銀髪のアルテミス 作:イセカイタヌキ
「──生きて、たのか」
リゼットの声が、震えていた。
俺は、彼女がこれほど動揺するのを、初めて見た。
「驚くことじゃない」男が言った。「四歳のあんたが逃げられたなら、他にも逃げた奴がいて当然だろう」
森の四方から、旅装束の男たちが、じわじわと距離を詰めてくる。
「アルト」リゼットが、俺の袖を掴んだ。「こいつらの数、七人。あたしの目じゃ、全員の力量が正確に視えない。統率されすぎてる」
「統率してるのは、あの男か」
「たぶんな。……いや」
彼女の声が、鋭くなった。
「違う。あの男は、指揮官じゃない。誰かの、代理だ。魔力の質が、統一されすぎてる。全員、同じ場所で、同じように仕込まれた質だ」
「実験体の生き残り、全員か」
「あたしと同じ実験を受けた奴らが、まとまって、教団以外の誰かに雇われてる。そういうことだ」
男が、一歩、詰めてきた。
「無駄話はそこまでだ。抵抗するなら、痛めつけてから連れて行く」
俺は、右腕の紋章に意識を集中した。
「一つだけ、聞かせろ」
俺は言った。
「依頼主は誰だ。教団か、それとも別の誰かか」
男は、答えなかった。ただ、口の端に、薄い笑みを浮かべた。
「答えないなら、力ずくで聞く」
◆◆◆
最初に動いたのは、俺だった。
金と銀を撚り合わせ、正面の男へ刃を放つ。だが、その一撃は、あっさりと弾かれた。灰色の光が、俺の刃を受け止め、押し返してくる。
「くっ……!」
「あんたの力、俺たちも知ってる」男が言った。「同じ実験の産物だ。当然だろう」
「同じ、だと?」
「あんたは天才で成功した特例だ。俺たちは、失敗作の集まりだ。だが、失敗作にも、失敗作なりの使い道がある」
背後で、リゼットが叫んだ。
「アルト、後ろ!」
俺は反射的に身を捻った。灰色の縄が、俺の肩をかすめる。焼けるような痛みが走った。
「くそっ……!」
「アルト、二人がかりだと視えにくい。あたしが視られる範囲を絞る、そこだけ狙え」
リゼットが、目を閉じた。青灰色の光が、彼女の瞳に灯る。
「──右の男。動きに癖がある。左肩を庇いながら攻撃してる。古傷か、あんたと同じ、代償のたぐいだ」
「代償……」
「両性魔法に近い力を、無理に使い続けてる証拠だ。あいつら全員、限界を抱えて戦ってる」
俺は、右の男に狙いを絞った。左肩を庇う一瞬の隙を突き、金銀の刃を叩き込む。
「がっ……!」
男が、大きくよろめいた。だが、すぐに体勢を立て直す。
「──しぶといな」
「当然だ」その男が、荒い息の下で言った。「俺たちは、これしかない。この力を失えば、俺たちには何も残らない」
その言葉に、俺は一瞬、動きを止めた。
失敗作。代償を抱えたまま戦うしかない者たち。それは、リゼットが背負ってきたものと、あまりに近かった。
「アルト、油断するな!」
リゼットの声で、俺は我に返った。正面の男が、再び灰色の縄を放ってくる。
◆◆◆
戦況は、拮抗していた。
数の上では不利だ。だが、リゼットの魔力視が、一撃ごとに敵の隙を見つけ出し、俺の刃をそこに導く。ぎりぎりの均衡が続いた。
「──そこまでだ」
不意に、声が響いた。
先頭の男が、片手を上げた。他の男たちが、動きを止める。
「なぜ止める」俺は問うた。「勝ちを譲るつもりか」
「違う」男は、俺を見据えた。「予定外だ。あんたら、思ったより強い。このまま続ければ、双方が消耗する。それは俺たちの依頼主にとって、望ましくない」
「依頼主は誰だ」
「言えない。だが──」
男は、傷だらけの顔を、少しだけ緩めた。
「一つだけ、教えてやる。俺たちの依頼主は、教団の敵じゃない。教団の中に、いる」
リゼットの息を呑む音が聞こえた。
「教団の中の誰かが、俺たちみたいな連中を雇って、あんたらを狙わせてる。それだけでも、あんたらには十分な情報だろう」
「なぜ教える」
「同情、と言えば信じるか」男が、皮肉げに笑った。「あんたと、後輩のその女。俺たちと似た境遇だ。今日のところは、見逃してやる。ただし──」
彼は、俺の右腕を指した。
「その鍵、いずれ俺たちの依頼主の手に渡る。逃げ続けられると思うな」
男たちは、そのまま、森の奥へ姿を消していった。
◆◆◆
俺は、膝をつき、肩の傷を押さえた。焼けるような痛みが、じわじわと広がっている。
「大丈夫か」
「大丈夫、なわけあるか」
俺は、荒く息をつきながら、笑った。
リゼットが、俺の肩の傷を覗き込んだ。
「浅い。だが、放っておくと膿む。手当てする」
彼女は、慣れた手つきで、傷口に薬草を当てていく。その指先が、いつもより丁寧だった。
「──さっきの男の言葉、どう思う」
俺は聞いた。
「教団の中に、依頼主がいる」
リゼットの手が、一瞬、止まった。
「あんたが聖堂で聞いた、あの声。教団の上位五人。両性魔法を使う若い高官。……全部、繋がってるのかもしれない」
「教団は、一枚岩どころか、内側で何かを争ってる」
「かもな。だが、それが分かったところで、今のあたしたちに打つ手はない」
彼女は、包帯を巻き終えると、ふいに、俺の顔を見た。
「──一つ、言っておく」
「なんだ」
「さっきの男が言った、『これしかない』って言葉」
彼女の声が、少し低くなった。
「あれは、あたしの気持ちに近い。あたしも、この魔力視しかない。他に、何も持ってない」
俺は、彼女を見た。
「お前には、他にもある」
「何がある」
「頭が回る。度胸もある。あと──」
俺は、少し考えて、続けた。
「俺を、まだ売ってない」
リゼットは、しばらく黙っていた。それから、小さく息を吐いた。
「──安い評価だな」
「安くない。今の俺には、それが一番でかい」
彼女は、それ以上、何も言わなかった。ただ、包帯の余りを、丁寧に束ねていた。
◆◆◆
その夜、北の自治都市ヴェルダンの手前で、俺たちは野営した。
焚き火の向こうに、街の灯りが遠く見える。教団の直轄地ではない、自由な街。
「明日には着く」リゼットが言った。「ヴェルダンには、あたしの伝手がある。祭壇の場所を、もっと正確に絞れるはずだ」
「伝手、というと」
「情報屋時代の知り合いだ。信用できるかどうかは、会ってから判断しろ」
俺は、頷いた。それから、ふと、思い出したように聞いた。
「一つ、聞いていいか。灼光学院時代、俺の知り合いに、剣の腕が立つ男がいた」
「──誰の話だ」
「いや、なんでもない」
俺は、それ以上、言わなかった。だが、頭の中で、赤い髪の男の顔が離れなかった。
カインは今、どうしているだろうか。教団に追われる俺を、剣を向けながらも逃がした、あの目。何かを庇っていた、あの様子。
もし、教団の内側で何かが争われているとして、カインは、その渦の、どちら側にいるのか。
「明日、ヴェルダンで、もう一つ調べたいことがある」
俺は言った。
「なんだ」
「灼光学院の卒業生名簿だ。今、どの部隊に、誰が配属されてるか」
リゼットが、俺を見た。
「──さっきの、知り合いの話か」
「察しがいいな」
「あたしの目より、あんたの顔の方が分かりやすい」
彼女は、焚き火に、もう一本、薪をくべた。
「いいだろう。だが、覚悟しとけ。もし、その男が、教団の内側の争いに巻き込まれてるとしたら──」
「──俺たちと同じ側にいるとは、限らないってことか」
「そうだ」
火が、パチリと爆ぜた。
俺は、遠くに見える街の灯りを見つめた。
◆◆◆
翌朝、街道を進み、ヴェルダンの門が見えてきたところで、リゼットの足が、また止まった。
「──アルト」
「どうした」
「門の前、視えるか」
俺は目を凝らした。門の前に、人だかりができている。何かの掲示が、貼り出されているようだった。
近づくと、それは、大きな一枚の紙だった。
指名手配書。俺の顔が、そこに描かれている。だが、それだけじゃなかった。
隣に、もう一枚。
赤い髪の、見覚えのある顔が、そこにあった。
「──カイン……?」
指名手配書には、こう書かれていた。
『元灼光学院所属、審問官カイン・アッシュワース。アルト・グレイヴェルへの背任、および教団機密漏洩の容疑により、大陸全土に指名手配する』
リゼットが、低く言った。
「──あんたを逃がした責任、思ったより重かったみたいだな」
俺は、その手配書を、じっと見つめた。
カインが、教団に追われている。俺と、同じ立場で。
「あいつ、今どこにいる」
「分からない」リゼットが、周囲を警戒しながら言った。「だが、手配書が出てるってことは──」
「──教団から、完全に切り捨てられた、ってことか」
俺は、拳を握った。
もし、カインが教団に切り捨てられたのなら。もし、あいつが、行き場をなくしているのなら。
俺には、探す理由がある。