終末世界の迷惑在庫(ゾンビ)は即廃棄!〜人でなしお嬢様とモブ後輩は、世界が滅んでも甘いものが食べたい   作:オカノヒカル

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第10話 パンは生存、デニッシュは娯楽ですわ

 

 翌朝。

 

 私たちは、ファミレスのテーブルに広げた『春の駅前スイーツ案内』を見ていた。

 端の少し折れたチラシには、世界がまだ普通だった頃の甘いものたちが、やけに明るい色で並んでいる。

 

 苺ショート。桜もち。苺クリームデニッシュ。濃厚ピスタチオプリン。春限定アイス。

 そのうち、もう食べたものもある。食べ損ねたものもある。

 

 そして、今日の候補は。

 

「駅前ベーカリー、こむぎ堂」

 

 私がチラシの小さな地図を見ながら言うと、そよぎ先輩は満足そうにうなずいた。

 

「よろしい。今日は焼き菓子と主食の境界を攻めましょう」

「普通にパン屋に行くって言えません?」

「パン屋に行くのではありません。菓子パン棚を見に行くのです」

「そこ、そんなに違います?」

「大違いですわ」

 

 そよぎ先輩は、昨日見つけたポータブル電源をテーブルの端へ寄せ、代わりにチラシを丁寧に畳んだ。

 

 発電機は、まだ使っていない。あんなものをファミレスの近くで動かしたら、ゾンビ向けの呼び込み君になる。その危険性は昨日の短波ラジオの声にも念押しされたので、今は触らないことになっている。

 

「チラシだと、苺クリームデニッシュでしたよね」

「ええ」

「でも、出るとは限らないんですよね」

「当然ですわ。棚ガチャは注文票ではありませんもの」

「ですよね」

「期待はしましょう。指定はしません」

「ガチャっぽい」

「ガチャですもの」

 

 私はポケットの飴を確認した。移動用に何個か。

 

 昨日の豆乳ショコラの甘さは、もう舌には残っていない。それでも、体のどこかにはまだ残っている気がした。罠だったチョコでも、温めれば甘い飲み物になる。そういう、少しだけ都合のいい記憶として。

 

「では、行きましょう」

「はい」

 

 私たちは、ファミレスを出た。

 外の空気は冷えていた。商店街へ向かう道には、ひっくり返った自転車や、開いたままの買い物袋が落ちている。遠くにゾンビが二体いたけれど、こちらには気づいていない。

 

 私は飴を口に入れる。安いぶどう味が舌に広がり、薄い膜のような結界が私たちの周りに張られた。

 

 店の中ほど安定はしない。でも、二人で歩くくらいなら十分だった。

 

「今日、食パンとか残ってたらどうします?」

「状態によりますわね」

「パンって、持ち帰れたら便利じゃないですか」

「便利ですわ。パンは生存ですもの」

「まとも」

「ですが、モブ子さん」

「はい」

「今日はパンの話ではありません」

「パン屋に行くのに?」

「菓子パンの話です」

「面倒くさい区別」

「生存と娯楽の境目は、いつでも面倒くさいものですわ」

 

 そんなことを話しているうちに、目的の店が見えてきた。

 

『駅前ベーカリー こむぎ堂』

 

 丸い文字の看板が、割れたガラスの上にぶら下がっていた。入口の横には、麦の穂のイラストが描かれている。たぶん昔は、かわいい店だったのだと思う。

 

 今は店先にパン袋が散らばり、割れたガラスの破片が朝の光を鈍く反射している。店内からは、かすかに酸っぱい匂いがした。

 

「……パンって、けっこう匂いますね」

「焼きたてを売りにする店ほど、終末には脆いですわ」

「褒めてるんですか、それ」

「生きている時代なら、褒め言葉です」

「死んだ時代だと?」

「管理が大変ということですわね」

 

 そよぎ先輩が、割れた入口から中を覗く。私は結界を意識しながら、その横に立った。

 

 店内には、食パン棚、惣菜パン棚、そして奥の方に菓子パン棚があった。木製の棚は、まだきれいな形を保っている。けれど、そこに並んでいたパンはもう駄目だった。

 

 食パンは乾き、ところどころに青白いカビが出ている。惣菜パンらしきものは、袋の中で何か別の料理になりかけていた。

 

 私は思わず顔をしかめる。

 

「これは……無理ですね」

「ええ。食べるために焼かれたものが、食べられないところまで進んでおりますわ」

「悲しい言い方」

「パンにとっては、かなり悲しい末路ですわね」

 

 そよぎ先輩は、食パン棚の前に立った。

 私はその隣で、ふと思いつく。

 

「これ、試してもいいですか?」

「何を?」

「ガチャです。食パン棚でも、もしかしたら……」

 

 言いながら、自分でも無理そうだと思っていた。

 でも、もし食パンが出せるなら、それはかなり助かる。スイーツじゃない。けれど、食べ物だ。

 私は空いている棚の一段に手を近づけた。

 何も起きなかった。

 

 空気も揺れない。トレーも鳴らない。値札も光らない。ただ、カビた食パンの匂いだけが、結界の外からじわじわ届いてくる。

 

「……反応しません」

「でしょうね」

「やっぱり、食パンは駄目ですか」

「食パンは生存ですわ。尊いものです。ですが、スイーツではありません」

「尊いのに、ガチャ対象外なんですね」

「生存に必要なものを、そんな都合よく引き当てられるなら、世界はもう少し簡単ですわ」

「それもそうですね」

「パンは拾うもの。菓子パンは祈るものです」

「祈るんですか」

「ガチャですもの」

 

 私は手を下ろした。

 ちょっと残念だった。でも同時に、少しだけ納得もした。

 

 私の能力は、便利だけど万能ではない。生きるための食べ物は、自分たちで探さないといけない。そして、甘いものは、空っぽの棚に祈るしかない。

 

 その時だった。

 奥の厨房から、何かが落ちる音がした。

 

 がしゃん。

 金属のトレーが床に転がる音。私は反射的に身をすくめる。

 

「先輩」

「ええ。いらっしゃいますわね」

 

 厨房の入口に、白い足跡が続いていた。

 

 小麦粉。

 袋が破れて、床に散っているらしい。その粉の上を、何かが歩いた跡がある。

 次の瞬間、厨房の奥から、白い作業着姿のゾンビが現れた。

 粉をかぶった前掛け。だらりと下がった腕。片手には、パンを並べるためのトレー。

 

「元パン職人さんですかね」

「ええ。ですが、発酵しすぎですわ」

「パン職人さんを発酵扱いしないでください」

「では、焼成期限切れ」

「どっちもひどい」

 

 パン職人だったものが、うめきながらこちらへ近づいてくる。粉を踏むたび、白い足跡が増えていく。

 私は一歩下がった。でも、そよぎ先輩は前に出る。

 

「食べ物を扱う場所に、期限切れの野犬を残すわけにはまいりません」

「言い方は最悪だけど、内容は正しい気がする」

 

 そよぎ先輩が、指を持ち上げる。

 

「あら。中まで駄目ですわね」

 

 パチン。

 乾いた音が、パン屋の中に響いた。

 パン職人だったものは、粉をかぶったまま崩れた。肉も、作業着も、トレーを握っていた手も、灰色の粉のようにほどけていく。

 

 最後には、小麦粉の上に少しだけ色の違う灰が残った。

 

「……パン屋で粉が増えた」

「衛生上、よろしくありませんわね」

「先輩がやったんですけど」

「廃棄の結果です」

「便利な言葉ですね、廃棄」

 

 そよぎ先輩は、もう厨房には興味を失ったように、店内の奥を見た。

 

「さて、本命はこちらですわ」

 

 菓子パン棚。

 食パン棚や惣菜パン棚よりも、荒らされ方が激しかった。袋だけが破れて残っていたり、トレーが落ちていたりする。

 棚の上には、手書き風のポップが貼られていた。

 

『春限定! 苺クリームデニッシュ』

 

 チラシに載っていたやつだ。

 けれど、商品はない。空っぽのトレーだけが残っている。

 

「苺クリームデニッシュ、ないですね」

「当然ですわ。人気商品とは、残らないものです」

「じゃあ来た意味は?」

「空の棚があることです」

「前向きすぎる」

「甘味を探す者は、空白に価値を見出すのです」

「かっこいいこと言ってるようで、ガチャ回したいだけですよね」

「もちろんですわ」

 

 棚には、潰れた袋と、乾いたパンくずのようなものが少しだけ残っていた。

 そよぎ先輩が目を細める。

 

「これは食べる価値なし。棚に残す価値もなし」

 

 パチン。

 小さな音とともに、それらは灰のように消えた。菓子パン棚が、完全に空になる。

 

 私は、少し息を整えた。

 食パン棚では反応しなかった。でも、ここは違う。

 菓子パン。甘いパン。主食に近いけれど、たぶんスイーツ側に片足を突っ込んでいる棚。

 

「いきます」

「ええ。期待はして、指定はしない」

「わかってます」

 

 私は、空の菓子パン棚に手を近づけた。

 その瞬間。

 棚の上の空のトレーが、かたかたと揺れた。

 

「……来た」

 

 商品札が、風もないのに一枚ずつめくれていく。

 

『苺クリームデニッシュ』

 

 かたん。

 

『チョココロネ』

 

 かたん。

 

『ミルクブリオッシュ』

 

 かたん。

 

『あんバター塩パン』

 

 かたん。

 

『焦がしカスタード・デニッシュリング』

 

 そこで、札の揺れが止まった。

 次の瞬間、空っぽだったトレーの上に、袋入りの商品が二つ現れる。

 丸いデニッシュ。表面に薄く砂糖。中心に焦げ目のついたカスタード。

 

『焦がしカスタード・デニッシュリング』

「苺じゃない」

「ガチャですもの」

「ですよね」

「けれど、デニッシュではありますわ。かなり近い負けです」

「負け扱いなんですか」

「いいえ。勝ち寄りの妥協です」

「ややこしい」

 

 私は一つ手に取った。袋越しでも、少しだけ甘い匂いがした。

 ただし、そのままでは不安がある。パンデミックから一週間以上。どこかに残っていた在庫が呼ばれたものだとしても、状態が良いとは限らない。

 

 そよぎ先輩が、袋の上からじっと見た。

 

「少し落ちていますわね。ですが、戻せます」

 

 先輩は袋に指を添えた。

 

「賞味期限を、少しだけ巻き戻します」

 

 パチン。

 デニッシュの表面が、ほんの少しだけつやを取り戻したように見えた。袋の中の砂糖がさらりと動き、焦がしカスタードの香りが少しだけ強くなる。

 

「よろしい。食べられます」

「食べる場所は?」

 

 私は店内を見回した。

 イートイン席はない。小さなベンチすらない。棚とレジと厨房だけ。純粋に、パンを買って帰る店だったらしい。

 

「食べ歩きですわね」

「これ、食べ歩きに向いてます?」

「向いていないからこそ、食べ歩く価値があります」

「意味がわからない」

「生存に向いていない食べ物ほど、文化の匂いがしますもの」

「その理屈、だいぶ危ないですよ」

 

 私たちは店を出た。

 商店街のシャッターが並ぶ道に、朝の薄い光が差している。遠くにゾンビの影が二つ。でも、まだこちらには近づいていない。

 

 私はデニッシュの袋を開け、一口かじった。

 その瞬間、移動用の結界が少しだけ張り直される。

 パイのような層が、口の中でほろりと崩れた。焦がしカスタードの甘さと、少しだけ苦い香り。思ったより、ちゃんとおいしい。

 

 ただ、食べにくい。

 袋の中でデニッシュの欠片が落ちる。カスタードが少しはみ出る。

 

「これ、絶対歩きながら食べるものじゃないです」

「ええ。だから贅沢なのですわ」

「歩きにくさを贅沢にしないでください」

「食パンは生存ですわ。菓子パンは娯楽です」

「娯楽って、今必要ですか?」

「必要ではありません。だから価値があります」

「また変なことを」

「必要なものだけで人間が満ちるなら、スイーツなど生まれていませんわ」

 

 私は、もう一口かじった。

 たしかに、食パンの方が役に立つ。水と一緒に食べれば、お腹も膨れる。でも、今のこのデニッシュは、食パンとは違う場所に届く。

 お腹ではなく、気分の方に。

「……でも、私は好きです。パンなのに、ちゃんとおやつって感じがして」

「あら」

「何ですか」

「モブ子さんが、また自分の感想を言いましたわ」

「そろそろ慣れてください」

「希少現象は、何度観測しても価値があります」

「人を天体ショーみたいに言わないでください」

 

 そよぎ先輩は、デニッシュリングを一口食べた。しばらく黙って味を見ている。

 その間、私たちは商店街をゆっくり歩いた。崩れやすいデニッシュを守るために、自然と歩幅が小さくなる。

 

 何をしているんだろう、と思う。

 ゾンビだらけの街で、菓子パンの欠片をこぼさないように歩いている。

 だいぶ、おかしい。

 

 でも、嫌ではなかった。

 

「八十二点ですわね」

「高い」

「焦がしカスタードの苦味が、甘さを引き締めています。デニッシュ生地の層も悪くありません。惜しむらくは、食べ歩きに対して少々崩れやすいこと」

「それ、食べ歩きしてる私たちの問題では?」

「商品とは、食べる状況まで試されるものですわ」

「無茶言ってる」

「それと、苺クリームデニッシュではありませんでしたが、ガチャの結果としては当たり寄りです」

「勝ち寄りの妥協じゃなかったんですか」

「八十二点を取った時点で、だいたい勝ちですわ」

「採点で雑にまとめた」

 

 そよぎ先輩は満足そうに最後の一口を食べた。

 

 私も、袋に残った欠片をつまんで口に入れる。

 甘い。少し苦い。

 パンなのに、ちゃんとおやつ。

 食べ終わったあと、私は指先についたカスタードを見て、慌ててハンカチで拭った。

 

「先輩」

「何かしら」

「次、和菓子がいいです」

「……あら」

「クリーム系が続いたので。あんことか、もちっとしたものが食べたいです」

 

 言ってから、自分でも少し驚いた。

 前なら、次に何を食べたいかなんて、先輩が勝手に決めるものだと思っていた。私はその後ろをついていって、出てきたものにツッコミを入れるだけ。

 でも今は、口の中に残ったデニッシュの甘さが、別の甘さを呼んでいた。

 

「モブ子さんが、次の甘味を指定しましたわ」

「指定っていうか、希望です」

「大きな進歩ですわね」

「そんな成長イベントみたいに言わないでください」

 

 そよぎ先輩は、畳んでいた『春の駅前スイーツ案内』を取り出した。

 苺ショート。ピスタチオプリン。苺クリームデニッシュ。桜もち。春限定アイス。

 先輩の指が、その中のひとつで止まる。

 

「では、明日は和菓子屋ですわね」

「桜もちですか?」

「期待はしましょう。でも期待しすぎてはいけません」

「またガチャの予防線ですか?」

「大切ですわ。甘いものは、楽しみに待つくらいがちょうどよろしいのです」

 

 私は、空になったデニッシュの袋を畳んでポケットに入れた。

 

 商店街のシャッターは、相変わらず閉まったままだ。世界はまだ、だいぶ駄目そうだった。

 でも、明日の私は、あんこと、もちっとしたものを少しだけ楽しみにしている。

 

 それはたぶん、生存にはまったく必要ない。

 

 だからこそ、今は少しだけ必要だった。

 

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