祝福されない赤子として生まれました   作:What's 船長

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第5話

 評議会の小会は、王城の一角、貴族会議室で開かれた。

 

 ノアは、その場に出席する資格を持たない。だが、ヴァンサン公爵の指示で、会議室の控えの間に控え、必要があれば呼び出されるという、異例の扱いを受けていた。

 

 控えの間の壁は薄く、議論の声が、断片的に漏れ聞こえてきた。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 「北部街道の通行税を、現行の倍にすべきだ」

 

 貴族の一人の声が聞こえた。

 

 「街道の維持費が、年々増えている」

 

 「維持費の増加は、認める」

 

 別の声――おそらくグレイヴズ将軍だった。重く、低い声。

 

 「だが、税を上げれば、街道沿いの村の負担が増す。負担が増せば、不満が募る」

 

 「不満が、何だというのです」

 

 最初の貴族が反論する。

 

 「将軍は、村人の機嫌を、評議会の議題より優先するのですか」

 

 「私は、内乱を二度と見たくないだけだ」

 

 その一言で、議場が静かになった。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 控えの間で、ノアはその沈黙の意味を理解していた。グレイヴズ将軍は、税の議論そのものではなく、その先にある「不満の蓄積」を見ている。前にコンラート卿から聞いた本音と、今の発言は、完全に一致していた。

 

 だが、議場の他の貴族たちは、その本音の深さまでは、まだ理解していない。

 

 ヴァンサン公爵が、控えの間の扉を、わずかに開けた。

 

 「ノア」

 

 彼は、低く呼びかけた。初めて、公爵が直接、ノアの名を呼んだ瞬間だった。

 

 「お前の考えを聞きたい」

 

 ノアは、立ち上がった。

 

 「私が、お答えしてよろしいのですか」

 

 「正式な発言権はない」公爵は言った。

 

 「だが、私の従者として、私に耳打ちすることはできる」

 

 ノアは、公爵の側に近づいた。彼の心臓は、速く打っていたが、声には出さなかった。

 

 「将軍が恐れているのは、税そのものではありません」

 

 ノアは、公爵だけに聞こえる声で言った。

 

 「不満が、いつか反乱の種になることです。もし、税を上げる代わりに、その増収分の一部を、街道沿いの村への補助に回す案を出せば――将軍は、反対する理由を失います」

 

 ヴァンサン公爵の目が、わずかに見開かれた。

 

 「補助、か」

 

 「将軍にとって重要なのは、税の額ではなく、村人が反乱を起こす理由を持たないことです」

 

 ノアは続けた。

 

 「増収分の使い道さえ示せば、将軍は、税の引き上げ自体には反対しません」

 

 公爵は、しばらく、ノアを見つめていた。それから、議場に向き直り、声を上げた。

 

 「提案がある」

 

 彼は言った。

 

 「通行税の増収分の三割を、街道沿いの村への治安維持費として、補助に回すことを条件に、税の引き上げを認めてはどうか」

 

 議場が、再び静まった。

 

 数秒の沈黙の後、グレイヴズ将軍の声が響いた。

 

 「……それであれば、私は、反対しない」

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 会議が終わった後、ヴァンサン公爵は、控えの間に戻り、ノアを見た。

 

 「お前の案だったな」

 

 「私は、ただ、将軍の恐れを言葉にしたまでです」

 

 「それで十分だ」

 

 公爵は、初めて、わずかに笑みを見せた。

 

 「今日、評議会の議題が、荒れずに決着した。それが、私にとって、最も価値のある結果だ」

 

 ノアは、頭を下げた。

 

 彼が今日得たものは、目に見える報酬ではなかった。だが、評議会の長の一人が、自分の言葉一つで、議題そのものの方向を変えた――その事実が、彼の中で、確かな重さを持っていた。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 王城を出たノアは、控えの間からの帰り道で、思いがけない人物に出会った。

 

 エヴリンだった。

 

 彼女は、父に同行して王城を訪れていたらしい。デュヴァル伯爵家の財政再建の話が、評議会のどこかで進んでいるのだろう。

 

 「ノア」

 

 彼女は、ノアを見つけて、足を止めた。

 

 「エヴリン様」

 

 「父から聞いたわ。あなたが、ヴァンサン公爵の信頼を得ていると」

 

 「まだ、信頼と呼べるほどではないと思います」

 

 エヴリンは、小さく笑った。

 

 「謙遜なのか、本心なのか、わからない人ね」

 

 二人は、しばらく、王城の回廊を並んで歩いた。

 

 「あなたに、聞きたいことがあるの」

 

 エヴリンが、ふと言った。

 

 「父の縁談――レジナルド家との話。あなたは、本当のところ、どう思っているの」

 

 ノアは、すぐには答えなかった。

 

 「私の意見は、重要ではないと思います」

 

 「重要よ」

 

 エヴリンの声に、強さがあった。

 

 「私のことを、誰も、私自身の意見を聞かずに決めようとしている。あなただけは、違ってほしい」

 

 ノアは、彼女の目を見た。そこには、これまで見てきたどの貴族の目とも違う、剥き出しの不安があった。

 

 「私は」

 

 ノアは、慎重に、しかし正直に言葉を選んだ。

 

 「あなたが、誰かの取引の材料として扱われることに、賛成できません」

 

 「でも、あなたは、評議会のために動いている。その評議会が、私の縁談を、政治の駆け引きの一部として使おうとしている」

 

 ノアは、その指摘に、答えを持たなかった。彼女の言う通りだった。彼自身が、まさにその駆け引きの中で動いている一人だった。

 

 「矛盾していますね」

 

 彼は、認めた。

 

 「私は、評議会の駆け引きの中で生きています。そして、その駆け引きが、あなたを巻き込もうとしていることも、知っています」

 

 「それでも、あなたは、止められない」

 

 「今は」

 

 エヴリンは、しばらく、ノアを見つめていた。

 

 「正直なのね」

 

 彼女は、静かに言った。

 

 「父も、レジナルド家の使者も、誰も、私にそんなことを言わない。みんな、私を安心させる言葉だけを選ぶ」

 

 「安心は、与えられません」

 

 ノアは言った。

 

 「ですが、噓は、つきません」

 

 エヴリンの表情が、わずかに緩んだ。それは、笑顔ではなかったが、警戒が少し薄れた表情だった。

 

 「あなたが、私の縁談を止められないのなら」

 

 彼女は言った。

 

 「せめて、私に、何が起きているのかだけは、教えて。誰かの都合のいい言葉ではなく」

 

 「それは、約束します」

 

 エヴリンは、頷いた。それから、ふと、視線をノアの後ろに向けた。

 

 「父が呼んでいる。行かないと」

 

 彼女は、足早に去っていった。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 その去り際、ノアは、彼女が一瞬、何かを言いかけて、止めたことに気づいた。

 

 言葉にされなかった何か。

 

 彼は、それを問い直す機会を、すでに失っていた。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 館に戻ったノアは、執事から、新たな知らせを受け取った。

 

 「公爵様からの伝言だ」

 

 執事は言った。

 

 「お前の今日の働きを、高く評価している、と。そして――」

 

 「それと」

 

 「デュヴァル伯爵領の財政再建案が、評議会で承認される見込みだ、と。レジナルド家の縁談話は、これにより、立ち消えになる可能性が高い、と」

 

 ノアの胸の中に、安堵に近い感情が広がった。エヴリンが、政治の駆け引きの材料にされる未来が、遠ざかったかもしれない。

 

 だが、その安堵は、長くは続かなかった。

 

 執事は、もう一枚の書状を差し出した。

 

 「これも、公爵様からだ。お前個人への、私信だと言っていた」

 

 ノアは、その書状を受け取り、封を開けた。

 

 短い一文だけが、書かれていた。

 

 

 

 『お前の母、イゾルドの協力者の名を、私は知っている。次に会うときに、話そう』

 

 

 

 ノアの手が、わずかに震えた。

 

 評議会の票は、今日、確かに動いた。彼の言葉が、初めて、貴族たちの議論そのものを変えた。

 

 だが、その勝利の直後に届いたこの一文が、すべての安堵を、もう一度、不安定なものに変えていた。

 

 ヴァンサン公爵は、母の協力者の正体を知っている。

 

 マリアンヌが、まだ話せないと言ったその名前を、公爵は、すでに知っている。

 

 なぜ、公爵がそれを知っているのか。そして、なぜ、今、それをノアに話そうとしているのか。

 

 その理由が、何であれ――次に公爵と会う日、ノアは、自分の武器の出どころそのものと、初めて正面から向き合うことになる。

 

 窓の外、夕暮れの薄い光が、すでに夜の色に変わり始めていた。

 

 彼は、書状を握りしめたまま、しばらく、動けなかった。

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