アプレ・ラプルイの朝日〜聖劍と王冠、ヤンヘラ女神の御名において〜 作:鹿鳴弥
「うわあ……!」
たどり着いたのは黒い旅館だった。
黒い漆塗りの大門。その奥には館と呼べるほど大きな館。
つん、と鼻を刺すような独特の湯気が漂っている。恐らく、これが硫黄の香り。温泉の匂い。
時刻はだいたい15時ころ。
日が西に傾いてきている。黄昏前にある暑いような、温かいような陽気が空を包み込んでいる。
「到着だねー、温泉」
イルクが軽い調子で馬車から降り、僕らも彼に続く。
【御前湯】。
【伯方】から馬車で2時間ほどかけてきたこの温泉は、温泉街道の中にある。
近くには低めの山々が連なり、春の実りがぽつぽつと見当たる。
「大きいわね」
リリアがほう、と興味深そうな声を出す。
「そりゃ、大名御用達の温泉なのですよ? 小さかったらそれはそれで問題なのです」
よいしょ、とアルターが荷物を卸し、汗を拭った。
「いやあ、着いたね~」
イルクは珍しく現地の
若干まだ肌寒いのにあんな格好で寒くないんだろうか。
「これが意外と寒くないものなんよ~、エディンにも今度買ってあげるよ」
「む、いいよ。お金はたんまりあるし。むしろ、僕がイルクに色々買ってあげるもんね」
「いいよ、欲しいもんは自分で買っちゃうし~。エディンは自分の欲しいものを買いなよ~」
わしゃわしゃとイルクが頭を撫でまわしてくる。
むう、いつも子ども扱いして……。
「ところで、リモルのバカはどこで何をしてるのかしら」
リリアが不機嫌そうに語り、せっかちに問いかける。
「リモルさんなら上にいるよ」
「上?」
「ん」
《蒼眼》を光らせ、指を空へ向ける。
「何もないじゃない」
「いんや、いるよ」
《蒼眼》を凝らせば、上空には巨大な島が浮遊している。
島の下部が光った。
雲の隙間から降りる光の
「――待たせたな」
光から少年の声が響く。
「おお……!」
現れたのは、黒髪の青年だった。
黒髪に紅い瞳。背丈も高く、声だけが慣れ親しんだ少年魔導師の声。
「リモルさん、待ってたよ!」
リモル・ケッツァー、その人だ。
「ああ。それにしても、ここまで変装を重ねても貴公には見抜かれるか」
リモルさんは苦笑し、肩を竦めた。
「うん。魔力の波長も、気魄の特性も同じなんだもの。気付くよね」
一目瞭然だ。
リモルさんは魔力量は完璧に隠蔽しているけど、その魔力の波長や性質までは全く変わっていない。
「ほお。やはり、《蒼眼》の効果か。やはり欲しい。欲しいなあ。片目だけ抉らせてはくれんかね?」
「生まれてきてごめんなさい、って思わせてやろうか~?」
ずりずり、と迫りくるリモルさんをイルクが威圧する。
ぶぉっん、と豪風を拳が纏っていた。
あれ頭に当たったら即死するな……。
イルゲルムとの戦いですこしは成長したつもりだったけど、イルクにまだ勝てる気がしない。
「冗談だとも」
「あなたが言うと冗談に聞こえないのよね。ほとんどマジで言ってるでしょう?」
「1割冗談だ」
「9割本気じゃない!」
ばしん、とリモルさんの頭をリリアが叩いた。
「それにしても、お前が来るのは予想外だったよリモル。指名手配されていただろう?」
「問題ない。島から隠密と変装特化の迷宮特典を持ってきた。冒険者はおろか、並の超越者であっても見抜けはしないだろう」
リモルさんはうなじを手で押さえ、やたらと気障な笑みを浮かべた。
「決まっているだろう?」
「そうですね。バカなこと言ってないで、さっさと旅館に入りましょう」
若干うざいなこの人……。
頼むから旅館では大人しくしてくれないか。
僕は静かに祈りながら、旅館に足を踏み入れた。
※※※
「すっごー、広ーい!!」
客室は、かなりの広さだった。
僕らが泊まっている本陣よりも広い。
「外もきれいなのですよ、エディン!」
興奮したアルターに続き、窓の外を見る。
庭が絶景。
ほぼすべてが砂利で構成された庭だ。
松の低木や石塔が点々と生えている。
設置物から波紋のように砂利の模様が広がり、川の流れのように白黒の砂が敷かれている。
まるで、石の山水。
「枯山水っていう庭園なのです。とても風情があるのですよね」
アルターがうっとりした顔で庭を見つめている。
「エディン! すごいわ! ふとんがすっごいふかふかなの! 本陣のも凄いけど、こっちのは別格よ!」
ふとんの上でリリアがごろんと横になった。
……むむ。リリアのうなじと鎖骨が見える。鮮かな赤髪が一筋垂れていて、なんだか変な気分になってきた。
――居づらい。
「……さーて。僕はイルクたちの所に戻るよ、うん。男女の境は必要だからね」
「? エディンもここで寝るのですよ?」
アルターが当然、と言った顔で僕の腕を引っ張った。
ぬお……っ、アルター! 君、普段は淑女のたしなみとか言って人一倍恥じらいの強い乙女でしょうが! なんで今日に限って朴念仁ムーブを……!
あ! 違う! 口の端がニヤついてる! 僕がいづらいのをわかった上で揶揄ってきてるんだ!
なんて性根の悪さだ。こ、この悪戯娘……!
『いろんなとこ見て回るのもいいけど~、先に館内着に着替えちゃってね~』
ふすまの向こうからイルクの声が聞こえた。
「じゃ、と言うわけで僕は向こうで着替えてくるから。女性陣はごゆっ――」
「いいじゃない、エディンもここで着替えれば?」
はい?
リリアさん? リラックスしすぎて気でも触れたのかな?
明らかにやばいこと言ってる自覚ってあったりします?
「い、いや。それで視えちゃったらどうするのさ。いやでしょ? 野郎に視られるのなんてさ、いい気分じゃないでしょってなわけで僕はココで失礼するよははは――」
「みたいの?」
リリアが顔を赤らめ、普段来ているシャツの第一ボタンをはずした。
余裕さは欠片も無い。上目遣いの仕草で、少し膨らんだ胸に手をかけ――。
「えっち」
ぎゅ、と肩を抱いてリリアは恥ずかしそうな声音で言ってきた。
「――ふんぬっ!」
「ちょ!? エディン!? どうしたのですか、思いっきり自分の顔蹴って! あーあー、鼻血までだして。ほら、鼻栓」
どくどくと口元に垂れる血を啜りあげ、鼻栓を詰める。
いや、その、なんというか……。
「雑念があったから。――わかった。覚悟を決めよう」
掛け軸の前まで歩き、リリアたちに背を向けて座る。
「どうぞぉッ!」
振り返ったら殺す。
《蒼眼》で視たら殺す。
その勢いで自分に暗示をかける。
大丈夫だ。いける。余計な雑念を捨てていけば問題ない。
「じゃあ、着替えるわ……ね?」
――しゅるり。
脳内で魔法陣を書き起こす。
ベルトのずれる音なんか聞いていない。
僕はいま新しい魔法を作ることで意識を裡へと向けているんだ。
――するり。
布ずれの音なんて聞こえてない。
術式の中核に据える原素の構成と、魔法陣の全体的な効果を考え――。
「わお……。リリアのお腹、引き締まっているのですよ。内臓何処にあるのです?」
「ちょ、アルター。あんまり触らないでよ。ん……っ、くすぐったい」
「ははーん、リリアってば脇とおなかが弱いのですねえ?」
心頭滅却。心頭滅却。心頭滅却。心頭滅却。
感じるな、考えろ。術式はこの場を切り抜けるために作る。
《蒼眼》の範囲を絞るだけじゃ薄っすら見える。
《流月》だ。《流月》を使って《蒼眼》の性質を弄れ。視界のピントを肉眼と同レベルに調整していけば……。
よしよし、イイ感じだ。これなら《蒼眼》から流れてくる情報量も絞りながら魔法開発に集中できる。
流動の属性だから、水の原素だ。
水はいい。すべてを洗い流してくれる。僕の雑念もたちまち流し落として――。
「おおー、結構おっきいのです。リリアってばさらし巻いてるのです? 」
「アルター……っ、そこ弱いから……っ」
「水みたいに柔らかいのです。ふにょん、って感じなのです」
水。ふにょん。
じわり、と鼻栓に血がにじむ。
水はもしかして宇宙なんじゃないか? 宇宙は水にあるんだ。
ガリッ、と頬の肉を噛みちぎる。
痛みが口に走り、思考が明瞭になった。
よし、まともな思考ができてないな。
水とふにょんを切り離すんだ。
脳を限界を超えて躍動させる。
術式を早々に完成させる必要がある。人体に関わる術式だ。適当な組み方をしたら僕の皮膚がベロ剥けになる。
脳内で魔法陣を演算で設計していき、物理法則を読み解きながら必要な術式とそこにかかる魔力量を暗算する。
もう少しで――っ。
「もうっ! アルター、そろそろ怒るわよ。エディンも近くにいるんだから、もう」
「おっと、ごめんなのです。てへっ」
「まったくもう……。エディン、お待たせ。着替え終わったわ」
「ささっお待たせしたのです。エディンも着替えて大丈夫なのですよ。しっかり両手で顔を隠していますから」
「ええ。わたしたちも顔を押さえておくから、安心して着替えて――」
「その必要はない」
完成した。
指を鳴らす。魔力を衝撃で散らし、魔力を操作して魔法陣を描き。
「もう、着替え終わってるからね」
魔法が発動する。
瞬時に浴衣が僕の身体に巻き付き、一瞬で旅装から浴衣へ着替え終わった。
「この<
さっきまで作っていたのは早着替えのための魔法だ。
《蒼眼》の制御はある程度うまくいった。
日常生活ではこの視野は広すぎるし、深すぎる。
肉眼程度の情報量に絞れば、普段の慢性的な頭痛もだいぶマシになる。
何より、この<
朝の準備を時短できる。
着替えを見られたくない気持ちと、現実逃避のために作った術だったけど、悪くないできだ。
「さ、行こうか……って」
「ふたりとも、がっつり見てるじゃんか……」
振り返ったふたりは、両手で顔を覆いながらしっかり僕の方を見たまま固まっていた。
やいリリア。そんなに顔真っ赤にするなら顔をちゃんと覆っておきなさいよ。
「だ、だって……気になるじゃない……」
消え入りそうな声でリリアが目をそらした。
ははーん、これはやり返すチャンスだな?
「えっち」
僕はにんまりと笑いながら、リリアに言ってやった。
「~! エディン!」
ぼっ、とリリアが顔から火を噴きそうなレベルで真っ赤になった。
ちょ、がっつり本気で足に魔力強化かけてんじゃんか! さすがにこれはまずい!
「逃げるな、アホ! アルター、あのバカひん剥いてやるわよ!」
「ラジャー、なのです!」
ぬおお、旅館で走るなあっ。
ふすまを開け、木張りの廊下を一気に駆け抜ける。
温泉にたどり着く迄、僕らはおいかけっこに興じていた。
※※※
温泉の脱衣所。
ようやく安住の地を得た僕は、<
うん、やっぱり便利だ。ふだんは2分くらいかかる着替えが一秒未満で終わるのはいい。
「ふう、まったく……。ちょっと揶揄っただけじゃんか」
風呂桶に手ぬぐいと石鹸を入れ、温泉の引き戸を開ける。
洗い場は空いていた。
もうもうと煙こそ漂っているけど、全然見えるレベル。まあ、《蒼眼》でならどれほど煙ってても問題ないんだけど。
適当な場所に腰掛け、石鹸を泡立てて身体を洗う。
「ほむ」
自分の身体を見れば、腕や肩、脇腹や足に大量の傷跡があった。
大半が東塔の頃についたもの。懐かしいなぁ、最初の方は脇腹をぶち抜かれたくらいで泣き喚いてたっけ。
あのときは泣いても泣いても痛いのが止まらなくて、辛かったなぁ。でも、あの経験のおかげで今や痛みにはだいぶんと鈍くなった。
何事も経験だね。
「ふう……」
魔導栓をひねって頭からお湯をかぶり、思考を一気に冷ましていく。
リリアにも困ったもんだ。
迷宮とか朝の仕合でも、僕の身体なんか見えてるだろうに。
「それで怒るリリアもまた、難しい女の子だねっと」
石鹸を洗い流し、頭を洗いながら考える。
「よ~っす。エディン、さっきはドタバタだったねえ」
イルクが隣に座る。
相変わらず見事な筋肉だ。全身がバッキバキに割れている。暴力的な熱を秘めているのに、その力が完全に統御されている。
それでいて無駄な筋肉が一つもない。凄いなぁ。
イルクは僕の身体を見て顔をしかめ、一瞬目を逸らした。
む、東塔時代からずっと見てるのにまだ慣れないんだ。イルクだって全身についてる傷は大して変わりないくせに。
「まったくだよ。鼓動が爆裂するかと思った。助けてくれても良かったのに」
「あーいう経験も必要だよ。人生で無駄な経験なんてないんだから」
「そうかな? そうかも」
頭を水で流し、じっとイルクを見つめる。
「ねえ、イルク」
「なに?」
イルクは頭を泡立てながらこっちを見る。
「お願いがあるんだ」
「うん」
イルクが穏やかに微笑んだまま、頭を洗っている。
どくん、と心臓が強く跳ねていた。
緊張、によるものだ。
イルクにお願いしたことなんて、ほとんどない。
断られたら、少し怖い。
だけど、怖がってるだけじゃどうにもならない。
勇気を振り絞り、ぎゅっと強く胸の前で拳を握る。
「今度の迷宮さ。イルクに、付いてきてほしいんだ」
言った。言ってしまった。
イルクをじっと見つめる。目をそらさず、ひたすら強く。
イルクは驚いた顔をしていた。
でも、すぐに柔らかい笑顔に戻って。
「いいよ」
欲しかった言葉を吐き出してくれた。
「よしっ!」
強く拳を握る。
よかった、よかったぁ……。本当に。
「断られるかと思った」
「まさか~。俺も1回くらいはエディンと冒険したいなって思ってたからね。誘ってくれてありがとうだよ」
イルクは穏やかな笑顔で語りかけてくる。
……ふふ。イルクは本当、優しいな。
なんだか顔がにやけてきた。
「イルク~、先行ってるよっ!」
「はいよー」
僕はイルクへ手を振り、火照った顔を隠すように露天風呂へ向かった。
露天風呂だ。
外は竹やぶでおおわれている。竹の林に西日が落ちていっている。夕暮れ時だ。
ちゃぽん、と温泉に入る。
じんわりと、暖かい。身体の奥まで温泉が沁み込んでくるような、不思議な柔らかさ。
「ふう――」
ゆったりと、傷口を温泉が包んでくる。
じわじわと体温が上がってきた。魔力の流れと血行が促進されて、傷が少しずつ回復してくる。
きもちー……。
「――あれ? もしかしてその声」
湯気の向こう側。
見知った声が響いた。
少年の声。年齢は僕と同じくらい。少し低く、早口なしゃべり。
まさか――。
「モーリスくん!?」
「エディンくん!?」
現れたのは、純朴な顔立ちの少年。
僕らの友人、石上モーリスその人だった。