祝福されない赤子として生まれました   作:What's 船長

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第4話

 西塔への階段を上る足音が、いつもより重く響いた。

 

 ノアは、これまで何度もこの階段を上ってきた。だが、今日は、足の運びそのものが違っていた。問いを持って上るのと、答えを聞きに上るのとでは、重さが違う。

 

 最上階の小部屋。

 

 イゾルドは、窓辺の椅子に座っていた。ノアが入ってきても、すぐには顔を向けなかった。

 

 「ノア」

 

 彼女はようやく口を開いた。

 

 「グレイヴズ将軍のことは、コンラート卿から聞いた」

 

 ノアは、驚きを表に出さなかった。だが、その早さに、改めて警戒を強めた。

 

 「母上は、ずいぶんと多くのことをご存知ですね」

 

 「私には、私の耳がある」

 

 イゾルドは、いつもと同じ言葉を返した。

 

 「お前は、上手くやった。グレイヴズの本音を引き出すなど、私が思っていたよりも早い」

 

 「母上」

 

 ノアは椅子に座らず、立ったまま言った。

 

 「お聞きしたいことがあります」

 

 イゾルドの視線が、初めてまっすぐに息子を見た。

 

 「何だ」

 

 「母上は、評議会の仕組みを誰から学んだのですか」

 

 部屋の中の空気が、わずかに変わった。

 

 イゾルドはすぐには答えなかった。彼女の指が、椅子の縁をわずかに強く握っている。それは、これまでノアが見たことのない、母の手の動きだった。

 

 「なぜ、そんなことを聞く」

 

 「コンラート卿が言いました。母上は、王の寵姫だった頃から、評議会という制度に、誰よりも先に興味を持っていたと」

 

 「それが、何だというのだ」

 

 「政治に直接関わる立場ではなかったはずの母上が、なぜ、誰よりも早く、この制度を理解していたのか――知りたいのです」

 

 イゾルドはしばらく息子の顔を見つめていた。

 

 「お前は」

 

 彼女は、ゆっくりと言った。

 

 「私が、誰かに教わったと思っているのか」

 

 「違うのですか」

 

 「私は、自分で学んだ」

 

 イゾルドの声は、いつもより硬かった。

 

 「王の寵姫であった時代、私は誰よりも、宮廷を観察していた。お前と、同じだ」

 

 「では、なぜコンラート卿は、私に『知識の出どころを考えるべきだ』と言ったのですか」

 

 イゾルドの表情が、わずかに動いた。それは、ノアが西塔で何度も見てきた、あの一瞬の躊躇いだった。だが今日は、その躊躇いが、いつもより長く続いた。

 

 「あの男は」

 

 イゾルドは、ようやく言った。

 

 「昔から、余計なことを言う」

 

 「母上」

 

 ノアは、一歩、母に近づいた。

 

 「私は、母上を疑っているわけではありません。ただ――母上が、私にすべてを教えていないのだとしたら、私は、自分の武器の半分しか、知らないまま動いていることになります」

 

 イゾルドは、目を伏せた。

 

 長い沈黙が、部屋を満たした。霧の匂いと、湿った石の冷たさだけが、二人の間にあった。

 

 「ノア」

 

 イゾルドは、ようやく顔を上げた。

 

 「お前に、一つだけ、話していないことがある」

 

 ノアの心臓が、強く打った。

 

 「私が、評議会の仕組みを学んだのは、自分の観察だけではない」

 

 イゾルドは、言葉を選びながら続けた。

 

 「私には、当時、一人の協力者がいた。私に、宮廷の裏側を教えてくれた人物だ」

 

 「その人物は、誰ですか」

 

 イゾルドは、答えなかった。彼女は、窓の外、霧の向こうの王城を見つめた。

 

 「母上」

 

 「今は、その名を言うことはできない」イゾルドは言った。

 

 「言えば、お前にとって、危険になる」

 

 「私は、すでに評議会に関わっています。今、危険を避けようとすることに、意味はありますか」

 

 イゾルドの目に、初めて、強い感情の色が浮かんだ。それは、怒りに近い何かだった。

 

 「お前は、まだ何もわかっていない」

 

 彼女の声が、わずかに高くなった。

 

 「私が守ろうとしているのは、お前自身だ」

 

 「私を守るために、私に何も教えないのですか」

 

 二人の視線が、正面からぶつかった。

 

 イゾルドは、しばらくして、視線を逸らした。その動きは、これまでの彼女には見られなかった、明確な敗北の仕草だった。

 

 「いつか、話す」

 

 彼女は、低く言った。

 

 「今は、まだ、その時ではない」

 

 ノアは、それ以上、問いを重ねなかった。母の表情の中に、これ以上は崩れない、固い壁があることを、彼は読み取っていた。

 

 「わかりました」彼は言った。

 

 「今日は、これで」

 

 彼が部屋を出るとき、イゾルドは、何かを言いかけたが、結局、声にはならなかった。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 塔を出て、霧の中を歩き出したノアは、ある違和感に気づいた。

 

 いつもより、霧が薄かった。視界の先に、はっきりと、王都の建物の輪郭が見える。

 

 その視界の中、塔の門の脇に、一人の人物が立っていた。フードを被った、小柄な姿。

 

 マリアンヌだった。

 

 「待っていたの」

 

 彼女はフードを少し上げ、ノアを見た。

 

 「ここで、何を」

 

 「あなたが、いつ母上に問いをぶつけるか、見ていた」

 

 マリアンヌは言った。

 

 「今日が、その日だったみたいね」

 

 ノアの目が、わずかに細くなった。

 

 「あなたは、私の動きを、すべて知っているのですか」

 

 「すべてではない」

 

 マリアンヌは、肩をすくめた。

 

 「でも、あなたが、コンラート卿に会ったことは知っている」

 

 「なぜ」

 

 「言ったでしょう。私の家は、誰が何をしているかを、知る仕事をしてきた」

 

 ノアは、彼女の目を見た。そこには、これまでと同じ、観察者の鋭さがあった。だが、今日は、わずかに違う色も混じっていた。焦り、あるいは、急いでいるような何か。

 

 「母上が、誰かに教えられて、評議会の仕組みを学んだ――それを、あなたは知っていますか」

 

 マリアンヌは、一瞬、答えを選ぶような表情をした。

 

 「知っている」

 

 彼女は、ついに言った。

 

 「でも、今、ここでは言えない」

 

 「なぜ」

 

 「理由は二つ」

 

 マリアンヌは、指を二本立てた。

 

 「一つは、私自身が、その情報の出どころを完全には確認できていないから。もう一つは――」

 

 彼女は、言葉を切った。

 

 「あなたが、まだそれを聞く準備ができていないから」

 

 ノアは、その言葉にわずかな苛立ちを覚えた。

 

 「私には、その準備をする権利があります」

 

 「権利の話をしているわけじゃない」

 

 マリアンヌの声が、少し鋭くなった。

 

 「あなたが今、母上の正体を知れば――あなたは、これまでのように、冷静に評議会と向き合えなくなる。それが、あなたの動きを鈍らせる」

 

 ノアは、何も言えなかった。彼女の指摘は、否定できないものだった。

 

 「いつか、話す時が来る」

 

 マリアンヌは言った。

 

 「その時、私が、あなたに全部を話す。だから、今は、評議会のことだけを考えて」

 

 彼女は、踵を返した。

 

 「待って」

 

 ノアは、思わず呼びかけた。

 

 「一つだけ、教えてください。その協力者は――今も、生きているのですか」

 

 マリアンヌは、足を止めた。霧の薄い視界の中、彼女の背中だけが見えた。

 

 「生きている」

 

 彼女は、振り返らずに答えた。

 

 「そして、まだ、動いている」

 

 彼女は、それ以上何も言わず、霧の薄い夕暮れの中へ、姿を消した。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 館に戻ったノアは、自室で一人、今日聞いた言葉を、何度も思い返していた。

 

 母には、評議会の仕組みを教えた協力者がいる。その人物は、今も生きていて、まだ動いている。

 

 その事実が、これまでノアが信じてきた「母の教え」という武器の輪郭を、大きく変えていた。

 

 母が彼に渡した三つの名前――ヴァンサン、ベネディクト、グレイヴズ――は、本当に、母自身の観察から生まれたものなのか。それとも、その協力者から渡された情報を、母が、息子にそのまま手渡しただけなのか。

 

 もし後者であれば、ノアが今、評議会に対して動いている一手一手は、すべて、その協力者の意図の延長線上にあることになる。

 

 彼は、自分の足で歩いているつもりだった。だが、もし誰かが、その道筋を、最初から描いていたのだとしたら――

 

 ノアは、窓の外を見た。

 

 夕暮れの薄い光が、王都の屋根々を、橙色に染めていた。霧は、いつもより薄い。だが、その薄さが、むしろ、見えるはずのものを、まだ見えなくしているように感じられた。

 

 次に動くべきは、評議会の票ではない。

 

 母の協力者――その正体を、ノアは、自分の手で見つけなければならない。

 

 そして、その正体が明らかになったとき、彼が今まで握ってきた武器が、本当に自分のものだったのか、それとも、最初から誰かに握らされていただけだったのか――その答えが、初めて出ることになる。

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