終末世界の迷惑在庫(ゾンビ)は即廃棄!〜人でなしお嬢様とモブ後輩は、世界が滅んでも甘いものが食べたい   作:オカノヒカル

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第11話 夜桜あんころ餅と、歌う茶席

 

 私は、ファミレスのソファ席で目を覚ました。天井の照明はつかず、窓の外だけが薄く白んでいる。世界が終わってからも、朝だけは律儀に来るらしい。

 

「モブ子さん」

 

 向かいの席で、そよぎ先輩がチラシを広げていた。『春の駅前スイーツ案内』。もう何度も見た紙だ。

 苺ショート。濃厚ピスタチオプリン。苺クリームデニッシュ。桜もち。春限定アイス。

 食べたものもある。食べ損ねたものもある。そして、今日の候補は。

 

「昨日、あなたが言いましたわね」

「何をですか」

「次は和菓子がいい、と」

「ああ……言いましたね」

 

 焦がしカスタード・デニッシュリングを食べた後、私はたしかにそう言った。クリーム系が続いたので、あんことか、もちっとしたものが食べたい。そんな希望を自分から口にしたことを、そよぎ先輩はやけに嬉しそうに覚えていた。

 

「では、本日は和菓子処ですわ」

「チラシだと桜もちですよね」

「ええ。ただし、桜もちを指定するのではありません」

「またガチャの予防線ですね」

「大切ですわ。期待と指定は違いますもの」

「はいはい。春の和菓子棚を見に行くんですね」

「理解が早くて助かりますわ」

 

 そよぎ先輩はチラシを丁寧に畳んだ。

 私はポケットの飴を確認する。移動用の結界を張るための飴。いざという時のためのチョコ。昨日のデニッシュの袋は、もう捨てた。それでも、焦がしカスタードの甘さは、少しだけ舌の記憶に残っている気がした。

 

「では、行きましょう」

「はい」

 

 私たちはファミレスを出た。

 朝の商店街は、夜よりも静かだった。静かすぎて、逆に怖い。シャッターの閉まった店、割れたガラス、ひっくり返った自転車。道の端に落ちたレジ袋の中で、缶詰がひとつ転がったまま動かない。

 

 遠くにゾンビが一体いたけれど、こちらには気づいていない。私はミルク味の飴を口に入れた。舌の上に、安っぽくて懐かしい甘さが広がり、薄い結界が私たちの周りに張られる。

 

「今日の店、どこでしたっけ」

「和菓子処、花衣ですわ」

「花衣」

「綺麗な名前でしょう?」

「名前だけ聞くと、まだ普通に営業してそうですね」

「営業していなくても、棚は残っています」

「先輩の希望、だいたい棚基準ですよね」

「甘味は棚から始まりますもの」

 

 商店街の奥に、その店はあった。

 

『和菓子処 花衣』

 

 木の看板には、古い筆文字が残っている。暖簾は半分落ち、店先には色あせた貼り紙があった。

 

『春の桜もち、あります』

 

 その文字だけは、やけに明るかった。

 

「あります、って書いてますけど」

「今もあるとは限りませんわ」

「夢がない」

「夢なら棚に聞きなさい」

「棚への信頼が重い」

 

 引き戸は少しだけ開いていた。そよぎ先輩が先に中を覗き、私はその横から、そっと店内を見る。

 ケーキ屋やベーカリーより、ずっと静かだった。大きなガラスケース。木の棚。レジ横の小さな招き猫。壁には、昔の桜祭りのポスター。派手に壊れてはいない。ただ、時間だけが先に死んでいるみたいだった。

 

 甘い匂いは薄い。かわりに、乾いた餡と、古いお茶の匂いがした。

 

「ゾンビより、時間が止まってる感じが怖いですね」

「和菓子屋には、そういう重みがありますわ」

「いや、そういう話じゃなくて」

 

 店の奥に、小さな茶席があった。低いテーブルが二つ。座布団がいくつか。その一つに、誰かが座っている。

 白い髪。丸い背中。薄いカーディガン。両手で湯飲みを持っている。

 

 老婆だった。

 いや、老婆だったもの、だ。

 濁った目をして、口元を少し開けている。けれど、こちらを見ても襲ってくる様子はなかった。ただ、空の湯飲みを口に運び、戻し、また口に運ぶ。中身のないお茶を、ずっと飲んでいるみたいに。

 

「先輩、あれ」

「お客様ですわね」

「ゾンビですよ」

「ええ。ですが、店内で一番行儀がいいです」

「行儀で判断するんですか」

「茶席に座り、湯飲みを持ち、静かにしている。外の野犬より、よほど上等ですわ」

「ゾンビなのに?」

「ゾンビであることと、今ここで邪魔であることは別問題です」

 

 私は老婆ゾンビを見た。湯飲みを口へ。戻す。口へ。戻す。

 怖くないわけではない。でも、今まで見たゾンビとは少し違った。うめき声も小さく、動きも遅い。ただ、そこに座っている。

 

「廃棄しないんですか」

「今のところ、廃棄理由が薄いですわ」

「先輩の廃棄理由って、意外と審査制なんですね」

「当然です。なんでもかんでも捨てるのは、掃除ではなく散らかしですわ」

「たまに良いこと言いますよね」

「常に言っています」

「そこは違います」

 

 そよぎ先輩は老婆ゾンビから視線を外し、ガラスケースへ向かった。

 ケースの中には、和菓子がほとんど残っていなかった。短冊の商品札だけが、いくつか倒れている。

 

『桜もち』

『草もち』

『うぐいす餅』

『栗まんじゅう』

 

 桜もちの札はある。けれど、商品はない。隅に、乾いた饅頭らしきものと、崩れた草もちの残骸が少しだけ残っていた。

 

「桜もち、ないですね」

「ありませんわね。ですが、棚はあります」

「また前向き」

「甘味を探す者は、空白に価値を見出すのです」

「ただのガチャ待ちでは?」

「そうとも言います」

 

 そよぎ先輩はケースの中を覗き込んだ。

 

「これはもう和菓子ではなく、餡の化石ですわ」

「言い方」

「花衣さんの名誉のためにも、廃棄しましょう」

 

 パチン。

 小さな音がした。乾いた饅頭も、崩れた草もちも、灰のように消える。ガラスケースの中は完全に空になった。

 私は一度、茶席の老婆ゾンビを見る。相変わらず、空の湯飲みを口に運んでいた。邪魔はしていない。ただ、いる。

 

「モブ子さん」

「はい」

「春の和菓子棚ですわ」

「わかってます」

 

 私はガラスケースに手を近づけた。

 空っぽの場所に、甘いものが戻ってきたら。そう思うと、胸の奥が少しだけ熱くなる。何度やっても、この瞬間は慣れない。

 

 空になった棚が、ほんの少し震えた。ガラスケースの中で薄紙がふわりと動き、木箱がかたりと鳴る。短冊の商品札が、一枚ずつ揺れた。

 

『桜もち』

 

 かたり。

 

『草もち』

 

 かたり。

 

『うぐいす餅』

 

 かたり。

 

『夜桜あんころ餅』

 

 そこで、札が止まった。

 次の瞬間、空っぽだった木箱の中に、薄紙に包まれた和菓子が二つ現れた。

 

『夜桜あんころ餅』

「桜もちじゃない」

「ええ。桜の親戚ですわ」

「親戚なんですか」

「少なくとも、春の血筋ではあります」

「和菓子の家系図、勝手に作らないでください」

 

 私は薄紙の包みを見た。丸く、小さい。手のひらに乗るくらいの、黒っぽい餡の和菓子だった。表面には桜色の砂糖が少しだけ散り、上には小さな桜の花の塩漬けが一つ。桜もちほど華やかではないけれど、名前は少し気になる。

 

「状態は?」

「少し乾いていますわね。戻します」

 

 そよぎ先輩が包みに指を添える。

 

「賞味期限を、少しだけ巻き戻しますわ」

 

 パチン。

 餡の表面が、ほんの少しだけしっとりした。桜の花びらが薄い光を取り戻し、餅の柔らかさが、包み越しにもわかる気がした。

 

「よろしい。食べられます」

「どこで食べます?」

 

 私が聞くと、そよぎ先輩は茶席を見た。老婆ゾンビが、空の湯飲みを口へ運んでいる。

 

「せっかくですし、茶席をお借りしましょう」

「隣に先客がいますけど」

「静かなお客様ですわ」

「客扱いなんですね」

「騒がないお客様は、貴重ですもの」

 

 私たちは、老婆ゾンビから少し離れた茶席に座った。

 座布団は少し埃っぽい。でも、テーブルは残っている。湯飲みもある。私はそこを、食べる場所だと思えた。

 その瞬間、移動用の頼りない結界が、茶席の周りで少し安定した。外の音が遠くなる。店内の空気が、薄い膜で切り取られる。

 

 老婆ゾンビは、結界の境目の少し外側にいた。湯飲みを口へ。戻す。口へ。戻す。

 生きていた頃、この人はここでよくお茶を飲んでいたのかもしれない。そんなことを考えかけて、やめた。考えたところで、答えは出ない。

 

「モブ子さん」

「はい」

「和菓子は、考えすぎると湿気ますわ」

「湿気るんですか」

「たぶん」

「たぶんで言わないでください」

 

 私は包みを開けた。

 夜桜あんころ餅。黒っぽいこし餡に包まれた、小さな餅。指で持つと柔らかいけれど、崩れるほどではない。

 

 一口かじる。

 まず、餡の甘さが来た。なめらかで、少し重い。その後から、ふっと塩気が来る。桜葉の香り。遅れて、春みたいな匂いが口の奥に立った。

 

「……見た目は地味なのに、あとから桜が来ますね」

「あら」

「何ですか」

「良い感想ですわ」

「そんな採点前みたいに言わないでください」

「夜桜とは、そういうものですわ。明るい場所で騒がない。暗くなってから、香りで思い出させる」

「和菓子にポエムを混ぜないでください」

「混ざっていますもの」

 

 そよぎ先輩も、一口食べた。目を閉じる。味を測る時の顔だ。

 その横で、老婆ゾンビが湯飲みを口へ運んでいる。からっぽのはずなのに、丁寧に。

 

 そこへ、うう、と小さな声が混じった。

 私は顔を上げた。老婆ゾンビの喉が、ゆっくり鳴っている。

 

 最初は、ただのうめき声だと思った。でも違った。その声は、少しずつ上下していた。低く。高く。また低く。言葉にはなっていない。けれど、ただのうめき声でもない。

 古い歌の輪郭だけが、喉の奥に残っているみたいだった。

 

「……歌ってます?」

「そのようですわね」

「ゾンビって、歌うんですか」

「喋れなくても、歌は残ることがありますわ」

「そういうものなんですか」

「言葉より、癖の方がしぶといのです。仕事の手順、通い慣れた席、昔の歌。脳がほどけても、全部が同じ速度で消えるわけではありません」

 

 老婆ゾンビは、空の湯飲みを持ったまま、うなるように歌っている。昭和の歌謡曲みたいな古いメロディーなのに、歌詞はない。言葉が失われて、節だけが残ったみたいだった。

 

「ファミレスの厨房にいた方も、パン屋の職人さんも、きっと何かを続けていたのでしょうね」

「本人は、まだ働いているつもりだったってことですか」

「あるいは、働く以外の形を忘れたのかもしれませんわ」

「……先輩、たまに普通に怖いこと言いますよね」

「普通に怖いなら、まだ上品ですわ」

「怖さに上品も下品もあります?」

「ありますわ。下品な怖さは、食事の邪魔ですもの」

 

 私は夜桜あんころ餅をもう一口食べた。甘い。塩気。遅れて桜。

 老婆ゾンビの歌が、店の奥で細く揺れている。怖い。少しだけ、寂しい。でも、邪魔ではなかった。

 そよぎ先輩が、残りを食べ終えた。

 

「八十三点ですわね」

「高い」

「餡のなめらかさ、桜葉の塩気、遅れてくる香り。派手な花見ではなく、帰り道でふと振り返る夜桜の味ですわ」

「味に帰り道を混ぜないでください」

「混ざっていますもの」

「今日の先輩、詩人寄りですね」

「和菓子屋ですから」

「理由になってないです」

「惜しむらくは、名前ほど夜の深さはありません。もう少し苦みか、香ばしさがあれば八十五点も狙えましたわ」

「不知火大福と並ぶつもりだったんですか」

「和菓子同士、競う権利はあります」

「勝手に大会を始めないでください」

 

 私は最後の一口を食べた。口の中に、餡の甘さと桜葉の塩気が残る。

 老婆ゾンビは、まだ歌っていた。湯飲みを口へ運ぶ。戻す。歌う。また口へ運ぶ。

 

「先輩」

「何かしら」

「この人、本当にこのままでいいんですか」

「このまま、とは?」

「廃棄しないで」

 

 そよぎ先輩は、老婆ゾンビを見た。

 白い髪。丸い背中。空の湯飲み。言葉にならない歌。

 

「今のところ、茶席を壊しておりません。騒がず、襲わず、歌っているだけです」

「歌ってるのはいいんですか」

「店内BGMとしては、少し不安定ですわね」

「評価するんだ」

「ですが、無音よりはましです」

 

 そよぎ先輩は立ち上がった。そして、老婆ゾンビではなく、茶席に向かって軽く頭を下げる。

 

「ごちそうさまでした」

 

 私は一瞬、驚いた。それから、空になった薄紙を畳んで、私も頭を下げる。

 

「ごちそうさまでした」

 

 老婆ゾンビは返事をしなかった。ただ、歌っていた。うめき声に近い。でも、ちゃんと節のある声。言葉にならない歌。

 

 私たちは店を出た。

 暖簾の下をくぐる時、私は少しだけ振り返った。老婆ゾンビは、まだ茶席に座っている。空の湯飲みを口へ運んでいる。歌は、店の中に残っていた。

 外に出ると、商店街の空気は少し冷たかった。私は、口の中に残った餡の甘さを飲み込む。

 

「先輩」

「何かしら」

「次、冷たいものがいいです」

「あら。ずいぶん贅沢になりましたわね」

「あんこの後って、お茶かアイスが欲しくなりません?」

「では、春限定アイスですわね」

「極端」

「お茶ではガチャが回りませんもの」

「理由が能力頼りすぎる」

 

 そよぎ先輩は、チラシを取り出した。少し離れた場所にある、アイスクリーム店。春限定フレーバー。たぶん、次の目的地はそこだ。

 

 店の中から、まだ細い歌が聞こえていた。言葉にならない歌だった。それでも、店を離れてからもしばらく、耳の奥に残っていた。

 

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