艦隊これくしょん-艦これ-司令艦、朝潮です!!   作:めめめ

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任務5.5『夏色の空』

 

「横須賀鎮守府所属、駆逐艦『朝潮』帰投しました」

 

『おう朝潮の嬢ちゃん、演習お疲れさん』

 

 古い自動車整備工場のような外見の鎮守府軍需装備保管庫、その外壁に取り付けられたスピーカーから野太い男性の声が答えると、引き込み水路の鉄門がぎしぎしと音を立てて開かれた。

 

 驚いて逃げ出したボラの幼魚の群れを横目に、機関ユニットの出力を落としつつ狭い水路を進む。

 

 生体フィールドから主機の生み出す足元の『疑似排水限界』が小さくなれば、浮力も推力も自然と霧消していく。途中からスロープになった水底に足を降ろして歩きながら整備場の屋根の下に入ると、ハイヒール型主機の下板が硬いコンクリートの床とぶつかってカツン、と高い音を立てた。

 

 それを合図にしたかのように、くたびれた兵帽をかぶった壮年の男性が奥の扉からぬっと顔を出す。

 

 整備班の人たちは接する機会のある数少ない一般海軍兵なので、整備班長である彼のヒゲ面にも慣れたものだ。

 

「艤装はそのまま点検台に置いといてくれや。どうもこの後忙しくなりそうだから、他が帰ってくる前に嬢ちゃんのから整備しとくぜ」

 

「分かりました」

 

 それだけ言って、すぐさま引っ込む整備班長。

 

 スロープ終点に置かれたぶ厚い水取りマットの上で足踏みした後、言われた通り電球で照らされた中央の作業台、その天板に刻まれた乾渠型の窪みにゆっくりと背中の艤装を降ろす。

 

 接地音が聞こえたら機関ユニットの動力主缶をアイドリングに切り替える。生体フィールドの消失と共に何かがすぅっと抜けていくような脱力感が体を包むと、室内の熱気で蒸し焼きになった素肌から途端にどっと珠のような汗が噴き出した。

 

 思わず顔を拭うと、汗を吸った長い黒髪がべったり額にくっつく。

 

「ほらよ、先着一名様限定だ」

 

 髪の毛と格闘していると再び姿を見せた整備班長が、タオルにくるんだ何かをぽん、とこちらに投げてよこした。

 

 手を伸ばしてキャッチ。包みを開いてみると中から出てきたのは、ほどよく冷えたガラス瓶のラムネだった。

 

 水気を求めた身体が反射的に蓋を叩く。すぽんっ、と軽やかな音と共にビー玉が落下すると、すぐさま唇を瓶の飲み口に押し付けた。ラムネが白い泡になって勢いよく吹き出し、口の中で冷たく甘い嵐となって暴れまわる。

 

 一気に瓶の中身を咽喉の奥に流し込み、ふぅと一息。体感温度が10℃くらい下がったような清涼感に満たされたまま、ざっと顔の汗を拭き取り、使い終わったタオルを傍の洗濯籠に投げ入れた。

 

「思った以上にいい飲みっぷりだったな」

 

 嬉しそうに整備班長が声をかけてきた。

 

「はい、美味しかったです。あの……」

 

「別にいいってことよ。嬢ちゃんたちには頑張って帝国の海を守ってもらわなきゃならん。なのに儂らには、これくらいしかできんからな」

 

 それにこいつは配当兼口止め料だ、と彼はヒゲ面に悪戯小僧のような笑いを浮かべた。

 

「口止め?」

 

「班長~早く来ないと始まっちまいますよ~」

 

 質問を遮って間延びした若い男性の声が扉の向こうから聞こえてきた。

 

 皆で野球中継でも見ているような喧噪。奥で整備班の人たちが集まって何かしているらしい。

 

 しかし彼らの会話の内容を理解した瞬間、頭が真っ白になった。

 

「頼むぞ瑞鶴、お前に決めたっ!! 俺の間宮羊羹配給券、半年分かけてんだからな!!」

 

「バッカモン!! 貴様、横須賀の軍人ならしっかり由良ちゃんを応援せんか!! 由良ちゃんファイトぉっ!!」

 

「自分は時雨殿がインクまみれのべとべとになる姿が見られれば、他はどうでもいいであります!!」

 

 首を傾けて部屋の中を覗くと、4つある監視用ブラウン管モニターのうち1つに外のライブカメラ映像が流れている。画面の中ではちょうどラバウル基地の三人と雪風時雨を連れた瑞鶴、深雪五月雨を連れた由良と満潮荒潮を連れた阿武隈が、それぞれの開始位置に移動するところだった。

 

 その前で数人の若い整備兵と水兵が、興奮した声を上げながら食い入るようにしてモニターを見つめている。うち一人は黒いヘッドホンを着けており、そこから伸びる太いコードはすぐそばの無線機に繋がっていた。ないが、オープンチャンネルで流される通信を傍受しているのだろう。

 

 もしかしてこの人たち、艦娘の演習で賭け事やってる!!

 

 確か海軍内で賭博行為は禁止されていたはずだが……

 

「そんな怖い顔すんなって、嬢ちゃん」

 

 整備班長が毛むくじゃらの手でぽん、と肩を叩いた。

 

「別に賭けるっても金じゃない。菓子とか昼飯とか当番とか……大のオトナが可愛いもんだ」

 

「………」

 

 言われて少し考えてみる。

 

 賭博行為は風紀の乱れなのかもしれないけれど、これが問題視するレベルかと聞かれれば迷う。

 

 彼らには常日頃から艤装の整備、補給、点検、調整と世話になっている身だ。

 

 最近は駆逐軽巡以外の重巡と戦艦が横須賀に着任したため、仕事量が膨らんだせいか夜通し整備保管庫に明かりが灯っていることも珍しくない。そんな彼らの些細な楽しみに水を差していいものか。

 

 それに……ラムネの炭酸ガスでぽっこり膨らんだようになった、白ブラウスの下のお腹を見る。

 

 口止め料はとっくの昔に胃袋の中だ。

 

「……やるならあまり目立たないようにして下さい」

 

「お、おおうっ!?」

 見なかったことにする旨を整備班長に伝えると、彼は帽子の下の目をまん丸く見開き、必要以上に驚き、また狼狽してみせた。

 

「?」

 

「そ、そうだな……憲兵隊の連中に見つかるとやっかいだ。次からは気を付けるぜ」

 

「はい。あ、ラムネご馳走様でした」

 

 空になったガラス瓶を班長に渡すが、彼はそれを受け取ったままの姿勢で動こうとしない。

 

 仕方が無いので彼のことは置いておいて、自分のアームカバーを外してタオルと同じ洗濯籠に放り込んだ。そしてハイヒール型主機の代わりに、普段靴の白い下履きを突っかけて出口へと向かう。

 

 通用扉を開いて外に出ると、燦燦と輝く太陽の光が網膜に突き刺さり、思わず目を細めた。

 

 朝の天気予報では、今日の予想最高気温は34℃。

 

 司令部の赤煉瓦に続くアスファルトの道路はじりじり焼け、立ち昇る熱気の中で陽炎がふらふらと踊っている。

 

「では、整備よろしくお願いします」

 

 去り際に薄暗い保管庫の中に向かって声をかけるが、演習の映像に夢中になっているのか、誰からも応えは返ってこなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 途中で誰もいない駆逐艦寮に寄り、汗を吸った下着を新しいものに替えて赤煉瓦の司令部施設へ。

 

 けれども早く来すぎたのか、迎えの車の姿は無い。

 

 入口の階段に腰かけてしばらく待ってみたが、現れる気配すら皆無。

 

 昼休みの時間はとっくの昔に終わっているので、赤煉瓦の大正ロマンな司令部の建物に出入りする人影も無く、いつも見かける歩哨の海軍兵士も席を外しているようだ。

 

 急にまるで自分だけが、真夏の鎮守府に一人取り残されたかのような孤独感が押し寄せてきた。

 

 先ほどまでの海上の騒がしさに比べ、聞こえてくるのは蝉の声だけ。

 

 ……それにしても五月蝿い。

 

 四方八方からじ~わじわと大音量で鳴き喚かれると、何となく気持ちが落ち着かなくなる。ラムネで一旦引っ込んだ汗が、再びうっすらと肌の表面を湿らせ始めた。

 

 焦れてきたので少し不作法だが、座ったまま足を伸ばして空を仰ぎ見る。

 

 横須賀鎮守府の上には、まるで絵具で塗り潰したかのように鮮やかな青い世界が広がっていた。どこか懐かしさを感じさせるそれを眺めていると、視界の隅、赤煉瓦の屋上で、白いリボンの端が蝶の羽根のように舞っているのが見て取れた。

 

 誰かいるのだろうか?

 

 スカートの埃を払いながら立ち上がり、辺りを見回す。

 

 まだ車は来ない。

 

 建物の脇に備え付けられた非常階段への扉を開けると、一気に上まで駆け上がった。

 

 屋上に出ると、さあっと涼しげな潮風が髪を弄びながら吹き抜けていく。慌てて自分の頭を押さえてその場にしゃがみ込み、風が止むのを待つ。

 

 やがて風が弱まってきたので、暴れ終わった髪を手櫛で梳き直しながら、改めて屋上に人影を探す。

 

 いた、飛鷹だ。

 

 石組みの平らな床に転落防止の柵を付けただけの殺風景な場所で、一人の女性が日傘を差して佇んでいた。

 

 先ほど下で見かけたのは彼女の長い黒髪に結ばれたリボンだった。

 

 こちらに気付いた様子は無い飛鷹は、赤い薄手のドレス一枚という鹿鳴館で踊れそうな格好で、錆の浮いた柵の内側から物憂げな顔で海を見つめている。

 

 やはり整備兵たちのように艦隊の勝敗が気になるのだろうか。なら隼鷹に任せるだけでなく、自分も艤装を着けて参加すればいいものを。

 

 まだ気付かない彼女に声をかけよう思って手を上げた、ところで途中まで出かけた言葉が喉の奥に引っ込む。

 

 飛鷹が見ているのは海ではない。彼女の視線を辿ると、あったのは波打ち際に建つ木造の横須賀鎮守府駆逐艦寮。

 

 さっき自分が寄った場所だ。

 

 寮の屋上には横須賀の艦娘たちの洗濯物が物干し竿にかけられ、ばたばたと海風にはためいている。その陰から姿を現したのは、洗いたてのシーツが入った籠を抱えた、見覚えのある割烹着姿の女性だった。

 

『―――鳳翔さんを、あの人を二度と戦場に立たせないで!!』

 

 プップー!!

 

 突然のクラクションで意識が引き戻される。

 

 下を見るとボンネットバスのような長い鼻を持った黒光りするセダン車が、司令部の前に停まっていた。軍帽を被った運転手らしい詰襟姿の男性が、隣に立って腕時計でしきりに時間を確認している。

 

 迎えが来たのなら、もう行かなければならない。

 

 階段を降りる前に一瞬振り返ると、飛鷹は同じ場所でまだ動かずにいた。

 

 シーツの皺を額に汗して伸ばしている鳳翔さんの姿を、ずっと無言で見守りながら。

 

 

 


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