終末世界の迷惑在庫(ゾンビ)は即廃棄!〜人でなしお嬢様とモブ後輩は、世界が滅んでも甘いものが食べたい   作:オカノヒカル

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第2話 空っぽの棚と、ふわ雲ミルクロール

 

 苺味の飴を舌で転がしながら、私たちは次のコンビニへ向かった。道路には割れたガラスと、横倒しになった自転車と、何だったのか考えたくない赤黒い跡が散っている。こちらに気づいたゾンビが一体、ふらつきながら寄ってきたが、そよぎ先輩は歩く速度を落とさなかった。

 

「邪魔ですわ」

 

 パチン。

 

 指を鳴らす音と一緒に、ゾンビは灰色の粉になって風に散った。

 

「本当にロールケーキのために移動してるんですか?」

「他に何のために?」

「生存とか、安全確保とか」

「モブ子さん。いま考えて解決しないことを考えるのは、時間と糖分の浪費ですわ」

「糖分基準なんですね」

 

 苺味はもう薄い。それに合わせるみたいに、私たちの周りに張っていた空気の膜も頼りなくなっていた。

 

 目的のコンビニは、青い看板の店だった。自動ドアは半開きで止まり、ガラスには内側からぶつかったような血の跡がついている。けれど、冷蔵ケースの明かりだけはまだ生きていた。

 

 私たちはまっすぐスイーツ棚へ向かった。

 そこには、値札だけが残っていた。

 

 ふわ雲ミルクロール。

 濃厚チョコテリーヌ。

 とろける白桃杏仁。

 名前だけは楽しそうなのに、商品は何もない。

 

「……ないですね」

「ありませんわね」

「ロールケーキ……」

 

 自分でも驚くくらい、声が沈んだ。家族がどうなったかわからない。学校も街もおかしくなっている。外にはゾンビがいる。なのに今の私は、ロールケーキがないことに普通に傷ついていた。

 

 お腹が空いているわけではない。さっきピスタチオプリンを食べたばかりだ。それでも、食べるつもりで来たロールケーキがないというだけで、胸の奥がすとんと落ちる。たぶん私はもう、避難ではなく、甘いもののハシゴをしている。

 

「モブ子さん。そんな顔をしないでください」

「そんな顔って、どんな顔ですか」

「世界が終わった顔ですわ」

「終わってますよ」

「違います。世界が終わった顔と、ロールケーキが売り切れた顔は別物です」

「区別したくないです」

 

 そよぎ先輩は、空っぽの棚をじっと見つめていた。悲しんでいるわけではない。怒っているわけでもない。ただ、何かを観察している顔だった。

 

「空ですわ」

「から?」

「ええ。空っぽの空です」

 

 先輩は棚板を指先で軽くなぞった。

 

「空っぽというのは、悪い状態ではありませんのよ」

「悪い状態ですよ。商品がないんですから」

「浅いですわね、モブ子さん」

「コンビニの欠品棚で深さを求めないでください」

 

 外で、どん、とガラスが鳴った。ゾンビが入口の方にぶつかったらしい。

 

「先輩、空について語る前に、外がだいぶ詰まってます」

「あちらは空気を読めない方々ですわね」

 

 パチン。

 入口の向こうで、何かが崩れる音がした。

 

「さて」

「さて、じゃないです」

 

 先輩は何事もなかったように続けた。

 

「空っぽとは、欠落ではありません。余白ですわ。何もないからこそ、次に何を迎えるかを待てる」

「ロールケーキがない棚に、そんな前向きな意味を持たせないでください」

「棚がいっぱいの時、人は選ばされます。でも、空の棚は何も押しつけません。ただ、待っているのです」

「ただの売り切れですよ」

「いいえ。これは可能性です」

 

 そこで先輩は、棚の隅に目を止めた。潰れたカップスイーツが一つだけ残っている。蓋の内側にクリームが貼りつき、苺ソースなのか別の赤なのかわからないものが滲んでいた。

 

「一つ残ってますよ」

「残っているとは言いませんわ」

 

 先輩はそれをつまみ上げた。

 

「これは未練です」

「潰れたカップスイーツにひどいこと言いますね」

「空になるべき棚に、最後までしがみついている。美しくありません」

「本人はしがみついてるつもりないと思います」

「食べます?」

「食べません」

「では、廃棄ですわ」

 

 パチン。

 カップスイーツは容器ごとほどけて消えた。棚が、完全に空になる。透明な棚板、値札、白い冷気。それだけが残った。

 

 私は、値札に書かれた「ふわ雲ミルクロール」の文字を見る。

 

「……ここ、ロールケーキの棚だったのに」

 

 別に、能力を使おうとしたわけじゃない。何かを願ったつもりもない。ただ、少しだけ残念に思っただけだ。

 その瞬間だった。

 冷蔵ケースの奥で、何かが鳴った。

 

 ことん。

 

 顔を上げる。

 もう一度。

 

 ことん。

 

 空っぽだった棚の奥に、白いパッケージが二つ並んでいた。

 ふわ雲ミルクロール。

 

「……出ました」

「出ましたわね」

「今の、あたしがやったんですか?」

「おそらく」

「おそらくで済ませていい現象じゃないですよ」

 

 先輩はロールケーキを一つ手に取り、賞味期限の印字を確認した。

 

「少し鮮度が落ちていますわね。ですが、戻せます」

 

 パチン。

 今度は何も消えなかった。袋の内側についた水滴が澄み、クリームの輪郭が、冷蔵ケースから出したばかりみたいに整う。

 

「今、巻き戻したんですか?」

「ええ。食べられるところまで」

「便利すぎません?」

「スイーツに対してだけは、世界も少し親切であるべきですわ」

 

 先輩はロールケーキを私に一つ渡した。

 

「素晴らしいですわ、モブ子さん」

「何がですか」

「やはり、これは【スイーツ・ガチャ】ですわね」

「その名前、定着させる気ですか」

「当然ですわ。空の棚からランダムで甘味が二つ。これ以上ふさわしい名前がありまして?」

「能力名にソシャゲ臭を入れないでください」

「無課金で二個出ましたわよ」

「そこじゃないです」

「しかも今回は当たりっぽいですわ」

「だから、そこじゃないです」

 

 反論しても、先輩はもう完全に命名した顔だった。

 

 私はロールケーキの封を切った。甘いミルクの匂いが、ふわっと上がる。袋から取り出すと、白いクリームがスポンジにくるりと巻かれていた。

 

 小さく一口かじる。薄い膜が、私と先輩の周りに広がった。外の音が、ほんの少し遠ざかる。

 

「ここでいただきましょう」

「ここ、イートインじゃないですよ」

「食べる場所として認識できればよろしいのでしょう?」

「そんな雑な……」

 

 でも、結界は張れている。血の跡が少ないレジ横の台を軽く拭き、私たちはそこでロールケーキを食べることにした。

 

 断面は思ったより綺麗だった。ぐるぐるというほど強くなく、ふわっと包んでいる感じ。コンビニのスイーツなのに、今の世界では宝石よりありがたい。いや、宝石より食べられるぶん、こっちの方が偉い。

 

「良い断面ですわね」

「断面から入るんですね」

「ロールケーキは断面の菓子ですもの」

「そうなんですか?」

「少なくとも、わたくしの中では」

 

 先輩は一口食べた。私もさらに食べる。

 スポンジは柔らかい。歯を立てると、ふわっと沈んで、すぐにミルククリームが舌に触れた。

 甘い。でも、重くない。口の中に白いクリームの匂いが広がって、さっきまで鼻に残っていた血の臭いが少しだけ薄れた。

 

「……おいしい」

 

 自分でも、びっくりするくらい素直な声だった。

 

「あら」

「なんですか」

「モブ子さんが、わたくしより先に評価を出しましたわ」

「感想くらい言わせてください」

 

 私はもう一口食べた。クリームが多い。でも、スポンジがあるから甘さだけでべたつかない。ちゃんと噛める。ちゃんと飲み込める。ちゃんと、今ここにいる感じがする。

 

「普通に好きです。こういうの」

「普通に?」

「はい。変に尖ってないし、安心する味です」

 

 先輩は、少しだけ面白そうに目を細めた。

 

「では、ロールケーキの話をしましょう」

「今までもロールケーキの話でしたよね?」

「まだ入口ですわ」

 

 先輩は断面をこちらに向ける。

 

「ロールケーキとは、空白を甘さで満たす菓子です」

「ただ巻いただけでは?」

「平たいスポンジにクリームを塗り、巻く。すると中心が生まれます。最初から中心があるわけではありません。巻くことで、甘さを抱える場所ができる」

「言い方がいちいち重い」

「先ほどの棚も同じです。空っぽだったからこそ、甘さを迎え入れる余地があった」

「ロールケーキを食べながら棚の話に戻らないでください」

「戻りますわ。大事なことですもの」

 

 そう言う先輩の顔は、少しだけ真面目だった。

 

「空っぽとは、何もないことではありません。何かが入る準備ができているということですわ」

「……先輩、それ本気で言ってます?」

「もちろん。半分くらいは」

「半分なんだ」

 

 でも、なぜか少し耳に残った。

 空っぽは、何もないことではない。何かが入る準備ができている。

 外の世界は終わっているのに、口の中だけは甘い。空だった棚から出てきたロールケーキを、私は今、食べている。

 

「先輩」

「何かしら?」

「今の、ちょっと良いこと言いました?」

「ええ。かなり」

「自分で言うと台無しですね」

 

 先輩は楽しそうに笑い、残りのロールケーキを食べ終えた。紙ナプキンで口元を拭い、それから宣言する。

 

「採点に入りましょう」

「お願いします」

「八十二点」

「高い」

「クリームの口どけは優秀です。ミルク感も悪くありません。けれど、スポンジが少し従順すぎますわね」

「ロールケーキに反抗心を求めないでください」

「巻かれたからといって、すべてを受け入れる必要はありません」

「スポンジの立場で考えたことないです」

「支える者にも矜持が必要ですわ」

「ケーキの話ですよね?」

「半分くらいは」

「残り半分は何なんですか」

 

 先輩は答えなかった。代わりに、空の棚を指差す。

 

「では、もう一度」

「え?」

「検証ですわ」

「今食べたばっかりですよ」

「甘味の再現性は重要です」

 

 私はしぶしぶ棚に手を置いた。

 

「……ここ、ロールケーキの棚だったのに」

 

 何も起きない。冷蔵ケースの低い音だけが、ぶうんと続いている。

 

「出ませんね」

「出ませんわね」

「スイーツ・ガチャ、単発無料分だけだったみたいです」

「渋いですわ」

「だからソシャゲに寄せないでください」

 

 その時、外の音が少し近くなった。ガラスを叩く音。喉を鳴らす声。床の上を引きずる足音。

 ロールケーキは食べ終わった。口の中の甘さも薄くなっている。

 結界が弱まっていた。

 

「……食べるだけなら、なんとかなりますね」

「ええ」

「でも、寝るのは無理です」

 

 私が言うと、先輩はあっさり頷いた。

 

「モブ子さんの結界は、傘のようなものですわ」

「傘?」

「雨をしのぐには十分。でも、傘を差したまま眠るのは愚かでしょう?」

「わかりやすい例えなのが腹立ちます」

 

 入口のガラスに、またひびが入った。

 

 私はポケットを探る。飴は、あと二つ。チョコも一つある。でも、夜を越すには足りない。

 食べ続けていれば結界は張れるのかもしれない。でも、食べながら寝るわけにはいかない。そんなことをしたら、喉に詰まって世界より先に私が終わる。

 

「どこか、ちゃんと眠れる場所を探しましょう」

「ええ。ファミレスを探しましょう」

「ファミレス?」

「座席があります。テーブルがあります。ドリンクバーも、もしかしたらまだ生きているかもしれません」

「基準が食卓ですね」

「良い食卓は、良い休息を生みますわ」

「寝床の話をしてるんですよね?」

「食卓と寝床は、人生の両輪です」

「またそれっぽいこと言ってる」

 

 外のゾンビが、自動ドアの隙間から腕を入れてきた。そよぎ先輩は面倒くさそうに指を持ち上げる。

 

「それに」

「それに?」

「ファミレスには、パフェがあるかもしれません」

「結局そこですか」

「当然ですわ」

 

 パチン。

 一体目が灰色にほどけた。

 

 パチン。

 二体目。

 

 パチン。

 三体目。

 

 入口に群がっていたゾンビたちは、順番にほどけて、壊れた自動ドアの前から消えていった。

 壊れた自動ドアの向こうに、夜の道路が見える。街灯は半分ほど消えていた。遠くで、何かが燃えている。

 

 私は最後に、空っぽのスイーツ棚を見る。

 何もない棚。何かを迎える準備ができている棚。

 そう思ってしまった自分に、少しだけ引いた。

 

「……先輩」

「何かしら?」

「空っぽって、怖いだけじゃないのかもしれませんね」

 

 先輩が振り返る。血とガラス片と壊れた蛍光灯の光の中で、楽しそうに笑った。

 

「でしょう?」

「でも、棚に哲学を見出すのは嫌です」

「そのうち慣れますわ」

「慣れたくないです」

 

 私は新しい飴を口に入れた。今度はレモン味だった。

 舌の上に酸っぱさが広がり、足元の空気がもう一度、薄く張り直される。

 その頼りない結界をまとって、私たちは夜の道路へ出た。

 

 逃げるためではなく。助けを呼ぶためでもなく。

 今夜、安心して眠れて、できれば明日の朝に甘いものを食べられる場所を探すために。

 

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