終末世界の迷惑在庫(ゾンビ)は即廃棄!〜人でなしお嬢様とモブ後輩は、世界が滅んでも甘いものが食べたい   作:オカノヒカル

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第19話 わたくしたちは在庫ではないですわ

 

 朝の体育館は、まだ薄暗かった。

 

 窓に貼られた段ボールの隙間から、細い光が入っている。

 

 誰かが毛布を畳む音。

 子どもが小さくくしゃみをする音。

 水の配給に並ぶ人たちの足音。

 

 避難所の一日は、私たちが思っていたより早く始まる。

 

 私はリュックの中身を確認した。

 

 水。

 少しの食料。

 ハンカチ。

 小さな袋。

 そして、ポケットの飴。

 

 残りは、もう少ない。

 

 避難所にいれば、水はもらえる。

 寝る場所もある。

 人もいる。

 

 でも、私の飴は、私が守らなければならない。

 

 この飴がなければ、移動中に結界を張れない。

 そして、この飴の本当の意味を、避難所の人たちは知らない。

 

 知らないままでいい。

 

「モブ子さん」

 

 そよぎ先輩が、体育館の入口近くに立っていた。

 掲示板を見ている。

 

「はい」

「こちらをご覧なさい」

「また当番表ですか?」

「ええ」

 

 昨日、そよぎ先輩が勝手に書き換えた当番表は、もう岡部さんに消されている。

 

『戦技さん:甘味巡礼』

『守地さん:観測係』

 

 その文字はない。

 

 ないけれど、鉛筆の跡だけは、うっすら残っていた。

 

「まだ見てるんですか」

「消された棚札にも、歴史がありますもの」

「避難所の当番表に歴史を感じないでください」

「名残というのは大切ですわ。たとえ消されても、そこに置かれかけた事実は残ります」

「朝から嫌なこと言いますね」

 

 そよぎ先輩は、少しだけ笑った。

 その時、体育館の入口に戸倉さんが現れた。

 

 昨日よりも顔が硬い。

 

 目の下にクマがある。

 あまり眠っていないのかもしれない。

 

「戦技さん」

「何かしら」

「出る前に、渡すものがある」

 

 戸倉さんの声は低かった。

 

「渡すもの?」

 

 私が聞き返す。

 

「出る前に、餞別を渡す。水と乾パン。それから……少しだけ甘いものもある」

「甘いもの」

 

 そよぎ先輩の目が、ほんの少しだけ動いた。

 

「先輩、そこだけ拾わないでください」

「重要な部分ですわ」

「重要ですけど、釣られすぎです」

「甘味の前で冷静でいられるほど、わたくしは未熟ではありませんわ」

「未熟じゃないですか」

「甘味は7つの大罪には入りません」

「思いっきり暴食なんですけど」

 

 戸倉さんは、私たちのやり取りに付き合う気はないらしい。

 

「倉庫に置いてある。岡部さんは朝の配給で手が離せない。俺が案内する」

「岡部さんじゃないんですね」

 

 私は、思わず言った。

 

 物資のことなら、岡部さんが出てきそうなものだ。

 戸倉さんは、表情を変えずに答えた。

 

「鍵だけ預かった。時間は取らせない」

 

 嘘ではないのかもしれない。

 

 朝の避難所は忙しい。

 岡部さんは水と食料の配給で手がいっぱいだろう。

 出発用の餞別を、倉庫に分けて置いてあるのも変ではない。

 

 でも、何かが引っかかった。

 

 完全な嘘ではないからこそ、引っかかる。

 

 そよぎ先輩は、薄く笑った。

 

「出発前の餞別甘味ですわね」

「餞別物資です」

 

 私は訂正する。

 

「甘味限定にしないでください」

「餞別に甘味が含まれるなら、そこが中心ですわ」

「先輩の中心がいつも甘い」

「結構なことではなくて?」

「たぶん褒めてません」

 

 私たちは、戸倉さんについて体育館を出た。

 

 朝の避難所は、昨日までより少しだけ見慣れていた。

 

 水の配給に並ぶ人たち。

 眠そうな顔で毛布を抱える子ども。

 配給表を見ながら、誰かに短く指示を出している岡部さん。

 保健室の方へ歩いていく長谷川さん。

 誰かに呼び止められて、足を止める榊先生。

 

 由良さんの姿は見えなかった。

 

 まだ寝床の片付けか、外回り班の手伝いをしているのかもしれない。

 

 ここには生活がある。

 

 きれいな場所ではない。

 楽な場所でもない。

 でも、みんなが朝を始めている。

 

 水があって、寝床があって、人がいる。

 

 私は、ここを出るのだと思った。

 

 自分で決めたわけではない。

 そよぎ先輩が「明朝、ここを出ます」と言った。

 私はそれに従うつもりで荷物をまとめた。

 

 でも、本当にそれでいいのか。

 

 由良さんに聞かれたことを思い出す。

 

 森原さんは、どうしたいの?

 

 答えはまだ出ていない。

 

 答えが出る前に、私たちは倉庫の前に着いた。

 

 そこは校舎一階の奥、体育館から少し離れた場所だった。

 

 重い金属製の引き戸。

 外側に鍵穴がある。

 内側には、たぶん取っ手だけ。

 

 学校の備蓄倉庫らしい。扉の上には、色あせた紙で『防災備蓄』と書かれていた。

 

 戸倉さんが鍵を差し込む。

 

 古い金属音がした。

 

 ガチャリ。

 

 扉が開くと、湿った段ボールの匂いがした。

 

 倉庫の中は暗い。

 戸倉さんが懐中電灯を向ける。

 

 棚には、段ボール箱がいくつも積まれている。

 

 毛布。

 簡易トイレ用品。

 古い乾パンの箱。

 水のペットボトル。

 カセットボンベ。

 使い捨て手袋。

 何に使うのかわからないロープ。

 

 その手前に、小さな箱が一つ置かれていた。

 

 戸倉さんは、その箱を指差した。

 

「これだ」

 

 箱の中には、水のペットボトルが二本。乾パン。経口補水粉末。絆創膏が少し。あと、小さな保存菓子が一つ入っていた。

 

 たしかに、出発用の物資だった。

 

 完全な嘘ではない。

 

 だからこそ、少し嫌だった。

 

「餞別としては、やや乾いていますわね」

 

 そよぎ先輩が乾パンを見て言う。

 

「乾パンですからね」

「甘味の気配が薄いですわ」

「桃缶がありますよ」

「桃缶は果物系甘味としては優秀ですが、餞別としてはもう一声欲しいところです」

「もらう前から採点しないでください」

 

 私は箱の中身を見ながら、メモを取るべきか迷った。

 

 もう記録係ではない。

 当番表からも消された。

 

 でも、つい数えそうになる。

 

 水が二本。

 乾パン。

 経口補水粉末。

 絆創膏。

 桃の缶詰。

 保存菓子。

 

 避難所にいる間に、私も少しだけここに馴染みかけていたのかもしれない。

 

 戸倉さんは、倉庫の入口近くに立っていた。

 

 私たちの方ではなく、扉の方に体を向けている。

 

 そよぎ先輩が、ゆっくり顔を上げた。

 

「戸倉さん」

「何だ」

「餞別を渡す方は、普通、出口を背に立ちませんわ」

 

 戸倉さんは答えない。

 私の背中に、冷たいものが走った。

 

「戸倉さん?」

 

 戸倉さんは、少しだけ目を伏せた。

 

「……少し、ここで待ってくれ」

「何をですか」

「榊先生にも来てもらう。もう一度、話をする」

 

 話。

 

 その言葉が、嫌な形に聞こえた。

 そよぎ先輩は、鋭い目で扉を見ていた。

 

「どういうことかしら?」

 

 戸倉さんの肩が、ほんの少し動いた。

 

「出て行く前に、話す時間くらいはあるだろう」

 

 そう言って、戸倉さんは外へ出た。

 

 次の瞬間。

 

 ガチャリ。

 

 外側から鍵が回る音がした。

 

 私は、一瞬、何が起きたのかわからなかった。

 

「……え?」

 

 扉へ駆け寄る。

 内側の取っ手を引いた。

 開かない。

 もう一度引く。

 

 開かない。

 

 金属の扉は、重く、冷たく、びくともしなかった。

 

「先輩」

「何かしら」

「閉じ込められました」

 

 そよぎ先輩は、驚いていなかった。

 むしろ、倉庫の扉を見て、少しだけ満足そうにしている。

 

「ええ。ようやく本音が鍵の形になりましたわね」

「そんな綺麗に言わないでください。普通に最悪です」

 

 私は扉を叩いた。

 

「戸倉さん!」

 

 外から、少し遅れて声が返ってきた。

 

「少し待ってくれ」

「待つって何をですか!」

「榊先生が来るまでだ。話し合うだけだ」

「話し合うのに鍵をかけるんですか!」

 

 外は一瞬、静かになった。

 それから、戸倉さんの声がした。

 

「出て行かれたら、話せないだろ」

 

 その言葉で、私の中の何かが、すっと冷えた。

 

 ああ。

 

 そういうことなのか。

 

 この人たちは、私たちを殺したいわけじゃない。

 傷つけたいわけでもない。

 たぶん、本気で助けてほしいと思っている。

 

 でも、鍵をかけた。

 

 私たちが出て行くと言ったから。

 引き留められないと思ったから。

 

 だから鍵をかけた。

 

 それは、だめだ。

 

「話したいなら、扉を開けたまま話せばいいじゃないですか」

 

 声が出た。

 思っていたより、低い声だった。

 

「残ってほしいって、昨日ちゃんと言ってましたよね。助けてほしいって、みんなで言ってましたよね」

 

 外から返事はない。

 

「それを聞いて、先輩は断ったんです」

 

 私は、取っ手を握ったまま言った。

 

 金属は冷たかった。

 力を入れても、扉はびくともしない。

 

「断られたからって、鍵をかけるのは違うじゃないですか」

 

 扉の向こうで、戸倉さんが息を呑んだ気がした。

 

「もう一度話したいなら、もう一度お願いすればよかった。待つなら、廊下で待てばよかった。榊先生を呼ぶなら、私たちを閉じ込めなくてもよかった」

 

 言葉が、止まらなかった。

 

 自分でも驚くくらい、次から次へと出てきた。

 

「なのに、どうして逃げ道を塞ぐんですか」

 

 外は静かだった。

 

「それは、お願いじゃないです」

 

 私は額を扉に近づけた。

 

 金属の匂いがする。

 倉庫の湿った段ボールの匂いもする。

 

「残ってほしいって言葉を、残るしかない形に変えちゃだめでしょう」

 

 声が少し震えた。

 

 怒っているのか、怖いのか、自分でもよくわからなかった。

 

「安全な場所だと思ったのに」

 

 それは、叫びではなかった。

 小さく漏れただけだった。

 でも、自分で言ってから、胸が痛くなった。

 

 水があった。

 寝床があった。

 人がいた。

 由良さんがいた。

 

 私は、ここに残れるかもしれないと思った。

 

 普通の話ができる相手がいて、朝の水配りがあって、夜の寝床があって。

 そよぎ先輩から少し離れて、普通の女子高生に戻れる場所なのかもしれないと、ほんの少し思った。

 

 でも、閉じ込められた。

 安全な場所の扉が、内側から開かなかった。

 

「モブ子さんが怒っていますわ」

 

 そよぎ先輩が言った。

 

「怒りますよ、普通!」

「ええ。普通の怒りですわね。よろしいと思います」

「褒められても嬉しくないです」

「けれど、必要な怒りですわ」

 

 その声だけは、少し真面目だった。

 私は扉から手を離し、先輩を見た。

 

「先輩」

「何かしら」

「どうしましょう?」

「出ますわ」

「え? どうやってですか?」

 

 倉庫の扉は外から鍵がかかっている。

 内側には取っ手しかない。

 窓はない。

 壁は厚い。

 棚には水や乾パンや毛布があるけれど、扉を壊せそうなものはない。

 

 そよぎ先輩は、金属扉に近づいた。

 

 指先で、内側の取っ手を軽く撫でる。

 

「食品以外に使う趣味はありませんけれど」

「はい?」

「物にも、使い頃というものはありますわ」

 

 嫌な予感がした。

 

 いや、嫌というより、知らない予感だった。

 

「先輩、それ……能力の解釈として大丈夫なんですか?」

「大丈夫かどうかは、使ってから考えます」

「その発想で世界を広げないでください」

「広げませんわ」

 

 そよぎ先輩は、扉に指を添えた。

 

「戻すだけです」

 

 倉庫の中が、少しだけ静かになった気がした。

 

 遠くの体育館のざわめきも、廊下の足音も、扉の向こうの戸倉さんの気配も、少しだけ遠のく。

 

 先輩の声が、低く響いた。

 

「鍵がかかる前のあなたに、戻りなさいませ」

 

 パチン。

 

 指を鳴らす音。

 

 ケーキの苺の賞味期限を取り戻す時と、同じ音。

 でも、今度は目の前にあるのはケーキではない。

 

 人でもない。

 

 ただの扉だ。

 

 何かが光ったわけではなかった。

 錆が消えたわけでもない。

 凹みが直ったわけでもない。

 

 扉は古いままだった。

 

 古い金属の匂いも、重さも、そのまま。

 

 けれど。

 

 カチャン。

 

 扉の奥で、金具が跳ねる音がした。

 外から回されたはずの錠が、かかる前の位置へ戻ったみたいに。

 

 私は、恐る恐る取っ手を引いた。

 

 扉が動いた。

 

「……今、扉に使いました?」

「使えましたわね」

 

 そよぎ先輩は、当たり前みたいに言う。

 

「さらっと世界観が広がったんですけど」

「広がったのではありません。戻ったのです」

「そういう屁理屈で能力を拡張しないでください」

「何にでも使えるとは限りませんわ」

 

 先輩は、開きかけた扉を見た。

 

「今回は、この扉がまだ“鍵がかかる前の自分”を覚えていただけです」

「扉に記憶を持たせないでください」

「物は案外しつこく、自分の役目を覚えていますわ」

 

 その言い方が、少しだけ引っかかった。

 物が、自分の役目を覚えている。

 

 なら、人は?

 人だったものは?

 

 ゾンビになったものは、自分が人だったことを覚えているのだろうか。

 

 そう思いかけて、私は首を振った。

 

 今考えることじゃない。

 

 扉は開いた。

 私たちは、倉庫の外へ出た。

 そこには、戸倉さんがいた。

 

 彼は、扉が開いたことを理解できていない顔でこちらを見ていた。

 

「なっ……」

 

 そよぎ先輩は、いつも通りだった。

 

「鍵の鮮度が落ちていましたわ」

「鍵に鮮度はないです」

「では、使い頃を過ぎていましたのね」

「もっとないです」

 

 戸倉さんは、私たちを止めようと一歩前に出た。

 

「待て。まだ話は――」

 

 そよぎ先輩が、静かに言った。

 

「話すために鍵をかける方とは、あまり会話の味が合いませんわ」

 

 戸倉さんの顔が歪んだ。

 怒りなのか、焦りなのか、後悔なのか、わからない。

 

「俺は、避難所を守るために――」

「守るものが多いと、倫理観の鮮度が落ちますのね」

 

 そよぎ先輩は、戸倉さんを責めるでもなく、ただ見ていた。

 

 私は、ようやく息を吸った。

 

 倉庫の外の空気は、少し埃っぽかった。

 でも、閉じ込められていた時よりずっとましだった。

 

 廊下の向こうから、足音が聞こえた。

 

 走ってくる音。

 榊先生の声がした。

 

「戸倉さん!」

 

 その声は、今まで聞いた中で一番強かった。

 

 戸倉さんが振り返る。

 

 榊先生が廊下の向こうから駆けてくる。

 その後ろに、岡部さんと長谷川さんの姿も見えた。

 

 私は、開いた倉庫の扉を見た。

 

 水。

 乾パン。

 餞別の箱。

 閉じ込めるために使われた扉。

 

 そして、外へ戻った私たち。

 

 その時、私ははっきりと思った。

 

 もう、この避難所には残れない。

 

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