アプレ・ラプルイの朝日〜聖劍と王冠、ヤンヘラ女神の御名において〜 作:鹿鳴弥
魔物たちが消し飛んだ直後。
衝撃に抉り取られた海が、目の前に広がっていた。
冷たい海水に両足を浸したまま、遠くにいるイルクを呆然と視る。
なんだったんだ……あれ。
《蒼眼》が映したものは、<蒼仙法>ではなかった。
魔法の類でもない。迷宮特典による神秘とも、少し違って視えた。
あれは、極限まで研ぎ澄まされた暴力だ。
拳そのものの威力ではない。
拳から生まれた衝撃を掌握し、自在に御することだけを念頭に置いた、理外の武。
桁外れの身体能力を前提として、初めて成立する神話の御業だった。
僕も素振りだけで剣圧を生み出すことはできる。
だけど、イルクのあの技は、そんな次元を遥かに超えている。
魔力反応は、まるで視当たらなかった。
恐らく、あれはイルクが持つ特殊体質の――。
「おっと、そんなことよりもだ」
思考を打ち切る。
目の前に散乱するマグロの死骸を眺めながら、顎に手を当てた。
この魔物たちは、どこから来たんだろうか。
砂浜に膝をつき、死んだランニングマグロを捌く。
黒曜石の円刃で鱗を剥がし、エラと内臓を引きずり出した。
どくどくと、未だに血が溢れ出ている。
新鮮な血の香りだ。
磯臭さも生臭さも、思いのほか薄い。
やはり、食材は鮮度が大事だね。
頭を落とす。
ナイフへ魔力を通して強化し、三枚に卸しながら思考を巡らせた。
問題は、こいつらの目的だ。
魔力切れになった僕を狙い澄ましたように現れた。
明らかに、こちらの消耗を待つだけの高い知性を見せている。
なら、こいつらは何を企んでいたんだろう。
そして、もう一つ気になることがある。
「ランニングマグロの腕って、食べられるのかな……」
三枚に卸し、邪魔になった腕をじっと視る。
…………いけなくは、ない。
むしろ《蒼眼》で視る限り、肉が引き締まっていて、かなり美味しそうにすら見える。
周囲を見回す。
リリアとアルターは、少し離れたところで武士たちの応対をしていた。
ずきりと、頭が痛む。
摩ってみれば、頭頂部には見事な三段のたんこぶが出来上がっていた。
無茶をしすぎだと激怒した剣姫様による、折檻の証である。
果たして、拾い食いは無茶の内に入るだろうか。
……以前、そこら辺の雑草を引き抜いて食べたときに喰らった鉄拳制裁を思い出す。
うん。間違いなく、無茶に分類されるね。
『どうして、それで怒られないと思ったのかしら……?』
にっこにこの笑顔を浮かべたまま、拳を握り締めるリリアの姿が脳裏に浮かんだ。
でも、《蒼眼》で視ると、魚と獣肉の中間みたいな肉質なんだよな。
細やかな肉繊維に、綺麗な霜降り。
普通の獣肉よりも鮮烈な赤色をしていて、脂もかなり良質だ。
絶対に美味しい。
寄生虫の類も視当たらないし、食べないのはもったいないなあ。
食べたいなあ。
こんなに、たくさんあるしなあ。
きょろきょろとリリアとアルターを窺う。
二人とも、こちらに気づいている様子はない。
……ちょっとくらい、食べてもバレないか。
腕の一部をこっそり切り分け、口へ運ぼうとした瞬間。
「あいや、そこもとらの戦いぶり、まこと天晴れであった!」
重々しい武士の声が聞こえてきた。
甲冑の擦れ合う音を響かせながら、立派な武士とリリアたちが近づいてくる。
びくんと背筋が伸び、慌てた拍子に切り身を砂浜へ落としてしまった。
ああ……僕のマグロが……。
砂に落ちたトロを悲しみに満ちた目で見つめていると、近づいてきた武士が僕の傍らに立った。
兜を脱ぎ、こちらへ話しかけてくる。
「<荒神祭>が催されるとはいえ、ずいぶんと早い到着であった。卑しき冒険者とは思えぬ、誉れ高き武辺者よ。して、そこもとらは何故【出雲】へ参ったのだ? ほとんどの冒険者は、<荒神祭>になど興味を持たぬであろう」
「治癒魔法の勉強です。【出雲】には、優秀な治癒魔法師がいると伺っておりましたので」
失礼にならないよう、慎重に言葉を選んで答える。
相手は、切り捨て御免すら許されている特権階級だ。
非礼を問われ、余計な面倒事へ発展するのは避けたい。面倒事は嫌だし。
「御簾籠りの奇人か」
武士は腕を組み、難しそうな顔で唸った。
「御簾籠りの奇人がおわす場所へ赴くのは難しい。彼の御仁がおわすのは、水陰村と呼ばれた禁足地なのだ」
彼の指した方角を視る。
山だ。越えた先には、小さな漁村が広がっている。漁村一帯には白く、深い霧が立ち込めていた。
方向感覚を狂わせ、侵入者を入り口へ戻す特殊な濃霧。
恐らく、あれが水陰村。
御簾籠りの奇人のいる、僕の目的地。
「あそこへ立ち入ることを許されているのは、武士や、朱印を持つ商人など、特別な許可を得た者のみ。そこもとらでは、訪ねることすら困難であろう」
武士は、きっぱりと言い切った。
ほむ。
《蒼眼》で霧の構造を視てみる。
……なるほど、霧の効果は認識の阻害か。《蒼眼》を俯瞰視点で固定すれば、恐らく突破できる。
だけど、リリアたちを連れて侵入するのは難しそうだ。
僕は《蒼眼》によって地形を俯瞰できるが、リリアたちに同じことを求めるのは酷だろう。
御簾籠りの奇人のもとへたどり着くまでにも、一筋縄ではいかないらしい。
簡単には会えないだろうと思っていたけど、予想以上に難航しそう。さて、どうしようかな。
顎に手を当てて考えていると、説明してくれた武士のもとへ、一人の部下が近寄ってきた。
「輝元様、そろそろ……」
「む。殿への報告に参らねばならぬか。すまぬな、冒険者殿。某はこれにてお暇させていただく」
そう言い残し、彼は部下たちを引き連れて海岸を去っていった。
その場に残ったのは、僕らと大量のマグロの遺骸だけ。
つんと、濁り始めた血の臭いが鼻を刺す。
肉を視れば、鮮やかな赤色が僅かに茶色く変色し始めていた。
そろそろ鮮度が落ち始めたか。
赤身は劣化が早い。血の味が強い部分だから、早く処理しないと。
「さあて」
懐から取り出した手拭いを額へ巻きつけ、気合を入れる。
「解体の時間だ」
※※※
両腕へ魔力を込める。
強化された手で『
頭を落とす。
手足を切り離し、エラと内臓を引き抜く。
刃を肉へ沿わせて背骨を開き、三枚に卸す。
「ほいさっ」
切り分けた身をアルターへ放る。
アルターは絶妙なタイミングでツルハシを振るい、受け止めた。
マグロの切り身が瞬時に光の粒へ変わり、
「ほい」
続けて、切り身を放る。
アルター一人では、僕の解体速度に追いつかない。
リリアにも隣へ並んでもらい、ツルハシを振るってもらう。
「はっや……」
リリアが、呆れた目で僕を見ている。
だけど、今はそんなことを気にしていられない。
魚は鮮度が命。
よそ見をしている余裕なんてないんだ。
それに、気になって仕方がないこともある。
砂の下を這い、僕が隙を晒すまで待機するほど、魔物は賢かったか?
魔物は基本的に、人間を見つければ襲わずにはいられない。
そういう習性であり、そういう憎悪に突き動かされる存在だ。東塔でもそうだった。
いや。
このランニングマグロという魔物が、特別に知能の高い種族なのかもしれない。
さっきの戦場に向かうまでの会話からして、魔物だったと言う割にコミュニケーションが取れているように感じた。
少し、確かめてみるか。
ランニングマグロの頭蓋を開く。
中から現れたのは、小さな脳だった。
脳の構造を視る限り、なるほど、道具を扱える程度の知能は備えている。
だけど、罠を張り、相手が消耗するまで伏兵を潜ませるほど、複雑な思考ができる脳には思えない。
「はむ」
「脳、食べてるんじゃないでしょうね?」
リリアに、軽く肩を叩かれる。
頭は避けてくれた。
あれだけ鞘で頭を殴ったのだから、さすがに配慮くらいはしてくれるらしい。
「それにしても、参ったなあ。御簾籠りの奇人に会って、治癒魔法をさっさと完成させるつもりだったのに。当てが外れたよ」
ちぇ、と舌打ちしながら、マグロの脳を舐め取る。
ん……。
濃厚で、クリーミーな味だ。
なぜだか分からないけど、醤油が欲しくなる味だった。
「珍しいのです。エディンが魔法でそこまで苦戦するなんて。それほど難しいのです?」
「まあね」
解体の手を一度止め、目を瞬かせるアルターへ笑いかける。
「治癒魔法は、九十九パーセントまで完成してるんだ。でも、最後の一パーセントで難航してる」
「たかが一パーセントじゃない。エディンなら、誰にも頼らずぱぱっと完成させられるでしょ」
「それが、そう上手くはいってないんだよ」
四角形の魔法陣を描き、切り分けたマグロの死骸へ治癒魔法を施す。
死んだはずの肉が痙攣した。
切り分けられた肉同士が接合し、盛り上がりながら脈打ち始める。
しかし、途端に肉がぼろぼろと崩れ始めた。
過剰に増殖した細胞が蕩け、泥のように溶けていく。
「制御部分が上手くいかないんだ。治癒魔法は回復魔法と違って、肉体の治療そのものに特化してる。だから、魂が離れた死体に対しても効果を発揮する。それが、一番苦戦してる理由なんだよ」
壊死し、崩れていく細胞を前に、ため息を吐く。
治癒魔法は、簡単に言えば細胞の増殖を促進する術。
これだけ聞けば単純だけど、現実はそう簡単ではない。
細胞の増殖も、度を越せば毒になる。
「がん細胞化、ですか」
「正解」
アルターの答えに頷く。
実際に造ってみて気づいたことだが、治癒魔法は制御が全てと言っていい。
制御が甘ければ、細胞が際限なく増殖して腫瘍になる。
制御を強くしすぎれば、そもそもの治癒効果が弱くなる。
ちょうどよい塩梅を見極めなければ、かえって症状を悪化させてしまう。
難儀極まりない。
「――魂に刻まれた生命の設計図に従って復元する回復魔法と違って、治癒魔法は自己治癒力の延長だからね~。魂を直接視られるエディンからすると、回復魔法の方が簡単になるっていう、逆転現象が起きてるんだよね~」
頭上から声が響く。
男の声だ。声の主は、上空から猛烈な速度で飛来し、砂浜へ勢いよく着地した。
しかし、砂埃一つ立っていない。
まるで舗装された石畳へ降り立ったかのように白浜へ着地し、静かに砂を踏み締めながらこちらへ歩いてくる。
「や、エディン。ま~た無茶したでしょ」
大破壊を引き起こし、僕の窮地を救ってくれた兄貴分。
イルク、その人だった。
※※※
解体作業は、一瞬で終わった。
現れたイルクは何を言うでもなく、《統巡》でマグロの死骸を一斉に宙へ浮かせた。
そして、腰に佩いた刀の鍔を指で僅かに持ち上げた。
次の瞬間。
全てのマグロは部位ごとに切り分けられ、イルクの腕に嵌められた黄金の腕輪へ収納されていた。
「やー、終わったね。エディンはリリアちゃんにやられた頭を治さず、しばらくそのまま反省するように」
イルクは何でもないことのように言って、三段のたんこぶが出来上がった僕の頭を指差した。
「…………はーい」
頭が、ずきんずきんするぅ……。
戦闘中の高揚が薄れ、鈍っていた痛覚が一気に戻ってくる。
ふと、ランニングマグロたちが通ってきた坑道が《蒼眼》の視界に入った。
「ほむ……」
頭の中で、思考を巡らせる。
魔物の習性は、人間を襲い、食い殺すこと。
そこに至上の命題を置き、それ以外を考えない。
より多くの人間を、より弱い獲物を好んで喰らう。
そこに策略なんてない。
野生そのものであり、抑制を知らない獣の本能だ。
東塔にいた頃も、魔物が群れを作ることはあった。
だけど、闇討ちや伏兵を仕掛けてくる魔物なんて、ほとんどいなかった。
だが、この坑道からは、どうにも深い戦略性を感じてならない。
僕の知る魔物と、目の前にある現実。
その二つが、どうしても噛み合わなかった。
「なーに考えてるの、エディン」
肩へ腕を回され、力強く抱き寄せられた。
海中へ伸びる坑道を視つめたまま呆けている僕の隣に腰を下ろし、僅かに暗み始めた空へ視線を向ける。
「なんか、きな臭いんだよね」
「ん~。というと?」
「この一連の騒動、そのものが」
振り返り、そのままイルクの膝へ倒れ込む。
イルクは無言でおはぎを取り出すと、小さく千切って僕の口へ入れてくれた。
んまい。
「妙なんだ。この坑道、相当長い。一朝一夕で造れる代物じゃない」
イルクへ語りながら、坑道の果てを視る。
全長は、二十キロメテルほど。
山の向こう側にある海中洞窟まで繋がっていた。
地中深くの岩盤を、圧縮した水と屈強な腕で掘り進んだらしい。
ここまでは、まだ納得できる。
ランニングマグロの身体能力なら、一週間ほどあれば完成させられるだろう。
「でもさ。イルクも、魔物の習性は知ってるよね」
「もちろ~ん。魔物は人を恨み、人を喰らわんと襲ってくる。自分の命と引き換えにしてでも人間を襲うってのは、言うまでもないよね」
「だよね。ならさ」
「どうして、ランニングマグロは水陰村を襲わなかったんだろう」
イルクの瞳が、刃のように細められた。
張りついていたひょうきんな笑みが消え、真剣な表情で考え込む。
そう。
おかしいんだ。
この坑道は禁足地の山の下を貫き、
人間を襲うために、これほど長い坑道を掘ったのなら。
途中にある水陰村を襲わないのは、理屈に合わない。
「まるで、本能を無理やり抑えつけたみたいだ。ちなみにイルク、魔物の本能を抑えて、命令に従わせる魔法とかに心当たりはある?」
イルクの膝へ頭を預けたまま、問いかける。
「……いや、ない。
<
あれも、魔物を完全に制御する段階には至っていないよ」
剣呑な光を瞳に宿したまま、イルクは結論づけた。
同時に、僕の脳裏を一つの記憶が過った。
【
侵入した僕らへ興味すら向けることなく、一心不乱に祈り続けていた【
――覚えたぞ、
そして、あの死闘の主。
魔物の本能を抑えつけ、命令へ従わせることができる存在。
魔族。
その上、僕のことを知っている者となれば、僕が知るの人物は、たった一人。
「うん。間違いない」
「今回の騒動を引き起こしたのは、イルゲルムだ」
※※※
一瞬の静寂。
イルクの表情が固まった。
鋭い目つきに、深い眉間の皺が加わる。
「――その心は?」
険しい顔のまま、イルクは僕の前髪を優しく撫で、穏やかな声音で尋ねてきた。
思いつく限りのことは、既に話した。
それでも問い返してくるということは、僕がイルゲルムだと結論づけた理由が、他にもあると見抜いているのだろう。
「僕を襲わせたから、っていうのが一番大きいよ」
イルクへ語る。
「魔物をここまで統率できるなら、最初から【出雲】大社へ向かわせた方が戦略的だ。
それか、各地で大規模な騒動を起こして戦力を分散させた後、この群れを【出雲】へ向かわせた方が効率的だった」
「なのに、わざわざ温存していた戦力を、明確に僕の排除へ向かわせた」
イルゲルムの目的そのものは、まだ分からない。
だけど、本体や時間稼ぎについて口にしていたことを考えれば、迷宮都市国家で何かを企んでいることは自明の理だ。
ランニングマグロは強い。
海という地形の恩恵もあるだろうけど、【
移動速度が高い。
海の退魔作用を物ともせず、大規模な群れとして運用できる。
奇襲の札として、これほど便利な戦力もない。
【出雲】を襲撃するときにも、重宝するはずだ。
なのに、その戦力を僕へ差し向けた。
「僕のことを、明確に警戒している。
僕が消耗し、確実に命を奪える瞬間まで戦力を潜ませておく老獪さもある。
それでいて、ここまで手がかりを残しながら、《蒼眼》に本人の尻尾だけは掴ませない」
静かに、結論を告げる。
「そんな相手を、僕はイルゲルムしか知らない」
イルクの膝から起き上がり、背中についた砂を払い落として歩き出す。
「おおっと? エディン、どこ行くの?」
イルクが、心配そうな顔で僕を見る。
「決まってるよ」
イルクから貰ったおはぎを齧りながら、振り返る。
「リーリエさんのところ」
「水陰村を調査したいから、立ち入りの許可を貰いに行くんだ」