何が何だかよく分からないと思いますが作者もよく分かりません。
目が覚めたら真っ白な空間に篠澤広といた。
なんだここ? 死後の世界か?
「人が死んだら何処へ行くのか。天国や地獄に行くという考え方は古来よりこの地に根付いているけれど、その真相を生物が知ることは決してできない。案外、こんな『何もない』だけが広がっているのかもしれない、ね」
篠澤広はそんなこと言わないだろ。
本当に何が起こっているんだ? 俺はさっきまで、大学に向かうためにチャリを漕いでいたはずなのに。拉致監禁でもされたっていうのか?
「それはどうだろう……あなたは自分がさらわれる理由、分かる?」
確かに。アイドルならまだしも、一般大学生の俺まで拉致られるいわれはない。
「というか、わたしのこと知ってるんだね。ファンなの?」
おっと、それには断じて違うと答えなければならない。
俺は確かに、目の前の少女が誰かを知っている。部屋と同化してしまうほど白い肌、心配になるくらい手足の細いこの少女が、初星学園一年、篠澤広というアイドルであることを知っている。
だが、決してファンではない。友人にしつこく勧められて何曲か歌を聴いただけだ。
「そうなの?」
ライブに何回か連れて行かれ、CDを何枚か買っただけだ。
「それはもうファンじゃないのかな」
俺は軽率にファンを名乗ったりしない。特に、篠澤広のファンなどとは軽々しく言うわけにはいかない。
彼女を支持する層は、彼女を神聖視している節がある。アイドルオタクというより信者だ。俺に勧めてきた友人も気づけば目が“ガチ”になっていた。俺が密室で女神と一緒にいることを知ったら、何の躊躇もなくあいつは俺を八つ裂きにするだろう。
そうでなくとも、俺はアイドルのファンにはならない。
「面白い考え方をする、ね」
とにかく、いつまでもこんな訳の分からない場所にいられない。俺には大学がある。今日の講義は出席が取られるんだ。
それに、アイドルでなくとも、見ず知らずの女子高生と密室に閉じ込められているという状況は良くない。表情に出ていないだけで、彼女はきっと不安がっているだろう。
「ここから出るためには、きっとあなたの持っているスマホが役に立つと思う、よ」
遠くもなく、近くもない場所に座り込んでいる篠澤広が俺のポケットを指さす。
なぜ俺がいつもスマホを入れている場所を知っているのか、そんなことはどうでもいい。彼女の言うとおり、外部との連絡手段があればこの意味不明な状況も少しは解決に向かうはずだった。
結果から言うと、俺の目論見は全くの的外れに終わった。
俺のポケットには確かに三年目になる愛用のスマホがあった。液晶に傷一つないのが数少ない俺の自慢だ。
だが、なぜか電源が付かない。何を押しても画面が暗黒から戻ってこない。
おかしい、充電は朝済ませておいたはずなのに……
「水没してる、ね」
いつの間にか俺の隣に来ていた篠澤広が言う。
水没? そんなわけあるか。俺はスマホに水をこぼした覚えはないし、朝は問題なく使えていた。
「でも、ほら。ぬれてる、よ?」
彼女は俺のスマホを指さす。
俺は自分の手の中を意識する。
一般的な大きさのスマホ。片手でちょうど良く掴めるくらいの大きさ。色は黒でカバーケースもシンプルな黒。液晶も同じ黒色から変わらない。
掌から伝わってくる感触は硬く、冷たい。確かな重量感がある。
重く、硬い、冷たい?
金属的な冷たさではない。まるでこちらの体温を奪ってくるかのような冷気。
冷静で冷徹で冷血な、溺れるような冷たさ。
濡れている?
「その様子だと、お店で復旧してもらわなきゃいけないね」
濡れていた。篠澤広の言うとおり。
俺のスマホは川から引き上げたかのようにビショビショで、修理に出さなければとても動かないほど壊れていた。
だが、それよりも気になるのはさっきの感覚。
なんだ? 今、俺の身に何が起きた?
「どうする? 外と連絡、とれる?」
儚いという言葉をそのまま体現したような少女が俺を覗き込んでいる。
「わたし、スマホ持ってない。トレーニング中だし」
彼女の服装がトレーニングウェアに変わっている。いや、初めからそうだったか?
何か……何かがおかしい。
ここにいると、自分の判断を疑ってしまうような、分かっていたことが分からなくなってくるような、そんな妙な感覚に襲われる。
そもそも、目の前の少女は本当に『篠澤広』なのか? もしそうなら、なぜ俺とこんなところにいる?
「わたしは……篠澤広、だよ」
疑問が溢れてくる。
なぜ? なぜ? なぜ?
俺は何かを忘れている。致命的な何かを。そしてそれは、俺が彼女とここにいることと深く関係している、気がする。
「『気がする』……にえきらない、ね」
篠澤広は全てを見透かしたように笑っている。
これが本当に彼女なのか、今の俺に知るすべはない。だって俺は彼女のことをまるで知らないから。
「本当に?」
俺は篠澤広のファンではない。
「そう思いたいだけ、じゃないの?」
声が聞こえる。だが、それが篠澤広の声かどうかなんて分からない。
だいたい、俺はどうやって篠澤広を篠澤広だと判別したんだ?
俺は何を見た? 何を聞いた?
「あなたは、常に誰かと自分を見比べているんだね」
俺の中には常に誰かがいる。その『誰か』が誰かなんて知らない。少なくとも、俺ではないことだけは分かっている。
「誰かと自分を比較して、これはこうあるべきだっていう価値観に従って生きている。客観性、というより主観性の排除、だね」
そうだ。でも、そうあるべきだ。
自分の好きなものは、自分以外の人も好きで、どんな綺麗事を吐こうとそこには優劣が生まれる。
金、時間、熱意。かけている人間と、かけていない人間の間に差がないなんて、心の底では誰も思っていない。
「やさしい、ね」
冗談だろ? 俺は優しくなんてない。
俺はただ怯えているだけだ。比べられて、俺の好きを否定されるのが怖いだけだ。
自分の気持ちを自分で疑いたくないだけだ。
「ううん、あなたはやさしい。わたしは知ってる」
会ったばかりの人間に好き勝手言ってくれるじゃないか。『篠澤広』が見ず知らずの一般大学生の何を知っているというのか。
「見ず知らずじゃない。わたしはあなたを知っている」
篠澤広を見る。
心なしか、彼女の髪が濡れている気がする。
「いろいろ不思議だったけど、ようやく分かった。あなたはやさしい」
彼女を見ているとなぜか胸が苦しくなる。
息の仕方を忘れてしまったように、身体が酸素を取り入れてくれない。
「やさしいから、あなたは軽々しく好きって言わない。自分の好きがどこかの誰かを嫌な気持ちにさせないか心配になる。わたしも見習わなきゃいけないくらい、やさしい」
冷たい。寒い。
でも、明るい気もする。
俺はどこにいるんだ? あの何もない、俺の心をそっくり映したような真っ白な部屋か?
「でも、だいじょうぶ。やさしいあなたの好きは、誰も傷つけたりしない。少なくとも、わたしのファンは変な人が多いから、保証する」
明るい。温かい。
声はどこから聞こえてきているのか、もう分からない。
否定したくとも苦しくて声が出ない。
「あなたはやさしい。わたしをわたしと知らなくても、あなたはわたしを助けてくれた。ありがとう」
手に何かが触れた気がした。
俺は必死でそれを捕まえる。
この温かい何かを逃してしまえば、何か良くないことが起きてしまう。そんな本能に近い衝動だった。
「最後に聞かせて。あなたの、名前」
俺は何かを言った気がする。彼女に伝わったのかは分からない。俺の耳にはゴボゴボという不快な音しか聞こえなかった。
「うん、覚えた。それじゃあ……また、ね」
冷たさと温かさが混じり合う。
彼女の姿はどこにも見えない。
だが、掴んだ何かは離さない。おこがましいかもしれないが、俺はそれを許されたような気がした。
◇◆◇
目が覚めたら青い空が広がっていた。
「あぁ! 目が覚めましたか!」
スーツ姿の若い学生が俺を見下ろしている。
どうやら俺は地面に寝そべっているらしい。
状況が上手く飲み込めないが、冬でもないのに凍えるくらい寒い。震えて言葉が発せないくらいだ。
そんな俺に、スーツ姿の学生は事のいきさつを説明してくれた。
どうやら俺の通学路、すなわちこの河川敷で事故が起こったらしい。なんでも、設置されている手すりが老朽化しており、とある学生がランニング中に手をかけた拍子に壊れてしまった。
学生はそのまま川に突っ込んでしまい、溺れているところをたまたま通りかかった俺が助けたという。
俺と同じくらいの年齢のはずなのに、スーツの学生は段取りよく説明してくれた。
「本当に、あなたには何とお礼を言えば良いか……」
涙目で深々と頭を下げるスーツの学生に、俺は毛布にくるまりながら適当な言葉でお茶を濁した。情けない。
だが、彼の言うことを信じるなら、俺は勇敢にも溺れている学生を助けたはいいものの一緒になってぶっ倒れ、あまつさえアイドルの妄想を見ながら呑気に気絶をかましていたことになる。
ダメだ。気持ち悪すぎる。これはもう情けないとか、優しい優しくない以前の問題だ。
「もうすぐ救急車が来るはずです。あなたはそれで病院に行ってください」
スーツの学生はそう言い残し、俺のもとを離れた。
どうやら彼は溺れた学生のプロデューサーらしい。なるほど、どうりでしっかりしているわけだ。
野次馬たちをボーッと眺めながら、俺は先ほどまで自分が見ていた気持ちの悪い妄想を思い出す。
非常に気分は悪いが、あれが全て俺の脳内が作り出したものだというなら、受け止めないわけにはいかない。
あそこでの出来事は俺の妄想の産物。白い部屋にいたのは篠澤広の形をした俺の自意識。それがなぜ篠澤広の形を取っていたかなんて、今は疑問ですらない。
やれやれ。自分自身との対話だけでここまでスッキリした気分になれるなんて……人には優しくするもんだな。
「救急車来ました! 道を空けてください!」
サイレンの音が近づいてくる。
二台連なってきた救急車は野次馬たちをかきわけ、中から降りてきた救急隊員に俺は自分の症状を伝えた。
「意識はハッキリしていますが、念のため病院で検査しましょうか」
精神的にはかなり好調なのだが、ここまで駆けつけてきた救急隊員の言葉に従わないわけにはいかない。
いよいよ人生初の救急車に乗り込むときになって、ふと溺れていた学生の安否が気になった。あのプロデューサーの様子からして無事なのだろうが……
「行きますよ、篠澤さん」
「うん、ありがとう」
スーツ姿の学生に寄り添われる、トレーニングウェア姿の少女。
儚いという言葉をそのまま体現したような少女と、目が合う。
「またね。――」
彼女の口が何かを言った気がする。
それが俺の名前のように聞こえたのは、きっと気のせいだろう。
最近篠澤さんが親愛度10になりました。
おもしれぇ女が好きなので月村さんも好きです。
やる気と反響があれば他のアイドルの話も書きたいかなと思ってます。