終末世界の迷惑在庫(ゾンビ)は即廃棄!〜人でなしお嬢様とモブ後輩は、世界が滅んでも甘いものが食べたい   作:オカノヒカル

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第4話:北側のスーパーには行くな

 

 朝が来た。

 ファミレスの窓の外は、白っぽい煙でかすんでいる。駐車場ではゾンビが一体、看板の柱に向かって延々と頭をぶつけていた。

 

 ごん。

 ごん。

 ごん。

 

「……朝から嫌な音ですね」

「意外とリズムは悪くありませんわ」

「評価しないでください」

 

 そよぎ先輩は、向かいのソファ席で紙ナプキンを見ていた。

 

『北側のスーパーには行くな』

 

 昨夜、テーブルの下から見つけた警告文だ。私は嫌な予感をそのまま飲み込めず、先輩に問いかける。

 

「これを読んで、普通はどうすると思います?」

「行かないのでしょうね」

「ですよね」

「ですが、わたくしたちは普通ではありませんわ」

「そういう時こそ普通を大事にしてほしいんですけど」

「水、紙皿、ウェットティッシュ、乾電池。拠点として使うなら備品が必要です。それに、栄養のある食料も補給しなくてはいけません」

「まともな理由が先に出ると逆に怖いです」

「そして、和菓子棚がありますわ」

「警告文に勝つ和菓子棚、強すぎません?」

「昨日から乳製品が続きましたもの。そろそろ餡子が必要です」

「栄養バランスじゃなくて、甘味バランスの話してます?」

「どちらも大事ですわ」

 

 朝食は、昨日の残りのパンとコーンスープを少しだけ食べた。温かいものが胃に落ちると、体がようやく朝だと認めた気がする。

 

 私はポケットから飴を取り出し、口に入れた。今日はぶどう味だった。甘さが舌に広がると、私と先輩の周りに薄い結界が張り直される。

 

「準備できました」

「では、和菓子へ」

「補給へ、ですよ」

「ええ。和菓子も補給ですわ」

 

 北側のスーパーは、ファミレスから歩いて十分ほどの場所にあった。

 

 フレッシュマート北町店。

 たぶん、前は何度も来たことがある。部活帰りにお菓子を買ったり、家から頼まれた牛乳を買ったり。そういう、なんでもない場所だった。

 

 でも今は、なんでもなくなっていた。

 入口の前には、カートと買い物かごで作ったバリケードがある。そして、その向こうから音が聞こえた。

 

 ポポーポポポポ。

 ポポーポポポポ。

 

 スーパーで何度も聞いたことのある、あの陽気な販促メロディ。呼び込み君だ。誰も買い物をしていないスーパーで、あの明るい音だけが鳴り続けている。

 

「……先輩」

「ええ」

「呼び込んでますね」

「本来の仕事を忠実に果たしていますわ」

「呼び込んじゃいけないものまで呼び込んでますけど」

 

 バリケードの向こう、店内にはゾンビがいた。数が多い。入口付近だけでも十体以上。それらは呼び込み君の音が鳴っている方へ、ぼんやり顔を向けていた。

 

 ポポーポポポポ。

 

 音が鳴るたびに、何体かがぴくりと反応する。

 

「これは……行かない方がいいやつでは?」

「そうですわね」

「ですよね」

「ですが、音を止めれば入れます」

「結論だけ都合よく前向き」

「問題は、あの音源の周りに期限切れの皆様が密集していることです」

「まとめて廃棄できないんですか?」

「一体ずつですわ。賞味期限の確認は、雑に行うものではありません」

「ゾンビ相手に検品の丁寧さを出さないでください」

 

 そよぎ先輩は、店内をじっと見た。青果売り場の方に、音源らしき呼び込み君が置かれている。その近くに、ゾンビが固まっていた。

 

「密度を下げます」

「どうやって?」

 

 先輩は、店内の手前を指差した。季節商品コーナーの横に、もう一台、白い販促機が置かれている。顔の描かれた丸い頭。左右に広げた手。胸元の黒いセンサーと、腹のあたりにある丸いスピーカー穴。電源は落ちていた。

 

「呼び込み君には、呼び込み君をぶつけます」

「最悪の同族対決みたいに言わないでください」

 

 作戦は単純だった。手前の呼び込み君を起動して、ゾンビの一部を引き離す。密度が下がったところで、そよぎ先輩が本命の音源周辺にいるゾンビを一体ずつ廃棄する。最後に、私が本命の呼び込み君のスイッチを切る。

 

「待ってください」

「何かしら?」

「最後、私ですか?」

「モブ子さんの結界なら、多少近づかれても保ちますわ」

「多少の定義が怖い」

「大丈夫。わたくしが掃除します」

「掃除される前提で近づくの、かなり嫌なんですけど」

 

 私は新しい飴を口に追加した。ぶどう味とメロン味が混ざって、あまりおいしくない。でも、結界は少し強くなった。

 

 バリケードの端をくぐり、店内に入る。青果の甘い匂い、冷蔵ケースの冷気、床にこぼれた総菜の油。その全部が、腐りかけた空気に混ざっていた。

 

 私は手前の呼び込み君へ近づいた。白い筐体に、妙に愛嬌のある顔。薄い丸い頬と、こちらへ差し出すように広げられた両手。胸元の黒いセンサーが、じっとこちらを見ているみたいだった。

 

 いつもはなんとも思わない笑顔が、今は少し怖い。

 

「音量は最大で」

「正気ですか?」

「小声で呼び込みをする販促機など、存在意義がありませんわ」

「今は存在意義を発揮しないでほしいんですけど」

 

 私は深呼吸して、スイッチを入れた。

 

 ポポーポポポポ。

 

 店内に、二つ目の陽気な音が鳴る。近くにいたゾンビが、一斉にこちらを向いた。

 

「うわ、こっち見た!」

「人気者ですわね、モブ子さん」

「嬉しくない!」

 

 数体のゾンビが、こちらへふらふら歩き出した。結界の境目に触れた腕が、ぱちん、と弾かれる。私は呼び込み君の横で固まった。

 

「先輩!」

「ええ。十分ですわ」

 

 そよぎ先輩が動いた。奥のゾンビの密度は、少し下がっている。先輩はその隙間を通り、指を鳴らした。

 

 パチン。

 一体が崩れる。

 

 パチン。

 二体目。

 

 パチン。

 三体目。

 

 呼び込み君の陽気な音と、ゾンビが灰になって落ちる音が、同じ売り場で混ざる。

 ポポーポポポポ。

 

 パチン。

 ポポーポポポポ。

 

 パチン。

 

「なんですか、この地獄の販促イベント」

「在庫一掃セールですわ」

「言うと思った!」

 

 私の方にもゾンビが寄ってくる。結界は弾いてくれる。でも、見た目は怖い。腐った顔が、目の前で止まる。私は思わず、呼び込み君の後ろに半歩隠れた。

 

「守って、呼び込み君……」

「販促機に守護を求めないでください」

「じゃあ早くしてください!」

 

 先輩は本命の呼び込み君の周囲を片付け終えると、こちらを見た。

 

「モブ子さん、今ですわ」

「はい!」

 

 私は結界をまとったまま走った。床に転がる野菜や買い物かごを避けながら、本命の呼び込み君へ向かう。

 途中、制服姿のゾンビが一体、横からふらついてきた。

 私は息を呑む。

 学校の制服。うちの高校の制服だった。その一瞬の遅れで、ゾンビの手が結界に触れる。

 

 ぱちん。

 

 弾かれる。

 そよぎ先輩が、静かに指を鳴らした。

 

 パチン。

 制服のゾンビは、灰になった。

 

「モブ子さん。今は、音を止めなさい」

「……わかってます」

 

 私は本命の呼び込み君に手を伸ばした。スイッチは裏側にある。指先が少し震えた。

 

 ポポーポポポポ。

 

 うるさい。

 明るすぎる。

 こんな世界で、何を呼んでいるのだろう。

 

 私はスイッチを切った。音が止まる。二台目の呼び込み君も、そよぎ先輩が止めた。

 店内が、急に静かになった。遠くで冷蔵ケースが低く鳴っている。

 

「……止まりました」

「ええ。よくできましたわ」

「二度と呼び込み君を囮にしたくないです」

「良い経験でしたわね」

「良い経験にしないでください」

 

 それから私たちは、補給を始めた。

 水、紙皿、ウェットティッシュ、乾電池。缶詰、レトルト粥、栄養補助食品。スーパーは、やっぱりすごい。誰かが荒らした後でも、探せばまだ使えるものがある。

 

 カートを一台見つけ、そこに必要なものを入れていく。そのカートの中には、もともと誰かが選んだものが残っていた。

 

 水のペットボトル。カップ麺。トイレットペーパー。子供用のお菓子。みかん。

 私は少しだけ手を止めた。

 

「……これ、誰かのですよね」

「買い物カートは、小さな意志ですわ」

「また始まりましたね」

「人は、最後に何を選んだかで、少しだけ顔が見えます。水を選んだ人。紙を選んだ人。子供用のお菓子を入れた人。甘いものを忘れなかった人」

「重くないですか」

「重いですわ。だからカートには車輪がついているのです」

「そういう話じゃないです」

 

 けれど、少しわかった。カートの中には、その人が助かろうとした形が残っている。

 私はそのカートから、子供用のお菓子だけは取り出さなかった。

 

「モブ子さん」

「はい」

「和菓子棚ですわ」

 

 そよぎ先輩の声が、少し弾んでいた。

 

 和菓子棚は、冷蔵スイーツの奥にあった。どら焼き、大福、桜もち、みたらし団子。値札だけはきちんと並んでいる。ただし、棚の上はほとんど空だった。

 残っていたのは、潰れたみたらし団子のパックと、袋が破けたどら焼きだけ。タレが棚にこびりつき、どら焼きは乾いて端が反っている。

 

「これは……」

「未練ですわね」

「前も言ってましたよ、それ」

「未練は、どの棚にも発生します」

「棚の怪異みたいに言わないでください」

「食べます?」

「食べません」

「では、廃棄ですわ」

 

 パチン。

 

 潰れた団子と乾いたどら焼きが、容器ごと消えた。棚が完全に空になる。

 私は、空っぽの和菓子棚に手を伸ばした。値札だけが残っている。

 

 どら焼き。

 大福。

 桜もち。

 みたらし団子。

 季節の果実大福。

 

「……和菓子なら、何でもいいです」

 

 そう呟いた瞬間、棚の値札が、かた、と揺れた。

 

 どら焼き。

 大福。

 桜もち。

 みたらし団子。

 季節の果実大福。

 文字が順番に目に入る。いや、目に入ったというより、棚の奥で何かが選んでいるみたいだった。

 

「え、今、回ってません?」

「回っていますわね」

「やっぱりガチャなんですか、これ」

「だから最初からそう申し上げております」

「認めたくない……」

 

 かた。

 値札の揺れが止まった。最後に残ったのは、季節商品の札だった。

 

『陽だまり不知火大福』

 

 その直後、棚の奥で音がした。

 ことん。

 

 もう一つ。

 ことん。

 白い包みが二つ、空だった棚に現れる。丸い大福。透明なパック越しに、白い餅の中から、かすかに橙色が透けていた。

 

「陽だまり不知火大福……当たりですわね」

「まだ食べてないのに判断早いです」

「名前がすでに勝っていますもの」

「不知火って、あれですよね。頭にこぶがある、デコっとしたみかんみたいなやつ」

「ええ。見た目に少し主張のある柑橘ですわ」

「果物の形にまで性格を見出さないでください」

「でも、素晴らしいではありませんか。和菓子棚は、警告文に勝ちました」

「勝たせないでください」

 

 そよぎ先輩は大福を一つ手に取り、じっと見た。

 

「鮮度は少し落ちていますが、問題ありません」

 

 パチン。

 

 大福の表面に、柔らかさが戻ったように見えた。

 私たちは、補給用の紙皿をさっそく使った。スーパーの通路の端。倒れたカートの横。結界の内側で不知火大福を食べる。なんだか、いけないことをしている気分だった。

 

「いただきます」

 

 私は大福をかじった。

 餅がやわらかい。歯を立てると、もちっと伸びて、その奥から柑橘の果汁がじゅわっと出てきた。

 酸っぱい。

 甘い。

 

 白餡のやさしい甘さの中に、不知火の明るい酸味が入ってくる。さっきまでのスーパーの生臭さが、口の中で一気に遠ざかった。

 

「……うわ。おいしい」

「あら」

「これは、かなり好きです」

「モブ子さん、最近ずいぶん早く感想を出しますわね」

「いいじゃないですか。おいしいんですから」

「ええ。大変よろしい」

 

 そよぎ先輩も一口食べ、目を細める。

 

「白い餅の中に、柑橘の明るさを閉じ込めている。小さな太陽ですわね」

「大福を天体扱いしないでください」

「不知火。火を知らぬ、と書くのに、果肉は陽の色をしている。面白い名前ですわ」

「急に綺麗なこと言いましたね」

「八割くらい本気です」

「残り二割は?」

「語感ですわ」

「台無しだ」

 

 先輩は大福の断面を眺める。

 

「大福とは、包む菓子です。選んだものを、白い餅で包み、手のひらに収まる形にする」

「また哲学が始まった」

「買い物カートと同じですわ」

「同じではないです」

「人はカートに必要なものを入れる。大福は餅の中に果実を入れる。どちらも、持ち運べる小さな意志です」

「……ちょっと上手いのが腹立ちます」

「でしょう?」

「褒めてません」

 

 私はもう一口食べた。不知火の薄皮が、少しだけ舌に残る。それが嫌ではなかった。ちゃんと果物を食べている感じがする。

 

「採点に入りましょう」

「お願いします」

「八十五点」

「高い」

「餅の柔らかさ、白餡の控えめな甘さ、不知火の酸味。どれも良いですわ。特に、終末のスーパーで食べる柑橘の明るさは加点対象です」

「状況補正入りました?」

「もちろん。味とは、舌だけでは決まりませんもの」

「先輩が言うと説得力ありますね」

「ただし、果汁が逃げやすい。食べる際に少し覚悟が必要です」

「それは大福側の責任ですか?」

「包むなら、最後まで包み切る覚悟を持ってほしいですわ」

「大福に覚悟を求めないでください」

 

 食べ終えた後、私たちは必要な物資をカートに積み直した。水、紙皿、ウェットティッシュ、乾電池。缶詰とレトルト。それから、少しだけ飴とチョコ。

 

 帰ろうとした時だった。

 衣料品コーナーの奥で、何かが動いた。

 ゾンビが一体。

 

 制服を着ていた。うちの学校の制服だった。顔は、まだそこまで崩れていない。知らない顔だった。たぶん、上級生。

 

 私は足を止めた。

 

「……先輩」

「三年の方ですわね」

「知ってるんですか?」

「名前くらいは。廊下で何度か見ました」

「そうですか」

 

 そよぎ先輩の声は、いつも通りだった。冷たいというより、遠い。

 同じ学校の生徒だった。でも、今は期限切れのゾンビ。そよぎ先輩にとっては、たぶんそれ以上でも以下でもない。

 

 制服のゾンビが、こちらへ一歩近づく。私は結界の内側にいるのに、胸の奥が冷たくなった。

 あの日。

 学校にも、こんなふうに動くものがたくさんいた。まだ人間の顔をしているのに、もう人間ではなくなったものたち。

 

「モブ子さん」

 

 先輩の声で、私は現実に戻った。

 

「見ていても、戻りませんわ」

「……はい」

 

 パチン。

 そよぎ先輩が指を鳴らす。制服のゾンビは、灰色にほどけた。校章のついた布も、髪も、指先も、床に落ちる前に崩れていく。

 

 私は、それを見ていた。不知火大福の甘さが、まだ少し舌に残っている。なのに、喉の奥が苦かった。

 

「行きましょう」

 

 先輩が言った。私は頷く。

 

 スーパーの外では、朝の光が煙に滲んでいた。カートには、水と紙皿と乾電池と、今日を少しだけ長くするためのものが積まれている。

 

 北側のスーパーには行くな。

 あの警告は、間違っていなかった。

 でも、私たちは行った。和菓子を食べた。補給もした。そして、学校の制服を見た。

 

 あの日。

 学校がまだ学校だった、最後の日のことを、私は思い出していた。

 

 

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