転生チャンプは鈴蘭で笑う 作:全てを生成AIにゆだねる者也
鈴蘭男子高校の最大派閥であった「阪東一派」が、わずか一晩にして跡形もなく崩壊したというニュースは文字通り、戸亜留市の不良界におけるすべての前提をひっくり返した。
昨日まで街を大手を振って歩いていた阪東の兵隊たちは、頭を失ったことで完全に散り散りになり、ある者は学校に来なくなり、またある者は他の小さなグループに怯えながら身を寄せるようになった。カラスの巣と呼ばれる鈴蘭の校舎は、表面上は静けさを取り戻したように見えたが、その実、底流には「次はこの学校の覇権を誰が握るのか」という、狂暴な野心と猜疑心がドロドロと渦巻いていた。
名実ともに、鈴蘭の2年世代――とりわけ、阪東を正面から粉砕した金髪のポンパドール、坊屋春道の名は、瞬く間に伝説の領域へと押し上げられていた。
落書きだらけの廊下、ガラスの割れた窓。いつもなら気怠げに他人の進路を塞いでたむろしている1年や3年の不良たちが、春道が肩を大きく揺らし、ガニ股でドタドタと歩いてくるのを視界に捉えた瞬間、まるでモーセの十戒のように一斉に左右の壁際へと張り付いて道を譲る。誰もがその圧倒的な強さに怯え、同時に「こいつが次の鈴蘭の支配者だ」と勝手に噂し合っていた。
だが当の本人は、そんな周囲の畏怖や勝手な番長格としての噂など、これっぽっちも、本当に一ミリも気にしていなかった。それどころか彼の頭の中を占めていたのは極めて低次元で、しかし彼にとっては死活問題である「食い意地」だけだった。
「おーい、ヤス! テメエ、何モタモタしてやがるコノヤロー! 早くしねえと購買の限定焼きそばパンと、あの伝説の唐揚げ弁当が完全に売り切れちまうじゃねえか!!」
昼休みを告げるけたたましいチャイムの音が校舎に響き渡ると同時に、教室の引き戸を凄まじい勢いで蹴り開けて飛び出してきたのは、坊屋春道その人だった。
スカジャンのポケットに手を突っ込み鼻頭に青筋を立てて走るその姿には、ヤンキーの番長としてのカリスマ性など微塵もない。ただの飢えた野良犬のような凶暴さと、しまりのない食欲が服を着て走っているようなものだった。
「わ、わかってるよ春道くん! でも、今日の購買はいつもより混んでるんだってば! 待ってよぉ、置いてかないでよ!」
その後ろをノートや筆記用具を机に放り出したまま、額に大粒の汗を滲ませて必死に追いかけるのが、安田泰男――ヤスだった。
阪東の一件では人質にされ顔中を腫らす手ひどい傷を負ったヤスだったが、病院で手当てを受けた後は、持ち前のタフさと春道たちへの絶対的な信頼から、すっかり元気を取り戻していた。
ヤスにとって、こうして春道にパシらされ、理不尽に怒鳴られながら走る騒がしい日常こそが、何よりも安心できる鈴蘭での生き方であり、己の居場所だった。
そんな騒がしい二人の数歩後ろを、学生服のボタンをすべて外し、白いTシャツを覗かせながら、両手をズボンのポケットに突っ込んで歩く細身の男がいた。蓮見蓮だ。
蓮の表情には、昨夜、阪東一派の最高幹部たちを裏の闇の中で音もなくハントし骨を叩き折ったあの時の冷徹な死神の面影は、これっぽっちも残っていなかった。どこか眠たげな、のんきな同級生の顔をして、春道とヤスの漫才のようなやり取りを後ろから眺めている。
「春道、そんなに血相を変えて走らなくてもパンは足が生えて逃げたりしないよ。それに、もし売り切れてたなら、またヤスに学校の壁を乗り越えさせて、駅前のコンビニまで走らせればいいじゃん。まだ昼休みは40分もある」
蓮が口を開くと、春道はピタリと足を止め、首を180度回転させて蓮を睨みつけた。
「あんだとぅ、蓮! テメエは購買のパンとおばちゃんを完全に舐めてる! 購買のおばちゃんが、あの油まみれの指で包む限定焼きそばパンのソースの匂いはな、1分1秒を争う戦いの中でしか手に入らねえんだよ! ヤス、もし最後の一つの唐揚げ弁当が誰かの手に渡ってたらテメエの今日の昼飯のハムカツ、オレがその場で没収だからな!」
「そんなぁ! ひどいよ春道くん! ボクはただ一生懸命走ってるだけなのに!」
ヤスが涙目で悲鳴を上げる中、三人は落書きだらけの階段をドタドタと爆音を立てて下り、購買部がある一階のロビーへと向かっていった。
阪東という巨大な政治的重圧から解放された鈴蘭は、一見するとただの荒れ果てたバカたちの楽園に戻ったかのように見えた。誰もが自由で、誰もがバカ騒ぎをしている。
だが、同じ時刻、鈴蘭の旧校舎の屋上へと続く、薄暗く埃っぽい階段の踊り場には、全く異なる重苦しい空気が漂っていた。
「……マコ、身体の調子はもう本当に大丈夫なのか。無理して学校来ることねえよ、退院したばかりなんだから」
桐島ヒロミが、安物の煙草に火をつけ、紫色の煙を細く吐き出しながら、隣の壁に背を預けている男に声をかけた。
そこにいたのは、本城俊明――ポンと、そして昨日の夕方に街の総合病院を退院したばかりの海老塚三人衆の一角、杉原輝正――マコだった。
マコの頭部には、阪東一派の最高幹部である「千田」たちに数で囲まれ、闇討ちされた際の生々しい傷を保護する白い包帯が痛々しく巻かれていた。
だが、その口元に刻まれた渋く寡黙な佇まいは、傷を負う前よりもさらに鋭さを増しているように見えた。マコは、ヒロミから差し出された冷たい缶コーヒーを無言で受け取ると、カチリと軽い音を立ててプルタブを開け、喉を鳴らして一口飲み干した。
「ああ。これくらい大したことはねえよ。あれぐらいの喧嘩で、いちいち寝込んでたらキリがねえからな。それより、ヒロミ、ポン……」
マコは低く、地を這うような渋い声で短く言葉を区切った。その目は、曇り空の先にある鈴蘭の荒れ果てた中庭を見つめている。
「俺を囲んだ千田の野郎ども……、あいつら俺をやったすぐ後に、別の『何者か』に完全に叩き潰されたらしいな。病院のベッドの中で、見舞いに来た奴らから聞いたぜ。もう一人の幹部の山崎って奴も、どこかの廃工場で膝の骨を折られて転がってたってよ。……あれは、誰の仕業だ?」
ポンがキャップのつばを指でくいと上げ、眉間に深い皺を刻んだ。
「ああ、その噂なら今朝から学校中で持ちきりだ。最初は、春道がヤスを助けるために足立倉庫へ一直線に向かう途中で片付けたのかと思ったが、どうも時間が合わねえ。俺とヒロミは、ずっと春道と一緒に動いてたからな。千田や山崎という阪東の右腕と左腕を、喧嘩が始まる前に裏で『完全に間引いた』奴が、確実に別にいるんだよ」
ヒロミが苦い顔をして、まだ半分ほど残っている煙草を床に落とし、エンジ色のコンバースの底で無造作に揉み消した。
「普通に考えりゃ、別の反阪東派の仕業か、あるいは外部の不良が動いたってことになるが……。どうも腑に落ちねえ。まるで、春道が阪東と純粋なサシで戦うための舞台を背後から完璧にお膳立てするかのようなタイミングだった。今の鈴蘭に、そんな気の利いた、あるいはそれほど圧倒的な真似を一人で平然とやってのける奴が、他にいるか?」
三人衆は、お互いの顔を見合わせ沈黙した。彼らはまだ、あのクラスの片隅でいつも眠たそうにしている転校生・蓮見蓮が、どれほど規格外の冷徹さと人間を壊すための技術を持った「猟犬」であるかを知らない。
ただ、鈴蘭のパワーバランスが阪東の崩壊によって完全にリセットされ、誰もが次の「頭」を狙って動き出すであろう不穏な予感だけが、彼らの肌をチクチクと刺していた。
マコは缶コーヒーのボディをギリリと音を立てて握りしめ、ぽつりと言った。
「阪東が消えて、これで学校が静かになるわけじゃねえ。むしろ、ブレーキが壊れたようなもんだ。誰もが調子に乗って動き回れば、あの『本当の怪物』が目を覚ますかもしれねえぞ」
「怪物……?」
ヒロミが問いかけるとマコは視線をさらに落とし、その名前を呪文のように呟いた。
「林田恵。……リンダマンだ」
その名前が踊り場の空間に放たれた瞬間、周囲の空気が、まるで見えない絶対零度の冷気に晒されたかのように一瞬で凍りついた。ヒロミもポンも、息を呑む。
鈴蘭に身を置く不良であれば、その名を知らぬ者はただの一人もいない。派閥を作らず、誰とも群れず、喧嘩の勝ち負けや「学校の支配」といった俗な権力欲には一切の興味を示さない。ただ一人で鈴蘭の、いや、この戸亜留市という街全体の絶対的な最高峰に君臨し続ける、孤高の怪物。
阪東秀人がどれだけ数と武器を集め、卑怯な罠を張り巡らせようとも、あのリンダマンの周囲にだけは決して手を出すことができなかった。いや、出す恐怖すら持ち得なかった。それほどまでに次元の違う存在。
「あいつは普段、借りてきた猫みたいに大人しい。学校にもたまにしか来ねえし、来ても屋上や体育館の隅で一人でぼんやりしてるだけだ。だがよ……あいつの逆鱗に触れた奴は、先輩だろうが他校の奴だろうが、誰であれ例外なく病院に送り込まれてきた。春道がどれだけ規格外に強くても、あのリンダマンだけは……人間の枠に収まっちゃいねえんだよ」
マコのその重く湿り気を帯びた言葉は、単なる噂話の誇張ではなかった。実際に鈴蘭という地獄の底を1年の頃から見つめ戦い抜いてきた三人衆だからこそ理解できる、本物の「天災」に対する恐怖の重みだった。
――その頃、三人衆の重苦しい会話などどこ吹く風というような、凄まじい熱気と喧響が、一階の購買部前を支配していた。
「おいおいおい! どけテメエら! 春道様のお通りだ! 邪魔する奴は片っ端から焼きそばパンの具にしてやるぞコノヤロー!」
春道が強引に、群がる不良たちをごぼう抜きにするようにしてかき分け、購買の狭いカウンターへと突き進んでいく。ヤスは周囲の大きな男たちに押し潰されそうになりながらも、必死に春道のレザージャケットの裾にしがみついていた。
「あ、あった! 春道くん、最後の一つ! 奥の棚に唐揚げ弁当と焼きそばパン、まだ残ってるよ! 奇跡だよ!」
「おっしゃあ! 勝ったぞコノヤロー! 苦労した甲斐があったぜ! おばちゃん、その唐揚げ弁当と焼きそばパン、今すぐオレにくれ!」
春道が勝利の雄叫びを上げ、長い腕を伸ばしてカウンターの上に置かれた最後の一つの唐揚げ弁当を鷲掴みにしようとした、まさにその刹那だった。
ガシィッ、と。
春道の手よりもさらに一回り巨大な、そしてまるで泥と傷にまみれた岩石のように分厚い褐色の手が、横の死角から音もなく滑り込むようにして、そのプラスチックの弁当容器をガッチリと鷲掴みにした。
「……あ?」
春道の動きが、ピタリと止まった。
頭頂部の金髪のポンパドールが、怒りの電圧によって逆立つかのように震える。眉間に一気に、何本もの青筋が激しく跳ね上がり、自分の獲物を目の前で横取りされた飢えた猛獣のような、獰猛な光を宿した目が、その手の主へと向けられた。
そこに立っていたのは、春道よりも優に頭一つ、いや、二回り近く巨大な、規格外の体躯を持った男だった。
身長は優に190センチメートルを超えているだろう。泥を被ったような、ボタンのいくつか弾け飛んだ学ランを無造作に羽織り、肩幅は普通の不良の倍近くある。長く伸びた前髪が顔の半分を覆い、その隙間から凍りつくような鋭い眼光が微かに覗いていた。男は、春道が全身から放ち始めた凄まじい殺気を完全に無視し、ただ大きな手で手に入れた唐揚げ弁当の容器を大切そうに胸元へと抱え込んでいた。
「おい……、テメエ。今、誰の目の前で、誰の弁当に手ぇ出してやがる、コノヤロー……」
春道の声が、いつものフザけたトーンから低く地を這うような猛獣の唸り声へと変貌する。その場全体の空気が、一瞬にして爆発寸前のダイナマイトのように張り詰め、購買のおばちゃんも恐怖で息を止めた。
周囲にいた不良たちが、その巨大な男の横顔を認識した、まさにその瞬間だった。ロビー全体に悲鳴にも似た驚愕の声が、さざ波のように広がっていった。
「ひ、林田……! リンダマンだ!」
「おい、嘘だろ……。なんであいつがこんなところにいるんだよ!」
「やべえ、やべえよ! 坊屋春道とリンダマンが正面からぶつかりやがった……! 巻き込まれたら死ぬぞ!」
購買部のロビーにいた数十人の不良たちは、誰一人として喧嘩を止めようとする者などおらず、ただ本能的な恐怖に突き動かされて、一斉にクモの子を散らすように距離を取り壁際へと退避した。あっという間に、広大な購買部の中央に、ぽっかりとした空白の円形の空間が出来上がった。
残されたのは、怒りで拳を震わせる春道、恐怖のあまり完全に腰が抜けて床にへたり込むヤス、そして少し離れた自動販売機の横で、冷えたパックの牛乳のストローを咥えながら、退屈そうに状況を観察している蓮見蓮、そして、山のように聳え立つリンダマンの四人だけだった。
リンダマンは、春道からの刺すような肉を抉るほどの視線を正面から受けながらも、一切表情を変えなかった。眉一つ動かさない。ただ、めんどくさそうに、そしてひどく不器用な重く低い声でボソッと呟いた。
「……俺が、先に掴んだ」
「あんだとぅ!? テメエのその節穴みたいな目はどこに付いてやがる! オレの手の方が1ミリ、いや、100メートルは早かったわボケ! おい、その無駄にデカい図体しやがって、食い意地張ってんじゃねえぞ! さっさとその弁当をオレの手に引き渡せ! さもなきゃ、そのデカい顔の形を完全に変えてやる!」
春道がリンダマンの学ランの胸ぐらを掴もうと、太い腕を伸ばした。
だが、リンダマンはその場から一歩も引かず、逆にただ一歩、春道の方へと前に踏み出した。
ドォン……!!
ただの一歩だった。しかし、体育館の床が激しく鳴り響いたかのような錯覚を覚えるほどの、圧倒的な質量感と地響きがロビー全体を支配した。
阪東が持っていたような「数の背景」や「組織の恐怖」とは全く異なる、一個の人間の肉体が持つ、純粋にして圧倒的な「武」の頂点の気配。そのただ一歩の踏み込みだけで、周囲の不良たちの何人かが恐怖で唾を呑み込んだ。
春道の伸ばしかけた手が、その圧倒的な威圧感の壁に触れて空中でピタリと止まる。春道の本能が目の前にいる男がこれまでに戦ってきた、どの悪党とも、どの街の不良とも違う正真正銘の「別次元の怪物」であることを瞬時に察知したのだ。金髪のポンパドールが怒りと、そして言葉にできない歓喜で微かに震え、スカイブルーの瞳に狂犬のような純粋な輝きが灯る。
(こいつ……強い。半端じゃねえ……!)
春道の胸の奥で、戦いへの渇望が爆発しそうになる。
だが、リンダマンは、春道が拳をさらに固く握り直すのを見ても、やはりそれ以上視線を合わせようとはしなかった。彼にとって喧嘩を売られることも、周囲から怪物と恐れられることも、日常のノイズに過ぎないのだ。リンダマンは抱えた唐揚げ弁当の容器を潰さないように大切に抱え直すと、ゆっくりと身を翻し大きな足音を響かせながら、購買部の出口へと歩き出した。
その広大な背中は、どんな言葉よりも重く「俺に関わるな」という絶対的な拒絶の意志を示していた。
「待て、このデカブツ……! 逃げる気かコノヤロー!」
春道が血相を変えて追おうとしたその時、背後から蓮が静かに歩み寄り、春道の肩をぽんと軽い手つきで叩いた。
「春道、やめときなよ。お目当ての唐揚げ弁当は取られちゃったけど、ほら、まだそこに焼きそばパンが残ってるじゃないか。それに、これ以上ここで暴れたら、おばちゃんに迷惑がかかる。何より、ヤスが恐怖で完全に泡を吹きそうだよ」
蓮の声は、いつも通り驚くほど穏やかで何のトゲもなかった。だが、その切れ上がった瞳は購買部のロビーを去っていくリンダマンの、山のような後ろ姿を極めて冷徹に、そして正確に見定めていた。
蓮の脳内にある「猟犬としてのレーダー」は、目の前の巨漢に対して、これまで出会ったどの不良とも異なる全く新しいシグナルを発していた。
(リンダマン……か)
蓮は手にしたパックの牛乳を静かに飲み干し、頭の中で思考を巡らせる。
昨夜叩き潰した阪東やその幹部たちは、数という盾を使い、陰謀を巡らせ、弱い人間を人質に取るような、明確に「間引くべき雑音」だった。だからこそ蓮の冷酷な技術は、彼らを裏の闇の中で処理することに何のためらいも、何の罪悪感も持たなかった。
だが、あの林田恵という男からは、そうした陰湿な気配、他者を利用しようとする汚い欲望が一切感じられない。
後ろに誰も従えず、罠も仕掛けず、ただ一個の強大な個体として完結している「純粋な孤高」。
あいつを裏からハントする理由など、この鈴蘭のどこを探しても存在しない。もしあいつと戦うのであれば、それは一切の謀略や裏の手を排除した、純粋な男と男の「正面からのタイマン」でなければならない。
そしてそれは、補佐役である蓮の領域ではなく、この物語の絶対的な主人公である坊屋春道の領域だった。
「ケッ……! デカい図体しやがって、本当に腹の立つ野郎だぜ!」
春道は悔しそうに自分の髪をクシャクシャと乱暴に掻きむしると、カウンターに残されていた最後の一つの焼きそばパンを乱暴に引っ掴んだ。ヤスは床にへたり込んだまま、ようやく肺の中の空気を吐き出した。
「た、助かった……。本当に死ぬかと思ったよ……。春道くん、あの人がマコさんやみんなが言ってた鈴蘭のアンタッチャブル、リンダマンだよ……。絶対に関わっちゃダメ、触れたらぶっ飛ぶ爆弾みたいな人なんだよ……」
「知るかよ、そんなの! 次にどこかで会ったら、あの弁当の恨みをきっちり三倍にして晴らしてやる!」
春道は焼きそばパンの袋を歯で引き裂き乱暴に口に放り込むと、不機嫌そうな足取りで校舎の奥へと歩き出した。その不器用な後ろ姿を見送りながら、蓮は小さく笑った。
この学校の、いや街の最高峰に君臨する男と、新しくやってきた規格外の狂犬。二つの巨大な存在が正面から衝突するのは、もう誰にも止められない、時間の問題であることを蓮は確信していた。
その日の放課後、戸亜留市の空は完全に分厚い雨雲に覆われ、鈴蘭高校の校舎にはバチバチと激しい雨が降り注いでいた。
古い校舎の窓ガラスを激しく叩く雨音が、学校全体の騒がしい不良たちの喧響を完全に書き消していく。廊下は薄暗く、まるで夕暮れを通り越して夜が来たかのようだった。
海老塚三人衆のヒロミ、ポン、マコたちは、放課後の誰もいない机が乱雑に並んだ教室の片隅で、窓の外の激しい雨を見つめていた。
「春道の奴、昼休みに購買でリンダマンと接触したらしいな。ヤスが泣きそうな顔で話してたぜ」
ポンの言葉に、退院したばかりのマコは、頭の白い包帯を押さえながら静かに頷いた。
「ああ。春道の奴、あのリンダマンを前にして、胸ぐら掴もうとしたらしいな。本当に恐れを知らねえというか、バカというか……。だけどよ、ヒロミ、ポン。俺たちは、あの人の本当の『地獄』を、1年の頃にこの目で見てるはずだ」
ヒロミは窓枠に肘を突き、苦々しい表情で、当時の記憶を呼び起こすように語り出した。
「1年の秋だったか……。隣の街の不良どもが、小細工を使ってリンダマンを潰そうとしたことがあった。鉄パイプや木刀を持った大軍勢、優に50人は超えてたはずだ。あいつらは、リンダマンが一人で歩いているところを、あの裏の資材置き場で完全に包囲した。俺たちは偶然、遠くのビルの上からそれを見てたが……」
ヒロミの言葉が、一瞬止まる。その瞳には、今なお色褪せない本物の恐怖が宿っていた。
「あいつは、武器を持った50人を相手に、逃げも隠れもしなかった。ただ、一歩ずつ前に進みながら、向かってくる奴らを文字通り『一本の拳』だけで、ものの数分で全員を血の海に変えちまったんだ。鉄パイプが頭に当たっても、リンダマンは眉一つ動かさず逆に殴った奴の顔面を陥没させてた。あれは喧嘩なんて生易しいもんじゃねえ。ただの災害だ。人間が勝てる相手じゃねえんだよ」
「そんな奴と、春道がもし本気でやり合ったら、いくら春道が頑丈でも無事じゃ済まねえぞ……。最悪、あいつのほうが、あの怪物に粉々に噛み砕かれちまう」
ポンの声には、仲間を心配する本気の焦りが混じっていた。海老塚三人衆にとって、鈴蘭の頂点に立つということは、あの林田恵という巨大な山脈を乗り越えるということであり、それは彼らにとって「不可能な死線」そのものだった。
同じ頃、春道は、自分のクラスの教室で、深刻な問題に直面していた。
「ねえ……。ない。どこにもねえぞ、コノヤロー……」
春道は自分の机の中や、ロッカーの裏を狂ったように漁っていた。彼が探していたのは、ヤスに内緒で預けさせて、この教室のどこかに隠させていたはずの、今月発売の最新刊の超高級エロ本だった。
「ヤスの野郎……オレの大事な国宝級の宝物を、もしどこかに失くしてやがったら、マジでタダじゃおかねえからな! 焼きそばパン100個分の刑だ!」
ブツブツと凶暴な文句を垂れ流しながら、春道は誰もいない薄暗い旧校舎へと続く渡り廊下を歩いていた。雨漏りの水滴が、廊下のあちこちに置かれたバケツにポツン、ポツンと冷たい音を立てて落ちている。
その時だった。激しい雨音が校舎全体を包み込む中で、春道の耳に、それとは明らかに違う、重く鈍い、そして大気を激しく震わせるような衝撃音が聞こえてきた。
ドォン……!!
ドォン……!!
音は、渡り廊下の先にある普段は誰も使っていない古い体育館の内部から響いてきていた。
「あ? なんだ、こんな大雨の日に物好きな奴らが喧嘩でもしてんのかよ……。阪東の残党か?」
春道は退屈しのぎに、体育館の重い赤錆びた鉄製の扉の隙間に手をかけ、ギィと音を立てないように細心の注意を払いながら、少しだけ開けて中を覗き込んだ。
ひんやりとした、埃とワックスの匂いが立ち込める薄暗い体育館の内部。雨漏りの水が床に落ちる静寂の空間の中で、ただ一人、周囲の目など一切気にせず、黙々と汗を流している巨大な男の姿があった。
林田恵だった。
リンダマンは、トレードマークの泥汚れた学ランを床に無造作に脱ぎ捨て、黒い長袖のTシャツ一枚になり、体育館の奥の壁際に設置された、トレーニング用の巨大なトラックの古タイヤに向かって、己の拳をひたすら叩き込んでいた。
ドォン!!!
凄まじい衝撃音が、体育館のコンクリートの壁に反響し、鼓膜を激しく震わせる。
リンダマンが拳を振るうたびに、大人が三人掛かりでも動かせないような巨大なタイヤが、生き物のように激しく歪み、床の古い埃がブワッと空気中に舞い上がる。
その打撃の軌道には無駄が一切なく、スピード、そして一撃に込められた圧倒的な質量は、昨夜春道が対峙した阪東のストレートなどとは比較にもならない、文字通りの「破壊の権化」そのものだった。
春道はその光景を、扉の隙間から、瞬きをすることすら忘れてじっと見つめていた。
いつもなら「何やってんだテメエ」と大声を出すはずの春道が、この時ばかりは完全に言葉を失っていた。だが、その瞳の奥には、恐怖など微塵もなかった。あるのは底知れない戦慄と、それを遥かに凌駕する、胸の奥から湧き上がる猛烈な「熱」だった。
春道の身体の中で眠っていた、すべての不良を噛み殺してきた野生が、目の前に現れた「この街のてっぺん」を前にして、激しく歓喜の遠吠えを上げていた。身体の血が、沸騰するマグマのように熱くなっていく。
その時、タイヤへの打撃を続けていたリンダマンの動きが、ピタリと止まった。
背中を向けたまま、微動だにしない。激しい雨音が建物を叩く中で、リンダマンはゆっくりと、重く低い声を体育館の入り口へと向けて放った。
「……誰だ」
雨音にかき消されそうなほど微かな、扉の開閉音と人間の気配。それを、この男の鋭敏な戦闘本能は見逃さなかった。
春道は、フッと口元を不敵に歪めて笑うと、隠れるのをやめて錆びついた鉄扉を両手で豪快に押し開けた。
ガラガラガラァッ!!と、重い爆音が体育館に響き渡る。
春道は、お気に入りのスカジャンのポケットに両手を突っ込んだままガニ股でゆっくりと、しかし確実な足取りで、コートの中央へと歩み進んでいった。
「購買の時は、よくもオレの唐揚げ弁当を横取りしてくれたな、デカブツ。おかげでオレの昼飯は焼きそばパン一個で、腹が減って死にそうなんだよ」
春道の声は、いつもと違って全くフザけていなかった。鈴蘭の歴史をこれから塗り替える男の、本気の戦士の低く鋭いトーン。
リンダマンはゆっくりと巨躯を反転させ、その長い前髪の隙間から、歩み寄ってくる金髪の男を真っ直ぐに見据えた。
二人の間に流れる空気が、一瞬にして固形化するかのように緊迫する。ここには、阪東の時のような「裏切り」も「陰謀」も「人質」も存在しない。あるのはただ一つ。この学校で、この街で、一番強いのはどちらかという、男たちの持つ最も純粋で、最も不器用な「意地」のぶつかり合いの予感だけだった。
「……坊屋か」
リンダマンが初めて、春道の名前をその口から発した。その声には、阪東を倒した新顔への警戒ではなく、自分と同じ「最高峰の領域」に立つ者への、本能的な敬意と、そして彼自身も自覚していない、久しく忘れていた「武者震い」が含まれていた。
「お前がどれだけ強いか、なんて知らないが……」
リンダマンは静かにそう言うと、拳についた古タイヤのゴムの黒い汚れを自分のズボンで無造作に拭い取った。
「だが、俺の日常を邪魔するなら誰であれ容赦はしない。お前がどんな奴らより強くても、関係ない」
「ケッ! 誰が邪魔なんかするかよ、自意識過剰なんだよテメエは!」
春道は身につけていた緑色のスカジャンをゆっくりと肩から脱ぎ捨て、近くの跳び箱の上に丁寧にシワにならないように置いた。
そして、太い首の骨を左右にパキパキと凄まじい音を立てて鳴らし、両手の拳を肉が引き締まるほど強く固めた。
「オレはな、テメエのそのデカい面を、正面から思いっきりひっぱたいてやりたくて、ここに来たんだよ! 鈴蘭のてっぺんだか、天災だか何だか知らねえが、オレの前でデカい顔して歩いてんじゃねえぞ、コノヤロー!」
二人の距離は、残りわずか十メートル。
外の雨は、さらに激しさを増し、この世のすべての雑音を洗い流すかのように、体育館のトタン屋根を壊れんばかりに叩きつけている。
その時、体育館の2階へと続く薄暗いギャラリー(キャットウォーク)の影の中に、一つの人影が足音もなく静かに佇んでいた。蓮見蓮だった。
蓮は、春道が血相を変えて教室を出ていったのを、影のように静かに追ってきたのだ。
だが、蓮は助太刀をする気など毛頭なかった。彼は手にした冷たい缶コーヒーを一口飲むと、カチリと音を立ててその場に深く腰掛け、鉄製の手すりに顎を乗せて下のコートを見下ろした。
蓮の切れ上がった瞳に、いつもの冷酷な暗殺者のような光はない。あるのは一人の純粋な観客としての、そして春道という男の「最高の理解者」としての穏やかな、しかし絶対的な信頼だった。
(がんばれよ、春道。ここからは、お前のステージだ)
蓮は心の中で、静かに呟いた。
林田恵という男には、ハントする余地など一ミリも存在しない。
あいつは本物だ。だからこそ、自分はここでただ見届ける。春道が、この鈴蘭という檻の中で本物の『伝説』へと手をかけるその最初の瞬間を。
体育館の中央で、坊屋春道と林田恵の視線が、火花を散らすように激しく交錯した。
次の瞬間、二人の巨躯が同時に、爆発的な脚力で体育館の床を蹴った。床の木板が、その圧力でミシリと悲鳴を上げる。
「おおおおおおおあああッ!!!」
春道の狂犬のような咆哮が体育館の暗闇を切り裂き、二つの巨大な拳が、激しい雨音と共に正面から衝突した。
鈴蘭高校の歴史上、最も純粋で、最も過酷な『頂上決戦』の幕が、今、ここに切って落とされた。
後編と続きます。