アプレ・ラプルイの朝日〜聖劍と王冠、ヤンヘラ女神の御名において〜 作:鹿鳴弥
意識を取り戻す、ほんの数秒前。
僕は闇の中にいた。
「こ、こは……」
痛む頭を押さえ、立ちあがる。
何も視えない。何も匂わない。暑くも、寒くもない。
何も感じない、春の夜のような闇。
「確か、僕はさっきまでイルゲルムと戦って……。それで――」
閃光。そして衝撃と、熱。
記憶が一気に舞い戻ってくる。
イルゲルムの切り落とした腕が自爆して、その衝撃からリリアを庇った。
そして、その爆発の直前、イルゲルムは影の中に潜ったんだ。
――そうだ。僕は、あいつの自爆で気絶したんだ。
記憶が蘇った途端、僕の五体から血が噴き出した。
右腕の肘から先がねじ曲がり、あばらが嫌な音を立てて軋んだ。
痛みはなく、ただ身体の不自由な感覚のみがへばりつく。
間違いない。ここは夢。
あるいは、心中の光景。現実から遠い、意識の世界。
「まずい、戦いはまだ終わっちゃいない! 急いで戻らないと」
傷なんか気にしている場合じゃない。
《蒼眼》の視界範囲を広げ、闇の中を探る。
――果てが視えない。
ただ、真っ黒いだけの闇が延々と続いていた。
焦る心中が鼓動を早め、限界まで意識を《蒼眼》へと向ける。
はやく、あの戦いの場に戻らないと。目覚めないと。
僕どころか、リリアやアルターまでイルゲルムに殺されてしまう。
集中しろ。
何かあるはずだ。目覚めの鍵になるような異変、もしくは突破口。
空。果て。後ろ。
全てをくまなく視続けていても、あるのは闇。一寸の光も無い、暗黒だけが《蒼眼》に映った。
探せ。他に何かある。絶対に、何かが……。
「……青い、川?」
ふと、地面に眼を向ける。
か細く青い川が、僕から見てまっすぐ続いていた。
「これは、僕の血か?」
その長い水たまりのような川を歩いていく。
闇の中に
終点は深い闇だった。
瘴気と酷似した、人を拒む力の塊が、垂れ続ける僕の血を啜っていた。
「――泣き声だ」
闇から、少女のすすり泣くような声が聞こえた。
黒い闇は飢えたように僕の血を一心不乱になめ啜っている。
――どこか、懐かしいような気持ちになった。
東塔で、初めて狩りをしたときの僕のようだった。
震えているような泣き声。寂しくて、辛くて、怖くて泣いているような、悲しい声。
「――おなかが空いているのかい?」
青い血だまりに膝を付き。目線を闇へ合わせる。
焦りはいつの間にか消えていた。
戻らなければならない。
だけど、目の前で泣いているこの闇を放って前に進むことはできない。
寂しくて、お腹が空いて、どうにかなってしまいそうな気持は痛いほどわかる。
だから、異様で不気味なこの光景を拒絶する気にはなれなかった。
「美味しい?」
闇へ手を伸ばす。
霧に触れているような、生暖かい湿度。感触はそれだけしかない。
優しく、霧を撫でるように手を動かす。イルクがいつか、僕にしてくれた感情を、この闇へ分けるように。
すると、僕の血が食事へと変わった。
赤い血が、青い葡萄酒に。白いパンになり、ふわふわと空に浮いた。
「お食べ」
《統巡》で浮いたふたつを動かし、目の前の黒い闇へ渡した。
『…………!』
闇は葡萄酒を白いパンを頬張り、青い葡萄酒を舐めるように飲んだ。
――闇が明ける。
閉じた闇は、満天の夜空へ。数多の銀河が、星々が白々と煌めいて夜を照らす。
そして、星が流れる。
6つの星が流れ、尾を引いて大地に落ち、光の粒となって弾けた。
『…………ァ』
目の前の闇が紅蓮の炎に包まれた。
<紅蓮砲殲火>の火だ。爆炎に包まれた闇は、苦しむ様子もない。
いや、これは……。
逆だ。<紅蓮砲殲火>の火を、食っている。
炎と闇は混ざり合い、つむじ風と共に1つになり。
一本の刀となった。
「これは」
『
闇の夜を彷彿とさせる女の子は、僕の愛刀に宿る意思だった。
黒かったはずの刀身は、<紅蓮砲殲火>の紅蓮に染まっている。
轟々と刀身が燃え盛り、リリアの持つ赤剣【閻】のような色合いになっている。
「――ふう」
息を抜く。
地面に突き刺さった『亡星』の柄を手に取る。
ひどく、手になじむ。
羽毛のような軽さという次元ではない。掌に吸い付くような、右手の先に在るような。血肉を通わせているような感覚がこの刃にはあった。
《
うっすらと、白線が空に敷かれているのが視えた。
僕は『亡星』を構える。
意識を一点に定める。狙いは白線。柄を両手に持ち替え、定めた狙いに刃先を添わせ。
一閃。
瞬間、夜が砕けた。
黒に満たされた領域が砕け散り、白光が彼方より差し込む。
朝日だ。
夜明けの白光と赤光が混ざりあい、夜が朝に溶けていく。
「行こう」
静かに右足を一歩、光へ向けて踏み出す。
意識が光に包まれ、薄明に向かっていく。
リン、と『亡星』が鳴ったような気がした。
※※※
そして、現実に至る。
「え、エディン……。た、たっちゃダメなのですよ……! その傷じゃ――」
「心配かけたね、アルター。でも、大丈夫」
僕はアルターへ背中越しに笑いかけ、静かに息を吐く。
「すぐ終わらせるから。安心して、今はゆっくり寝ててくれ」
傷だらけのアルターを背にやり、紅く染まった『亡星』を構える。
全身が強烈に痛む。
頭からは血が止まらない。右腕は複雑に折れ、肋は数本折れている。息をするだけで肺から背すじまで刺すような鋭い痛みが走っている。
だが、動く。
『
これのおかげで、僕は今、なんとか動けている。
目の前にいるイルゲルムも傷としては同様だ。
心臓の動きは微弱。完全には治療しきれていない。余裕は全くと言っていいほどない。
だけど、僕が気絶している間にある程度は治療が済んでいる。
あいつは万全に動くことができるだろう。
――面白くなってきた。
「――理解できぬな」
イルゲルムは両刃槍を片手で構えたまま、いぶかしんだ視線を向けてくる。
「なぜ、そこまでする。いかに貴様が手負いであろうと、我にも余裕はない。
貴様ほどの腕であれば、そこな赤髪と、忌まわしきアヌマティの血族を連れて地上まで逃げおおせるくらいはできよう」
イルゲルムは更に少なくなった魔力を全身に回し、強化をかけながら僕を睨む。
しかし、口ぶりは諭すような論調であった。
「13の年頃とは思えぬほど、貴様はよく戦った。見逃してやる。むざむざこのような絶望的状況に挑む愚を犯すこともあるまい」
イルゲルムは両刃槍の切っ先を入り口へと向け、柔和な笑みを浮かべた。
「――『アプレ・ラプルイの朝日』を知っているか?」
僕は体内を《流月》で整え、折れた骨を接ぎながら語る。
「人間の古い言葉だ。『明けない夜はない』という意味で、僕が何度も読んだ物語の題にもなっている」
刃を天に向け、切っ先をイルゲルムへ向けて構える。
――『霞崩の構え』を取りながら、喉奥からせりあがってきた血を吐き捨てる。
「僕が東塔にいたころ、ずっと。ずうっと読み続けてきた本。その一節であり、
「……ほう」
イルゲルムは眉を顰め、低い声で問い返す。
「言っただろう。依頼をまだ達成していない。トータさんの仲間を、お前から取り返していない」
体内で魔力を練り上げ、戦意を強く意識する。
「それに、これは僕独自の解釈だが」
「『アプレ・ラプルイの朝日』は、待っていても希望ってのはやってこない。絶望を乗り越えなきゃ。夜を凌ぎ、越えなければ朝は迎えられない」
「つまり、僕にとってお前はな、イルゲルム」
血に染まった顔を見せつけ、僕は精一杯憎たらしい笑顔を浮かべる。
「越えられる
「そうか」
イルゲルムが片眉を持ち上げた。
3つの眼と、手の甲にある赤目を戦意に染め上げ、大きく口を開く。
「よかろう! 我が慈悲を蹴るというのならば是非も無い。我が武威、陛下の刃。その真髄を頭蓋に刻んでやろう」
イルゲルムが声を張り上げる。
僕の身体にも活が入る。
目に力を入れ、イルゲルムを全力で睨みつける。
「――来い」
しかし、どうしてだろうか。
イルゲルムも、僕の頬にも。互いにこらえきれないような、不敵なの笑みが浮かんでいた。
※※※
勝負は一撃で決まる。
互いに確信があった。
イルゲルムの魔力は微弱になっている。僕の身体も限界ギリギリ。
互いに一撃を繰り出すのが限界。
だから勝負は一瞬で決着がつく。
「「………………」」
息と息が重なる。
互いに踏み込まない。この先、一撃で勝負が回天する。
だからこそ、一挙手一投足の駆け引きが重いのだ。
握った『亡星』の柄に、僕の血がどくどくと流れていく。
ごう、と爆炎を纏わせる黒刀の火勢が一段と強くなる。
『亡星』はどうやら、僕の魔法を吸収する。
魔力を注ぎ込めば注ぎ込むほど威力が増すだけではない。
僕の魔力である魔法すらも飲み込み、増幅させる妖刀。
<
<紅蓮砲殲火>すら凌駕する一撃を叩き込める。
つまり、イルゲルムを殺しきるには十分な威力となっている。
だから、隙を伺う。
『亡星』の威力が桁外れに強化されていることをイルゲルムとて察知している。
僕らは互いに魔力をドーム状に展開し、魔力探知の場を奪い合っている。
影一歩分、外で僕らは相対している。
狙いは《
《
つまり、その瞬間に『亡星』の一撃を浴びせればイルゲルムは死ぬ。
殺せる。
だが、そこを見誤れば僕の負けだ。
《
使われたら最後、空振って態勢を崩した僕の首をイルゲルムが切り飛ばせば終了。
何より、右腕が完全にへし折れている。
左手も利き手ではあるが、イルゲルムの一撃を受け止めるのは厳しいな。
勝負は一瞬。僕の勝敗の行方はそこにかかっている。
「ふう――、ふ……っ」
だけど、僕はいつまでも睨み合いができる程余裕が残っていない。
血が止まらない。
どくどくと僕の身体から血が流れていっている。
視界も揺らぎ始めている。もってあと数分。そこを過ぎれば、僕の意識はそこで途切れる。
イルゲルムの葛藤も視て取れる。
イルゲルムの残存魔力も雀の涙ほど。
気魄はまだ残りもあるだろうけど、《
有効打を与えられるのは、あと一撃だけ。
だが、こうして魔力強化を全身に施しながら機を伺っていたら、すぐに魔力が底をつく。
視線が交錯する。
熱が、怜悧が、戦意が混ざり合い、イルゲルムの葛藤と僕の懸念が溶けあっていく感覚があった。
この泥沼から抜け出さねばならない。
イルゲルムの眼を見る。
その目にはまだ迷いが視える。余力を残すか否かで揺れている。
なら。
――迷いを捨てる。
緊迫が、限界まで満ちたその時。
維持していた魔力場の一部を
「!」
イルゲルムが一気に駆けだす。
雷速の勢いで距離を詰め、両刃槍を僕へ振り下ろす。
一撃を受け止めた瞬間。
「《
魔力探知が緩んだ死角から、影の刃が迫る。
三本の影刃。
ほぼ同時に迫る影の刃。それを避けることも、察知する隙もなく発動した刃。
対する僕は、
少なくとも、対峙するイルゲルムにはそう映ったはずだ。
回避も防御も取らなかった僕の肩、右わき腹、左太ももを影の刃が抉り飛ばした。
「く……っ」
三か所から鮮血が噴き出した。
がく、と僕の体幹が崩れる。
イルゲルムは無言で両刃槍を振るい、鍔競り合いを征する。
『亡星』が左手から叩き落され、右腕すぐ横の地面に横たわった。
長身の体躯から、両刃槍へ全魔力を集中させる。
蹲った僕へイルゲルムは両刃槍の刃を振り下ろした。
――いまだ。
瞬間、首を捻ってその一撃を躱した。
「!」
――肉を切らせて骨を断つ。
魔力探知の場は囮。
《蒼眼》で全て把握している以上、これはイルゲルムへの見せ札でしかない。
迫りくる影の刃を予測し、そこへ魔力強化を集中させることでダメージを最小限に抑えた。
イルゲルムが《
――勝った。
「捉えたぞ」
地面に転がっている『亡星』を、折れた右手で握りしめる。
影に沈み行くお前の身体と、『亡星』はゼロ距離。
お前が影に逃れるより。
「魔剣技巧――」
僕の一刀の方が速い。
「――《
爆炎の刃が、イルゲルムの胴を一文字に薙いだ。
※※※
「――覚えたぞ、
イルゲルムの胴が空を舞いながら、静かに語る。
悔恨と、不甲斐なさ。怒りと、憎しみがないまぜになったような声。
「我が宿願を阻むモノよ」
だが、込められた感情と相反するようにイルゲルムの声音は透き通るような称賛と、清々しい感情もまた、基底にあるように感じる。
「怯えるがいい。五つ目の本体が。
足元からイルゲルムの身体が黒炭のように崩れ、散っていく。
「もちろんだ」
僕は消えゆくイルゲルムを見下ろし、告げる。
「逃げるつもりなんてない。必ず本体とも決着をつけてやる」
揺れる視界の中、僕は最後の力を振り絞ってイルゲルムを睨みつける。
イルゲルムの顔が消える、その刹那。
ふ、とイルゲルムの口角が上がったように見えた。
魔族、五つ目のイルゲルムは消え去った。
「ふぅ――」
息が口から洩れ出て、静かにぶっ倒れた。
薄れゆく意識の中。魔法陣を描き、身体に白い光を浴びせる。
<
イルゲルムから戦闘中に盗んだ、回復魔法を浴びる。
「――勝った」
身体が癒えていく感覚を得ながら、僕は静かに呟き。
安心して意識を飛ばした。