アプレ・ラプルイの朝日〜聖劍と王冠、ヤンヘラ女神の御名において〜 作:鹿鳴弥
「迷宮都市国家が滅びる?」
イルクは怪訝な表情でリーリエを見詰めていた。
隣にいるリモルは何も言わない。
パチン、と高らかに指を鳴らし、偽装を解除する。
元の青髪赤目の少年に戻っていた。
「ほう。貴公がわざわざ出しゃばってくるとは、予想外だ。指名手配犯の僕を捕まえにでも来たか?」
言葉とは裏腹に、リモルの眼には好奇心と興味で満ち溢れている。
「まさか。やるわけないじゃん? お前と此が正面からやり合ったら【伯方】が沈むんだわ」
白髪の彼女は手をひらひらと振り、煙管を口に運ぶ。
しかし、リモルとイルクの警戒するような視線は消えない。
リーリエ・アモン。
迷宮都市国家の最強が、わざわざ足を運んだ。
つまり、自分たちに何か頼みごとをしたいから訪ねてきているのだろう。
「ほほほ。ならば依頼かね?」
彼は笑みに邪気を浮かべ、指に魔力を纏わせて弄ぶ。
自分好みの面白そうなことが起きそうな気配に、心を揺らしているだけ。
つまらなかったらこの目の前の女を焼き払えばいい。
あとは空に浮かせた島へ戻り、この国の滅亡を肴にしようという腹つもりだ。
「そうさ」
リーリエはいつもの余裕を崩さない。
イルクの圧も。リモルの危険な好奇心もそよ風のように受流していた。
「迷宮都市国家だけじゃない。下手をすると聖教国にすら滅びが伝播するほどの大事件が起きる。これは予言だよ」
リーリエは酒杯を置いた。
右手で何かを弄びながら、左手を水盆に翳す。
水盆に浮かんでいた碁石が不規則に動き、無秩序に動き回っていた。
「
「正解」
リモルの言葉にリーリエが頷く。
水占。
陰陽道における占卜の一種。
碁石を星の運航に見立て、世界の運命線を読み解く術。
「並の術者ならば気休め程度の術にしかならん。
が、貴様は腐っても迷宮都市国家が誇る陰陽道の頂点。
となれば、その占いは占いの範疇にはとどまらん。予言の域にあると言っていい」
「随分詳しいじゃん。とっ捕まえて講師になってあげようか?」
リーリエがリモルを揶揄う様に言を飛ばす。
しかし、リモルは何も言わない。
「それで? その最高の陰陽師様は一体全体、どんな理由でこの国が滅ぶと?」
イルクは絶対零度の視線でリーリエを見遣る。
「『門』の封印が解かれるのさ。迷宮都市国家の地下。真霊……邪神どもが住まう『歪界』の次元へつながる『門』の封印全てが解かれる」
リーリエは余裕そうに語る。
手の中に持った何かを弄びながら、イルクとリモルの周りをくるくると歩いて回った。
「『門』からあふれ出した真霊の軍勢によってこの国は蹂躙され、再び人界へ向けて行軍する」
「根拠は? 運命線を覗いたところで、それはまだ可能性の範疇だろ。起きない可能性の方が高い」
イルクは心底くだらない、と言いたげな態度でリーリエを見下ろす。
「【伯方】にある<
「……【伯方】、でか?」
リモルが片目を見開いた。
<
二千年前、【勇者】アルフェウスが『門』に施した封印だ。
世界を滅ぼさんとする邪神たち、『真霊』どものいる世界との入り口を封じるものだ。
「これが解かれれば最後。世界は混沌に包まれるのさ」
リーリエは酒を呷る。
しん、とした静寂の中で「ぷはー」という彼女の声だけが、嫌に響いた。
「──それが?」
しかし、イルクはひどく冷淡に告げる。
心底詰まらなさそうな声で、イルクは床に腰掛けた。
「それが何だって聞いてるんだよ。この国は確かに、滅びるかもしれねえな」
きゅぽん、と音を立ててイルクが酒瓶の栓を抜く。
並々と己の酒器に酒を注ぎ、皮肉気に笑った。
「だが、
リモルも隣に腰掛け、イルクから酒を貰う。
黒髪青目の青年はちびちびと酒を飲み、息を吐いた。
「――<
<
。
<竜皇女>エリス・アヌマティ。
聖教国の超越者で有力なのだけでも三人。帝国には<帝国十二神傑>だって帝国にいる。世界の滅亡になんかならねえさ。滅びるのはテメエのこの国だけだ」
イルクは空に浮かぶ満月を見ながら語る。
「そもそも、俺はアイネイアス家の人間であり、その老中たるリヴェータ様に連なる身だ。
あの方を敵に回したお前らに、俺が力を貸すと本気で思ってんのか?」
イルクは不快感をあらわに、拒絶の意思をリーリエに叩きつけた。
「僕も手を貸す気はない。僕は貴公らに指名手配されている、いわば哀れな虜囚の立場。恨みこそすれ、助けるなどとてもできんよ」
やれやれとリモルは首を振った。
「それに」
リモルが楽しそうに頬を歪め、嗤う。
「これほどの大国が滅びる様などみたこともない。
貴公らの阿鼻叫喚の姿は、さぞ良い肴となるだろうなあ」
まるで、魔神の様な笑みだった。
しかし、リーリエは余裕の笑みを崩さない。
突きつけられたのは拒絶の意思。
明確な悪意を以て接してきているリモルを相手でも、リーリエは愉しそうに笑うのを辞めない。
「そうか、そうか。それなら仕方ない。君たちにも事情はある。それはしかたのないはなしだ。でもさ」
リーリエは笑みを深める。
彼らの文句、全て予想通り。問題など欠片も無い。
「エディン君は、同じように思うかな?」
「……!」
イルクが明確に顔を顰めた。
彼の明確な急所。
それは、彼の愛しい弟分であるエディンその人である。
彼は非常に優しく、情に厚い。
だからこそ、足をすくわれる。
「――滅びる前にエディンたちをこの国から連れ出せばいい。それで解決だ」
一瞬の逡巡。
思考を即座にまとめ上げ、イルクはリーリエに反論する。
「おいおい、それでエディンくんたちが納得すると思うのかい?」
リーリエは爛々と目を光らせ、イルクに問う。
「有無なんか言わせねえよ。強行突破して連れていく」
イルクは険のこもった声で、刺すような目でリーリエを睨む。
「そうか! なら、此も一枚札を切ろう」
リーリエは懐から一枚の書状を抜き、イルクへ飛ばした。
「
この国に滞在する銀級以上の冒険者を召集し、残る<
リーリエはイルクへ渡した召集命令を一言一句違えずに読み上げた。
銀級以上の冒険者。
すなわち、エディンだ。
「辛いだろうなあ、悲しいだろうな。イルクの手で強制的に国を離れ、この召集命令を視たら。エディンくんはどう思うんだろうね?」
「テメエ……!」
ビキビキ、とイルクの腕が異音を立てた。
戦闘態勢に入り、彼の影に刀が浮かんだ。
「もちろん、それもありだ。此と戦うって手もある。だけどさあ」
リーリエは深々と煙管を吸い、紫煙をくゆらせて語る。
「此の領域で。この国で、本気の此に勝てると思ってるのかなぁ?」
さきの冒険者試験とはケタの違う覇気がリーリエから放たれる。
総身から強烈な魔力が放たれ、イルクたちを威圧している。
「死力を尽くした君なら此相手でも勝ち目はあるかもしれない。
だけどさ、此と君らの戦いに巻き込まれたエディン君たちはどうなるかな?」
イルクは何も言えない。
彼らの戦いは一挙手一投足が山を砕き、その一刀は海を割る。
この女に従うしかないのか。
イルクが考えた、その時。
「だけど、此は別にきみたちと戦いたいわけじゃない」
リーリエは殺気を消した。
真剣な面持ちでイルクとリモルを見詰める。
「強行として、そう言う選択肢があるというだけ。此は、守るべき人々がいる。だから――」
リーリエは居ずまいを正し、深々と頭を下げた。
「君たちが協力するなら、エディン君は召集対象から外す。此の権限で、後方待機を命じる。攻略権も取り上げない」
「頼む。この国を守る手伝いをしてほしい。エディンくんの身柄の安全は保障する。ふたりにも十分な褒賞は用意する。だから、お願いだ。協力してほしい」
誠意をリーリエは見せた。
イルクとリモルは何も言わない。
イルクの胸中に渦巻く気持ちは、嵐のようだった。
育ての親であり、今も眼をかけてくれているリヴェータへの想い。
リーリエへの嫌悪感。迷宮都市国家への無関心と、リヴェータが烈火のごとく嫌っている事実。
それ以上にまばゆく光る、エディンの笑顔。
「………………わかった。引き受けよう」
イルクは、折れた。
リーリエの誠意に胸を撃たれたわけではない。
ただ、平穏を。
己が目をかけている、たった一人の少年のためにイルクは己の信条を曲げたのだ。
「まあ、こうなるだろうなとは思っていたよ」
リモルはため息を吐いた。
イルクにとって、エディンとはそれほど大きい存在である。
リモルは知っていたのだ。
「僕も参加しよう。友が乗り掛かった舟だ。面倒くらいは見てやるさ」
そうなれば、必ず自分も参加する羽目になるだろう。
冷血漢。知識の狂信者。極悪非道。
世間ではそう呼ばれる彼は、認めた友人には甘いのだ。
「ありがとう。じゃあ、交渉成立ってことで」
リーリエは握手を求めるように手を差し出す。
イルクは差し出された手を乱暴に握った。
握手というより、互いの骨を軋ませる力比べだった。
「出立は今夜。残る四つの要石——。その中でも最も重要な聖地である【出雲】へ向かってもらう」
「ところで」
リモルが興味深そうにリーリエの手にある者を覗く。
「何を作っているのだ?」
リモルがリーリエに語る。
「義足だよ」
「将来的に使うことになるから、ね」
リーリエは、不敵に笑った。
その義足は、リーリエのサイズの物ではなく。
13歳ほどの少年がつける大きさのものであった。
※※※
「引き受けちまった」
深夜、12時を回っていた。
すう、すうとエディンたちが眠っている。
アルターにふとんを侵食され、引っ付かれて剥ぎとられたエディンは寝苦しそうに唸っていた。
「ごめんな、エディン」
イルクは月光の中、静かにエディンの頭を撫でながら言う。
「一緒に冒険するって約束、破ることになっちまった」
イルクは悲しそうな声で呟いた。
本当はイルクだって約束を破りたかったわけではない。
エディンと一緒に冒険したかった。兄貴分らしいことを、してやりたかった。
「だけど、そうさな」
イルクは顔を片手で覆い、懐から手紙を取り出す。
それを、そっとエディンの枕元に置いた。
「お前に俺は笑っていてほしいんだ。辛い思いを、してほしくないんだ」
エディンへ困ったように笑い、静かに月を見上げた。
「これもまた、兄貴分らしいことなのかもな」
イルクは静かに立ち上がった。
ふと、歩き出そうとするも足元に違和感が。
エディンだ。
寝ぼけたエディンが、イルクの裾を掴んでいたのだ。
「ごめんな、エディン」
イルクはエディンの指をそっと振り払い。
寝ているエディンへ背を向け、その場を後にした。