終末世界の迷惑在庫(ゾンビ)は即廃棄!〜人でなしお嬢様とモブ後輩は、世界が滅んでも甘いものが食べたい 作:オカノヒカル
「……ねえ、モブ子さん。この『濃厚ピスタチオプリン』、カラメルソースの苦みが強すぎますわ。ピスタチオの香りを引き立てるどころか、横から殴り倒しています。四十点。期待外れもいいところですわね」
返り血で赤黒く染まったコンビニのタイル床に直に座り込み、戦技《そよぎ》先輩は優雅にプラスチックのスプーンを動かしていた。制服のスカートは少し汚れている。けれど本人は、まるで放課後に友達と買い食いをしているみたいな顔をしていた。
問題があるとすれば、そのサイドテールの先が、すぐ隣に転がっている元店員さんだったものに触れそうになっていることくらいだ。
「先輩、文句言いながら完食しないでくださいよ」
「最後まで味わわずに点数をつけるなど、作り手への侮辱ですわ」
「その作り手、たぶん今それどころじゃないと思いますけど」
私は先輩の隣で、同じピスタチオプリンの残りを持っていた。プリンは少しぬるい。スプーンですくうと、表面はなめらかで、ピスタチオの香りは思ったより弱い気がする。
でも、甘い。
それだけで、今の世界ではかなり貴重だった。
店の外では、かつて人間だったものたちが、濁った声を上げながらガラスを叩いている。自動ドアはもう半分壊れていた。曲がったフレームの隙間から、腐った腕が何本も伸びてくる。
なのに、私たちの周りだけは静かだった。
数メートル先で、割れたガラス片が床に散っている。けれど、その破片はこちら側には飛んでこない。腐敗臭も、怒号みたいなうめき声も、途中で薄くなる。
まるで、レジ横の床だけを無理やり食べる場所にしてしまったみたいだった。この店にイートイン席はない。椅子もテーブルもない。だから、私の結界は安定しない。
私の能力は、そよぎ先輩が勝手に【イートインの結界】と呼んでいる。何かを食べると、しばらくの間、周りに小さな安全地帯ができる。
理屈はわからない。
でも、外でゾンビがどれだけ吠えていても、結界が続いている間だけは、ここに入ってこられない。問題は、あまり長く続かないことだ。
「あと、私のことモブ子って呼ぶの、こういう状況でも継続なんですね」
「当然でしょう? 世界が少々騒がしくなった程度で、配役が変わるはずがありませんわ」
「世界が少々……?」
私は外を見た。駐車場では、誰かの軽自動車が横倒しになって燃えている。その向こうを、何人かの影がふらふら歩いていた。生きているのか死んでいるのか、見ただけではわからない。
遠くでサイレンが鳴っている。たぶん、もう誰も助けに来ない。
それでも、そよぎ先輩はプリンの容器の底をスプーンでさらっていた。
「わたくしは主役。貴女はモブ子さん。そして、あちらの皆様は――」
先輩は、こちらへにじり寄ってくるゾンビたちを見た。
「――躾のなっていない野犬ですわ」
「倫理が終わってますよ」
「世界も終わっておりますもの。お似合いではなくて?」
「お似合いじゃないです」
先輩は、ふふ、と笑った。その笑い方だけは、血だまりの床の上でもやけに綺麗だった。
ゾンビの一体が、こちら側へ腕を伸ばす。腐った指先が、目に見えない境目に触れた。
パチン、と小さな音がした。静電気みたいな音。それだけで、ゾンビの腕は弾かれる。
けれど相手は痛みを感じていないのか、何度も同じ場所を叩き始めた。
ぺたん。
ぺたん。
ぺたん。
濡れた雑巾をガラスに押しつけるみたいな音だった。
「……先輩。あれ、ちょっと気持ち悪いです」
「わたくしもですわ。食事中にあの音は品がありません」
「そこですか?」
「そこ以外に何がありますの?」
先輩はプリンの空容器を床に置くと、ゆっくり立ち上がった。血を踏まないように足を運ぶ。この状況で、まだ靴の汚れを気にしているらしい。
先輩は、境目の向こうにいるゾンビを眺めた。怖がっている様子はなかった。憐れんでいる様子もなかった。ただ、冷蔵棚の奥に残った賞味期限切れの商品を見つけた時みたいな顔をしている。
「あら。これはもう駄目ですわね」
「何がですか」
「人としての形は残っていますけれど、中身が腐っています。こういうものを棚に残しておくから、店全体の印象が悪くなるのですわ」
「ゾンビを売り場の商品みたいに言わないでください」
「商品より迷惑ですわよ。お金にもなりませんし」
先輩は、指先を軽く持ち上げた。
その時だった。さっきまで境目で弾かれていたゾンビの腕が、少しだけ内側へ食い込んだ。パチン、と鳴っていた音が弱い。床を転がっていたレシートが、私の方へすべってくる。
その紙切れは、見えない壁に引っかかるように一度止まって、それから半分だけこちら側へ入り込んだ。
「モブ子さん」
先輩が、こちらを見ないまま言った。
「そろそろ切れますわよ」
「わかってますって。いま追加します」
私は慌てて、残っていたシュークリームを口へ運ぼうとした。でも焦ったせいで袋の端が指に引っかかる。クリームが片寄って、うまく口に入らない。
その間にも、腐敗臭が一歩ぶん近づいてくる。外のうめき声が、急に輪郭を持ち始める。
結界がほどけかけている。
境目のすぐ外にいたゾンビが、それに気づいたように身を乗り出した。腐った指先が、今度はほとんど弾かれずにこちら側へ入ってくる。
「わ、ちょ、待っ――」
「結構。では、邪魔なものを先に片付けますわ」
そよぎ先輩は、目の前のゾンビを冷蔵棚の奥に残った古い商品みたいに見た。
先輩の能力は【消費期限の審判】。
食べられないもの。腐ったもの。不要なもの。そういうものを見分けて、廃棄する力。少なくとも、先輩はそう説明している。
「あら。とっくに期限切れですわね」
先輩が指を鳴らした。
パチン。
乾いた音が、コンビニの中に響いた。次の瞬間、こちらへ倒れかけていたゾンビが崩れた。
倒れた、というより、ほどけた。頭から肩へ、肩から胸へ。古いレシートが水に濡れて破れるみたいに、形がぼろぼろになっていく。肉も、服も、髪も、まとめて灰色の粉になり、床に落ちた。
さっきまでそこにいたものが、最初から棚に並んでいなかったみたいに消えていく。
残ったのは、黒ずんだ靴だけだった。
「……相変わらず、えげつないですね」
「失礼な。わたくしはただ、見苦しいものを片付けただけですわ」
「普通はそれを殺したって言うんです」
「もう死んでいるものを殺すのは、言葉としておかしくありません?」
「そういう問題じゃないです」
先輩は首をかしげた。本当に、そういう問題だと思っている顔だった。
私はようやく、プリンの残りを口に運んだ。甘いクリームが舌に広がる。
次の瞬間、ほどけかけていた空気の境目が、もう一度ぴんと張った。内側へ入り込んでいたレシートが、見えない何かに押し戻されるように床の上を少しだけ滑って止まる。
腐敗臭が遠ざかる。うめき声がくぐもる。境目にぶつかった腐った腕が、またパチンと弾かれた。
私は息を吐いた。
スイーツを食べて安心するなんて、たぶん世界で一番間違った使い方をしている。でも、今の私にはこれしかない。
「モブ子さん」
「はい」
「このプリン、やはり四十点ですわ」
「まだ言います?」
「ええ。食感は悪くありません。なめらかさも合格点です。ですが、ピスタチオを名乗るなら香りにもっと責任を持つべきですわね。あと、上に乗っているクラッシュピスタチオが少なすぎます」
「この状況で責任を問われるピスタチオがかわいそうです」
「責任を負えないなら、名乗るべきではありません」
先輩は空容器をレジ袋に入れた。私はその袋の中を見た。プリンの空容器が二つ。あと、さっき先輩が「これは乾きが許せませんわ」と言って捨てたバウムクーヘンの残骸。
世界が終わり始めてから数日。私たちは、たぶん他の人よりもずっと真剣にコンビニスイーツと向き合っている。その真剣さの方向が正しいのかどうかは、考えないことにしている。
「さて、次に行きますわよ」
「え」
「この近くの店舗には、まだ生どら焼きが残っているはずですの」
「先輩、外見えてます? 野犬だらけですよ」
「だから急ぐのですわ。野犬に荒らされる前に確保しませんと」
「命より生どら焼き優先ですか?」
「命は今のところありますわ。けれど、生どら焼きは待ってくれません」
「名言っぽく言ってますけど、だいぶ駄目ですからね」
先輩は制服のスカートについた埃を払った。血は気にしないのに、埃は気にするらしい。その基準は、今でもよくわからない。
「ほら、モブ子さん。早くなさい」
「はいはい」
「それと、口元にカラメルがついていますわ」
「えっ」
私は慌てて口をぬぐった。指先に茶色いソースがつく。
その間にも、張り直したばかりの結界が少しずつ狭くなっていくのがわかった。床の境目が、さっきより近い。私たちが座って食べるくらいの広さはあるけれど、このまま外へ出るには心もとない。
コンビニの中で食べるための結界と、ゾンビの中を歩くための結界は、どうやら勝手が違うらしい。
私はポケットに入れていた飴を取り出した。
「移動用、追加します」
包装を雑に破って、口に放り込む。舌の上に、安っぽい苺味が広がった。すると、足元の空気が少しだけ張り直される。
さっきのシュークリームで作った結界ほど広くはない。でも、私と先輩が並んで歩くくらいなら、なんとかなる。
壊れた自動ドアの向こうでゾンビが吠えている。けれど、その声は急にくぐもった。厚いガラス越しに聞いているみたいに、輪郭がぼやける。
床を転がっていたレシートが、私の靴先の少し手前で止まった。空気の境目が、そこにある。頼りない。でも、ゼロよりはずっといい。
「……便利ですわね、それ」
「便利扱いしないでください。私だって、まだよくわかってないんですから」
「よくわからなくても、使えるなら十分ですわ」
「先輩、そういうところ本当に雑ですよね」
「雑ではありません。実用的なのです」
先輩はレジ袋を片手に、壊れた自動ドアへ向かった。外には、数体のゾンビがいる。こちらに気づき、喉の奥を鳴らしている。
私は飴を転がしながら、先輩の後ろをついていった。ゾンビの一体が、私たちの前にふらふらと立ちはだかる。そよぎ先輩は足を止めた。
「邪魔ですわ」
それだけ言って、指を鳴らす。
パチン。
ゾンビはまた、灰色の粉になってほどけた。
バトルですらない。掃除に近い。いや、先輩の感覚では、たぶん本当に掃除なのだろう。
「先輩」
「何かしら?」
「この世界になってから、前より生き生きしてません?」
「失礼な。わたくしはいつだって生き生きしておりますわ」
「そういう意味じゃないです」
「では、どういう意味かしら?」
先輩は振り返らない。レジ袋を揺らしながら、血とガラス片の散った駐車場を歩いていく。
私は少しだけ考えた。ゾンビがいる。街は壊れている。スマホはほとんど繋がらない。家族がどうなったのかも、友達がどうなったのかも、わからない。
なのに、そよぎ先輩は変わらない。綺麗なものを見れば点数をつける。気に入らないものには文句を言う。邪魔なものは片付ける。そして、次のスイーツを探す。
たぶん、この人は世界が終わっても、自分の基準だけは終わらせない。
「……いえ。なんでもないです」
「あら、そう」
逃げるとか。助けを呼ぶとか。どこか安全な場所を探すとか。そういう当たり前のことが、今は少し遠く感じる。
先輩の背中を追いかけていると、次の店の冷蔵棚にまだ何が残っているのか、その方が気になってしまう。それがいいことなのか悪いことなのかは、わからない。
でも、少なくとも私は今、泣いていなかった。震えてもいなかった。苺味の飴を舐めながら、血だまりを避けて歩いている。
それだけで、だいぶおかしい。
「先輩」
「何かしら?」
「次、ローソンも寄りません?」
先輩が振り返る。血と煙と夕方の薄い光の中で、その顔が楽しそうに緩んだ。
「あそこのロールケーキ、まだ食べてませんし」
「……ふふ」
先輩は満足そうに笑った。
「いい心がけですわ、モブ子さん」
地獄みたいな街を、二人で歩いていく。手には武器なんてない。そよぎ先輩はハンカチで口元を拭い、私は苺味の飴を舌の上で転がしていた。
逃げるためではなく。助けを呼ぶためでもなく。
まだ食べていないロールケーキを探すために。