終末世界の迷惑在庫(ゾンビ)は即廃棄!〜人でなしお嬢様とモブ後輩は、世界が滅んでも甘いものが食べたい   作:オカノヒカル

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第3話:夜明け前のファミレスと、業務用ティラミス

 

 レモン味の飴を舌で転がしながら、私たちは夜の道路を歩いていた。街灯は半分ほど消え、遠くで何かが燃えている。酸っぱさが薄れるたび、私たちの周りに張られた結界も、少しずつ頼りなくなっていく。

 

「先輩。本当にファミレスって、まだ入れると思います?」

「営業中かどうかは問題ではありませんわ。入店できれば、それは開いているということです」

「強盗の理屈じゃないですか」

「失礼な。わたくしはお客様ですわ」

 

 道の先に、赤い看板が見えた。ファミリーグリル・オレンジベル。駐車場には車が何台か残り、入口前では店員の制服を着たゾンビが二体、ガラス扉に向かって同じ動きを繰り返している。

 

「先客がいますね」

「期限切れですわ」

 

 パチン、とそよぎ先輩が指を鳴らす。入口前のゾンビたちは灰色の粉になり、夜風にさらわれた。

 

「元店員さんですよ」

「だからこそです。店先に立つには、接客期限が切れすぎておりますわ」

「接客期限って……」

 

 自動ドアは動かなかったが、片側が少しだけ開いていた。私たちはその隙間から店内に入る。

 中は、思ったより形が残っていた。倒れた椅子、床に落ちたメニュー表、割れたグラス。油とソース、それから、長いあいだ人がいなかった場所の湿った匂い。それでも客席はあり、テーブルもあり、赤い合皮のソファ席もちゃんと残っていた。

 

 店内に足を踏み入れた瞬間、口の中の飴に頼っていた薄い結界の質が、少し変わった気がした。ここは食べる場所だ。そう認識した途端、空気の膜が私の体から店内へ向けて、ゆっくり広がろうとする。

 

 私は近くのソファ席に腰を下ろした。沈み込む感触と同時に、足元の結界がはっきりと広がる。レモン味の飴で無理やり作っていた薄い膜が、床に染み込むように伸び、テーブルの脚を伝い、通路を越え、窓際まで届いていく。空気が一段、静かになった。

 

「……あれ。消えない」

 

 口の中の飴は、もうほとんど溶けている。それなのに、結界はむしろ安定していた。

 

「やはり、ここは食事をするための場所ですからね」

「じゃあ、ここなら……ちゃんと寝られるかもしれません」

「今までも寝てはいましたでしょう?」

「あれは寝たっていうか、意識を失ってただけです。部室の床とか、コンビニの隅とか」

「なるほど。ようやく傘を畳めるわけですわね」

 

 私はソファの背もたれに体を預けた。ふっと沈む。そのたった一動作で、肩の力が少し抜けた。

 

「ファミレスとは、奇妙な場所ですわね」

「今度は何ですか」

「家庭ではないのに、家庭のふりをする場所です」

「いきなり喧嘩売りました?」

「褒めていますわ。誰の家でもないからこそ、誰でも座れる。椅子とは、人間に『ここにいていい』と許す家具ですの」

「椅子にそんな権限ないですよ」

「では、ソファ席」

「座り心地で権限を上げないでください」

 

 先輩はテーブルに残っていたメニュー表を開いた。ハンバーグ、オムライス、和風パスタ、チョコパフェ、季節のパンケーキ。写真の料理はどれも明るく、湯気までおいしそうに写っている。

 

「……こういう写真、今見ると暴力ですね」

「空腹に対する攻撃力が高いですわ」

「先輩、お腹空いてます?」

「ええ。スイーツは食べましたが、食事はまだですもの」

「そこはちゃんとしてるんですね」

「モブ子さん。主食を抜いてデザートだけ食べるのは、美学ではなく雑な自傷ですわ」

「先輩の口から健康管理が出ると、逆に怖いです」

「身体を粗末にする者に、スイーツを味わう資格はありません」

 

 その時、奥の客席に気づいた。テーブルが不自然に寄せられ、通路を塞ぐように置かれている。ソファの下には空のペットボトル。紙ナプキンには、黒いペンで乱暴な字が書かれていた。

 

『水は奥。音を立てるな。厨房にいる』

「……誰か、ここにいたんですね」

「ええ。少なくとも、字の書ける獣ではなさそうです」

「後者だったら嫌すぎます」

 

 厨房。その言葉だけが、妙に重く見えた。

 

「音を立てるなって、書いてありますね」

「書いてありますわね」

「つまり、音を立てない方がいいってことですよね」

「そのようですわね」

 

 そよぎ先輩は頷き、ドリンクバーを見た。

 

「モブ子さん。文明がありましたわ」

「ドリンクバーですね」

「終末において、飲み物を選べるというのは王侯貴族の特権です」

「音を立てるなって今読んだばかりですよね?」

「静かに押します」

「押す時点で嫌な予感しかしないです」

 

 先輩はグラスを一つ取り、氷のボタンを押した。がらがらがらがらっ、と機械の中から氷が転がり落ちる。

 

「全然静かじゃない! というか、なんで氷が出てるんですか?!」

 

 ゾンビパンデミックから5日。氷なんてとっくに溶けているはずなのに……。

 

「賞味期限を戻しましたわ。けれど、氷の自己主張が強すぎますわね」

「氷のせいにしないでください」

 

 厨房の奥で、がたん、と金属が倒れる音がした。続いて、低いうめき声。白い調理服を着たゾンビが現れる。一体、二体、三体。その後ろから、他より少し大きなゾンビが出てきた。胸元の名札には『店長 大河内』とある。

 

「あら。責任者ですわ」

「責任者なら、話し合いでなんとか」

「消費期限が切れております」

「ですよね」

 

 店長ゾンビはフライ返しを引きずっていた。調理服のゾンビたちは、客席と厨房の境目でぴたりと止まる。私の結界が、そこを壁にしているらしい。腐った手が空気を掻くたび、ぱちん、と弾かれた。

 

「厨房に入れないと、食べ物も探せません」

「では、清掃しましょう」

「清掃って言い方、便利に使いすぎですよ」

「厨房を傷つけず、期限切れだけを処分しますわ」

 

 パチン。一体目がほどける。パチン、二体目。パチン、三体目。最後に店長ゾンビだけが残った。

 

「大河内店長。お店を使わせていただきますわ」

 

 パチン。店長ゾンビは、フライ返しだけを残して崩れた。先輩はそれを拾い、厨房の端に置く。

 

「……今のはちょっと丁寧でしたね」

「店長ですもの」

「ゾンビですよ?」

「ええ。ですが、この方は少なくとも、この店で店長という役を任されていたのでしょう」

 

 先輩は厨房を見回した。

 

「人間としてどうかは知りません。けれど、厨房の道具を握ったまま最後までここにいた。その役職と道具には、少しだけ敬意を払ってもよろしいのではなくて?」

「人間じゃなくて、役職とフライ返しに敬意を払ってるんですね」

「ええ」

「基準がわからないようで、ちょっとわかるのが嫌です」

 

 厨房には、まだ冷気が残っていた。業務用の冷蔵庫を開けると、パック入りのコーンスープ、冷凍パン、小分けされたピラフ、よくわからないソース袋が並んでいる。そよぎ先輩は、コーンスープのパックと小さなパンを取り出した。

 

「まずは、これですわね」

「スイーツじゃないんですか?」

「食事は身体のため。スイーツは、食後に世界を少し許すためですわ」

「急に詩的にしないでください」

 

 パチン。冷えて固くなっていたパンが少し柔らかくなり、スープの袋の中身が温かそうに揺れた。

 

「温度まで戻せるんですね」

「食べ頃だった時間に戻している感じですわ」

「便利すぎて怖いです」

「食べ物には優しくありたいものです」

「人間には?」

「場合によりますわ」

「知ってました」

 

 私たちは客席に戻り、スープとパンを食べた。コーンスープは甘かった。けれど、スイーツの甘さとは違う。塩気と、とうもろこしの匂いと、舌に残る少しの粉っぽさ。温かいものが胃に落ちた瞬間、自分がちゃんと空腹だったことに気づいた。

 

「……ご飯って大事ですね」

「ええ。甘味は主役になれますが、主食の仕事までは奪えません」

「スイーツにも役割分担があるんですね」

「スイーツを何でも屋にするのは、失礼ですわ」

 

 食事が終わると、先輩は冷凍庫を開けた。白い冷気の奥に、四角い容器が積まれている。

 

『業務用ティラミス 解凍後提供』

「ありましたわ」

「それ、デザートですか?」

「ファミレスの裏の顔です」

 

 表面にはココアパウダーが薄くかかり、端には霜がついていた。

 

「鮮度は?」

「落ちています。でも、戻せます」

 

 パチン。霜が消え、ココアの粉が乾いた色を取り戻す。クリームの層が、スプーンを受け入れそうな柔らかさに変わった。

 

「業務用ティラミス、復活ですわ」

「なんか強そうな名前ですね」

 

 私たちは小皿に取り分け、ソファ席へ戻った。外ではゾンビがガラスを叩いていたが、音は遠い。ドリンクバーの氷入りグラスには、先輩がいつの間にか注いだらしいアイスコーヒーが入っていた。

 

「押したんですね」

「せっかくですから」

「また何か寄ってきたらどうするんですか」

「厨房は清掃済みですわ」

 

 私はティラミスを一口食べた。冷たい。ココアの粉が舌に触れ、そのあとにクリームが溶ける。甘さの奥から、すぐにコーヒーの苦味が来た。

 

「……苦い。でも甘い」

「人生みたいな感想ですわね」

「ティラミスの感想です」

「ティラミスは、わたくしを引き上げて、という意味だそうですわ」

「終末世界で聞くと、だいぶ切実ですね」

「ええ。ですが、このティラミスにそこまでの力はありません」

「急に冷静」

「せいぜい、寝る前の気分を七センチほど引き上げる程度です」

「微妙に具体的ですね」

 

 もう一口食べる。業務用だからなのか、味はとても均一だった。どこをすくっても、同じ苦味と同じ甘さが来る。特別ではない。でも、安心する。ファミレスのデザートって、そういうものだった気がする。

 

「私は、これ好きです」

「また先に言いましたわね」

「いいじゃないですか」

「ええ。悪くありません。モブ子さんの味覚が、少しずつ客席に座り始めていますわ」

「何言ってるんですか」

「今までは、他人の感想の後ろに立っていたでしょう?」

「……そんなこと、ないと思いますけど」

「なら、そういうことにしておきましょう」

 

 先輩はスプーンを置いた。

 

「採点に入りましょう」

「お願いします」

「七十四点。業務用としては優秀です。苦味と甘味の均衡も悪くありません。夜のファミレスで食べるには、これくらいの均一さがむしろ心地よい」

「褒めてますね」

「ただ、マスカルポーネを名乗るには、少し厚化粧ですわね」

「クリームに化粧の概念を持ち込まないでください」

「あと、ココアパウダーが少し遠慮しています。もっと上から支配してもよろしい」

「粉に支配欲を求めないでください」

 

 食べ終わっても、結界は消えなかった。外のうめき声は遠いまま。ガラスを叩く音も、店内までは届かない。私はソファ席に体を預けた。まぶたが急に重くなる。今まで、眠くなっている余裕すらなかったのだと気づく。

 

「……ここ、すごいですね」

「ええ。良い席ですわ」

「椅子に『ここにいていい』って許された気分、少しだけわかるかもしれません」

「では、ファミレス哲学の第一歩ですわね」

「そんな道に踏み込みたくないです」

 

 そよぎ先輩は、向かいの席でメニュー表を枕みたいに畳んでいた。

 

「明日の朝は、モーニングメニューを検証しましょう」

「まだ食べる気ですか」

「眠る理由がある方が、朝起きやすいですわ」

「まともなようで、結局食べる話ですね」

 

 私は小さく笑った。店内は荒れている。外にはゾンビがいる。誰かがここにいた痕跡もある。それでも、今このソファ席だけは、ちゃんと座っていられる場所だった。

 

 その時、テーブルの下に何かが落ちているのが見えた。くしゃくしゃになった紙ナプキン。さっきのメモとは別のものだ。私はそれを拾った。

 

『北側のスーパーには行くな』

「……先輩」

「何かしら?」

「こういうの、見つけたら普通は行かないですよね」

「普通なら、そうでしょうね」

「ですよね」

 

 そよぎ先輩は顔を上げた。その目が、少しだけ楽しそうに細くなる。

 

「でも、スーパーには和菓子棚がありますわ」

「最悪だ」

「洋菓子棚も、菓子パン棚も、アイスケースもあるかもしれません」

「警告文を品揃え表みたいに読まないでください」

「明日の候補ですわね」

「候補に入れた時点で負けな気がします」

 

 私は紙ナプキンを畳んで、テーブルの端に置いた。

 

 北側のスーパーには行くな。

 

 誰が書いたのか。なぜ書いたのか。何があるのか。考え始めると、眠気が少しだけ遠ざかった。けれど、外のうめき声は遠い。店内には、コーンスープの甘い匂いと、ティラミスのココアの苦味が残っている。ファミレスのソファ席は、思っていたよりずっと柔らかい。

 

「先輩」

「何かしら?」

「明日の朝、無事にモーニング食べられますかね?」

「食べられますわ」

「根拠は?」

「わたくしたちには、席がありますもの」

「それ、根拠なんですか」

「ええ。席があるなら、朝は来ます」

 

 よくわからない理屈だった。でも、今はそれでいい気がした。私はソファの背に頭を預ける。逃げ込んだわけではない。助かったわけでもない。ただ、今夜はここにいていい。ファミレスの赤いソファ席に、そんなことを許された気がした。

 

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