終末世界の迷惑在庫(ゾンビ)は即廃棄!〜人でなしお嬢様とモブ後輩は、世界が滅んでも甘いものが食べたい   作:オカノヒカル

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第13話 避難所は、甘い匂いがしませんわ

 

 北町モールを出る頃には、空の色が少しだけ薄くなっていた。

 

 口の中には、さっき食べたアイスの冷たさがもう残っていない。

 

 代わりに、モールの掲示板に貼られていた紙が、頭の中に残っていた。

 

『生きている人へ。

 

 北町西小学校、体育館で受け入れ中。

 水と寝床あり。物資持ち込み歓迎。

 噛まれた人、発熱している人は入れません。

 

 正門は危険。東門へ。

 日没前に来てください。』

 

 青いボールペンで書かれた字だった。

 

 棚橋さんの乱暴な字とは違う。誰かを騙そうとしている感じでもない。

 

 ただ、来てください、と書いてあった。

 

「先輩。本当に行くんですか」

「ええ。向かいましょう」

「避難するためですか?」

「味わうためですわ」

「避難所を?」

「避難所に集まった物資を、ですわ」

「最低だ」

「あら。人が集まる場所には、水と食料と情報が集まります。とても合理的な判断ですわよ」

「そう言われると、ちょっと正しいのが嫌ですね」

 

 そよぎ先輩は、私のポケットのあたりをちらりと見た。

 

「モブ子さんの飴も、そろそろ心細いのではなくて?」

「……そうなんですよね」

 

 私はポケットの中を指で探った。

 

 小袋に入れた飴は、もうそれほど多くない。移動用の結界を張るには、飴が一番使いやすい。

 

 だから飴は、今の私にとってかなり大事だった。

 

 普通なら、ただの安い飴なのに。

 

「避難所に、飴とかチョコとか残ってるといいんですけどね」

「そうですわね。あちらが分けてくださるかどうかは別として」

「急に嫌な現実を出さないでください」

「共同体とは、そういうものですわ。物を分けるために、人を分けますの」

「先輩、避難所に行く前から不穏なこと言わないでください」

 

 私たちは、北町西小学校へ向かった。

 

 途中、こちらへ近づいてくるゾンビだけを、そよぎ先輩が片付けた。

 

 パチン。

 

 もう見慣れたはずの音だった。

 

 でも、避難所に近づくほど、その音が少し気になった。

 

 今までは、私たちの周りには誰もいなかった。ゾンビは見ていない。人も見ていない。だから、先輩の能力も、私の結界も、二人だけのものだった。

 

 でも、避難所には人がいる。

 

 見られたら、どうなるんだろう。

 

 そんなことを考えているうちに、学校の正門が見えてきた。

 

 北町西小学校。

 

 門柱の横に、古い校名板がついている。ただ、正門は使えそうになかった。

 門の前には事故車が斜めに突っ込み、自転車が何台も倒れていた。門扉は内側からチェーンで縛られている。

 

 その向こう側で、ジャージ姿とランドセル姿のゾンビがゆっくり歩いていた。

 私は、喉の奥がきゅっと狭くなるのを感じた。

 

「正門は危険、でしたわね」

「……本当でしたね」

「案内としては誠実ですわ」

「そこ、評価するんですか」

「嘘の道案内は迷惑ですもの」

 

 先輩は門の向こうのゾンビを見た。

 その目つきが、いつもの廃棄前の顔になりかける。

 

「先輩、まだです」

「まだ、とは?」

「ここ、避難所の近くです。誰かに見られるかもしれないので、変なことしないでください」

「変なこと?」

「指を鳴らして、ゾンビを消すことです」

「便利なこと、の間違いでは?」

「便利でも変です」

 

 先輩は少し不満そうだったが、指は鳴らさなかった。

 門の横には、段ボールを切ったらしい矢印が結びつけられていた。

 

『東門へ』

 

 私たちは正門を離れ、校庭沿いに回り込むことにした。

 フェンスの向こうには校庭が見えた。倒れたサッカーゴール。隅に張られたブルーシート。そして人影。

 

 人がいる。

 

 胸の奥が少し緩む。けれど、同時に足が重くなる。

 人がいるということは、見られるということでもある。

 フェンス沿いを歩いていると、校舎の陰から女子がこちらを見ていた。

 

 年は、たぶん私と近い。髪は肩より少し短く、手には先端の取れたモップの柄を持っている。

 構え方は強そうではない。でも、目だけはしっかりこちらを見ていた。

 

「東門に行くなら、そっちじゃないです」

 

 女子は小さな声で言った。

 

「校庭沿いに右に回ってください」

「あ……ありがとうございます」

 

 私は慌てて頭を下げた。

 先輩はにっこり笑う。

 

「親切ですわね」

 

 女子は、先輩を見て少しだけ眉をひそめた。

 

「……中に入れるかは、別ですけど」

 

 そう言って、彼女は先に東門の方へ戻っていった。

 

「今の子、生きてましたね」

「見ればわかりますわ」

「そうなんですけど……なんか、久しぶりに同年代の人を見た気がします」

「モブ子さんにも同年代を懐かしむ感性がありましたのね」

「ありますよ。先輩、私を何だと思ってるんですか」

「モブ子さん?」

「答えになってるようで、なってないです」

 

 東門は、正門よりずっと小さかった。

 

 門の前には机が置かれ、パイプ椅子が二つ。門の内側には、机やロッカーを組み合わせた簡易バリケードが作られていた。

 

 段ボールには、手書きの文字がある。

 

『噛み傷・発熱のある人は申し出てください』

『日没後は開門しません』

『持ち込み物資は受付へ』

 

 門の内側にいた男が、こちらを見た。

 作業着の上に反射ベストを着た男が、金属の棒を持って立っていた。

 

「止まってください」

 

 私は反射的に立ち止まる。

 そよぎ先輩だけが、少し遅れて優雅に止まった。

 

「二人ですか。噛み傷は」

「ありません」

「発熱は」

「たぶん、ないです」

「たぶんでは困ります」

 

 男は机の上から非接触の体温計を取った。

 

「額を出してください」

 

 私は大人しく前髪を避けた。

 ピッ、と音がする。

 

「平熱」

 

 次に先輩の番。

 

「額を」

「わたくしの体温を記録する栄誉を差し上げますわ」

「額を」

「これでいかがかしら?」

 

 ピッ。

 

「平熱」

「文明ですわね」

 

 私はすかさずツッコむ。

 

「何がですか」

「額に向けるだけで体温が測れるなんて」

「今それに感動する人、初めて見ました」

 

 そんなやりとりを、机の横にいたさっきの女子が少しだけ笑った。

 

 彼女は受付ノートを持っていた。

 

「名前、書けますか」

 

 私は本名を書いた。先輩は、何のためらいもなく「戦技彩子」と書く。

 

 受付の女子が、それを見て首をかしげた。

 

「そよぎ、って読むんですか」

「ええ。戦う技と書いて、そよぎですわ」

「すごい名字ですね」

「よく言われます」

 

 先輩はなぜか少し満足そうだった。

 

 次に、荷物の確認が始まった。

 

 リュックと袋の中身を、机の上に少しずつ出していく。

 

 消毒液。ガーゼ。絆創膏。胃薬。解熱鎮痛薬。経口補水液の粉末。小さな水。チョコ。飴。

 

 男の目が、薬と衛生用品で止まった。

 

「持ち物はすべて、シェルターの共同管理になります」

「全部ですか?」

「全部とは言いません。ただ、避難所に入るなら申告してもらう決まりです。薬と衛生用品は特に」

 

 薬は大事だ。

 でも、避難所には子どもも高齢者もいる。全部を自分たちだけで持っているのも、たぶん違う。

 

「いくつかなら、出せます」

 

 私が言うと、男はうなずいた。

 受付の女子がノートに書く。

 

「消毒液、小一本。ガーゼ、一袋。経口補水粉末、二包。絆創膏……」

 

 その手が、飴の袋で止まった。

 

「あ、飴」

 

 奥から、四十代くらいの女性が近づいてきた。エプロンの上にカーディガンを羽織っている。疲れた顔をしているが、目は細かいところまで見ていた。

 

「飴は、子ども用に提供してもらえる?」

 

 その言い方は、悪くなかった。

 でも、私の手は飴の袋を押さえていた。

 

「これは、渡せません」

 

 自分でも驚くくらい、はっきり声が出た。

 

 男が眉を寄せる。

 

「ただの飴だろ」

「ただの飴じゃないんです」

「薬か?」

「違います」

「なら、なぜ」

 

 私は答えられなかった。

 

 飴を食べると、結界が張れる。

 私たちの周りに、安全地帯ができる。

 そんなことを、ここで言えるはずがない。

 

 そよぎ先輩が、横から楽しそうに口を挟んだ。

 

「モブ子さんにとっては、命綱ですものね」

「先輩、言い方!」

 

 受付の女子が「モブ子?」と小さくつぶやく。

 

 私はさらに慌てた。

 

「あだ名です。最悪の」

 

 彼女は今度こそ、少し笑った。

 

「変なあだ名」

「本当にそう思います」

 

 私は飴の袋をリュックの奥に戻した。

 男はまだ納得していない顔をしていたが、エプロンの女性が小さく手を上げた。

 

「戸倉さん。そこまでで」

「岡部さん」

「薬は出してくれたんだから。飴くらいは持たせてあげましょう。子ども用のお菓子は、まだ少しありますから」

 

 まだ少しある。

 その言葉に、そよぎ先輩の目がほんの少し動いた。

 私は見逃さなかった。

 

「先輩」

「何かしら」

「反応しないでください」

「何に?」

「甘い在庫の気配に」

「気配などと言われましても」

 

 先輩は涼しい顔をしている。

 でも絶対に反応していた。

 手続きが終わると、門が開く。

 金属がこすれる音がして、私たちは東門の内側へ入った。

 学校の中には、たくさんの人がいた。

 

 それだけで、胸の奥が少し緩む。

 

 校庭の端にはブルーシートが張られ、ポリタンクを運ぶ大人がいた。体育館の入口近くでは、小さな子どもが二人、声を殺してじゃんけんをしている。

 

 人の声がする。

 でも、大きくはない。

 

 誰かが大きなくしゃみをした。

 その瞬間、近くの人たちが一斉にそちらを見た。

 

 見られた人は、すぐに口元を押さえて小さく頭を下げた。

 私は、安心しかけた気持ちが少しだけ固まるのを感じた。

 

 ここには人がいる。水もある。寝床もある。

 でも、誰かが大きな音を発するだけ、全員に見られる場所でもある。

 

「匂いが違いますわね」

 

 先輩が言った。

 

「腐敗臭ですか?」

「いいえ。遠慮と我慢と、少しだけ隠した不満の匂いですわ」

「そういう匂いを嗅ぎ分けないでください」

 

 体育館の入口で、私たちは一人の女性と会った。

 

 四十代後半くらい。髪を後ろでまとめ、首から笛と鍵を下げている。服は普通のジャージだったけれど、立ち方に先生っぽさがあった。

 

「榊です。この学校の教頭をしていました。今は共同体のリーダーのようなものです」

 

 女性はそう名乗った。

 

「薬と衛生用品を出してくれたそうですね。助かります」

「いえ、少しだけなので」

「少しでも助かります」

 

 榊先生の声は落ち着いていた。

 けれど、顔色はあまり良くない。目の下に疲れが溜まっている。たぶん、眠れていない。

 

「ここでは、全員に同じルールを守ってもらっています。食料と水は配給制。外に出る時は許可制。発熱や体調不良があれば、すぐ申告してください」

「平等ですわね」

 

 そよぎ先輩が言う。

 

 榊先生は、少しだけ先輩を見た。

 

「平等にしないと、すぐ乱れます」

 

 その返事は、思っていたより重かった。

 

 そよぎ先輩は、少しだけ目を細める。

 

「壊れかけたものを、まだ壊れていないことにするのは大変でしょうね」

 

 榊先生の表情が、一瞬だけ止まった。

 でもすぐに戻る。

 

「空いている場所を案内します。由良さん」

「はい」

 

 さっきの受付の女子が、ノートを閉じてこちらへ来た。

 

「案内します」

 

 体育館の中は、学校の体育館のままではなかった。

 床にはブルーシートが敷かれ、段ボールで区切られた寝床がいくつも並んでいる。壁には紙が貼られていた。

 

『夜間は静かに』

『水は一人一日一本まで』

『発熱・咳・強いだるさは申告』

『勝手に外へ出ない』

 

 物資の箱。配給用の長机。子ども用スペース。絵本とぬいぐるみ。

 古い木の床。消毒液。湿った毛布。汗。薄いスープ。生きている人間の匂い。

 

 でも、甘い匂いはしなかった。

 

「避難所は、甘い匂いがしませんわね」

 

 先輩が小さく言った。

 

「そりゃ、避難所ですから」

「だからこそ、長居には向きません」

「判断が早い」

 

 そよぎ先輩は、体育館の壁に貼られたルールを眺めに行った。値札でも読むみたいに、一枚一枚を見ている。

 

 由良さんが、こちらをちらっと見た。

 

「自己紹介まだだったね。わたしは由良圭。ここでは外回りの手伝いとか、受付とか、雑用してる」

「森原《もりはら》織舞《しきぶ》です」

「モブ子じゃないんだ」

「そっちは先輩が勝手に呼んでるだけです」

 

 由良さんは少し笑った。

 

 普通の女子高生が、ちょっと変なあだ名を聞いて笑うみたいな反応。

 

 それだけで、変に安心した。

 

 由良さんは、そよぎ先輩の背中を見る。

 

「あの人、本当に避難しに来たの?」

「はい。たぶん」

「たぶんなんだ」

「本人は避難って言わないので」

「なんか、助けてほしいって顔じゃないよね」

「それは、すごくわかります」

 

 由良さんは声を落とした。

 

「あの人と一緒にいるの、疲れない?」

「疲れます」

「即答なんだ」

「でも、慣れました」

「それ、慣れていいやつ?」

「たぶん、よくないやつです」

 

 由良さんはまた少し笑った。

 

 案内された場所は、体育館の端だった。段ボールの仕切りと毛布が二枚置かれている。

 

「ここ、今は空いてるから。水はあとで配給があります。トイレは校舎の一階。ただし、夜は一人で行かないで」

「はい」

「あと、大きな声は出さないで。子どもが起きるし、外にも響くから」

「わかりました」

 

 私がうなずくと、いつの間にかそよぎ先輩が戻ってきていた。

 

「ルールが多い場所ですわね」

「人が多いからですよ」

「人が多いと、甘味も減りますわ」

「そこに戻るんですね」

 

 その時、体育館の入口近くで配給が始まった。

 薄いスープの匂いが少しだけ濃くなる。乾パン。アルファ米らしいもの。

 そして、子ども用スペースの方にだけ、小さな細長い袋が配られていた。

 

 羊羹だった。

 非常食用の、細い羊羹。

 

 そよぎ先輩の視線が、まっすぐそちらへ向かう。

 

「先輩」

「何かしら」

「子どもの羊羹を見ないでください」

「見ているだけですわ」

「スイーツを見る時の顔になってます」

「避難所における甘味の配分を観察しているだけです」

「言い方を変えても駄目です」

 

 子どもが羊羹の袋を開ける。小さな手で、少しずつかじっている。

 その顔が、ほんの少し明るくなった。

 

 それを見て、岡部さんがほっとしたように息を吐く。

 甘いもの。

 それは、ここではおやつではないのかもしれない。

 

 泣かないためのもの。黙っているためのもの。今日を終わらせるためのもの。

 

 私は、ポケットの飴を思い出した。

 あれを渡せなかった自分が、少しだけ後ろめたくなる。

 

 でも、渡せない。

 あれは私たちの命綱だ。

 

 体育館の外が少し騒がしくなったのは、そのあとだった。

 

 東門の方から、低い声が聞こえた。

 由良さんが顔を上げる。

 

「何かあったかも」

 

 私は、ポケットの飴を一度だけ指で確かめた。

 飴はまだある。

 

 でも、さっきより少し重く感じた。

 

 そよぎ先輩は、羊羹ではなく、体育館の外へ目を向けていた。

 

「行きますわよ、モブ子さん」

「……はい」

 

 私たちは、体育館を出て、東門の方へ向かった。

 

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