アプレ・ラプルイの朝日〜聖劍と王冠、ヤンヘラ女神の御名において〜 作:鹿鳴弥
――夢だ。
褪せたセピア色の波止場。
一寸先は嵐の壁。見上げた空には分厚い雲。
寂れた港町と、流れ込んでくる海の香りと、巻き上げられた海水が顔に当たり続けている。
片目を抑える。いつものような情報の洪水が頭に流れ込んでこない。
つまりここは夢の世界。僕の記憶の底。つまりは過去に僕が見たリステリアの景色だ。
『ご覧、エディン。ここがリステリアの最果て、嵐の壁よ』
そして、僕の手を引く緑色の髪の女性。
お母様。僕が3歳の夏に流行り病で亡くなったはずの母。
何度も夢で見たお母様の記憶だ。
(……お母様がいた頃、か)
何度も夢に見た景色。涙が枯れてしまうくらい何度も見た景色。
ここは10年前の【蒼輝国家】リステリア。
僕はお母様に手を引かれ、嵐の先を見つめる。
……何も視えない。雨粒も、雷も、原子構造も。嵐の中にあるネジ曲がった法則も重力場も、何も感知できない。
母はそれを知ってか知らずか、僕を抱き上げて穏やかに笑う。
『いつか貴方はこの嵐を超えて、王になるのよ』
『王?』
僕の意思に関わらず、僕は言う。
記憶をなぞるように、お母様との思い出を大切にするように僕の唇は意思を置き去りにして追憶を口にする。
『リステリアの王じゃないの。でもリステリアを正し、導く強い王に。誰かの傷を知って、誰かのための王様になるのよ。そう』
母は穏やかな顔のまま、僕の耳元に口を寄せた。
『――人の王に、貴方はなるのよ』
※※※
後頭部に柔らかい感触があった。
前髪を撫でつける、小さな手の感覚がふんわりと伝わってくる。
誰かが、僕の頭を撫でてくれている。
「~~♪」
子守歌だ。
透き通るような声に、やさしさが満ちている。
静かで、いたわりに満ちた歌声が、頭の上から聞こえてきた。
脳の機能が回復してくる。
瞼を閉じたまま、《蒼眼》で周囲を視た。
リリアだ。
やさしく、穏やかな顔で彼女が膝枕をして、頭を撫でてくれている。
「ん……、リリア?」
ゆっくり瞼を開け、リリアと眼を合わせる。
「起きた? エディン」
やわらかい口調でリリアが僕に笑いかけてくる。
「え、エディン……! 大丈夫なのです!?」
反対側を視ると、アルターがひどく慌てた様子で僕を見ていた。
「大げさだなぁ、大丈夫だよ」
リリアに軽く礼を言い、上体を起こしてアルターに笑いかける。
「あのくらいの怪我、迷宮都市国家に来るまで日常茶飯事だったんだよ? ほら、この通り――」
へっちゃらさ、と言おうとした瞬間、身体がふらついた。ぐちりゅ、と切り傷から血が滲み出て、地面に垂れた。
……む。傷は魔法で治癒したはずなんだけど、内部しか治せなかったか。
魔力が足りてなかった、か。
「全然大丈夫じゃないのですよ!?」
「無理しないでよ、もう」
ふらついた途端、リリアに肩を支えられ、アルターからは反対側から支えられた。
アルターは手についた血を見て顔を青ざめていた。
「やっばいじゃないですか!? まだ全然重傷なのですよ!」
アルターが急いでカバンから包帯を取り出し、僕の衣服を脱がしてぐるぐると巻いていく。
「ごめん、まだ駄目だったっぽい。情けない姿見せちゃったね」
思わず苦笑いし、リリアとアルターに笑いかける。
うまく体に力が入らない。
思いのほか身体にガタが来ていた。
「情けなくなんかあるものですか。むしろ……」
リリアは口ごもり、顔を背けた。
「か、かっこよかった。アリガト……。
アイツの自爆から、庇ってくれて。助かった。
あと、役に立てなくてごめん。次は、もっとしっかりやるわ」
少し赤い顔を隠すように、長い赤髪を耳の外に垂らした。
しかし、赤くなった耳は隠しきれていない。
「役に立ってないなんてまさか。
リリアがイルゲルムを削ってくれたから、あいつとの最後の戦いに勝てたんだ。リリアのおかげだよ。ありがとう」
僕はリリアの肩を掴み、真正面を向かせて頭を下げる。
華奢な肩だ。女性らしい細さと、柔らかさ。
しかし、奥にあるずっしりとした筋肉。
この女性らしさの残った体つきからは、考えられないほどの凄絶な剣技。
感謝してもし足りないくらいだ。
「エディンもリリアも凄かったのですよ! こう、びゅーってなって、がーってやって! 気が付いたら魔族の腕を切り落として、びかーって光って!」
アルターが身振り手振りで先の戦闘を話している。
だけど、悲しいかな。
興奮しているのか、アルターの言いたいことが全く分からない。
「いや、わかんないわよ。
それに、アルターが言ってる光ったのって、イルゲルムの自爆の瞬間じゃない」
「あっ……」
アルターが顔を青ざめさせた。
「ち、違うのですよ!? まったく戦闘に目が追い付かなかったとか、そんなんじゃないのです! ほら、ええと、なんといいますか――」
「くっ、あははっ」
右往左往するアルターに僕は思わず吹き出してしまった。
まったく、こういうところはアルターらしい。
「エ、エディンまで笑うのです!? しかも爆笑して! そんな笑うことないじゃないですか! この、このっ」
「ごめん、ごめん。つい。だから頬っぺたを引っ張るのはやめれ」
ぐいー、と頬っぺたを引っ張ってくるアルターを制し、笑いかける。
ああ、落ち着くなあ。
懐に入れていたツルハシを取り出し、時間を確認する。
「まだ潜ってから30分しか経っていないのか」
「そうね。半日くらいは経っていたと思うのだけれど、不思議ね」
一瞬の戦闘だったのに、ずいぶん長いこと戦っていた気がする。
戦闘中は不思議と時間が引き延ばされている気がするなあ。
「それにしても、トータさんの仲間のふたり、リリアとアルターで降ろしてくれたんだね! ありがとう」
壊れた祭壇を見ると、僕らより二回りほど年の離れた男女が横になっていた。
ふたりとも呼吸に異常はない。
かすり傷や打撲痕こそあるが、変な術式や汚染の影響も見受けられない。
変な術式が仕掛けられているかとも思ったが、《蒼眼》には何の反応も見当たらない。
一応検査してもらったほうがいいだろうけど、まあ大丈夫だろう。
あの誇り高い魔族が、そんな卑劣な真似をするとは考えづらい。
手を握り、広げる。
《流月》を用いて気魄を外へ放出し、《統巡》の精度を確かめる。
ん、問題なし。
立ち上がってみても、少しふらつくくらい。
それも予兆があった瞬間に《統巡》で補正をかけた。
「ふたりとも心配しすぎだよ。大丈夫。さっ、戻ろうか」
トータさんの仲間ふたりを《統巡》で浮かし、リリアとアルターに笑いかける。
「みんなが戦っている、第一階層に」
※※※
【豚鬼宮】、第一階層。
そこでは冒険者たちと【豚鬼】共が死闘を繰り広げていた。
「やああああッ!」
冒険者の一人が吠え、剣を構えて吶喊する。
目指すは土壁の塹壕を超えてきた、槍を持っている【豚鬼】。
「ヴヒィィィッ!」
冒険者の一撃を【豚鬼】が正面から受け止める。
【豚鬼】の分厚い筋肉が躍動し、男の一撃を弾き返した。
「ぐ、まだまだ!」
弾き飛ばされた男は剣を持ち直し、迫る槍の切っ先を叩いて落とす。
「――魔法陣、完成しました! いけます!」
「よし、頼む!」
男が一歩引くと、ひょろがりの魔法使いらしき男性が照準を【豚鬼】に向ける。
「<
500文字ほどの魔法陣。
2分かけて作り出した魔法陣の中心から、赤い火の玉が飛び出す。
矢のような速さで放たれたそれは、【豚鬼】の顔面に直撃する。
「ヴㇶィィっ……!」
【豚鬼】が悲鳴を上げる。
しかし、【豚鬼】はいまだ健在。
「幸太郎さん、お願いします!」
「おうよ!」
魔法使いの男が下がり、先ほどの剣士が前に出る。
片手には符を持っている。
「せい! 陰陽道、<
慣れた手つきで符の紙を破き、そこに魔力を通して撒く。
ぼう、と紙吹雪に瑠璃色の光が灯り、刃にまとわりついた。
幸太郎の刀に、退魔の力が宿る。
「死ね、バケモノ!」
迫る【豚鬼】の一撃を刀で受流す。
明らかに【豚鬼】の力が減衰していた。
好機とばかりに幸太郎は【豚鬼】の懐に潜り込む。
幸太郎の刀は【豚鬼】の皮膚を思い切り切り裂く。
「ヴひっ」
【豚鬼】の大胸筋から鮮血が噴き出し、大きくよろめいた。
「トドメだ!」
幸太郎は片手を魔力で強化し、【豚鬼】の喉元を刀で貫いた。
力なく【豚鬼】が倒れ伏し、屍を曝した。
「くそ、これで六匹! こいつらどんだけ沸いてきてんだ!」
幸太郎は悪態をつく。
【豚鬼】。
銅級の中でもタフネスさと怪力を持つ、厄介な魔物。
魔法への耐性も高く、生半可な魔法ではわずかな痛痒しか与えられない。
それが、十五匹以上湧いて出ていた。
周囲でも剣戟の音が絶えない。
「……あの小僧共、大丈夫か」
幸太郎は少し不安そうに悪態をつく。
翠髪の少年と、少女たち。
エディンとリリア、アルターたちだ。
青臭い正義感を振りかざし、死地へと飛び込んでいった馬鹿野郎たちを、幸太郎は心配していた。
【豚鬼】の群れは未だ三十匹以上。
ここから下の階層の地獄絵図など、考えるだけで寒気が立つ。
「よそ見をしている場合かぁっ」
喝ッ、と裂帛の気合を込めた叫び声が木霊する。
瞬間、【豚鬼】の身体の動きが鈍る。
その止まった足に、山伏姿の男性が錫杖を一突きする。
【豚鬼】はその一撃だけで絶命した。
「我らギルド本部戦力が派遣されたゆえを忘れたか!
市民の安全を守るため、ここで戦っているのだ。余計な感情を抱く暇があるのならば、手を動かせいっ!」
虚無僧の後ろから異国情緒あふれる冒険者たちが続き、【豚鬼】共と戦い続けている。
西方の弓を構えた彫の深い男が矢を放つ。
複雑な軌道を描き、【豚鬼】たちの目元に突き刺さっていく。
鉄甲冑を身に着けた騎士が鈍重な足取りで【豚鬼】と刃を交え、戦闘を繰り広げている。
迷宮都市国家の人間だけでない。
全世界から優秀と認められた選りすぐりの冒険者たち。
しかし、そんな彼らにも疲弊が見え始めていた。
「まずい、マジックアローが尽きた!」
「【豚鬼】共め、硬い……っ」
すでに彼らだけで百匹以上の【豚鬼】を仕留めている。
如何に彼らと言えど、体力や物資は有限だ。
「! 【豚鬼】の群れだァ! 数、百匹以上!」
そこへ、無慈悲な報せが入る。
「!」
虚無僧姿の男の顔が歪んだ。
流石にその数を相手取ることはできない。
補給も足りていない。
矢も尽き、陰陽道の符も僅か。
この拠点を一時撤退し、下がらねば持たない。
そう判断した虚無僧は、即座に号令をかける。
「総員、撤――」
瞬間。
「<
深紅の太陽が、後方から【豚鬼】の群れを焼き尽くした。
「……は?」
黒焦げになった【豚鬼】の群れ。
20匹は軽く仕留められている。30匹は重篤な火傷を負っている。
無傷な【豚鬼】はほとんどいない。
「【
赤い影が【豚鬼】たちの中枢へ乗り込む。
深々と刃を構え、赤髪の少女が躍動する。
「――『
刃が舞った。
紅い軌跡が乱れ咲き、強烈な剣閃と華麗な足さばきでもって【豚鬼】たちの首を次々と刎ね飛ばしていく。
「ありゃりゃ、リリアが全部持って行っちゃった。これじゃ僕らの出番ないよ」
【豚鬼】たちが現れるよりも、はるか遠く。
奥から現れた血みどろの少年が、隣の白髪の少女の肩を借りながらぼやいた。
手の上に精緻、複雑極まる魔法陣を浮かべている。
凡百の魔法師では理解することすら難しいほどの魔法陣。
8万文字以上はある、驚異の大魔法陣を片手間に消し、少年は赤髪の少女へ非難の視線を向ける。
「怪我人に無理させるわけにはいかないでしょう? まだ体幹安定してないんだから、おとなしくしておきなさいな」
燃えるような赤髪の少女が笑う。
血糊すらついていない赤い刃を振り払い、丁寧極まる所作で納刀する。
「む、エディンまだ無理をしていたのですか? それなら<蒼仙法>使ってまでお二方を抱えずとも、アルターが担いだのですよ」
隣にいる白髪の少女が怒ったようにエディンと呼ばれた少年に語り掛ける。
少年の後ろには、気絶した冒険者ふたりが浮遊していた。
魔法陣も、魔力も用いずに。当然のように少年はふたりを宙に浮かせていた。
「大丈夫だよ。別にこれくらいなんてことはないさ……おーい!」
異次元。
そう言うしかない少年が、虚無僧たちに向けて手を振った。
「トータさぁん! お仲間、ふたりとも無事です! 全員、【
信じられないことを、さらっと言い。
「あと、魔族がいたので! なんとか撃退したんですけど、偉い方に報告したいので、責任者の方いらっしゃいませんか~!」
驚天動地の発言を、散歩の報告でもするように付け加えたのであった。