アプレ・ラプルイの朝日〜聖劍と王冠、ヤンヘラ女神の御名において〜 作:鹿鳴弥
「――やァ、エディン」
目を開けると、黄昏の湖が広がっていた。
湖に果てはなく、空には雲一つない、山吹色の天が浮かんでいる。
空の奥には、金色を含んだ、淡い青。金碧朱色の蒼穹が青々と溶け込んでいた。
暑くもなく、寒くもない湖の上には白髪と金の瞳の少女がひとり。
「こんばんは、アレア」
アレアに挨拶を交わす。
「お久々だねェ。二週間ぶりかな?」
白髪の彼女が髪をかき上げる。
涼やかな、甘さのない桃の香りが鼻腔をくすぐる。
「そうだね。本当に久しぶりだ」
アレアの言葉に肯きを返す。
二週間も眼前の少女が夢に姿を現さないのは珍しい。
「【天璽聖劍】を振ってくれたおかげでねェ。ようやく、キミとボクの繋がりができたのさ」
白い君の言葉に首をかしげる。
はて、そうだったか。リステリアの時は毎晩のように夢に出てきていたが……。
「あそこは特別だからねェ。あそこを除けば、大陸北方と、唯一の神官以外はボクと繋がりがない」
ご機嫌な声が響く。
「ああ、話がずれたね。ボクが今日キミを招いたのは、神託を下すためさ」
両手を広げ、口角を持ち上げる。
半透明な衣服が水を弾き、静かな湖面に波紋が広がった。
「聖劍と<
端正な顔立ち、その唇に喜悦の弧が浮かぶ。
「今朝、エディンが使ってくれてわかったと思うが。いまのキミでは【天璽聖劍】を振るうことはできない。何より、その真価を発揮することはできないのさ」
尊大にアレアが告げる。
「【天璽聖劍】は、<
静かにうなずきを返す。
【天璽聖劍】は朝に確かめたが、消費する魔力量が尋常じゃない。
僕の全魔力量と消費量はどっこいどっこい。
威力は異次元のもので、万全のリリアから剣を弾き飛ばせるくらい高い。
まともな運用は難しいと感じていた。
「<
まあ、ボクがこれについて言葉を賜すほどのものでもない。聖教国の【神父】であるニンゲン共に聞くと良いさ」
「<
アレアが人差し指を
「質問いい?」
「いいよォ」
「迷宮都市国家にいる【神父】では授かれないの?」
「無理だね。【枢機卿】、あるいは【司教】クラスじゃないと、【勇者】には導けないのさ」
淡々と彼女は告げる。
なるほど……。【司祭】でも可能なら、まだこの国でもできたけど、そうじゃないのなら仕方がない。
しばらくは【天璽聖劍】について考える必要はな――。
「だから、最後のお告げだ」
アレアが納得しようとする僕を無視して、割り込むように告げる。
「エディンは次なる土地、【出雲】で【天璽聖劍】の真価を振るうことになるだろう」
白髪をたなびかせ、少女が耳元に寄る。
甘い吐息が耳たぶにかかる。蕩けるような柔らかい声が耳を打ち、体温の残った温い残滓が耳朶に触れ、
「――ボクへのおねだりの仕方を、教えてあげようじゃないかァ」
※※※
目が覚める。
《蒼眼》が機能し、あまねく周囲を見わたす。
いつもの景色。三週間近く泊まっている、高級感の溢れる宿。なれない花と新緑の香り、わずかな潤いを帯び始めた空気。
春の香りに満ちた、目ざめの朝だった。
「【出雲】……」
耳元に手を当てる。
まだ、アレアの囁いた夢うつつの温度が、耳たぶに残っている気がした。
気にかかるのは【出雲】と、そのおねだりで――。
「――エディン! 朝ごはんなのですよ!」
静けさを切り裂くように、アルターの呼び声が聞こえる。
時刻は6時頃だろうか。朝日が僅かに空へ上り、朝焼けが土を照らしていた。
……ちょっと、寝坊したな。まだ、疲れが抜け切れていないのだろうか。
「はーい!」
僕はそそくさと<
※※※
「【出雲】へ行くのですぅ?」
アルターは茶碗を持ち上げたまま、不可解そうに語尾を吊り上げる。
何を言ってるんだお前、と顔に書いていた。
今日の朝食は和洋折衷って感じ。
目玉焼きにベーコン、アサリのみそ汁といくつかのサラダ。
「うん」
ずず、とみそ汁を口につけながらリリアに目を向ける。
アルターと同じような怪訝な顔つきをしていた。熱でもあるんじゃないかと言わんばかりの顔だ。
「イルクも【出雲】にいるって聞いたのがひとつ。もうひとつはね、治癒魔法を覚えるため」
「エディンはもう回復魔法を覚えているじゃないですか。必要ないと思うのですよ」
アルターが間髪入れずに反論してきた。
まあ、気持ちはわかる。<
欠損も治せるこの術があれば、東塔でも取れる戦略の幅が増えていたもんなぁ……。
ただ、
「<
4回使えばそれだけで僕の魔力は素寒貧になる」
あくまでも理論上は、という次第だ。
<回帰原理>を使わなければならない状況ってなると、戦闘時などの緊急時だ。
つまり、身体強化や迎撃などに魔力を回す必要がある。
「あれ、前に言ってたじゃない。たしか、《統巡》だったかで
「うん」
白米を口に運びながら答える。
「できるけど、時間を食うし。何より環境に大きく左右されるんだよねー」
ふわり、と茶碗を浮かしながら答える。
<蒼仙法>、《統巡》。
イルクから盗んだこの技術は、気魄を空へ張り巡らせ、周辺の力場を操作するもの。
性質上、魔力場を操作して体内へ流し込むのなんて基本中の基本。できなければ<蒼仙法>奥義である、《蒼霆》も使えない。
だから自己魔力の回復もできるんだけど、欠点もかなりある。
「僕だけじゃない。みんなが傷ついたときに癒すためにも、手札は多いほうがいい」
リリアとアルター、リモルさんたち仲間と共に朝食を取り、談笑している。
ただ、それだけでぽお、と胸の奥に宿った暖かな穏やかさを感じられる。
きっと、これが幸せなのだ。
守るための手段は、多ければ多いほどいい。
二度目はない。二言もない。必ず守る。
「そうじゃないのです」
アルターとリリアは顔を見合わせ、眉を顰めて僕をみた。
「エディン、さすがに無理しすぎなのです。あの迷宮から帰ってきて、まだ2週間しか経っていないのです。
もっと休むべきなのですよ」
「そうよ。顔色は悪くないけど、ため息が少し増えてるわ。
少なくとも、三日は休みなさい」
「三日ぁ? そんなに休んでたら体がなまるよ。せめて一日」
「駄目よ。疲れをちゃんと抜かないと、体壊すわy――」
「一日。それ以上は逆に体を壊すと思う」
自分の体だ。僕自身が一番理解している。
これ以上休んでいても何もならない。なにより、治癒魔法についての興味がかなりある。
じっとしてるほうが身体を壊す。
アルターたちの、心配そうな目つきは変わらない。
むしろその視線の鋭さは増すばかりだった。
……むむ。
参ったな。さっさと【出雲】で野暮用を済ませたいんだけど、そんなに疲れているように見えただろうか。
「大丈夫だよ。ふつーに元気だし」
むん、と腕の筋肉のコブを作ってみせる。
事実、今のところ肉体スペックはなんら遺憾なく発揮できている。
なんなら今から迷宮に潜っても問題なく――。
ヴァルガスさんに賽の目状の切れ目が入って、
鮮血が撒き散らされたあの瞬間が、閃光のように頭をよぎった。
「や、やっぱり元気じゃないかも……。今日は休むよ」
迷宮のことを考えると、一気にげんなりしてきた。
うげ……。迷宮は、今は潜りたくないな。若干、まだトラウマが残っている。
ひとりで潜るのなら特に問題はない。だけど今リリアとアルター連れて潜るのはなぁ……。
モーリス君もいたなら回れ右だ。最下級の迷宮もしばらくはお腹いっぱいである。
「そりゃそうでしょ。今日は休養。【出雲】行きは明日。いいわね?」
「はい……」
リリアがピシッ、と指を立てて怒ってきた。
リモルさんはケラケラ笑っていた。
※※※
「はてさて……」
宿の自室に戻り、布団の上で寝転がる。
しかし、休日か……。
「休みってもう、することないんだけど」
迷宮から帰ってきてまるまる2週間。ヴァルガスさんの葬式からは1週間が経過。
その間、休みの日にやれることはほとんどやってしまった。
リリアとアルターは買い出しに行ってしまった。
なんでも部屋の中でもできる遊戯があるらしく、それを買いにいっている。
ついでに明日の【出雲】行きの獣車の便を確認してくれている。
本格的に暇だ。
東塔にいた頃は良くも悪くも毎日が死ぬか生きるかの日々だったので、ここまで安穏とした一日ってものに経験がない。
素振り……は、朝やったな。
昼寝……。眠くないな。
つまみ食い……。この間やろうとしてどえらく叱られたばかりだ。今度やったら宿をつまみ出されるかもしれん。
(並列思考で回している治癒魔法の開発もうまくいってないしなぁ……)
うーん、何をすればいいんだ。
腕を組み、ベッドの上でアホ面を晒しながらぼーっと窓の外を眺める。
鳥が飛んでいる。
春先の澄んだ青空だ。
暖かくも、少し肌寒い空模様のおかげか、白く輝く太陽の光が燦々と庭の芝生を照らしていた。
空を飛んでみたいな。
ふと、新しい魔法を作りたくなった。
指先に魔力を込め、虚空に踊らせる。
空を飛べる魔法ってあったら便利ね。
幼少のころから鳥みたいになりたかった。
自由にリステリアの空をぐるぐるとめぐるように飛ぶ鳥に、憧れがあった。
翼を魔力障壁で構築する。
背中に透明な翼が出来上がり、大きく広がった。
柔軟性を付与し、羽ばたけるように術式を刻む。
魔法陣に魔力を通し、揚力を産む――。
瞬間、ペンやら衣服が凄まじい勢いで弾け飛んだ。
けれど、僕は微塵も浮き上がらない。ただ周囲にあった小物類を吹き飛ばしてしまった。
(むむ。意外と難しい)
やっぱりあれか。体重が重すぎるか。
魔力障壁を鳥のように翼を展開する術式を組んでみたけど、
羽ばたかせるだけでは効果が薄い。やはり推進力も魔力でやればいい。
術式を描き、使用してみようとしたが……。
いや、これ魔力消費量桁違いなことにならないか? リモルさんクラスの魔力量がないと無理だろ。またぶっ倒れる気しかしない。
そんなこんな考えていると、こんこん、と扉をノックする音が響く。
「やれやれ、何の騒ぎかね」
もったいぶった特徴的な少年の声。
どうぞ、という間も無く扉が開かれた。
「ほう。飛行魔法の開発か。面白い」
青いアホ毛が揺れ、紅い瞳が妖しく煌めく。
「喜べ、エディンくん。ちょうど時間を持て余した【魔神】が、貴公の魔法開発を手伝ってやるのだ」
リモル・ケッツァー。
普段部屋から一切出ない出不精を極めた【魔神】の<
くつくつと笑っていた。
※※※
「しかし、意外だな。貴公のことだ、治癒魔法について研究していると踏んでいたが」
リモルさんは興味深そうに視線を向けてくる。
「手慰み程度に作ろうかな、と思っていただけだったので。治癒魔法の開発も行き詰っているので……」
あはは、と笑いながら後頭部を掻く。
治癒魔法の開発は今も並列して別の思考で回している。だけど、あまりうまくいっていないのが現状だ。
「手慰みに魔法を開発するものがいるか」
はあ、とため息を吐いてリモルさんは椅子に腰かけた。
「よいか、エディンくんよ。魔法開発と言うものはな、それなりの魔法師が10年や20年もかけて作っていくものだ。そう簡単に作っていいものではないのだぞ?」
リモルさんが嗜めるように語る。
プライドが山のように高いリモルさんのことだ。
彼の言うそれなりの魔法師ってのはきっと、相当優秀な魔法師であることは違いない。
「リモルさんはやらないんですか?」
「するとも。僕を誰と心得る」
するんかい。
いや、彼の言わんとすることはわかる。
僕自身が優秀な魔法師からやっかみを受けないようにする処世術について教えてくれているんだろう。
「やっぱり、リモルさんも苦労されたんですね」
「無論だ」
リモルさんが深くうなずいた。
「<
余計なやっかみが多くてな。僕に嫉妬するばかりで、影口ばかり叩いていたものも多かった。
嘆かわしい。生産性の欠片も無いと思わんかね」
リモルさんはやれやれと肩を竦めた。
「不勉強で申し訳ないんですけど、 <
リモルさんは少し目を見開く。
「おや、知らないのかね? 世界でもっとも有名な魔導学府だろうに」
「世間の事情に疎くて……」
僕がいたリステリアは鎖国国家だ。
年がら年中、船すら軽々と砕く嵐に囲まれている以上、外交もへったくれもあったものじゃない。
リステリアについて聞かれたら端から端まで澱みなく解答できるけど、
世間一般の常識には3歳児にも劣る自信がある。
「……なるほど。では、概略だけ伝えておこうか」
リモルさんは一瞬、探るような目を僕に向けてきた。
「<
常識というものをかなぐり捨てた、神秘の大学園だ。
まあ、あの学園の特殊性から考えれば、いずれ貴公も入学することになるやもしれんな」
リモルさんは軽い口調で語り、どこからか取り出した紅茶に口をつける。
「僕、学校に通うつもりはないよ。その暇があるなら冒険してたいし。
応募しようとも思ってないし。学費がもったいない」
何やら魔法について学べる学園とのことだが、
正直入学しようとは思えなかった。
リリアがね……。座学嫌いなんだよ……。
規格外の実力を持つリモルさんが「特殊」だの「常識外れ」だの言うくらいだ。
間違いなく面白い仕掛けやらがたくさんあるんだろう。
だけど学校である以上、座学は避けられまい。
僕のいくところにリリアとアルターあり。ふたりのいくところに僕あり。
友や亡きヴァルガスさんからリーダーと認められた以上、仲間の嫌がる行動はしないと決めているんだ。
「残念だが、あの学府は応募ではなく、招待制だ。さらに言うなら、学費の概念がない。
貴公ほどの才覚なら、向こうから勝手に入学届を送ってくるだろうさ」
「ほへー。そうなんですね」
リモルさんの言葉を軽く受け流し、指先に魔力を込める。
どーせリリアは受けたがらない。
アルターの意見がどう転ぶかはわからないけども、まあ、関わり合いになることはないだろう。
そんなことより治癒魔法だ。気分転換の飛行魔法の開発にも飽きたし、燃費のいい治癒魔法を開発しないと。
「貴公、いま描いている開発中の魔法陣だが。それは回復魔法ではないか?」
「ん? 」
<
「治癒魔法ですけど……」
「なるほど。質問だが貴公、治癒魔法と回復魔法の違いはわかるか?」
「…………………………」
「なるほど、そこからか」
フッ、と鼻で笑って紅茶に口をつけ、憐れんだ眼を僕に向けてきた。
う、うるせー!
なんだよ治癒魔法と回復魔法の違いって! どっちも肉体を治療する魔法だろうが!
何の違いがあるってんだよ!
「そう怒るな。貴公に超大天才魔法師のリモル・ケッツァーが治癒魔法について教えてやるのだから、
やたら鼻につくセリフを口にしながらリモルさんは魔法陣をふたつ描いた。
白と緑の魔法陣だ。《蒼眼》で視てみれば、光魔法と木属性の術式が浮かび上がっていた。
「この術式の効果は?」
「どちらも治療にかかわるものですね。属性が違うだけで、術式の効果はさほど変わってないと思います」
「その《
ジト目で睨んできたリモルさんの圧に負け、しっかりと術式の中身を覗く。
描かれている術式の中身は似たり寄ったり。だけど、脳内で術式と魔法法則をシミュレートしてみると、効果が全く変わってくる。
……ほむ。なるほど。属性による内容の違いか。
「再生と増幅。光と木でそれぞれ別の術式効果を持っているように視えます」
「正解だ」
リモルさんは指を立てて軽く説明する。
「魔法とはな、原素によってその効果が大きく左右される。同一の術式であっても、中枢の原素を変えれば別の効果となる」
「なるほど。つまり、治癒魔法と回復魔法の違いもそこにあるってことですか?」
「その通りだ」
リモルさんがぱちん、と指を鳴らした。
「光原素は回帰。木原素は成長を意味する。まあ、他にもいろいろと意味があるが。概ねその方向に傾く」
光の板を浮かべ、そこに術式と齧られたふたつのりんごを描いた。
魔力を通した瞬間、光の魔法と木の魔法がりんごを再生していった。
光魔法のすぐ側にあったりんごは欠けたパズルがもとに戻るように戻り、
木魔法の近くにあったりんごは傷口が膨れ上がるようにもとに戻っていった。
「光属性が回復魔法、木属性が治癒魔法。って認識でいいのかな」
「まあ、その認識でも悪くはない。<
基本、回復魔法は魔力の燃費がはるかに悪い」
リモルさんは「僕ならば千回撃っても総魔力の1厘も使わんがね」、と付け加えた。
改めて思うけど、リモルさんの魔力量って膨大だな……。
火山なんて生ぬるく思えるほど、膨大極まりない量の魔力が彼の体内で渦巻いている。
僕が千人いてもリモルさんの魔力量の足元にも及ばない。
それこそ、人の理を外れているような……。
「たっだいまなのですー!!」
がらがら、と大きな音を立てて扉が開け放たれる音がした。
何やら大量の荷物を持ったアルターと、髪をいじりながら戻ってきたリリアの姿が
《蒼眼》に映った。
「……講義の雰囲気ではなくなったな」
やめやめ、とばかりにリモルさんは首を振り、立ち上がる。
「魔法開発もいいが、この後は気を抜いてふたりと騒いで来たまえ。
貴公、少し気を張りつめすぎているように見えるのでな」
彼はそういうと歩き出し、扉に手をかけた。
……そうか。やっぱり、みんなにはそう見えるんだ。
なら、しっかりと遊ばなきゃ。
「リモルさん」
でも、その前にやらなきゃいけないことがある。
「ありがとうございました!!」
深々と頭を下げる。
リモルさんはふ、と笑い手だけを振って僕の部屋から出ていった。
「結構。騒ぎすぎて明日の出立に遅れるなよ」