったわ」

 

 エヴリンの声が、わずかに震えた。

 

 「私に、直接、言ったの。半月後、教団が、寄進を断るという話は、もう知っていると。だから、その前に、私自身の意志を、確認しておきたいと」

 

 「あなたの、意志、とは」

 

 「本当に、レジナルド家との縁を、望んでいないのか、と」

 

 エヴリンは、拳を、さらに強く握った。

 

 「私が、望んでいないと答えたら――その男は、笑ったの。『では、あなたの父上が、財政のために、あなたを差し出すことを、あなたは、止められるのですか』って」

 

 部屋の中に、重い沈黙が落ちた。

 

 「その言葉は」

 

 ノアは、静かに言った。

 

 「あなたを、脅すためのものです」

 

 「分かってる」

 

 エヴリンは、うつむいた。

 

 「でも――怖かった。私の意志なんて、最初から、関係ないんだって、思い知らされた気がして」

 

 ノアは、彼女の言葉を、正面から受け止めた。これまで、彼は、評議会という盤面の中で、票を動かすことに集中してきた。だが、その盤面の外側で、エヴリン自身が、直接、脅されるという事態を、彼は、想定していなかった。

 

 「なぜ」

 

 ノアは、自問するように呟いた。

 

 「なぜ、今、直接、あなたに接触したのか」

 

 「レジナルド家は」

 

 伯爵の声が、部屋の入口から聞こえた。彼は、いつの間にか、扉のそばに立っていた。

 

 「私への圧力だけでは、埒が明かないと、焦っているのかもしれない」

 

 ノアは、その可能性に、頷いた。

 

 「教団への寄進の話も、あなたへの新たな従属関係の申し出も、すべて、期限を意識した動きです。半月という時間の中で、公爵様の支援が、正式に決まる前に、決着をつけたいのでしょう」

 

 「では」

 

 伯爵の声に、恐れが混じった。

 

 「レジナルド家は、これから、もっと、強引な手を使うということか」

 

 ノアは、すぐには答えられなかった。だが、その可能性を、否定することもできなかった。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 その夜、ノアは、屋敷に泊まることを許された。エヴリンの護衛を、一晩だけでも強化するためだった。

 

 翌朝、彼が、王都へ戻る準備をしていると、屋敷の門前に、一台の、飾り立てた馬車が止まった。

 

 紋章は、剣と月桂樹――レジナルド家のものだった。

 

 馬車から降りてきたのは、二十代後半の、整った顔立ちの男だった。仕立ての良い外套を纏い、その所作には、生まれながらの余裕が滲んでいた。

 

 レジナルドだった。

 

 彼は、玄関先で待っていたデュヴァル伯爵を見つけると、優雅に一礼した。

 

 「突然の訪問を、お許しください、伯爵」

 

 「レジナルド様」

 

 伯爵の声は、緊張で硬かった。「本日は、何のご用件で」

 

 「昨日、私の使者が、ご息女に、少々、無礼な物言いをしたと聞きました」

 

 レジナルドは、朗らかに言った。

 

 「その謝罪に、参りました」

 

 その言葉に、ノアは、内心で、強い違和感を覚えた。謝罪という名目で、レジナルド自身が、直接、屋敷を訪れる意味は、単なる礼儀以上のものがあるはずだった。

 

 レジナルドの視線が、玄関先に立つノアに移った。

 

 「見慣れぬ顔だ」

 

 彼は、値踏みするように、ノアを見た。

 

 「お前は」

 

 「ヴァンサン公爵様の使いです」

 

 ノアは、丁寧に、しかし、はっきりと答えた。

 

 レジナルドの目に、一瞬、興味の色が浮かんだ。それは、すぐに、侮りの色に変わった。

 

 「公爵の使い、というのは」

 

 彼は、ノアを、頭のてっぺんから足の先まで、ゆっくりと眺めた。

 

 「随分と、若い庶子を、使っているのだな」

 

 その言葉には、明確な悪意があった。ノアの出自を、すでに知った上での、意図的な侮辱だった。

 

 ノアは、表情を変えなかった。

 

 「私の出自が、何か、問題でしょうか」

 

 「いや」

 

 レジナルドは、軽く笑った。

 

 「ただ、公爵も、随分と、変わった趣味をお持ちだと、思っただけだ」

 

 伯爵が、その空気を和らげようと、慌てて口を挟んだ。

 

 「レジナルド様、娘の件については」

 

 「ああ、そうだった」

 

 レジナルドは、伯爵に向き直った。その表情から、先ほどの侮りの色は、綺麗に消えていた。まるで、最初から、そんな感情など、存在しなかったかのように。

 

 「私は、ただ、ご息女の、率直な意志を、確認したかっただけです」

 

 彼は、穏やかに言った。

 

 「もし、彼女が、私との縁を、本当に望んでいないのであれば――私は、無理強いをするつもりはありません」

 

 その言葉は、一見、紳士的だった。だが、ノアは、その裏にある計算を、正確に読み取った。

 

 これは、伯爵の前で、レジナルド自身の余裕を、演出するための言葉だった。無理強いをしていないと、公の場で言っておくことで、後々、何か問題が起きた際に、自分の責任を、回避できる。

 

 「レジナルド様」

 

 ノアは、思わず、口を挟んだ。

 

 「では、教団への寄進の申し出も、伯爵様への従属関係の要求も――すべて、撤回されるのですね」

 

 レジナルドの視線が、再び、ノアに向いた。今度は、侮りではなく、はっきりとした警戒の色があった。

 

 「お前は、誰から、その話を」

 

 「私は、ただ、事実を確認しているだけです」

 

 ノアは、静かに、しかし、引かずに言った。

 

 「率直な意志を尊重すると仰るなら、それらの申し出も、当然、撤回されるべきです」

 

 レジナルドは、しばらく、ノアを見つめていた。その目に、これまでとは違う、冷たい光が宿った。

 

 「お前は」

 

 彼は、低く言った。

 

 「随分と、口が達者な庶子だ」

 

 「褒め言葉として、受け取ります」

 

 「褒めてはいない」

 

 レジナルドの声から、先ほどまでの穏やかさが、完全に消えていた。

 

 「教団への申し出も、伯爵への申し出も、撤回するつもりはない」

 

 彼は、はっきりと言った。

 

 「それらは、あくまで、別の話だ。ご息女の意志の確認とは、無関係のものだ」

 

 その言葉で、レジナルドは、自分の紳士的な態度が、ただの演出だったことを、自ら認めたに等しかった。

 

 伯爵の表情が、絶望に近いものに変わった。

 

 「レジナルド様」

 

 「では、私は、これで」

 

 レジナルドは、伯爵の言葉を遮り、優雅に一礼した。

 

 「半月後、また、伺います。その時までに、教団と評議会の結論が、どうなっているか――楽しみにしています」

 

 彼は、馬車に乗り込み、去っていった。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 馬車が見えなくなると、伯爵は、その場に、崩れるように座り込んだ。

 

 「あの男は」

 

 伯爵の声は、震えていた。

 

 「最初から、娘の意志など、どうでもいいのだ」

 

 ノアは、去っていった馬車の方角を、見つめていた。

 

 レジナルドという男の輪郭が、今日、初めて、はっきりと見えた。彼は、表向きの余裕と紳士的な態度の裏で、庶子であるノアを、明確に格下と侮っていた。そして、その侮りが、彼の言葉の端々に、隙として現れていた。

 

 教団への申し出と、伯爵への従属要求を、意志確認とは無関係だと、自ら認めたこと。それは、レジナルドが、まだ、ノアという存在の危険性を、正しく測れていない証拠だった。

 

 「伯爵様」

 

 ノアは、静かに言った。

 

 「レジナルド様は、今、私を、ただの生意気な庶子としか、見ていません」

 

 「それが、どうしたと言うのだ」

 

 「侮られている間は」

 

 ノアは、去っていった馬車の轍を、見つめたまま言った。

 

 「相手は、油断します。その油断が、いつか、隙になります」

 

 伯爵は、ノアを見た。その目に、わずかな、しかし確かな希望が浮かんでいた。

 

 ノアは、王都へ戻る馬に、再び乗った。

 

 半月という期限は、変わらず、迫っている。だが、今日、彼は、これまで名前としてしか知らなかった敵の、実際の輪郭を、初めて、自分の目で見た。

 

 レジナルドは、強い。血筋も、財力も、地位も、ノアとは比べ物にならない。だが、彼の侮りの中に、確かな隙がある。

 

 その隙を、どう使うか――それが、これからの半月を、決定づけることになる。

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