アプレ・ラプルイの朝日〜聖劍と王冠、ヤンヘラ女神の御名において〜 作:鹿鳴弥
明朝。
自室にて。
「――よし」
ぱん、ぱんと手を叩きながら、お世話になった部屋へ目を向ける。
布団はしっかりと畳んだ。目につく範囲の汚れは洗浄し、部屋には埃ひとつ残していない。昨日騒ぎまくったすごろくも、すでに回収済み。
部屋の窓を開けば、心地よい風が流れ込んでくる。
掃除は完璧。
これなら、僕が出ていったあとも女中の人たちが困ることはないだろう。毎日湯浴みもしていたし、寝具に汗や血の匂いも残していないはずだ。
花瓶に挿された枝垂れ桜の、穏やかな香りが鼻を包む。
毎日替えられていた春の花。
気がつけば、いつの間にか新しいものへ挿し替えられていた。
部屋も毎日綺麗にしてもらった。
僕も最低限の掃除はしていたけれど、やはり玄人の仕事には素人では及ばなかった。
だけど、それも今日で最後だ。
今日、僕らはこの宿を発つ。
また訪れる機会があるかは分からない。だからせめて、立つ鳥跡を濁さずに去りたい。
「――お世話になりました」
誰もいない部屋を入口から見回し、深々と頭を下げる。
二週間にわたって僕を泊めてくれたこの場所へ、心からの感謝を。
踵を返し、扉に手をかける。
朝食もすでに済ませた。あとは、仲間たちと宿を出るだけだ。
ぼう、と風が吹いた。
ほのかに、春の香りがした。
※※※
宿を出て往来を歩く。
僕を中心に、リリアとアルターが続くように並んでいた。
外は昨日よりもわずかに暖かく、人の往来も増えているように感じる。
串焼きに焼き肉、串団子や焼きおにぎりなど、涎をそそるような屋台も増えてきている。
最高かな?
「いやー。エディンも真面目なのですよ。女将さんどころか、目についた従業員へ片端から挨拶して回るとは思わなかったのです」
アルターはくすくすと笑う。
「そんなに変かな。お世話になったんだから、当然だと思うんだけど」
むぐ、と串団子を頬張りながら答える。
出立前、女将さんから掃除夫に至るまで、すべての人へお礼と挨拶をして回った。
ご飯も美味しかったし、部屋は綺麗だった。
お礼くらい言って当然じゃないかな。
イルクが貸し切りで取ってくれた宿だから、気兼ねなく騒げたし。
お礼を言って回ったら、みんな目を丸くしていたなあ。でも、嬉しそうだったからいいんじゃないか。
「律儀というか何というか、って感じね。そこら辺の礼儀には、とにかくうるさいんだから」
右隣にいるリリアが後ろ髪を払い上げた。
至極ご機嫌な笑顔だ。
口調はやれやれと言わんばかりだけれど、口元へ手を当てて楽しそうに笑っている。
「うるさいやい。お礼はいくらだってしていいもんでしょ」
「時と場合によるな。あまりに軽々しく頭を下げ続ければ、かえって謝意そのものが安く見られることもある。強者が理由もなく頭を下げれば、周囲の者まで軽んじられる場合もあるからな」
リモルさんが得意げな様子で語ってくる。
なるほど、そういう考え方もあるのか。
ぺこぺこと頭を下げているだけでは、本当に感謝したとき、気持ちが伝わりづらくなるかもしれない。
「わたし、そういう理由で頭を下げられないヤツ、きらーい」
しかし、リリアはつまらなさそうに唇を尖らせ、リモルさんに反論する。
普段は品行方正を地で行く彼女からすれば、小さな【魔神】の言葉は気に入らないのだろう。
「いや、リモルさんの言うことももっともだと思う。ちゃんと状況と周囲を見ろってことですよね?」
リリアを制し、リモルさんの方を見る。
事実、僕は何かあれば自分が頭を下げればいいと思っている。
だけど、謝罪だけで通用するほど世の中は甘くないのだろう。
「その通り。物分かりが良いではないか」
リモルさんは自慢げに顎を上げ、勝ち誇った顔をリリアへ向けた。
「なによ」
「何もないとも。リーダーは物分かりが良いようだなぁ?」
「皮肉のつもりかしら。よほど命がいらないのね」
笑顔のまま額に青筋を浮かべたリリアが鞘へ手を当て、鯉口を指で押し上げていた。
「わー! 待った、待った! 二人とも喧嘩はやめて。リモルさんは煽りすぎ。リリアは見え見えの挑発に乗りすぎだよ。ほら、もう着いたから」
僕はリリアとリモルさんの間へ割って入り、前にある大きな建物を指差す。
「陰陽線【伯方】駅、到着だよ!」
※※※
陰陽線。
極東の島国、【迷宮都市国家 メーヴェ・ジ・パン】を横断する鉄道路線だ。
その実態は、陰陽道の<式神術>によって契約した大型魔獣に、車輪付きの鉄箱を牽かせ、鉄の軌道上を高速で走る交通機関らしい。
時刻の遅れもさほどなく、大勢の人間を馬よりも速く運んでくれるらしい。
らしいのだが……。
「なあんで一向に列車が来ないのですか!!」
全く来ない。
かれこれ三十分ほど待っているが、列車が来る気配はまるでない。
「あったま来るのですよ……! 多少の無礼と損失は許せても、時間を無駄にしてくる輩だけは本当に嫌いなのです……!」
苛立ちのあまり、アルターが親指の爪を噛んでいた。
朱塗りの木橋めいた乗降場で待っているだけなのだが、一番初めにアルターが噴火した。
「大変そうだね」
「何を呑気に食ってるのですか!?」
「駅弁」
アルターに竹製の箱を見せる。
両腕で抱えるほど大きな弁当箱には、醤油と出汁がしっかりと染み込んだ白飯と鶏肉、野菜が敷き詰められている。
全体が、落ちた柏の葉のような色合いになっていた。
いやあ、このかしわ飯なる弁当が気になって気になって。
野菜と鶏の甘辛い味が、ご飯に合うんだな。これが。
「さっきも串団子を食べていましたよねぇ!? 十本も! なんでそれで特大弁当なんか食べられるのですか!?」
「ゆっくり食べれば、いくらでも食べられるからね」
かっ、かっ、とかしわ飯弁当を箸で一気にかき込み、完食する。
「んまかったぁ。リリア、見てみて! メガ焼き肉弁当だって! 超美味しそうじゃない!?」
「気のせいかしら。わたし、五分前にも『かしわ飯、すんごい美味しそう!』って言葉を聞いた気がするのだけれど」
「言ったね」
「五分で完食してるじゃねーですか! どこがゆっくり食べてるのですか!」
酷いなあ。
本気を出せば、かしわ飯弁当くらい十秒もあれば食べ終わる。
だいぶゆっくり食べた方だと思うけどなあ。
ちなみに、リモルさんは長椅子で寝ている。
どこから取り出したのかも分からない高級そうな寝具の上で、目を閉じて眠っていた。
しかし、そんな姿勢のままでも、当然のように魔力探知は密に行っている。
「落ち着きなよ、アルター。怒っても列車は来ないって。鉄道の人たちだって、サボってるわけじゃないんだし」
僕は【出雲】までの地図を広げながら、地団駄を踏むアルターを宥める。
海峡を越えた先の雑木林に、ひときわ大きな×印が付いている。
事故の多い場所らしい。
魔獣の群生地で、しばしば鉄道への襲撃が起きるとかなんとか。
この×印ほど目立たないだけで、小さな危険地帯は路線上のあちらこちらにある。
列車の遅れくらい、よくあることなのだろう。
「それは……そうなのですが! それでも何か知らせるのが筋ってものでしょう!? 連絡もなしに遅れるなんて、ありえないのですよ……! 駅員もなぜかいないし……!」
アルターは怒りながら頬を膨らませる。
ほむ。
確かに、駅員さんが一人も見当たらないのは気になる。
駅弁を売る式神は何体かいるんだけどな。
というか、よく見れば、この乗降場で待っている客も僕らだけだ。
「んん~、妙だな。この駅の乗降場って、こんなに人がいないものかな?」
アルターに話しかけつつ、《蒼眼》で周囲を視る。
掲示板には、小さな運休通知が貼られていた。
――本日、特別貨物輸送につき、旅客列車は全便運休。
……ほむ?
《蒼眼》の感知範囲を広げ、乗降場から駅員室の中を覗き込んでいく。
閉じたままの書類を透過させ、捲ることなく文字を読んでいく。
ついでに、アルターが予約してくれていた切符にも目を通す。
…………ほむ。
切符に記されている出発日は、明日。
「アルタ――」
抱いた確信を口に出そうとした、その瞬間。
リモルさんが目を覚ました。
轟、と強烈な風が線路を駆け抜ける。
角に火を灯した巨大な牛が爆速で走り過ぎ、金色の列車が甲高い金属音を立てながら減速し、僕らの前で完全に停車した。
ぎしり、と重厚な音を立てて扉が開く。
「――おやおやぁ? これはこれは」
轟音に、全員の視線が車両の入口へ集まった。
そこに、一人の女性が立っていた。
肩口で切り揃えた白髪に、好奇心で濡れた緑色の瞳。
黒い着物を着崩し、手には煙管を持っている。
「奇遇だねえ。此、びっくり」
迷宮都市国家最強。
黄金級冒険者、リーリエ・アモンその人だった。
※※※
「うっはっは! なーあんだ。切符の日付を間違えたのか! あー、おもろ。そんなことある?」
リーリエさんは一際豪華な椅子に腰掛け、煙管を叩きながら笑っている。
「面目ないのですぅ……」
笑われているアルターは、顔を真っ赤にして冷や汗をかいている。
可哀想になるくらいへこんでいた。
僕らが来るはずのない列車を待っていたのは、アルターが切符の日付を一日間違えていたから。
そして、乗降場に駅員も乗客もいなかったのは、リーリエさんが今日一日の運行枠をすべて押さえていたからだった。
「今日は此が陰陽線の運行枠を全部押さえたからねぇ。黄金輸送列車を何本も通す必要があったんだ。そりゃ、いつもどおりの旅客運行にはならないわなぁ」
けらけらとリーリエさんが笑いながら紫煙を吐き出す。
ううん……。無体だ。
段々と肩を落としていくアルターの姿が哀れで、見ていられない。
だけど、アルターを責める気にはなれなかった。
黄金の競売関係で、この二週間。
アルターがどれだけ調整や交渉に奔走してくれていたことか。
普段なら怒りなんて見せないアルターが、駅であれだけ苛立っていたのがいい証拠だ。
アルターもまた、疲れが溜まっている。
窓の外へ視線を移す。
田園が一瞬で流れていく。
木が見えたと思えば、瞬く間にはるか後方へ消え去っていくほどの速度で、列車は走っていた。
「師匠……。その辺で」
リーリエさんの隣に座っていた、眼鏡をかけた義足の少年が彼女を嗜める。
我らが友人、石上モーリス君だ。
「そもそも、師匠が唐突に運行枠をすべて押さえるなんていうから、こんなことになったんですよ。もう少し周囲を慮って行動してください」
そうだ、そうだ。
もっと言ってやれ。
あんまり、うちのアルターをいじめるな。
「仕方ないじゃん? 大量の黄金を急いで【出雲】まで運ぶ必要があったんだからさ」
リーリエさんは雁首に残った刻み煙草を、懐から取り出した小箱へ落とし、へらへらと笑った。
「黄金って、僕が攻略した迷宮のものですか?」
「大正解。よく分かったねえ。エディン君から買い取った黄金の量が、思いのほか多くてさ。さっさと売り捌ける分は売っちゃおうと思って、運び出したのさ」
彼女は煙管の持ち手――
先日、僕が攻略した【聖劍宮】から持ち帰った黄金の量は、とんでもないものだった。
アレアはぽん、とくれたけれど、インゴットだけで小山ができるほどの数だ。
この客車の後方にも、黄金を満載した貨車が八両連結されている。
さらに後方からは、同じような輸送列車が一定の間隔を空けて、何本も追走していた。
合わせれば、数十両分にもなる。
そりゃあ、今日一日は通常運行どころじゃない。
アルターも、ここ最近はずっと忙しそうにしていた。
【聖劍宮】の緘口令に関する打ち合わせや、黄金の売却代金の資産運用、そのほか細々とした契約の処理。
僕の知らないところで、ずっと大立ち回りを演じてくれていたんだ。
「ただ、この量を売り捌こうにも、保管中の護衛やらなんやらで心配事が多くてね。東北の領地や、他領での魔物討伐もあるから、此が付きっ切りってわけにもいかない」
新しい刻み煙草を雁首へ詰め、火を灯す。
吸い口へ唇をつけ、ふう、と甘い煙を吐き出した。
どう、と強い風が列車へ叩きつけられる。
海峡だ。
石造りのアーチ橋が、九州と本州を繋いでいる。
朝日に照らされ、海が青白く瞬いていた。
しかし、その余韻を楽しむ暇もなく、五秒と経たずに雑木林が窓の景色を覆った。
「ちょうど【出雲】で、<
「忙しないな。この国の最強が東奔西走せねば回らぬ環境など、同情を禁じ得ん」
嫌味ったらしい調子で、リモルさんがリーリエさんを揶揄する。
「なら、リモル。君は何をしに来たのかな? 普段はアイテールへ引き籠もっている臆病者が、交通機関を使うなんて珍しいじゃん」
「なに。友人からの頼みを引き受けているだけだとも」
「ふーん?」
リーリエさんは面白そうにリモルさんを見た。
対する彼は、遠くをぼんやりと見つめたまま、指先に魔力を込めている。
やけに濃く魔力探知を巡らせているな。
普段のリモルさんよりも、明らかに警戒が強い。
――ふと、地図の雑木林に付いていた×印を思い出した。
海峡を越えた先は、魔獣による被害が大きい地域。
凶暴な魔獣が生息し、特に鉄道事故が多発している場所。
確か、魔獣は人間よりもはるかに魔力の気配へ敏感で、縄張り意識が強い傾向にある。
そして、今この列車は――。
凄まじい量の魔力を通す、黄金を満載している。
リーリエさんの煙管を叩く指が、ほんの一瞬だけ止まった。
「伏せて!」
「伏せろ!」
僕とリモルさんの声が重なる。
瞬間、白い閃光が車窓を薙いだ。
一拍遅れて爆音が炸裂し、すべての窓が粉々に砕け散る。
衝撃が車内を駆け抜け、長大な列車が大きく揺れた。
「面白い」
リモルさんが指を振る。
ただ、それだけで圧縮されていた魔法陣が展開された。
飛び散った窓ガラスの破片が空中で静止し、時間を逆行するように窓枠へ戻っていく。
一瞬のうちに、窓は襲撃前と変わらぬ姿へ修復されていた。
リーリエさんは一人、伏せることもなく煙管を吸い続けている。
表情は余裕そのもの。
昼下がりに紅茶でも嗜むように、ゆっくりと窓の外へ視線を傾けていた。
《蒼眼》で視点を俯瞰へ切り替える。
光り輝く大鹿が、空を駆けていた。
その真下には巨大な砂塵が巻き上がり、無数の魔鹿が怒濤の勢いでこちらへ進撃している。
「構えろ、諸君。これは
リモルさんは余裕の表情で空を見つめ、にやにやと笑いながら告げる。
「種族間の侵略戦争だ」
空を踊るように駆ける大鹿を見据え、リモルさんは愉しげに口角を持ち上げた。
「【伯方】と【出雲】の境を支配する僭王。竜にも迫る大鹿――」
車窓の向こうで、大鹿の角に白い光が収束していく。
「【殲光鹿】のお出ましだ」