終末世界の迷惑在庫(ゾンビ)は即廃棄!〜人でなしお嬢様とモブ後輩は、世界が滅んでも甘いものが食べたい   作:オカノヒカル

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第16話 外回り班と、甘味優先ルートですわ

 

 朝の避難所に、甘い匂いはなかった。

 

 配られたのは、薄い粉末スープと、少しだけ柔らかくなったアルファ米。それから乾パンが二枚。

 昨日の非常食羊羹はない。

 

 当たり前だ。

 

 あれは、毎朝気軽に配られるおやつではない。泣きそうな子どもを落ち着かせたり、外回り班をなだめたり、空気が悪くなった時に少しだけ甘くするための、避難所の切り札だ。

 

 わかっている。

 

 でも、口の中が少し寂しい。

 

「朝に甘味がないのは、避難所運営として減点ですわね」

 

 隣でそよぎ先輩が、乾パンを見下ろしながら言った。

 

「朝から甘味が出る避難所の方が少ないと思います」

「それは運営努力が足りませんわ」

「世界が終わってるんですよ」

「だからこそ、甘味が必要なのです」

 

 先輩は、乾パンをひとかけら口に入れた。

 

 かり、と乾いた音がする。

 

「噛むほどに口内の水分を奪う、非常に攻撃的な保存食ですわね」

「乾パンまで採点しないでください」

「甘味ではありませんから、参考記録ですわ」

「参考記録もいりません」

 

 私が小さくため息をつくと、近くにいた由良さんが少し笑った。

 

 体育館の朝は、夜より少しだけ明るい。

 でも、楽なわけではない。

 毛布を畳む人。水の配給に並ぶ人。子どもの髪を指で整える母親。眠そうな顔で壁にもたれているおじいさん。咳をした人を、ちらりと見る視線。

 

 安全な場所。

 

 でも、みんなが少しずつ我慢している場所。

 その隅で、外回り班の準備が始まっていた。

 

 戸倉さんが地図を広げている。

 由良さんがリュックに手袋やビニール袋を詰めている。

 もう一人、三枝さんという大人の男性が、折りたたみコンテナを確認していた。細身で、どこか事務仕事の人っぽい。けれど、バールを持つ手だけは、妙に力が入っている。

 

 榊先生が、私たちのところへ来た。

 

戦技(そよぎ)さん。昨日お話しした外回りの件です」

「ええ。ケーキ店でしたわね」

「物資回収です」

 

 榊先生は、すぐ訂正した。

 

「北町通りの店舗を確認します。主な目的は、水、缶詰、紙皿、ラップ、乾電池、使えそうな燃料。それから厨房に残っている粉や砂糖です」

「粉と砂糖」

 

 そよぎ先輩の目が少しだけ動く。

 

「ケーキの基礎ですわね」

「避難所の備蓄です」

「使い道は食べる人間が決めますわ」

「避難所で決めます」

 

 榊先生は、疲れた顔で、それでもきっぱり言った。

 

 この人も大変だ。

 そよぎ先輩相手に、真面目に会話を成立させようとしている。

 

「戦技さんには、危険があった時の対応をお願いしたいと思っています。昨日のように、外で危険なものが近づいた時、対応できるなら助かります」

 

 榊先生は、そこで言葉を止めた。

 たぶん、言い方に気をつけている。

 

 便利な道具みたいに扱ってはいけない。

 でも、力は借りたい。

 

 その二つの間で、言葉を選んでいるように見えた。

 

「危険がなければ、わたくしはケーキ店を観察していてもよろしいのかしら」

 

 戸倉さんが地図から顔を上げた。

 

「物資回収が先だ」

「ケーキ店も物資ですわ」

「違う」

「違いません。精神の備蓄です」

「何だそれは」

「甘味のことです」

「最初からそう言え」

「言いましたわ」

 

 私は頭が痛くなってきた。

 

「先輩、その会話、たぶん一生噛み合いません」

 

 榊先生は、私の方を見た。

 

「森原さん」

「はい」

「あなたにも同行してもらいたいと思っています」

「え、私もですか?」

 

 思わず声が裏返った。

 戸倉さんも、少し眉を寄せる。

 

「守地さんは戦えないだろ」

「戦うためではありません」

 

 榊先生は、落ち着いた声で言った。

 

「戦技さんに同行してもらうなら、守地さんにもいてもらった方がいいと判断しました」

「どういう意味ですか」

「あなたが一番、戦技さんの言葉をこちらに翻訳できるように見えます」

「先輩は外国語じゃないんですけど」

「失礼ですわね」

 

 そよぎ先輩が、なぜか誇らしげに胸を張る。

 

「わたくしは難解な古典文学ですわ」

「余計に面倒じゃないですか」

「読み解く価値があるということです」

「解読前提なんですね」

 

 戸倉さんが、ものすごく嫌そうな顔をした。

 

「面倒だな」

「そうなんです」

 

 私はつい同意してしまった。

 

 そよぎ先輩が私を見る。

 

「あら、モブ子さん?」

「すみません。本音が出ました」

「よろしい。本音は鮮度が大切ですわ」

「許され方も面倒くさい」

 

 そよぎ先輩は、そこで榊先生に向き直った。

 

「それに、モブ子さんが同行しないなら、わたくしも行きませんわ」

 

 戸倉さんが即座に聞く。

 

「理由は」

「食レポには観測者が必要ですもの」

「食レポをしに行くな」

「では、危険対応には記録者が必要ですもの」

「言い換えただけだろ」

「より社会的になりましたわ」

 

 榊先生は、少しだけ考えてから、うなずいた。

 

「森原さんには、記録係と軽い物資確認補助をお願いします。危険な場所には近づかないでください」

「あ、はい」

 

 記録係。

 翻訳係。

 そよぎ先輩という手綱を握る者。

 

 戦力ではない。

 でも、先輩の隣にいる理由が、また一つ増えた。

 

 それがいいことなのか、悪いことなのかは、まだわからない。

 

 東門で、出発前の確認が行われた。

 戸倉さんが地図を指で叩く。

 

「大声を出さない。勝手に走らない。店内では二人以上で動く。危険があれば即撤退。物資は指定されたものから回収する。日没前には必ず戻る」

 

 そよぎ先輩は、退屈そうに聞いている。

 

「聞いているのか」

「ええ。お菓子売り場へ単独突入しない、という話でしょう」

「要約が最悪です」

 

 私がすぐに言うと、戸倉さんが深く息を吐いた。

 

「森原さんも、本当に頼むぞ」

「私に頼まれても困るんですけど」

「戦技さんを止められるのは、あんたくらいに見える」

「止められるというか、たまに減速させるくらいです」

「それでもいい」

 

 それでもいいんだ。

 

 避難所の人たちにとって、そよぎ先輩はもう、危険だけど使えるものになりつつある。

 それが少し嫌だった。

 由良さんが、私の横に来たので話しかけてみた。

 

「外、久しぶり?」

「たまに物資回収班に回される」

「じゃあ、慣れてるんだ。怖くはない?」

 

 由良さんはリュックの肩紐を直しながら、小さく言った。

 

「怖いに決まってるでしょ。でも、今回は戦技さんがいるから平気かな」

 

 まあ、彼女の安心に一役買っているのなら、先輩も役には立っているのだろう。

 

 そういえば私は、初日以外は恐怖を感じたことはなかったかな。

 怖いのは、先輩に引っ張られて自分の倫理観が壊れていくこと。

 

 東門が開いた。

 

 朝の空気が、避難所の中へ流れ込んでくる。

 私たちは、北町通りへ向かって歩き出した。

 

 道は静かに見えた。

 

 でも、本当に静かなわけではない。

 

 遠くで何かが倒れる音がする。

 風で看板が揺れる。

 どこかの家の庭で、物干し竿が壁に当たっている。

 

 外回り班は、思っていたより慎重だった。

 

 戸倉さんが先頭。

 三枝さんが後ろ。

 由良さんと私は真ん中。

 そよぎ先輩は、少し横を歩いている。

 

 横を歩いているのに、なぜか一番目立つ。

 

 優雅な歩き方。

 そして、周囲を見ているようで、店の看板ばかり見ている目。

 

 戸倉さんが足を止め、手で合図する。

 

 前方に、ゾンビが一体いた。

 道の端で、シャッターの閉まったクリーニング店の前をうろうろしている。

 戸倉さんは慎重に迂回しようとした。

 

 その足音が、少し大きい。

 

「その足音、野犬を招待していますわ」

 

 そよぎ先輩が小さく言った。

 

 戸倉さんが振り返る。

 

「普通に歩いてるだけだ」

「普通に歩くと死ぬ世界になりましたのよ」

「先輩、正論を嫌な言い方で出さないでください」

 

 私は小声で止める。

 

 少し進んだところで、戸倉さんが懐中電灯を取り出した。まだ昼間だが、店舗の奥を見るためだろう。

 彼はライトを左右に振った。

 

「ライトを振るのは、ここに晩餐がありますと告げているようなものです」

 

 まあ、ゾンビは音だけじゃなくて光の刺激にも反応するから先輩の言うことは間違ってはいない。

 

「照らさないと見えないだろ」

「照らすのと振り回すのは違いますわ」

 

 戸倉さんのこめかみがぴくりと動く。

 由良さんが、笑いそうになって、ぎゅっと口を閉じた。

 戸倉さんは不機嫌そうだった。

 

 でも、その後は足音を少し気にしていた。

 ライトの向きも、必要な場所だけに絞るようになった。

 

 腹立つけど、役には立っている。

 

 それが、そよぎ先輩の困るところだ。

 

 途中、シャッターの下りた花屋の前で短い休憩を取った。

 

 戸倉さんと三枝さんは周囲確認。

 そよぎ先輩は、少し離れた場所で商店街の看板を観察している。

 

 私は由良さんと並んで、自販機の陰に立った。

 

 自販機はもう動いていない。

 表示も消えている。

 それなのに、まだ飲み物の写真だけは明るくて、余計に喉が渇く。

 

「森原さんって、学校どこ?」

 

 由良さんが、何気なく聞いた。

 

「桂明です」

「あ、桂明なんだ。うちの友達、そこ受けようとしてた」

「そうなんですか」

「結局、別のとこ行ったけど。制服かわいいって言ってた」

 

 私は、自分の制服を見下ろした。

 

 汚れている。

 裾は少し擦れている。

 袖には、どこでついたのかわからない黒い跡がある。

 

「今は、だいぶかわいくないですけどね」

 

 由良さんも、自分の服を見る。

 

 制服の上に避難所で借りたパーカーを羽織っていて、足元はスニーカーだった。

 制服なのか私服なのか、よくわからない格好になっている。

 

「それはお互い様」

 

 私たちは、少しだけ笑った。

 

 こういう笑い方をしたのは、久しぶりな気がした。

 

「こうなる前はさ、学校帰りにコンビニとか寄ったりしてた?」

「寄ってました。買うつもりなくても、限定って書いてあると見ちゃうんですよね」

「わかる。あと、友達が新作アイス買うと、自分も欲しくなる」

「私は、みんなが買うなら合わせて買うタイプでした」

「あー、わかる。いらないって言ったあとで、やっぱ一口ちょうだいってなるやつ」

「それ、言われる側でした」

「じゃあ優しい方だ」

「断れない方です」

 

 由良さんが笑う。

 

 私は少しだけ、肩の力が抜けた。

 

 学校帰り。

 コンビニ。

 新作アイス。

 一口ちょうだい。

 

 どれも、ほんの少し前まで普通だった言葉だ。

 

 今は、ゾンビのいる道で、止まった自販機の横で、外回り班の休憩中に話している。

 それでも、話せることがある。

 

「避難所にいるとさ」

 

 由良さんが、自販機の写真を見ながら言った。

 

「甘いものって、ただのおやつじゃなくなるんだよね」

「昨日の羊羹ですか」

「うん。子どもに配ると静かになるし、大人も少しほっとする。でも、だから余計に、誰に出すかで空気悪くなる」

 

 私は、昨日の隠し甘味のことを思い出した。

 

 子どもが「まだあったの」と言った時の、岡部さんの顔。

 そよぎ先輩の「甘味は隠すと腐りますわ」という声。

 

「甘いものなのに、重いですね」

「ほんとそれ。コンビニで買ってた時は、そんなこと考えなかった」

「私もです。新作かどうかとか、クリーム多いかとか、そのくらいでした」

「今それ言えるの、ちょっといいね」

「いいんですかね」

「わかんない。でも、いいなって思った」

 

 由良さんは、それ以上は言わなかった。

 

 でも、なんとなく伝わった。

 甘いものを、まだ甘いものとして見られること。

 それは、もしかしたら少し贅沢なのかもしれない。

 

 戸倉さんが戻ってきた。

 

「行くぞ。休憩は終わりだ」

「はいはい」

 

 由良さんが返事をして、それから私にだけ聞こえる声で言った。

 

「外回り班、こういうとこだけ部活っぽいんだよね」

「顧問が怖い部活ですね」

「遠征先がゾンビだらけだけど」

「廃部にした方がいいです」

 

 由良さんは、声を殺して笑った。

 私も少し笑う。

 たぶん、少しだけ仲良くなれたような気がした。

 

 北町通りに入ると、古い個人店が並んでいた。

 

 シャッターの閉まった薬局。

 花屋。

 クリーニング店。

 小さな喫茶店。

 窓の割れたパン屋。

 

 その少し先に、目的地があった。

 

『Patisserie Mimosa』

 

 白と淡い黄色の外装。

 看板には、小さな黄色い花の絵が描かれている。

 

 パティスリー・ミモザ。

 入口のガラスにはひびが入っていたが、完全には壊れていない。店内は薄暗い。

 

 そよぎ先輩が、看板を見上げた。

 

「ミモザ」

「花の名前ですかね」

「ええ。黄色い小さな花ですわ。春の気配を売りたい店名ですわね」

「店名レビューから入るんですね」

「店名は入口の味ですもの」

 

 戸倉さんが、バールを構えた。

 

「中を確認する。目的は厨房だ。粉、砂糖、ラップ、紙皿、燃料、飲料水。余計なものに触るな」

 

 そよぎ先輩が微笑む。

 

「戦技さんには入口側の警戒をお願いしたい」

 

 戸倉さんが言う。

 先輩はうなずいた。

 

「入口には、たいていショーケースがありますものね」

「先輩、目的を隠してください」

「隠しておりませんわ。警戒範囲にショーケースが含まれているだけです」

 

 由良さんが、私を見る。

 

「大丈夫?」

「大丈夫じゃない時ほど、先輩は楽しそうです」

「それ、大丈夫じゃないじゃん」

「そうです」

 

 戸倉さんが、ひびの入った入口のガラス戸に手をかける。

 扉が、ゆっくりと開いた。

 薄暗い店内の奥で、ガラスのショーケースがぼんやり光って見えた。

 

 私は嫌な予感しかしなかった。

 

 

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