アプレ・ラプルイの朝日〜聖劍と王冠、ヤンヘラ女神の御名において〜 作:鹿鳴弥
イルゲルムの雰囲気が変わった。
さっきまで注がれていた視線には、ほんの少しの侮りが垣間見えていた。
だけど、今は違う。
侮りなどない。
用心深く僕らを睨み、両刃槍を片手で深く構えている。肌を指すような圧が、僕らの五体にのしかかる。
「<
イルゲルムが無くなった己の腕に魔法陣を描いた。
魔法陣に瘴気めいた魔力が流れ、白い魔法陣が妖しく輝く。
筋肉を固め、抑えていた出血が止まった。。
……ほむ、治療。いや、再生か。
しかも、人間種の魔法からかけ離れている。
瘴気をメインとして操り、法則そのものを変質させてる。
源流能力に依存していない、魔族の再生魔法。
手の甲を魔力で覆う。
魔力を瘴気へ変質させ、手で隠すように掌へ<
――魔法文字数、ざつと5万6千、ってとこか。
魔力消費量もそこそこ以上。<
肉が盛り上がるように治癒しているわけではない。
巻き戻しのように腕の状態が戻っている。
難易度と魔力消費こそ気になるが、使えないことはない。
「……ち。この影の魔力量では止血が精々か」
だけどイルゲルムは僕らを睨んだまま舌打ちし、光珠を天に浮かべる。
欠損した影が伸び、転がったイルゲルムの腕と影がつながる。
「<
気魄が影を覆う。
瞬間、影が反転し、イルゲルムの手がつながる。
「……仕切り直し、ね。何てインチキ」
リリアは苦々しい顔になり、五体満足のイルゲルムを睨む。
「いや、そうでもない」
《蒼眼》を光らせ、<
「あの魔法……。<
ざっと見ただけでイルゲルムの魔力の半分を減らしている。
視界の端では<
あれだけ光源が不安定な状態で、影を意識しながら立ち回るのは至難。
「す――、ッ」
深呼吸を一つ。
脳内で状況をまとめる。
イルゲルムの源流能力は「影の実体化と虚構化」。
言うなれば影を現実に持ってきたり、現実のものを影に変えてしまう能力だ。
《
《
《
そして、影を自在に操る光魔法。
厄介なんてレベルの話ではない。本来ならば、軍を動員して討伐をしなければなえらないレベルの魔族だ。
「――開」
イルゲルムが何かを唱える。
瞬間、大量の魔力がイルゲルムの体内で高速循環し始めた。
イルゲルムの威圧感が跳ね上がり、周囲の魔力が陽炎のように揺らめく。
「気を付けて、リリア。イルゲルムの纏う魔力の質が上がった」
「ええ」
リリアが静かに頷いた。
「そう気を張らずともよい」
イルゲルムが両手で両刃槍を構え。
「張ったところで、すぐ終わる」
瞬きの間もなく、僕らのすぐ傍へと踏み込んでくる。
影を用いた瞬間移動と、全体重を乗せた高速の切り下ろし。
音を切り裂いて迫る一撃を、魔力を十分に乗せた刀で受け止める。
「ふっ!」
リリアの強烈な一刀をイルゲルムは両刃槍で受流す。
流水の体捌き。
リリアの剛の剣を柔の槍にてやり過ごしたイルゲルムは影に消える。
瞬間、イルゲルムは影一歩分、後方へ移動していた。
影を利用した疑似的な瞬間移動、か。
『畏れ多き竜皇女の御業よ――』
イルゲルムが声に魔力を乗せ、詠唱する。
両刃槍が音を立てて変形する。
槍は半分になり、双剣へと変わった。
「往け」
イルゲルムは双剣の片割れを投げる。
直線で飛来する直剣を躱し、直剣は地面に刺さる。
直剣の影が歪み――、ッ!
「ほう、対応するか」
宙に浮かんだまま、イルゲルムは身体を捻って回転斬りをお見舞いしてくる。
一撃、二撃、三撃。
連続する回転斬りを凌いだ瞬間、またもイルゲルムが影に消えた。
矢継ぎ早にリリアの頭上に、巨漢の魔族執事は現れた。
「今度はわたしかッ」
リリアが猛然と切り返す。
【八炎鼓】を刃に纏わせ、双剣の連撃に深紅の剣閃で迎え撃つ。
一合、十合、百合。
赤刃と鉄刃が幾度もぶつかり合い、それは少しずつ加速していく。
鈍色と深紅の剣閃が交差し、刃の嵐を巻き起こしていた。
「《
リリアの焱剣がイルゲルムの刃を溶断する直前。
双剣に影がまとわりつき、力を乗せた赤閃が空振った。
「ちぃ!」
一瞬、リリアの態勢が崩れる。
「終わりだ」
「そうでもない」
影から両刃槍を取り出したイルゲルムへ僕が蹴りを入れる。
「来ると思っていたぞ」
しかし、僕の蹴りも影に空降る。
影が僕の胸倉へ手を伸ばし、それがイルゲルムの手に変わる。
一瞬で胸倉を掴まれた。
「寝て居ろ」
イルゲルムが僕を高らかに持ち上げ、地面に叩きつけようとする。
「そうはいかないわよ!」
瞬間、リリアが大上段で切りかかる。
大柄な魔族の執事は影に消え、はるか後方へと跳んだ。
「ねえ、エディン。あいつ魔力半分切ったって言ってたわよね?全然継戦できてるじゃない」
「そりゃ、源流能力は魔力使わないからね。魂の力たる気魄を使ってるんでしょ?」
「…………そうだっけ」
「君も使ってる能力でしょうが!!」
なん、君……! 君なぁ……!
僕はまだ源流能力持ってないんだぞ……!
羨ましいったらないのに、その対応はちょっとないんじゃ――。
突如、迫ってきた両刃槍の一撃を刀で逸して防いだ。
「おしゃべりしていてもよいのだぞ?」
「君が大人しく投降してくれたら、ゆっくりお喋りできるんだけど、ねっ!」
イルゲルムの一撃を受け流し、柄に蹴りを入れる。
「せめて我を負かしてから言うことだ」
イルゲルムは蹴りの衝撃を巧みに活かし、両刃槍を大回転させる。
両刃の槍が旋回し、怒涛の勢いで刃はリリアに襲い掛かっていった。
「《
影の刃が追撃に乗っていく。
先ほどとはけた違いの無理やりな魔力強化をイルゲルムは肉体に施している。
「く……っ!」
リリアが少しずつ押されていっている。
しかし、観察していても刃を差し込む余裕は視えない。
嫌な汗が背中を伝う。
ここで僕が乗り込んでも、リリアの脚を引っ張るだけ。
どうする、どうすれば……っ。
『――エディンは最初、観察に徹してしまう癖がある』
イルクの言葉が、脳裏を過った。
そうか、これが僕の悪癖――。
『これは悪いことじゃないからね〜。考えながら一歩、行動に起こしてみるのが正解だと思うよ』
そして、続くイルクの言葉が僕の卑下を打ち消した。
考えながら。そう、考えながら行動する。
刃の嵐は過熱していく一方だ。
あのリリアが押されている。
剣術では無双。
いつだって余裕の表情で敵を粉砕していた僕の仲間が、近接戦で苦い顔で剣を振るっている。
「――【
刃を構える。
考えを巡らせる。視索を続ける。
《蒼眼》で映る視界の全てを呑み切り、一歩を踏み出す。
刃が重なる、その一歩の呼吸に合わせ。
「――《
刃を差し込む。
脚に溜めた魔力を爆発させ、漆黒の刀でイルゲルムの槍剣の刃を受け流す。
「ほう」
イルゲルムは光珠を頭上に浮かべ、影の刃を倍に増やした。
前方から迫る、10を超える刃。
滝のような斬撃の霰を、ただ一刀にて受け流し斬った。
【
即ち、防御。流水の剣たる【旧流法】の基礎たる奥。
即ち、受け流し。
イルゲルムの強烈な一撃、その全てを立て板の水のようにいなしていく。
「ぬう……!」
イルゲルムは焦り、両刃槍の影を増やして切りかかってくる。
「――ふっ」
しかし、リリアが隣に立ち、そのすべてを切り落としていく。
舞うような剣を振るい、僕が流しきれなかった一撃の全てを叩き落としていく。
リリアがちらり、と一瞬こちらを見てきた。
僕は笑みをリリアへと返す。
イルゲルムは《
つまり、斬撃の増加と無敵化は並列できないということだ。
獣のごとき直感でそれを察知したリリアの刃が加速する。
「おのれ……っ!」
イルゲルムが魔力をこめ、全膂力を込めて刃を叩きつけてくる。
しかし、軽い。
前半の高い威力とは比べ物にならない。
イルゲルムの視線が一瞬揺らぐ。
とうとう魔力の底が見え始めたのだ。
――ここで撤退するか。否、持久に持ち込んだとて勝目はない。しかし、ここで力比べをしてもっ!
イルゲルムの動きに、一瞬の迷いが生まれ。
「――揺らいだね」
「『斬骨』」
僕らはその隙を見逃さない。
肩を魔力で限界まで強化し、体当たりをイルゲルムに仕掛ける。
イルゲルムの体幹が一瞬崩れ、そこを食い破るようにリリアが突っ込む。
即ち。【炎巫流】奥義、『斬骨』。
強烈な踏み込みからの振り下ろし。
弾丸のようにリリアの身体が急加速し、イルゲルムの両刃槍の片割れを両断してのけた。
「――《
イルゲルムが影の刃を最大まで増やした。
合計八本の刃。逃れようのない一撃がリリアに迫る。
それは、獲物に食らいついた獲物のように包み込み――。
「《統巡》」
そこを、《統巡》の力場で崩した。
イルゲルムの眼が、驚愕に見開かれる。
ああ、そうだよな。驚くよな。魔法でもなく、魔力による動作でもない。
初見だと何をされたかわからない。その思考の致命的な空白が、絶対の隙に繋がる。
リリアの追撃がイルゲルムの肩口を切り飛ばした。
僕も刃を横薙ぎに振るい、イルゲルムの手の腱を切り裂き、宙返りで奴の背後に回り込む。
間髪入れず、逆手に持ち替えていた『亡星』で背後へ突きを放った。
その一撃は、心臓を貫いていた。
ゆっくりと刃を引き抜き、残心を解きながら崩れ落ちるイルゲルムを見る。
「僕たちの勝ちだ。死ぬ前に答えろ、イルゲルム」
荒れる息を調えながら、イルゲルムを見下ろす。
「なぜ、リンさんとキョウタローさんを生かした? いや、そもそも、なぜ――」
瞬間。
イルゲルムの身体が影に沈み始めた。
「今更無駄なあがきを――」
刀をイルゲルムの影に振り下ろす。
「! リリアッ!」
リリアの切り飛ばしたイルゲルムの腕に、強烈な魔力が渦巻き始めた。
よく視れば、術式がイルゲルムの腕に刻まれていた。
それは自爆の術式。
己の腕を熱と衝撃に変換する、破滅の術式。
魔力が収縮し、臨界に迫っていた。
僕はリリアにとびかかり、思いっきりタックルした。
彼女を押し倒し、頭を思い切り抑え込む。
須臾の間も無く、イルゲルムの腕の魔力が膨れ上がり。
その場で、大爆発を巻き起こした。
※※※
何もかもが吹き飛んだ、暗黒の教会の祭壇。
<
ただ、<
【
その祭祀場の残骸、水たまりのような影が蠢く。
影から樹木のようにヒトガタが伸び、一人の魔族を象った。
「ふう……、ふう……。」
イルゲルム、その人である。
執事服はところどころが破けている。白手袋も破れ、その手の甲がむき出しになっていた。
手の甲には、ギョロリと動く赤い目。
両手と顔。その2つの器官に備わった、計五つの眼が周囲を見回す。
近くにはリリアをかばう形で倒れ込む、緑髪の少年の姿があった。
全身から血がどくどくとあふれ出している。
右腕は粉砕骨折し、左腕も折れている。
全身から出血があるが、特に頭の血がひどい。
鉄錆の香りがする赤い体液を頭から流し、魔力もその傷口からあふれ出している。
だが、十字架にくくられた冒険者たちに爆風は及んでいない。
幸か不幸か、祭壇と<
彼女たちの柔肌には、若干のすすが憑く程度の傷しかなかった。
「ごっふ……、ごっふ……!」
イルゲルムはせき込み、ふらふらの身体を起こして立ち上がる。
「時間を……。時間を稼がねば……。一人でも多く、冒険者を……。この迷宮に釘付けにせねば……。本体が、事を成すまで……!」
イルゲルムはうわごとのように繰り返しながら、倒れ込む少年の元へとよる。
彼の目的はほぼ達成したようなものだ。
それこそが、時間稼ぎ。そして、ギルドの戦力を少しでもこちらに呼び寄せ、釘付けにすること。
この二人は紛れもなく強者であった。
これほどの戦力をここに呼び寄せ、釘付けにしただけでもイルゲルムの目的は適っているのだ。
「戦士よ。貴様は、よく戦った。このイルゲルムは、生涯貴様を忘れることは無いだろう」
イルゲルムはそう言い、両刃槍をエディンに向けて振りおろした。
――ガギィッ!
両刃槍は途中で逸らされた。
その刃はエディンの身体を抉ることなく、不可視の障壁に軌道を変えられたのである。
アルターの魔法、<
「……?」
イルゲルムは同じく、その刃をリリアへも振るう。
しかし、結果は同じだ。
障壁によって刃の軌道が変わり、明後日の方向へと刃が向いた。
「や、やい! ふたりを倒すのなら、まずアルターが相手になるのです!」
「………………」
イルゲルムは軽蔑した目をアルターへ向けた。
あまりにも身体が細く、小さい女。
ぶるぶると身体を震わせ、その瞳に悲壮な覚悟を秘めて睨んでいた。
だが、その熱がイルゲルムに届くことはない。
「退け、木っ端」
「ぎゃっ……!」
両刃槍を振るった。
<
アルターの全身から、赤黒い血が滲み出る。
だが、イルゲルムにとってそれは作業でしかない。
二人が己と死闘を繰り広げている間、この肉はずっと蹲り、震えていただけ。
唾棄すべき惰弱。刃を汚す価値すらない。
アルターなる女は魔力だけはすぐれていた。
血の質次第では、【豚鬼】の餌か、孕み袋くらいにはなるだろう。
そう考えたイルゲルムは品定めするように、飛び散ったアルターの血を嗅ぐ。
――なんだ、小僧。
イルゲルムの魂が。連綿と紡がれてきた遺伝子が、恐怖を思い出した。
大きな黄金の瞳。黒き髪。己への絶対の信頼に満ちた、双剣を佩いた暴虐の女。
「な、あ、あ――」
イルゲルムの顔面が蒼白に染まる。
この血は。この血の香りは。この、魔力の特質は……。
「貴様、まさか……! あの血族の末裔か……っ!」
イルゲルムが飛び退き、ガタガタと震える己の身体を抑えながら両刃槍を構えた。
その時。
「馬鹿な」
イルゲルムが、呆れを漏らした。
「まだ」
その、頑強極まる体に。
「まだ、立ち上がると言うのか」
その、頑強極まる精神に。
「その傷で、まだ……!」
その、蒼い虚空の瞳に。
「エディン・イラ・リステリア……!」
今尚不敵に笑う、その少年の強さに。
イルゲルムは、
「ああ――」
エディンは、掠れた声で笑い、ぎこちない動作で刀を構えた。
「まだ、依頼を達成できてないからね」
その刀は、漆黒ではなく。
――赤い爆炎が入り混じっていた。