祝福されない赤子として生まれました   作:What's 船長

3 / 5
第3話

 封蝋を切ったとき、ノアの手は、わずかに震えていた。

 

 中の書状は、前回よりも長かった。

 

 

 

 『来週、王都にて評議会の小会が開かれる。議題は、北部街道の通行税についてだ。お前は、私の代理として、会議の前に、ある人物と接触してほしい――グレイヴズ将軍の副官、コンラート卿だ。彼を通じて、将軍が今回の議題にどう動くか、探りを入れてほしい』

 

 

 

 ノアは、何度もその文面を読み返した。

 

 探りを入れる、という言葉の意味を、彼は正確に理解していた。これは単なる使いの仕事ではない。評議会の駆け引きそのものに、初めて足を踏み入れる依頼だった。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 コンラート卿は、王都の軍事区にある屋敷の一角で、ノアを迎えた。

 

 四十代後半の男で、軍服の襟元には、長年の戦歴を示す勲章がいくつか並んでいる。彼の目はノアを一瞬見ただけで、値踏みを終えたようだった。

 

 「ヴァンサン公爵の使いが、こんな子供とはな」

 

 「公爵様より、お話を伺うよう仰せつかりました」

 

 「話すことはない」

 

 コンラート卿は、椅子に深く座り直した。

 

 「将軍は、北部街道の通行税について、まだ何も決めていない」

 

 「決めていない、というのは」

 

 ノアは慎重に言葉を選んだ。

 

 「迷っている、ということでしょうか」

 

 コンラート卿の眉が、わずかに動いた。

 

 「迷っているように見えるか」

 

 「いいえ」

 

 ノアは、相手の表情を読みながら答えた。

 

 「将軍は、迷ってはいません。ただ、誰にも、まだその答えを話していない――それだけです」

 

 コンラート卿の表情が、初めて変わった。

 

 「お前、なぜそう思う」

 

 「もし迷っているなら、副官であるあなたが、何らかの方向性を聞いているはずです」ノアは続けた。

 

 「あなたが今、何も話さないのは知らないからではなく、話してはならないと、将軍に言われているからです」

 

 コンラート卿は、しばらく無言だった。

 

 彼の目に、警戒の色が浮かんでいる。十二歳の少年が、ここまで正確に状況を読んでくることを、想定していなかったのだろう。

 

 「お前は、何が目的だ」

 

 ノアではなく、ヴァンサン公爵に向けたような問いだった。

 

 「公爵は、なぜ将軍の動きを知りたがる」

 

 ノアは、ここで一つの判断をした。情報を出さなければ、相手も出さない。だが、出しすぎれば公爵の計画そのものを危うくする。

 

 「私は、公爵様の意図のすべてを知っているわけではありません」ノアは正直に言った。

 

 「ただ、私が想像する限り、公爵様は、評議会の票が、誰かの一方的な力で動くことを、最も恐れています」

 

 「誰かの一方的な力、とは」

 

 「レジナルド家のような」

 

 コンラート卿の目が、鋭くなった。

 

 「お前、なぜその名を出す」

 

 「最近、レジナルド家が、デュヴァル伯爵領との縁談を通じて、財政基盤を一つ取り込もうとしています」ノアは言った。

 

 「これは、評議会のバランスに影響します。公爵様は、それを牽制しようとしているのではないでしょうか」

 

 コンラート卿は、長い間、ノアを見つめていた。やがて、彼は小さく息を吐いた。

 

 「お前は、十二歳にしては、ずいぶんと見えている」

 

 「見ているだけです。ただ、それを言葉にする者が、少ないだけかもしれません」

 

 コンラート卿は、椅子の背に体を預けた。彼の中で、何かの計算が動いているのが、ノアにも見て取れた。

 

 「将軍は」彼は、ついに口を開いた。

 

 「北部街道の通行税については、上げることに反対だ。理由は単純――税を上げれば、街道沿いの村々の不満が高まる。不満が高まれば、いつか反乱の種になる」

 

 「将軍は、もう一度、内乱を見たくないのですね」

 

 コンラート卿は、答えなかった。だが、その沈黙は、肯定そのものだった。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 ここまでは、予定通りの展開だった。ノアは、目的の情報を、ほぼ手に入れた。

 

 だが、退室しようとしたとき、コンラート卿が、彼を呼び止めた。

 

 「待て」

 

 ノアは足を止めた。

 

 「お前、ヴァンサン公爵の使いだと言ったな」

 

 コンラート卿の声に、それまでとは違う重さがあった。

 

 「では、なぜ、お前の話の中に、一度も、お前自身の母の名前が出てこない」

 

 ノアの背筋が、わずかに強張った。

 

 「母の名前、とは」

 

 「イゾルド」

 

 コンラート卿は、その名を、はっきりと口にした。

 

 「お前の母は、かつて王の寵姫だった女だ。今は西塔にいる」

 

 ノアは、表情を動かさないよう努めた。だが、内心では、強い動揺があった。コンラート卿が、自分の出自を知っている。それも、おそらく、ヴァンサン公爵から聞いたのではない。

 

 「あなたは、なぜそれを」

 

 「私が、軍に入る前」コンラート卿は、ゆっくりと言葉を選んだ。

 

 「内乱の最中、私は、ある女性の警護を担っていた。当時、彼女はまだ、王の寵愛を受けていた」

 

 ノアの心臓が、強く打った。

 

 「それが、私の母だと」

 

 「断言はしない」コンラート卿は、目を細めた。

 

 「だが、お前の顔を見て、思い出したことがある。彼女は、当時から、評議会という制度そのものに、強い興味を持っていた。誰よりも先に、その仕組みを理解していた」

 

 ノアは、何も言えなかった。

 

 「彼女が、お前に何を教えたのか、私は知らない」コンラート卿は続けた。

 

 「だが、もし彼女が、お前に評議会の堕とし方を教えたのなら――その知識の出どころを、一度、考えてみるべきだ」

 

 「出どころ、とは」

 

 「彼女は、誰からその知識を得たのか、という意味だ」

 

 ノアは、その問いを、すぐには理解できなかった。だが、徐々に、その重さが胸に広がっていく。

 

 母は、評議会という制度を、いつ、どこで学んだのか。

 

 彼女は、王の寵姫だった。政治に直接関わる立場ではなかったはずだ。だが、コンラート卿の言葉によれば、彼女は、誰よりも先に、この制度を理解していた。

 

 誰かが、彼女に教えた。

 

 そして、その誰かが、今、ノアに繋がっている可能性がある。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 屋敷を出たノアは、しばらく、王都の通りを歩いた。考えがまとまらないまま、足だけが進んでいた。

 

 彼は、自分が今日、何を達成したのかを、改めて整理した。

 

 グレイヴズ将軍の意図――税の引き上げに反対し、内乱の再来を恐れている――を、副官の言葉から正確に引き出した。これは、彼が初めて、評議会の長の一人の本音に、直接触れた瞬間だった。

 

 ヴァンサン公爵への報告は、確かな成果を持って帰ることができる。

 

 だが、その成果と同じ重さで、新しい疑問が、彼の中に積み重なっていた。

 

 母は、誰から、評議会の仕組みを学んだのか。

 

 マリアンヌの忠告――『あなたの母上が、誰かと繋がっている』――が、再び頭をよぎった。コンラート卿の言葉は、その忠告に、新しい角度から重なってくる。

 

 ノアは、足を止めた。

 

 王都の通りの向こう、霧というよりも、夕暮れの薄い陽光が、屋根々を照らしている。今日は、霧の代わりに、橙色の光が、彼の影を長く伸ばしていた。

 

 彼は、その影を見つめた。

 

 影は、いつも自分の形を、正確に映す。だが、その影を作る光の出どころは、自分では選べない。

 

 母が、誰かに照らされて、今の彼女になったのだとしたら。

 

 そして、その「誰か」が、息子であるノアにも、何らかの形で関わっているのだとしたら――

 

 ノアは、拳を握った。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 館に戻ったノアは、執事に、グレイヴズ将軍の意図について、簡潔に報告した。執事は、すぐにその内容を、公爵家への返書として書き起こす準備を始めた。

 

 「お前は」執事は、書きながら、ふと尋ねた。

 

 「将軍の副官と、何を話した。報告以外に」

 

 ノアは、一瞬、迷った。

 

 「私の母のことを、少し」

 

 執事は、筆を止めた。彼はノアを見て、何か言いたげな表情をしたが結局は、何も言わなかった。

 

 ノアは自室に戻った。

 

 今夜、彼が考えるべきことは、評議会の票の動きではなかった。母の過去――王の寵姫であった時代に、彼女が誰と出会い、何を学んだのか。

 

 その答えを知っているのは、おそらく、母自身か、あるいは、コンラート卿のように、当時を知る、ごく一部の人間だけだ。

 

 ノアは、窓の外を見た。

 

 次に西塔を訪れたとき、彼は、これまでとは違う問いを、母にぶつけることになる。

 

 『母上は、評議会の仕組みを誰から学んだのですか』

 

 その問いに、母がどう答えるか――あるいは、答えずに、何を隠すか。

 

 それを知った瞬間、彼が今まで信じてきた「母の教え」という武器そのものが、誰かの手によって、最初から仕組まれたものだったと、判明するかもしれない。

 

 ノアは、その可能性をもう目を逸らさずに見つめていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。