――嗚呼。
――嗚呼、師よ。
迷宮都市国家、【伯方】と【出雲】の狭間。
海を一望できる辺境の地に、その声は満ちていた。
首塚村と呼ばれた集落の残骸。
陸の孤島と化した村、その崩れた首塚には、どす黒い瘴気が渦巻いている。
――我らが憧憬。太祖たる白鴉よ。
――なぜ我らを、高弟たる我らの才を見限ったのか。
禁足地であるこの地に、黒い影が差している。
昼間だというのに、どこまでも暗い。
生い茂る木々が原因ではない。
――なぜ、我らを殺めたのか。
――なぜ、我らの才を認めてくれなかったのか。
粘りつくような赫怒と、喉を潰すような執着の声が、辺り一面を覆い尽くしているからだ。
――……許さぬ。
――呪ってやる。
地の底から這い出した怨念が大地を掴み、壊れた首塚へへばりついている。
――呪って、呪って、呪い、詛い、妬み、殺し、殺し、穢し、穢し、穢し、穢す。
――その白い髪も、緑の瞳に映す国も、お前が護るべき全てを、我らの呪いで塗り潰してやる。
我らの才を知るがいい。
叛逆の重みを知るがいい。
我らの才の重さを、その価値の真髄を、思い知るがいい。
これは、怨念の残滓にすぎない。
大本たる呪霊は既になく、何者かの手によって持ち去られていた。
ここに残っているのは、地へ焼きついた影だけ。
それほどまでに濃い怒り。
草木を枯らすほどの妬みが、大気そのものを焦がすような腐臭が、この土地へ満ち満ちている。
首塚を供養していた村人は、もういない。
封印の役目を果たしていた首塚は崩れ、封じられていた悪意は何者かの供物として旅立った。
これは復讐だ。
かつて届かなかった高みを引きずり下ろし、自分たちの姿を、その目へ焼きつけるための再戦。
――我らが祖国。
――我らが故郷たる、迷宮都市国家。
――建国の祖の一人。我らが師、リーリエ・アモンに汚辱あれ。
師への嫉妬に狂った陰陽師や錬金術師たちによる、身勝手極まりない弔い合戦が幕を開けていた。
※※※
【出雲】、水陰村。
人を癒やすランニングマグロという、天変地異にも等しい光景が僕の眼に映っていた。
「…………」
何も言わず、ランニングマグロのいる方へ歩みを進める。
その傍らには、少し長めの銀髪を一房のポニーテールにまとめた少女がいた。
ぶかぶかの上着を羽織り、胸元にはアンティーク調の、拳よりも大きな懐中時計を提げている。
その少女は今、ランニングマグロの腕に抱かれ、介抱されていた。
潮風が肌を撫でる。
春先の海はまだ冷たい。
鼻腔をくすぐる磯の香りも、生臭さとはほど遠かった。
潮騒が耳を打つ中、薄暗い曇天の下に広がる岩場を歩く。
周囲には鉄や銀、金の魔導線といった資材が散乱している。
銀色の鳥を思わせる巨大な物体の残骸が、真っ二つに折れ、海辺の岩場へ突き刺さっていた。
巨大な魔導具か何かだろうか。
破損状況から察するに、上空から墜落したものだった。
……飛行する魔導具。
だけど、飛行可能な魔導具って、そんなに一般的な代物だったか?
僕が知る限り、人を乗せて空を飛べる人造物は、イルクの【赤戦神艦】と、リモルさんの【飛航国アイテール】だけだ。
どちらにも迷宮特典が関わっており、現代の技術では再現困難な奇跡のはず。
「…………!」
ランニングマグロが僕に気づき、身構えた。
少女を護るように両腕を交差させる。
その腕は、僅かに震えていた。
皿のように大きな眼は、僕の左腰に差した刀へ向けられている。
怯えている。
僕とランニングマグロの戦力差は、天と地ほどもある。
だが、やはり魔物らしくない。
魔物は人と相対すれば、恐怖も生存本能も超える執念で襲いかかってくる。
なのに、目の前のランニングマグロには、そんな様子がまるでない。
刀の間合い、その一歩外側へ足を踏み入れる。
治癒魔法を使っていたランニングマグロの脚に力が入り、少女を抱えたまま逃げ出そうとした。
「すごい、すごい! それ、どうやってるの!?」
ランニングマグロの腕を掴んだ。
彼が逃げ出すよりも速く踏み込み、前のめりになる身体と気持ちをどうにか抑えながら、その大きな眼を覗き込む。
もう、彼が使っている魔法以外はほとんど目に入っていなかった。
僕が開発している治癒魔法とは、全く違う。
僕のものより遥かに簡素で、それでいて洗練されている。
空中へ魔法陣を描き、彼の術式と僕の術式を見比べていく。
中身が全然違う。
円形ではなく、十字型の魔法陣。
循環による出力維持を、重要視していないのか?
「ああ、信じられない……! 原素式が木なのは同じだよね。でも、決定的に術式の文字数が違う」
《蒼眼》で術式の全てを読み解く。
「君の術式は千文字少しで収まってるのに、僕のは五万文字を超えてる。十字型なのに魔力の流れに淀みがない。極限まで最適化されてるんだ」
胸が疼く。
背中から腹の底まで、興奮が湧き上がって仕方がない。
「そもそも、増殖を制御する術式がほとんど存在しないよね。なんでだろう。魔力を循環させないことで、敢えて治癒効果の上限を抑えてる?
いや、それだけじゃないな。はーっ、面白い! こんな術式、僕は見たことがないよ!」
ランニングマグロの手を握り、ぶんぶんと上下に振る。
「ねえ、どこでこれを習ったの? 僕にも教えてよ!」
「TSU、NANA……」
返ってきたのは、聞き覚えのある鳴き声だけだった。
「んん? ごめん、ちょっと分からなかった。もう一度言ってくれない?」
「TSU、NANA……」
「……んん?」
首を傾げ、ランニングマグロの眼をじっと見つめる。
おかしいな。
何を言っているのか、全く分からない。
使っている魔法文字は、僕らの魔法文明で用いられているものと大差ない。
僕の言葉が全く伝わっていない、なんてことはないはずなのに。
どうして喋れないんだ?
「いや、発声器官の構造が違うんだから、話が通じないのは当然じゃね?」
ランニングマグロに介抱されていた少女が、横から口を挟んできた。
ランニングマグロが恐る恐る腕を離す。
銀髪の少女は自分の脚で立ち上がると、両手の指を組み、大きく背筋を伸ばした。
その際、袖の隙間から球体状の関節が見えた。
明らかに、人間のものではない。
百八十度近くまで曲がった腕が、滑らかに元の位置へ戻る。
その奥には、魔力を多分に含んだ血液が通っていた。
皮膚も血も、人間と同じものだ。
だけど、その骨格と繊維は明らかに人間――いや、生物のものではない。
人工物でありながら、生物と同じように動く奇妙な肉体だった。
「いやー、助かったわ。マジ、ありがとうございまっす。あのまま放置されてたら、おんおん泣くしかなかったじゃんね」
少女は服についた砂や汚れを払い落とし、溌剌と笑った。
「んじゃ、お礼ってことで。俺の
不敵な笑みを浮かべ、立ち上がる。
手には、砕けた黄金や鉄、銀の魔導線といった残骸の破片が握られていた。
「錬金術の秘奥。魔導具の製作ってやつをね」
少女が残骸へ手を翳す。
左手の薬指に嵌めた指輪へ魔力が通い、逆三角形の魔法陣が展開された。
「<
明朗な声で唱える。
魔法法則を媒介としていない神秘が励起された。
見たこともない特殊な法則が呼び起こされ、手に握られた金の魔導線と銀が、白い光に包まれる。
少女の灰色の瞳が輝き、無数の情報が流れ込んでいた。
「<
全ての情報を一瞥し、更に一節を唱える。
白い光の内側が変化した。
温度、湿度、風。
あらゆる環境の変化が停止する。
光の内側だけが、無菌室のように何一つ変化しない、完全に固定された環境へと変貌した。
「<
二節を唱える。
魔法陣が回転し、白い光が黄金色に染まった。
光の中で物質が分解され、原子の構造そのものが組み替えられていく。
黄金の線と鉄が解かれ、髪の毛よりも遥かに薄い結晶板へ変化した。
極小の板から、幾つもの金属粒子が浮かび上がる。
その粒子一つ一つへ、術式が焼き刻まれていった。
術式を刻まれた粒子が、結晶板へ吸着していく。
少女が懐から小瓶を取り出した。
中に入っているのは、極限まで魔力と不純物を取り除かれた水。溶け込んだ鉛と銀以外、徹底的に不純物が取り除かれた液体だった。
少女が瓶を開け、光の中へ僅かに水滴を垂らした。
「<
瞬間、結晶板の内部へ水が入り込む。
板の隙間に残っていた余分な原子が水へ溶け、銀が余剰魔力を吸着していく。
僅かに残っていた不純物が、根こそぎ洗い流された。
水が通過した場所には、鉛と魔力による
魔力の流れを制御し、結晶板の表面を保護するための加工だ。
思わず、息を呑んだ。
とんでもない技術を目の当たりにしている。
製造環境そのものを固定し、原子より僅かに大きい粒子へ術式を焼きつける。
それを積層することで、魔力を通すだけで魔法を発動できる装置へ加工しているんだ。
ただ、あの結晶板一枚で処理できる術式は、魔法文字に換算すれば十文字前後が精々だろう。
技術そのものは凄い。
だけど、必要とされる演算量は、普通の魔法とは桁違いに多い。
凄い技術ではあるけど、魔法の方が便利なような……。
「<
少女が、術を維持したまま誰かへ話しかける。
途端に、彼女の雰囲気が変わった。
気だるげで剽軽だった声が、冷たく理性的な調子へ切り替わる。
身に纏う空気も、より無機質なものへ変貌した。
だらしなく緩んでいた表情から、感情が完全に消え失せる。
「了解。演算を開始。推定<
「
無機質な声が、規格外の数字を告げた。
光の中で、高速の攪拌が始まる。
水が自動的に補充され、結晶板と金属粒子が半自動的に製造されていく。
何百、何千という極薄の結晶板が、本を閉じるように次々と重なり合っていった。
待つこと、五分。
「<
冷徹な声から、一瞬で親しみやすい調子へ戻る。
少女は完成した魔導具を、ランニングマグロへ投げ渡した。
ランニングマグロに投げ渡されたそれは、ネックレスだった。
魔法術式を刻まれた結晶板が、宝飾部分の中へ格納されている。
三千二百枚も重ねられたはずの結晶板は、最終的に爪ほどの大きさへ収まっていた。
受け取った本人は、困惑した様子でネックレスを眺めている。
どう扱えばいいのか分からないらしい。
「つけて、喋ってみ。装着すれば勝手に魔力を吸い上げるよう設定したから、魔物でも扱えるんじゃね?」
少女は手をひらひらと振りながら、ランニングマグロを見る。
「魔物用の魔導具なんて作ったことないから、知らんけど」
……なるほど。
通訳用の魔導具か。
それも、相当に高性能だ。
この国でも最高峰の錬金術師である、リーリエさんの魔導具に迫るほどの出来。
恐らく、この少女も最高峰の錬金術師だ。
ランニングマグロは迷わず、ネックレスを頭へ巻きつけた。
そして、恐る恐る口を開く。
「か――。か、か、確認。ワタシの声が、聞こえていますか?」
ランニングマグロが、流暢な人語を話し始めた。
「おお、上手くいった。ま、このくらいはね? 余裕ってやつですよ」
うんうんと頷きながら、少女は得意げに腕を組んだ。
鼻高々に、満面の笑みを浮かべている。
……なるほど。
あれが、いわゆるドヤ顔か。
凄く自信に満ちた顔をしている。なかなか拝めるものではないだろう。
「あの……! さっきのって」
「おん? 錬金術っすよ。知らない?」
少女が目を瞬かせる。
「あっるぇ~……? 知らんうちに、この国の錬金術って退化してるゥ~……?」
一人で首を捻り始めた。
「迷宮都市国家の主要産業が、住民にも分からなくなってんのヤバいな。あ~、著名な錬金術師が全員捕まったとか? 錬金術師って、俺以外は大体あたおかだし。さもありなん~」
少女は一人で喋り、一人で納得してしまった。
「いえ、僕は冒険者です。この国には、仕事で来ました」
「え~。マジっすか?」
少女が僕を上から下まで眺める。
「冒険者にしては若すぎるっしょ。てか、どう見てもここ禁足地だし」
目を細める。
「見たところ、新人冒険者さんじゃん? 普通は入れないっしょ。そういう嘘、いくない」
疑わしげな視線を向けてくる。
……なんだろう。
妙に癪へ障る言い回しだ。
三下っぽいというか、常に会話を茶化されているような感じがする。
「いいえ。正当な許可を得て活動している冒険者です。これが許可証です」
懐をまさぐり、許可証を取り出して見せる。
「はっはぁ、まさかぁ~。そんな、トップ・オブ・トップの権限で許可を出せる人なんて、そうはいないっすよ」
笑っている少女へ、書類を突きつける。
「………………………………ん?」
少女の身体が固まった。
眉間を揉みほぐし、どこからか取り出したモノクルを装着する。
書類の内容を、何度も読み返していた。
特に、リーリエさんの捺印が押された場所を繰り返し確認する。
やがて、少女の顔から血の気が引いていった。
「り、リーリエ・アモン認可……。最年少銀級冒険者……。ま、マジでぇ……?」
書類と僕の顔を、何度も見比べる。
「お師匠認可ぁ……? え、マジにマジモンじゃん。えっ?」
「ええ。そういうあなたは?」
許可証を懐へしまい、笑顔を浮かべる。
「入域許可証はお持ちですか? 失礼ですが、密入国者にしか見えません」
一歩踏み出す。
「念のため、依頼主であるリーリエさんへ連絡を入れてもよろしいでしょうか」
にっこりと笑いかけ、更に一歩、彼女へ迫る。
少女はすっと身を引いた。
頭が肩へ埋まるほど深く下げ、卑屈な笑みを浮かべながら手を揉み始める。
「へ、へへへ…………。エディンの旦那ぁ……。そのぉ……。実はですね、許可証がなくってぇ……」
視線が泳ぐ。
「ただの出来心でェ……。く、靴でも舐めましょうか?」
「いえ、結構です。入国の目的は?」
「お、黄金の競売への参加です!」
少女は背筋を伸ばし、きびきびと答えた。
「いや、ご存じだとは思うんですがね? この辺りで値崩れが起きるほど大量の黄金が競りにかけられるらしくってですね。それを買いに来たんです」
だんだんと声が小さくなる。
「ただ、入国手続きがちょっと……。いえ、馬鹿みたいに面倒でして。それで、ね? あのー……」
両手を合わせる。
「か、勘弁してくれませんか!?」
少女は卑屈な笑みを浮かべながら手を揉み、泣きそうな顔で小動物のように震えていた。
……ほむ。
嘘は言っていない。
面白いほど、表情や心拍数へ感情が出る人らしい。
これが全て演技なら、僕にはどうしようもない。
だけど、まあ、悪人ではなさそうだ。
清廉潔白とは到底言い難いが、確かな善性を持っていることは分かる。
なんで、こんなに小悪党みたいな動きが上手いんだろう、この人。
「分かりました。嘘はついていないようなので、報告はしません」
ため息を零し、少女へ笑いかける。
「その代わり、僕たちがここへ来たことは、しばらく黙っていてもらいたいんです。お願いできますか?」
「はい! 誠心誠意、お口チャックで務めさせてもらいます!」
きびきびと敬礼し、両手で自分の口を塞いだ。
もう少し追い詰めたら、更に面白いものが見られそうな気もする。
だけど、それは流石に性格が悪すぎる。
全く、錬金術の腕前はとんでもなく高いのに、どうしてこんなに小物臭いんだろうか、この人。
「さて! 君! 君が、御簾籠りのお人だね?」
ランニングマグロへ振り返り、僕は笑いかける。
本来の通り名は、御簾籠りの奇人。
だけど、意図的に奇人という部分は抜いた。
本人を目の前にして、奇人呼ばわりするのは失礼すぎるからね。
彼は僅かに表情を和らげ、答えた。
「回答。はい。ワタシが、人々からそのように呼ばれていることは事実です」
「やっぱり!」
指を鳴らし、彼のすぐ傍へ駆け寄る。
「あれだけの治癒魔法を使えるのは、噂になっていた御簾籠りのお人以外にいないと思ってたんだ!」
……ほむ。
実際の音としては、今もツナツナと鳴いている。
だけど、言っている内容は理解できる。
ネックレスが読み取った思念波を音へ重ね、本人が意図している言葉として聞き手へ認識させているのか。
相当に意識しなければ、翻訳前の鳴き声と区別できない。
音そのものを眼で拾える僕だから、構造まで分かる感じかな。
しかし、ランニングマグロの表情が曇った。
先ほどまで穏やかに話していたのに、陰鬱な雰囲気を身に纏い、僕たちへ視線を向ける。
「……質問。なぜ、皆さんはワタシを差別しないのでしょう」
頭から垂れ下がったネックレスを握り締める。
「魔物である上、人から大きくかけ離れた体躯を持つワタシへ、なぜ親身に接してくれるのですか?」
不安そうな声だった。
思わず、隣で口を閉ざしている少女と目が合った。
なぜ、か。
「魔物を殺す理由は、人を殺すからだよ」
思ったことを、そのまま伝える。
「他はともかく、君はそんなことをしていない。むしろ、正体を隠してまで人を助け続けている」
【伯方】にまで噂が届くほどの治癒魔法師、御簾籠りの奇人。
禁足地に指定された【出雲】の水陰村から、遠く離れた【伯方】にまで名が届いている。
それはつまり、彼がそれほど多くの人を救ってきたということだ。
「そんな有り難い人を、僕が殺す理由はない」
「反駁。しかし、それでもワタシが、いつか人を襲う可能性はあります」
不安そうに大きな眼を伏せる。
「ワタシが人を襲わないという保証は、どこにも――」
「あるよ」
腰の『亡星』をベルトから外し、黒刀を地面へ置いた。
そして、彼の手を取る。
「ある。君は今まで、人を喰ったことがないだろう?」
ランニングマグロの眼が見開かれる。
「魔物や魔獣が人間の肉を摂取すると、内臓器官が変化する。人間を効率よく消化できるよう、身体が作り替えられるんだ」
彼の体内へ視線を巡らせる。
「君には、それが起きていない」
ランニングマグロの眼が潤んだ。
事実、《蒼眼》には、彼が人間を一度も食べていないことが視えている。
十年間、東塔で蓄積したデータだ。
僕の肉や血を摂取した魔物は、翌日には内臓器官に明確な変化が現れていた。
僕一人の事例だけなら、根拠としては乏しい。
だけど、迷宮へ潜った際、人間を食べたらしい【
その個体にも、同じ変化が起きていた。
だから、彼は無実だ。
「反駁。ですが、今は食べていなくとも、いつかは人を食べてしまうかも――」
「その時は、その時だ」
僕は断言する。
「そうなる前に、僕が止める」
彼の魔力波長は、既に記憶した。
《蒼眼》の探知範囲を広げれば、この一帯にいる限り、いつでも捕捉できる。
「……疑念。なぜ、そこまでワタシを信じられるのですか」
震える声で尋ねてくる。
「異形であり、人と相容れぬ姿になったワタシを、なぜ」
「君の過去と、理性を信じているから」
迷わず答える。
「きっと君は、僕よりも長く生きている。その間、人を食べる機会なんて、幾らでもあったはずだ」
彼の手を握ったまま、眼を見つめる。
「それでも、君は食べなかった。食べずに生きてきた」
今まで積み重ねてきた時間。
誰にも認められずとも、守り続けてきた理性。
「今まで誰も殺していないのに、どうして種族だけで差別しなきゃいけないんだい?」
「………………」
彼は、何も言わなかった。
「だから、君が積み上げてきた過去と、これからの可能性を信じている」
彼の手を、少し強く握る。
「信じるだけなら、自由だから」
だから、密告する気もない。
そもそも密告するまでもなく、今の彼であれば僕一人でも討伐できる。
だけど、魔物と人が、善い関係を築ける可能性を、ここで潰すべきではないと思う。
それが善い現在と未来へ繋がるよう、僕は努力するだけだ。
「……質問。あなたは?」
「え、俺?」
隣にいる少女が、自分を指差した。
「助けてくれたから」
あっさりと答える。
「助けてくれたヤツを疑うのって、人としてどうなんって話よ」
非常に大雑把な回答だった。
だけど、これ以上ないほど簡潔で、分かりやすい。
呆れることはあっても、この人を嫌いになるのは難しそうだ。
嫌うには、人が良すぎる。
…………そういえば、この人の名前を聞いていないな。
少女へ向き直り、片手を差し出す。
「僕はエディン。エディン・イラ・リステリアです。あなたのお名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「硬っった……」
少女は顔を顰めた。
「いいっすよ、もっと砕けた感じで。そんなに気ぃ遣われると、こっちも気ぃ遣うんよ」
ぽりぽりと頭を掻き、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「で、俺の名前?」
素早く手を動かし、右手で自分の顔を半分覆う。
腰を落とし、意味もなく格好をつけた姿勢を取った。
「我が名は、
勢いよく腕を振り払う。
「<
銀髪を潮風になびかせながら、尊大に胸を張る。
「好きなものは、艶のある美少女!」
そして、満面の笑みを浮かべ。
「敬え、バーカ!」