アプレ・ラプルイの朝日〜聖劍と王冠、ヤンヘラ女神の御名において〜 作:鹿鳴弥
「さて、山の主たちを倒したことだし、迷宮の様子を見に行こうか!」
「「「「おー!!」」」」
山に僕らの声が木霊する。
時刻は昼頃。木漏れ日が枝葉の隙間からこぼれ、
湿った獣道を穏やかに照らす。
返り血に塗れた全身は魔法で洗浄済み。
病気になるかもだからね。東塔にいたころからの癖みたいなものだ。
「あと1つ山を越えた谷に迷宮があるみたいだね」
地図と地形を《蒼眼》で視比べながら先導を突き進む。
僕、アルター、リリア、モーリス君の順で並び、隊列を組んでいるんだ。
殿はヴァルガスさんが勝手出てくれているから、
後ろを気にする必要がそんなにないのもありがたい。
「エディン君のその目は誠に便利だな! いやはや、年長者として肩身が狭い」
ヴァルガスさんが少し申し訳なさそうに、後ろから声をかけてきた。
「いえ、これも後ろにヴァルガスさんがいてくれるからです。
ヴァルガスさんがいてくれなかったら、こんなに安心して進めませんよ」
「ヴァルガスさんが役に立たなかったことなんかないじゃないですか。
いつも頼りにしてます」
風呂敷を背負ったモーリス君がにっこり笑った。
今回、荷物の大半を彼が運んでくれている。
僕らも持つと言ったんだけど、
「前衛が荷物なんて持ってたらいざという時どうすんの」
と論破されてしまい、獲物のほとんどはモーリス君に任せている。
「にしても、モーリス君も血抜きやら解体作業が巧くなったね。
凄く手慣れた動きだったよ」
「それができなかったから何度か死ぬ羽目になったからね。死に物狂いで覚えたんだ」
……聞こえてきたとんでもない発言をわざと無視し、
ようやく僕らは山頂付近へ到着した。
「よし、ここら辺からもう肉眼で見えるはずだよ」
僕は山頂の安全そうな場所を案内し、谷を見下ろす。
山頂を越え、谷を見下ろす。
一本の塔が立っていた。
白亜の尖塔。余計な装飾はほとんどなく、刃のような武骨で神聖な建造物。
周囲には4つの山がある。
山麓の滝がすべての山から、白塔へ向けて注がれており
谷底には小さな沢が出来ていた。
「迷宮だ」
ぼそり、とモーリス君が呟いた。
身を乗り出し、岩の上に片足を置いて下を覗きこむ。
うん、問題なく降りられそうな場所があるね。
なんかあったら<土壁>の魔法で足場を作ればいいし、大丈夫だろう。
「軽く偵察しよう。どんな感じか、軽く見てからご飯だね」
※※※
谷底は浅い湖だった。
四方から滝が注がれ、山桜の花びらが水底に沈んでいる。
甘い、桜のような香りと桃の香りが混ざったような不思議な匂いが
迷宮の周辺に満ち満ちていた。
周囲には蓮の花が咲いており、まるで御伽噺に出てくる仙境のようだった。
「意外と時間がかかったね」
魔法で今の時間を確認しながら語る。
午後3時。山頂からこの沢へ降りるのに手間取った。
陽は既に西へ傾き、黄昏の影が山麓にかかっていた。
「風化している場所が多かったし、しょうがないわよ」
リリアは瓢箪の栓を閉め、水を飲み終えて答える。
思いのほか地形が緩かったんだよね。
《蒼眼》で水分値とかを視ながら場所を選んでいたはずなのに、
脚を付けた途端に足場が崩落したりとロクな目に合わなかった。
なんだか《蒼眼》の調子が悪い。
普段なら視逃すはずのない情報が零れ落ちている。
「まあ、そういうこともあるのですよ。
それより地形を先に把握しておくのです」
アルターはばしゃばしゃと湖の中を歩き、
筒のような望遠鏡を使って周囲を観察していた。
「周辺には魔獣や魔物の痕跡もないぞ、エディン君。
やはり、この迷宮の出現で魔獣の生態系が乱れたようだな」
ヴァルガスさんが腕を組みながら語る。
「何より、この周辺は迷宮があるとは思えないほど空気が清らかだ。
ここまで清浄な空気は聖地以外でお目にかかったことがない」
首を傾げながら彼は瓢箪のふたを取り、水を呷った。
……確かに。この塔の門が間違いなく迷宮へと通ずる門のはず。
にもかかわらず、この一帯には瘴気がほとんど視受けられない。
「水質調査も終わりました。……驚きましたよ、この水は飲用が可能なほど浄化されています」
モーリス君が紫色の瓢箪から出ている
透明な煙を見て怪訝な顔をしていた。
「動物の糞尿による汚染も見受けられない、と?」
「はい、ヴァルガスさん。念のため場所を変えて計測してみましたけど、結果は変わらずです」
「こっちも新情報です。周辺にも熱源感知をこの魔導具でかけてみましたが、
動物の反応がほとんどないのです。こちらに動物の近寄る気配が全くないのです」
「フーム」
ヴァルガスさんが腕を組んだ。
ちょっと妙だな。動物にとってもここら辺の水場は
かなり過ごしやすい場所のはず。
「アルター、それって虫とかも?」
「そうなのですよ。蛍やら湿地地帯にいそうな虫もいておかしくないのに、
なぜかいないのですよね~」
リリアの言葉にアルターが顎に手を当てながら答えた。
アルターの言葉は事実だ。
この一帯に動物はほとんどいない。
蓮の花こそ咲いているが、その匂いに寄せられてくる虫の類は皆無。
水質にも毒などの物質や、魔力汚染も視受けられない。
ただ、滝水の落ちる音だけが辺りに木霊している。
注意深く周囲を視ていると、気になるものを視つけた。
「看板だ」
みんなに聞こえるように言い、指を向ける。
迷宮の門の近く。そこに木製の看板がぽつん、と佇んでいた。
水を割って歩き、看板へと全員で近寄った。
「…………読めない」
モーリス君が看板の内容を見て目をしょぼしょぼさせていた。
看板の書かれている墨はかなり薄くなっている。
しかも一部の文字は完全に消えてしまっているため、内容を把握することが難しくなっていた。
何より、書かれている言葉が古代語だ。
魔法の知識はたくさんあっても、古代語に触れる機会がないと読解は困難だろう。
「…………ム、これは古代語。それも日本語の崩し文字か」
「これ、ヴァルガスさんもわかるの?」
「昔、少し勉強する機会があったのでな……。だが、すり減っていて読めないな。エディン君は?」
「僕も少しなら……」
ヴァルガスさんと共に看板を見詰め、読解を試みる。
「『この先、■足地なりし、――域なれば。――以――通る――能――ず』
……なんですかね、これ」
「フーム」
ヴァルガスさんは困ったように腕を組み、考え込む。
「もしやすると、この迷宮が出ずる前は社か何かだったのかもしれぬな。
迷宮の出現に伴って、立て看板以外が呑み込まれたのやもしれぬ」
迷宮においてはよくあることよ、とヴァルガスさんが語る。
「なるほど……」
「ねえ、解決したならもういい? そろそろ野営地を作らないと、日が暮れるわよ」
リリアが少し眉を顰めて西に傾いた陽を見ていた。
「確かに。すぐそこにいい感じの平地があったから、そこで拠点を作ろうよ」
モーリス君が指さした先を見る。
陸地だ。岩を登ったすぐそばに、枯れ木などのないイイ感じの野営ポイントがあった。
「よし。じゃあ、今日は拠点を作って明日から迷宮を攻略しよう」
※※※
日暮れ時。
ただでさえ静かな滝池の近くは、夜が近づくと更に静かになった。
滝の音も水量の影響か、か細い。
僅かな滝音と、焚き火の火花が弾ける音だけが耳に届く。
虫の音も、鳥の声も聞こえない。
「では、早速の夕飯を作っていくのですよ!」
アルターがうきうきした様子で鍋を取り出した。
「火加減は任せた給え!」
ヴァルガスさんはそう言うと焚き火に
魔晶石と薪を焚べ、火勢を調整していた。
「では、調理はアルターが!」
アルターは笹の葉で包んでいた猪の脂を取り出し、鍋に広げていく。
じゅう、と脂の焼けるいい薫りがしてきた。
「知ってる? 塩は焼いた方がおいしいのよ」
「へえ、そうなんだ。じゃ、火加減は僕が視るよ」
リリアが自信満々に言っていたので、
僕もヴァルガスさんに続いてリリアの鉄板を熱する火加減を調整する。
「ふっふっふっふ。今回の肉はかなりいい肉なのですよ」
アルターが得意げに語り、肉を取り出す。
取り出したるは牡丹肉。
猪から取り、モーリス君の符で冷蔵保存していた猪肉を鉄板へ並べていく。
「それじゃ、野菜の処理はお任せを」
「モーリス隊員、お任せするのですよ」
包丁を取り出し、
モーリス君はすごい勢いでニンニクやらネギ、カボチャなどの野菜を切っていく。
「鹿肉はどうしますか、アルター鍋奉行」
「焼いちゃえばいいのですよ。皆さーん、好みの焼き加減とかあるのですー?」
「レア。何だったら僕は生焼けでも食べられるよ」
「拙僧はミディアムレアで頼む」
「僕は普通でお願いするよ」
「わたしはウェルダンで」
「統一性ぇッ! というか、全員好みがバラバラすぎるのですよ!」
「できないの?」
塩の焼き加減を見ながらアルターをじっと見つめる。
ぴく、とアルターの頬が揺れた。
「舐めてもらっちゃ困るのですよ。誰ができないなんて言ったのですか!
すぐ全員の完璧なオーダーに答えてやるのですよ!
というかエディン! 生焼けってなんですか、生焼けって! ちゃんと火を通さないとぽんぽん痛くなるのですよ!?」
「平気だよ。寄生虫くらいなら余裕で溶かせる。僕の鉄の胃袋を舐めちゃいかんよ」
「舐めてるのはエディンのド頭なのですよ!」
酷い。東塔なら生で食べる時も全然あったのに。
酒はそんなに強くないが、それでも毒への耐性もかなり高いんだぞ。
なんて思っていると、アルターが木皿に猪を並べていく。
「アルターご飯! 焼猪! これは普通の焼き加減なのですが、おあがりよぅ!」
「こっちも焼き塩できたわよ」
すり鉢で塩をあたっていたリリアが全員に塩の入った小皿を配っていく。
「こっちもカリカリニンニク、出来上がりました」
モーリス君はドヤ顔でカリカリに焼きあがったニンニクの欠片を
小皿に盛り付けていき、全員に配っていく。
分厚い猪の焼肉が大皿に盛られ、机代わりの石の上に置かれた。
じゅるり、と涎が止まらない。
やばい、めちゃくちゃ美味しそう……!
「いただきます!」
「「「「いただきます!」」」」
ぱん、と両手を合わせる音が響く。
焼き塩へ肉をくぐらせ、焦がしニンニクを纏わせて口へ運ぶ。
「うん、ま……!」
口の中で旨味が爆発した。
猪の野性的な肉の味を引き立てるような焼き塩が、猪の溶けた脂と混ざり合い、
雑味を焦がしニンニクが香味へと引き立てる。
「アルター、これ超おいしいわよ! 最高よ!」
リリアがきゃっきゃと喜び、箸で摘まんで未だ鹿肉を焼く
アルターの口へ猪肉を運ぶ。
「んんっ、これは……。またもやアルターの天才さが発揮されてしまったようなのですね……。アルターは罪深い女なのです」
肉の味に得心がいったのか、アルターは得意げな笑みを浮かべている。
「旨い! まっこと旨い! しかし……。これだけ極上の肴があるというのに、何かが足りておらんと思わんか?」
ヴァルガスさんはニヤリ、と笑う。
人並外れて大きなカバンをまさぐり、大きな瓶を取り出した。
ま、まさか……!
「酒だあ!」
「おお!」
アルターとリリアが目を輝かせた。
流石の僕も興味を持ってしまう。どう考えても高そうであり、その味は間違いなく悪くない。
「大吟醸、竜香! 此度の目出度き戦に合わせ、買った至高の酒よ。
口当たりはスッキリとした辛口。後から米のまろやかな香りが通る銘酒だが……。呑みたいものはおるか!」
答えは。
「「「「はい!!」」」」
全員が、肯定であったのは語るまでも無かった。
※※※
酒宴もいい具合に収まってきた夜の頃。
「グガーッッ、ガーッッ……!」
怪獣のようないびきをかいて寝ているのは、
酒を振舞ってくれたヴァルガスさんであった。
「すう――、すぅ――」
「くかー、くかー……」
リリアとアルターもゆっくりと眠っている。
「んん……っ」
眠れない。
なんだか気分が落ち着かないし、変な感覚だった。
と思って起きると、モーリス君が木の上にいた。
一人で寝ずの番をしている。猪口を片手に、
月を見上げながら周囲に魔力探知を走らせている。
「あれ? エディン君、起きたの?」
「ちょっと眠れなくてさ」
隣、いい?
モーリス君の許可を得て、軽く跳躍。
片足で太い枝の上へ着地し、彼の隣に腰を降ろす。
「寝ずの番、ありがとう。ごめんね、モーリス君にばっか任せちゃって」
「いいさ。好きでやってることだから。エディン君も一献、どう?」
「いいの? じゃあ、もらおうか」
モーリス君はそう言うと、懐にしまっていた猪口を取り出す。
傍に置いてあった徳利から清酒を注ぎ、僕に渡してくれた。
「乾杯」
かん、と陶器同士のぶつかる音が静かな谷に響いた。
「うん、うまい」
大吟醸とはまた違う味わい。
香りが繊細なあの酒とは違い、こちらは酒精が強かった。
「でしょう」
モーリス君は笑い、猪口を一気に傾けて月を見上げる。
「綺麗だなあ」
「だね」
モーリス君の言葉に同意する。
本当に、月が綺麗だ。
涼しい外気のせいか、雲一つ空にはない。
星々が瞬き、まんまるの月が金色に染まっている。
「エディン君。僕はね、月がどうにも嫌いになれないんだ」
猪口に酒を注ぎながら語る。
「聖教国の教えでは、月は邪の象徴だ。
神々を殺し尽くし、大地の女神に牙を剥く大罪の神が住まう星。
町では宣教師がそう教えを説いているんだけどね」
猪口に映る月を眺め、モーリス君は酒器を揺らした。
「だって。月ってまるで、僕みたいじゃないか。
太陽に照らされないと輝けない。静かで、暗い場所にいる嫌われ者。
僕は、エディン君みたいに自分では輝けないから」
猪口に一枚の葉が落ちた。
酒鏡に波紋が立ち、水月が揺れる。
………………。
「確かに、そうかもね」
僕は猪口を呷り、懐から鹿肉の塩漬けを頬張る。
モーリス君の表情が曇る。自嘲のような笑みが浮かび、僕から顔を逸らした。
「月は、気高く自分で輝いて夜を見守っているから。
モーリス君にそっくりだと、僕も思うな」
モーリス君が顔を上げた。
でも、すぐに顔を逸らして嗤った。
「そんな。まさか。月は太陽に照らされて輝いている。常識だよ」
「いや」
僕は月を見上げたまま、モーリス君に静かに語り掛ける。
「月はね、自分で耀いているんだよ。
昔読んだ天文学の書にも書いてあってね。実際、どうなんだろうと思って、天体観測をしてみて、わかったんだ。月は自力で光を発しているって」
「どうやって?」
「この《
振り向いたモーリス君に《蒼眼》を見せる。
彼の揺れる瞳に、僕の眼が映る。
夜であっても蒼さを損なわない、異質な眼が彼の瞳に浮かんだ。
「視たら驚いたよ。夜の果てには月が浮かんでるんだ。
知ってる? 夜ってね、歪んでるんだ。
この星を中心に夜が歪んでいて、月が太陽を引き連れて回っているの。何よりね」
息を呑んで話を聞くモーリス君の瞳に、悪戯っぽく笑う僕の顔が映っていた。
「月は、太陽よりも大きいんだ」
「…………そ、っか」
モーリス君はまじまじと月を見上げ、少し苦い顔で酒を飲んだ。
「あと、モーリス君の言ってることにひとつ誤りがある」
「なに?」
「僕は、月が好きってことさ」
嫌われ者だ、なんてモーリス君は語っていた。
まあ、教えでは月が嫌われることもあるだろう。
聖教の教義では、月が敵。
聖教の【月睨派】の教えは、世界のほとんどの人間が信じているらしいから。
でも、僕はそう思わない。
好き嫌いも、信じる者も自分で決める。
「周りがどれだけ言っても、
月が好きな友人もいるってことは覚えておいてほしいな」
はは、と笑いながら僕は鹿肉を頬張った。
「……まったく」
モーリス君はくしゃくしゃの顔で、泣きそうな顔で笑った。
「狡いなぁ、エディン君は」
モーリス君はそう笑うと、静かに僕の猪口に酒を注いだ。
「エディン君」
「なに?」
「乾杯」
モーリス君が、僕の猪口を手に取った。
代わりに、モーリス君の猪口を僕に手渡してきた。
互いの猪口を交換し合い、僕等はふっと笑う。
「――乾杯」
カン。
僕らは盃を酌み交わし、月夜に陶器のぶつかる音が響いた。
※※※
翌朝。
新規迷宮の門に、僕たちは集まっていた。
「いやあ、良い天気であるな!」
ヴァルガスさんの号砲が鳴り響いた。
静かな沢だと余計ヴァルガスさんの豪快な声が響く。
声量ほんとどうなってるんだ。
「楽しみね」
リリアが頬を吊り上げて迷宮の門を見る。
「準備してきた甲斐があったのですよ。
皆で迷宮特典をゲットして帰るのです」
「拙僧も迷宮特典をふたつ所持することになろうとはな。
とはいえ、油断してはならんぞ」
ヴァルガスさんは背中に佩いた【赤龍剣】を叩き、愉しそうに笑っている。
「迷宮特典は迷宮の主の力を具現化した宝具。
ゆえに主の性質に左右されるらしいけど、どんなのが出てくるか楽しみだね」
モーリス君は語る。
眼を合わせると、照れくさそうに笑っていた。
「エディン、ネックレスしてないじゃない」
「あ!」
リリアからの指摘で、自分の首元がすっきりしていることに気が付いた。
イルクからもらったお守りだ。
普段から付けるようにしていたのに、つけるのを忘れていた。急いで懐からお守りを取り出し、自分の首に巻きつける。
ん、これでよし。魔力も問題なくお守りに通ってるね。
朝、バタバタしていたせいかな……。
うっかりしすぎだ。気を引き締めて、精進しろよ僕。
「アルター」
「ちょっと待ってほしいのです。いま計測しているのです」
針を2本、門へ刺しているアルターへ声をかける。
針には糸がつながれており、その先には無彩色の宝石があった。
2分ほど経った頃。
無彩色の宝石に変化があった。
「出たのです。迷宮の位階は銀級。ギルドからの報告と大差ないのです」
「よし」
僕はアルターに頷き返す。
ヴァルガスさんも重々しくうなずいた。
よし、よし。銀級なら問題ない。
僕等だけならともかく、
経験豊富なヴァルガスさんもいるのにしくじるはずもない。
「さて」
僕は全員の顔を見回し、微笑み返す。
「――行こう」
白亜の門に触れる。
背丈ふたつ程の大きさを誇る門は、
見た目に反して軽々と開き、中に在る暗黒の渦を露にした。
迷わず僕は門の内、渦巻く闇へと足を踏み入れた。
『いらっしゃい』
『可愛い可愛い、ボクのエディン』
――どこかで、懐かしい声と、指を鳴らす音が聞こえた気がした。
※※※
黄金がうずたかく積まれていた。
地面は濡れており、大理石の床に透明な水が張っていた。
空気には瘴気の欠片も無い。
迷宮の外を超える清浄な大気で満ちている。
頭が絹のように軽い。
心なしか身体も動かしやすく、人生で感じたことがないほど思考が明瞭だ。
とても瘴気に満ちているはずの迷宮とは思えない。
――リィン。
鈴のような音が鳴った。
はて、迷宮にしては妙だ。
魔物の気配がしない。と言うか、命の気配を感じない。
いや、違う……。
「《蒼眼》が、
視点が俯瞰に変更できない。
分子運動も、法則の変動も、魔力の歪みも、透視も、千里眼すらも使えない。
――何かがまずい。
「リリア、ヴァルガスさん撤――」
入って一秒と立たずに思考を纏め、撤退するべく後ろを向き――。
鮮血が顔にこびりついた。
「――え?」
僕が振り向いた先には、最後尾にいたはずのヴァルガスさんの身体に
わかい、こどもの脚――。モーリス君のズボンを履いた足が宙を舞って。
賽の目状に斬撃痕が走って。
2つとも、同時に血しぶきへ変わって。
――リィン。
鈴の音が鳴って。
血しぶきに無限の白閃が走って。
血しぶきすら、消え去って。
ごん、とヴァルガスさんが背負っていた【赤龍剣】が地面に転がって。
「――は?」
僕一人だけが、迷宮で生き残った。