終末世界の迷惑在庫(ゾンビ)は即廃棄!〜人でなしお嬢様とモブ後輩は、世界が滅んでも甘いものが食べたい   作:オカノヒカル

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第14話 本日の受付は終了しましたわ

 

 体育館を出ると、夕方の空気が少し冷たくなっていた。

 

 校庭の端に張られたブルーシートが、風でかすかに揺れている。ポリタンクの横を、大人が一人、早足で通り過ぎた。

 

 さっきまで私は、子どもが羊羹をかじるところを見ていた。

 小さな手で、少しずつ食べる非常食用の羊羹。

 

 甘いものが、ここではおやつではないのかもしれないと、そう思ったばかりだった。

 

 泣かないためのもの。

 黙っているためのもの。

 今日を終わらせるためのもの。

 

 それなのに、東門の方から聞こえてくる声は、少しも甘くなかった。

 

「こっち」

 

 由良さんが小さく言って、先に歩き出した。

 そよぎ先輩は何も言わずについていく。

 

 私は、ポケットの飴を指先で確かめた。

 飴はまだある。

 でも、さっきより少し重く感じた。

 

 東門の近くには、何人かが集まっていた。

 戸倉さんが門の内側に立っている。反射ベストの上からでも、肩に力が入っているのがわかった。

 

 榊先生もいた。

 いつもの落ち着いた顔をしている。けれど、少しだけ口元が固い。

 

 門の外側には、男の人が一人いた。

 三十代か、四十代くらいだと思う。作業着の上着を羽織っていて、額が赤い。髪が汗で額に張りついている。

 

 その人は、中に入りたそうに門へ近づこうとしていた。

 

「噛まれてない。噛まれてないんだって」

 

 男の人が、かすれた声で言った。

 

「熱があるだけだ。昨日から少し具合が悪かっただけで……」

「申し訳ありません」

 

 榊先生が言った。

 

 声は落ち着いている。

 

 でも、苦しそうだった。

 

「発熱している方は、中に入れられません」

「だから、噛まれてないって言ってるだろ!」

 

 男の人の声が少し大きくなる。

 

 その瞬間、門の内側にいた人たちが、びくっとした。

 体育館の入口の方からも、こちらを見ている人がいる。

 

 戸倉さんが、金属棒を握り直した。

 

「声を落としてください」

「中に入れてくれよ。水だけでもいい。少し休ませてくれれば――」

「待機場所があります」

 

 横から、長谷川さんらしい女性が言った。

 

 まだちゃんと話したことはない。けれど、腕に体温計やメモの入った小さなポーチをつけている。保健室を担当している人だと、由良さんから聞いた気がする。

 

「そちらで様子を見ます。水も持っていきますから」

「外じゃないか」

 

 男の人の声が弱くなる。

 

「ここまで来たんだ。もう、すぐそこなのに」

 

 私は、何か言いかけた。

 でも、言葉は出なかった。

 

 ここまで来た。

 

 たしかに、すぐそこだった。

 

 門の内側と外側。

 距離だけなら、ほんの数歩しか違わない。

 でも、その数歩の間に、ものすごく厚い線が引かれている。

 

 戸倉さんは、門を開けなかった。

 榊先生も、開けろとは言わなかった。

 長谷川さんは、男の人を門から少し離れた待機場所へ案内しようとしている。

 誰も、意地悪をしているようには見えなかった。

 

 でも、中には入れない。

 由良さんが、私の隣で小さく言った。

 

「入れたら、中の人たちが怖がるから」

「……そう、ですよね」

「そうしないと、ここが保たない」

 

 冷たい言い方ではなかった。

 でも、冷たいことを言っていた。

 

 そよぎ先輩は、それを黙って見ていた。

 そして、少しだけ首を傾ける。

 

「棚に入れる前の検品ですわね」

「先輩、人に対して棚って言わないでください」

「では、入荷前確認」

「もっと駄目です」

 

 私は小声で止めた。

 けれど、完全に間違っているとも言い切れなかった。

 

 避難所は、受け入れる場所だ。

 でも同時に、入れる人と入れない人を分ける場所でもある。

 

 物を分けるために、人を分ける。

 先輩が昨日言っていた言葉が、嫌な形で頭に戻ってきた。

 

 長谷川さんが男の人に近づく。

 

「こちらへ。門の横に、少し離れた場所があります。そこで――」

 

 その時だった。

 校庭の外側、フェンス沿いの影から、何かが出てきた。

 

 最初は、人に見えた。

 ジャケットを着て、片足を引きずっている。近所の人だったのかもしれない。普通に歩いていたなら、どこにでもいそうな人だったのかもしれない。

 

 でも、顔の向きがおかしかった。

 首が少し傾いたまま、目だけがこちらを見ている。

 口が開いている。

 息ではない音が、喉の奥から漏れていた。

 

 ゾンビだった。

 

 戸倉さんが金属棒を構える。

 

「静かに! 音を立てるな!!」

 

 そう言った本人の声が、少し大きかった。

 そよぎ先輩が眉をひそめる。

 

「門番というより、呼び込み係ですわね」

「先輩、今それ言う場面じゃないです」

「事実確認ですわ」

「余計です」

 

 ゾンビは、ゆっくり近づいてくる。

 

 長谷川さんが、発熱している男の人を下がらせようとした。男の人は混乱していて、うまく動けない。

 そうこうしているうちにその人は噛まれて……いや、この場合は喰われてしまうと言った方がいいだろう。

 断末魔のような叫び声があたり一面に響き渡る。

 

 戸倉さんが門の内側から棒を突き出そうとする。

 

 けれど、バリケードの位置が邪魔だった。

 

 机とロッカーを組み合わせた簡易バリケードは、外から中へ入られにくくするためのものだ。

 でも、内側から外へ何かをする時にも邪魔になる。

 

 ゾンビの腐った腕が、バリケードの隙間へ伸びた。

 由良さんが、一歩下がる。

 でも、後ろには受付用の机があった。

 

 足が机の脚にぶつかり、由良さんの体が少し傾く。

 

「由良さん!」

 

 私は反射的にポケットへ手を入れた。

 

 飴。

 

 指先に、小さな袋の感触が触れる。

 口に入れれば、結界を張れる。

 

 イートインの結界。

 

 私たちの周りに、安全地帯ができる。

 由良さんを守れるかもしれない。

 戸倉さんも、長谷川さんも、門の内側にいる人たちも、少しの間なら守れるかもしれない。

 

 でも。

 ここで使ったら。

 この人たちに見られる。

 

 飴を食べると、安全な場所ができる。

 そんなことを知られたら、どうなるのだろう。

 

 私は、さっき受付で飴を押さえた自分の手を思い出した。

 これは渡せません、と言った。

 ただの飴じゃないんです、と言った。

 

 理由は言えなかった。

 

 今も、言えない。

 言えないまま、使うこともできない。

 

 手の中で、飴の袋が汗で湿っていく。

 

「モブ子さん」

 

 そよぎ先輩が、小さく言った。

 

「まだですわ」

 

 先輩は一歩前へ出た。

 戸倉さんが鋭く言う。

 

「下がれ!」

「騒がしいですわね」

「危ない!」

「危ないのは、そちらの管理です」

 

 ゾンビの腕が、バリケードの内側へさらに入った。

 

 由良さんの肩が強張る。

 

 長谷川さんがのけぞるように逃げる。

 戸倉さんの棒が、机の端に当たって鈍い音を立てた。

 次の瞬間。

 そよぎ先輩が、指を持ち上げた。

 

「本日の受付は終了しましたわ」

 

 パチン。

 

 乾いた音が、東門に響いた。

 ゾンビの腕が、ほどけた。

 腕だけではない。

 

 肩。

 胸。

 頭。

 足。

 

 輪郭がぼろぼろ崩れて、灰色の粉みたいに空気へほどけていく。

 数秒前までそこにいたものが、最初からいなかったみたいに消えた。

 残ったのは、地面に落ちた古い靴だけだった。

 

 東門が、静まり返った。

 

 誰もすぐには動かなかった。

 

 風が、バリケードの隙間を抜けていく。

 

 さっきまでそこにいたゾンビは、もういない。

 残っているのは、古い靴と、灰みたいなものだけ。

 

 そよぎ先輩は、何もしていないみたいな顔で立っていた。

 いや、何もしていない顔ではない。

 ケーキ屋のショーケースに残った古いクリームを見て、「これは廃棄ですわね」と判断した時と同じ顔だ。

 

 それが一番まずかった。

 

 人が見ている。

 

 戸倉さんが見ている。

 榊先生が見ている。

 由良さんも見ている。

 長谷川さんも、門の外の男の人も、遠巻きにこちらを見ていた避難所の人たちも。

 

 私は、ポケットの中で飴を握ったまま、指先に汗をかいていた。

 

 私の方は、まだバレていない。

 

 飴を口に入れていない。

 結界も張っていない。

 ただ、握っていただけだ。

 

 それなのに、心臓はうるさかった。

 

 体育館の方から、何人かが顔を出しかけていた。

 

 榊先生が、最初に動いた。

 

「中に戻ってください」

 

 低い声だった。

 でも、よく通る。

 

「大丈夫です。東門は問題ありません。中に戻ってください」

 

 その声は落ち着いていた。

 

 けれど、榊先生の手は、首から下げた笛を強く握っていた。

 問題ありません、という言葉を、問題が起きた直後に言える人なのだと思った。

 

 それが、少し怖い。

 

 体育館の入口にいた人たちは、完全には納得していない顔で、それでも少しずつ戻っていった。

 

 子どもの声が、小さく遠ざかる。

 水を運ぶ音が止まり、また動き出す。

 避難所の朝でも夜でもない、夕方のざわめきが、少しずつ戻ってくる。

 

 でも、東門の内側だけは、まだ止まっていた。

 

「今のは何だ」

 

 戸倉さんが、金属棒を構えたまま言った。

 

 声が硬い。

 

「手品じゃないだろ」

「期限切れを、少々片付けただけですわ」

 

 そよぎ先輩は、当たり前みたいに答えた。

 この人は本当に、当たり前みたいに答える。

 だから余計に、説明にならない。

 

「期限切れ?」

「ええ」

「何を言ってる」

「文字通りですわ」

 

 戸倉さんの顔が歪む。

 いや、戸倉さんだけじゃない。

 長谷川さんも、何か言いたそうにしている。

 

 でも、誰もすぐには言葉にできない。

 由良さんが、私の方を見た。

 

「あれ、前から?」

 

 小さな声だった。

 私は答えられない。

 

 前から、と言えばいいのか。

 世界が終わってから、と言えばいいのか。

 私にもよくわかっていません、と言えばいいのか。

 

 どれも、言っていい気がしなかった。

 それに、本当に答えたくないことは、そこではなかった。

 

 私の飴のこと。

 私が、さっき何をしようとしていたのか。

 そこには誰も気づいていない。

 

 榊先生が、短く息を吐いた。

 それから、そよぎ先輩を見た。

 

「場所を変えましょう。ここでは話せませんよね?」

「話す必要が?」

 

 先輩が首をかしげる。

 

「あります」

 

 榊先生は、きっぱり言った。

 その声は静かだった。

 

 でも、逃げ道のない言い方だった。

 そよぎ先輩は少しだけ目を細めた。

 面白がっている顔だった。

 

「では、聞くだけなら」

 

 私は、ポケットの中の飴を握ったまま、何も言えなかった。

 さっきまで、避難所には甘い匂いがしないと思っていた。

 今は、それどころではなかった。

 

 甘い匂いの代わりに、古い靴と灰の匂いが、東門のそばに残っていた。

 

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