アプレ・ラプルイの朝日〜聖劍と王冠、ヤンヘラ女神の御名において〜 作:鹿鳴弥
「誰よ、この女」
開口一番、形のいい眉を吊り上げたリリアが、至近距離から僕へ問い詰めてきた。
淡々とした、普段のリリアらしからぬ冷たい口ぶり。
腕を組み、仁王立ちになった赤髪碧眼の彼女から放たれる圧は、ともすれば戦場で感じるものよりも濃密だった。
「わ、ワ……ァ!」
なんか小さくて情けない少女が、部屋の片隅で震えている。
故障した大和撫子、コレトーさんだ。
リリアから立ち上る怒気を察したのか、半分涙目になっている。
泣きたいのは、こっちの方だ。
「お、落ち着いてよ、リリア」
両手を上げながら、半歩だけ後ろへ下がる。
冷や汗が止まらない。
リリアがここまで怒っている姿は、初めて見た。
怒りのあまり、彼女の内に秘められた魔力が、陽炎のように体外へ漏れ出している。
瓦葺きの屋敷へ緊張が走り、部屋中が重苦しい威圧感で満たされていた。
アルターは、既に押し入れの中へ避難している。
口と商才と強化魔法だけじゃなく、危機察知能力まで高いのかよ。
僅かに押し入れの戸が開かれる。
……ん?
また口の動きだけで、何かを伝えようとしている。
コレトーさんの誤魔化しを手伝ってくれる?
その代わり、今度、
むう……。
きちんと説明しないとな。
「落ち着いているわよ? ええ。こんな奇怪な女の子を拾ってきて、エディンは一体何を考えているのかしら?」
「バチクソにキレとるやん……」
「何か?」
リリアの笑顔が、コレトーさんへ向けられた。
「あっ、なんでもないでーす…………」
即座に発言を撤回したが、もう遅い。
「吐きなさい。聖教――それも【叡神派】のお偉方が、世間知らずのエディンへ近づいて、何を企んでいるの」
迂闊な発言の代価は重かった。
コレトーさんは襟元をリリアに掴まれ、そのまま軽々と吊り上げられる。
「おぶぶぶ……っ、ギブギブギブギブ! 首が、首が締まっ……!」
コレトーさんの身体が宙吊りにされる。
必死にリリアの手首を掴んでいるが、魔力強化を施された腕は、びくともしない。
「ちょ、リリア! なんで初対面の人にそんなことするの!」
慌ててリリアの手首を掴む。
しかし、彼女は不機嫌そうな目を僕へ向けてきた。
「本来なら部外者が入れないはずの水陰村に、聖教――それも【叡神派】の特権階級らしき人間がいるからよ」
「待った。リリアは、どうしてこの人が聖教の人だって分かったの?」
「髪飾りと指輪を見てみなさい」
リリアはコレトーさんの襟元を掴んだまま、その身体を僕の方へ向ける。
「ぐぇっ」と潰れた蛙のような声を上げるコレトーさん。
その髪飾りと指輪へ目を向ける。
「青い宝石に、白い翼の生えた蛇……」
「そう。青い宝石は、聖教の二大宗派――【叡神派】を象徴する色よ。そして、この白い翼を持つ蛇」
リリアの魔力を反射し、指輪に刻まれた六翼の白蛇が煌めく。
「<翼ある蛇>。これは【叡神派】の【枢機卿】にして、二千年の時を生きる大魔女。<銀蛇卿>リヴェータ・ロット・アイネイアスを表す紋章よ」
「彼女が認めた者以外、この紋章を身につけることは許されない。つまり、この女は<銀蛇卿>と親しい存在。【叡神派】の中でも、頂点に近い立場の人間よ」
更に、リリアの手へ込められる力が強まる。
「【叡神派】は、聖教の中でも特に秘匿主義が強い。異大陸で人体実験をしている、なんて話も【月睨派】の神父様から聞いたことがあるわ。まさに聖教の暗部よ」
リリアの碧眼が、敵を射抜くように細められる。
「そんな連中の関係者が、エディンへ近づいた。碌な目的じゃないと考えるのが普通でしょう」
「そんなこと考えてないっす……! 人体実験も俺はしてねぇから……! エディン、ギブ……。助けて……!」
本格的に顔色が青くなってきたコレトーさんが、僕へ救いを求めてきた。
「……コレトー。彼女の名前は、小鳥遊惟任。今度開かれる黄金の競売へ参加するために密入国してきた、錬金学科のトップ。リーリエさんの元弟子だよ」
ため息を吐きながら、リリアの手を強く掴む。
「だから、リリア。お願いだから放してあげて」
コレトーさんが、救いの神でも見るような潤んだ目を僕へ向けてきた。
「なら、さっさとリーリエさんなり、モーリスなりへ突き出しなさいよ」
リリアはそう言うと、コレトーさんを静かに床へ下ろした。
長い赤髪を掻き上げ、厄介なものを見るような目で彼女を見下ろす。
「法律を破って密入国してきたんでしょう? なら、その結果として何が起きても自己責任じゃない。エディンが危険を背負う必要なんてないわ」
コレトーさんは床へ倒れ込み、「よよよ」と泣き真似を始めた。
この人、思いのほか余裕あるな?
「でも、コレトーさんはリモルさんに狙われているよ?」
リリアの指が、ぴくりと動いた。
表情に僅かな優しさが戻り、コレトーさんを見る視線へ、同情の色が混じる。
「陰陽線を降りた直後に言っていたでしょ? リモルさんの狙いは、この人だって」
僕は床へ座り込んでいるコレトーさんを指さす。
「考えてみてよ。あのリモルさんだよ? 捕まった後、碌な扱いをされると思う?」
「それは……そうだけど……」
リリアが僅かに口ごもった。
視線を床へ逸らし、唇を尖らせる。
「お願い、リリア」
掴んでいた手首から、指先へ手を滑らせる。
そのまま、彼女の手を握った。
剣を握り続けているはずの手は、白魚のように細く、柔らかい。
苛烈な赤の剣姫からは遠い、猫のような手。
その奥に優しさを秘めた、リリアという一人の少女の手だった。
「な……っ、なななな……っ」
彼女の顔が、一瞬で真っ赤に染まった。
口を鯉のように何度も開閉する。
すかさず、押し入れの戸が開く音がした。
アルターだ。
とんでもなくにやけた笑顔を浮かべ、じっとこちらを見ている。
構わず、リリアの手を握ったまま頭を下げる。
……コレトーさんが、すごく白けた目で僕を見ていた。
なんでだよ。
「協力してほしい。コレトーさんには、新しくできた僕の友達がお世話になったんだ」
握った手へ、僅かに力を込める。
「自分勝手な頼みだって分かってる。でも、協力してほしい。お礼なら、何でもするから」
「今、何でもって言ったのです?」
間髪入れず、アルターが口を挟んできた。
「リリア、今なのですよ! 何を手を握られただけで、しおらしくなっているのです! ほら、そこで一言!」
「で、でも……! アルター! 手汗が、絶対やばくて……!」
「いいから! 早く!」
アルターが、真っ赤になったリリアへまくし立てている。
リリアは何度か深呼吸した。
そして、意を決したように僕へ視線を向ける。
「こ、今度……っ。わた、わたしと、買い物に付き合って……ほしいの」
言い終えた途端、再び僕から顔を背けた。
恥じらうように頬を赤らめ、唇を小さくすぼめている。
僕と繋いでいない方の手で、自分の髪先を弄りながら、上擦った声で告げた。
「もちろん! アルターも一緒に――」
「行かないのです。その日は急用がありますので」
アルターは菩薩のような笑顔を浮かべ、迷いなく断った。
「いや、日程はまだ決まってな――」
「行かないのです」
「どこに行くかも――」
「行かないのです。三度目はないのですよ」
「は、はい……」
こ、怖い……!
段々と増していくアルターの笑顔の圧に耐え切れず、頷いてしまった。
しかも同じことしか言わないのが、余計に威圧感を増している。
どうしてこんなに怒っているんだろう。
僕、アルターを怒らせるようなことをしたかな?
「やはり……食費か……」
「絶対、違うと思う」
コレトーさんが、呆れたように肩を竦める。
胡坐をかいたまま、余裕そうに銀色の髪を弄っていた。
「いいから、エディンはさっさとリリアへ返事をするのです。リリアの顔が見えないのです?」
アルターが、僅かに責めるような口調で言ってくる。
リリアへ目を向ける。髪の毛をいじり、明後日の方向に目を向けてあた。緊張しているのだろう。
少しだけ身体を縮こまらせた彼女と、視線が重なった。
「もちろん。それくらいなら、いつでも付き合うよ」
僕は笑いかける。
「リリアと一緒に買い物をするの、楽しいから好きだよ?」
「……バカ」
リリアはそれだけ告げ、顔を背けてしまった。
こちらへ背を向けていても、真っ赤になった耳を見れば、どれほど恥ずかしがっているのかは分かる。
どうして恥ずかしがっているのかは、分からないけど。
「楽しみにしてるね!」
だけど、リリアとの買い物が楽しみなのは本当だ。
リリアは楽しそうに店を見て回る。
武器の話をしたり、買い食いをしたり。
何より、楽しそうなリリアの顔を見ていると、僕まで嬉しくなってくるんだ。
「俺、帰っていい?」
コレトーさんが両腕を擦りながら、渋い顔を浮かべていた。
リア充爆発しろだの、キラキラ青春だの、訳の分からないことを呟いている。
リア充って何だ。
何が充填されているんだ。
爆発したら駄目じゃないか?
青い春って何だ。
春に咲く花の色の話をしているのかな。
そもそも、この密入国者は、どこへ帰るつもりなんだろう。
「リーリエさんのところでよろしければ、すぐにでもお送りできますよ」
「それだけは!! 勘弁してくだせえ!」
一瞬で、コレトーさんは土下座の姿勢を取った。
さながら、流れる水のような所作だった。
気がつけば、大きな懐中時計を抱えた奇怪な少女が、床へ額を擦りつけている。
「大丈夫です。リーリエさんや、その関係者へ突き出したりはしません。ただ――」
宿の引き戸が、大仰な音を立てて開かれた。
強者特有の気配が、宿の中へ入り込む。
履物が脱がれる音が、部屋の中にまで届いた。
「僕にも、紹介したい人がいますので」
※※※
「はあ~……。エディンには、どうしてそんな希少人物ばかり寄ってくるのかなあ~」
目の前の男性が、大きく首を垂れた。
黒髪に、藍色の瞳。
一見すれば長身痩躯。
しかし、シャツの奥から覗く筋肉は、巌のように硬く隆起している。
本来なら、肉の塊と化していてもおかしくないほどの筋肉量を、無理やり人間の輪郭へ押し込めたような威容。
血管は青く浮き出ている。
轟音のような心臓の鼓動を、全身の筋肉が余さず吸収し尽くしていた。
僕の知る、最強の武人であるイルクだ。
場所は宿の座敷。
部屋の四隅には、クナイ型の迷宮特典が四本突き刺さっている。
これらは全て、僕の顔を見て何かを察したイルクが、部屋の周囲へ展開してくれたものだ。
僕の兄貴分であるイルクは、座布団の上へ腰を下ろし、疲れ切ったような目を僕の隣へ向けた。
「ねえ」
少女が震えながら土下座している。
枝毛一つないと自慢していた銀髪までも、小刻みに振動していた。
姿勢。
手の置き方。
足の揃え方。
その全てが黄金比で構成された見事な土下座が、地震にでも見舞われたように揺れている。
「小鳥遊教授」
腰から下げられた、不釣り合いなほど大きな黄金の懐中時計も、心なしか少女本人以上に震えているように見えた。
小鳥遊惟任。
愛称、コレトーさん。
彼女はいま、無表情のまま恐怖で震えていた。
イルクが咳払いをした瞬間、纏う雰囲気が変わる。
普段の温和で優しげな笑みが消えた。
冷え切った目と、感情のない口元。
そこにいるのは、僕の兄貴分ではない。
歴戦の強者として、敵を裁定するイルクだった。
思わず、僕の背筋まで伸びる。
「あ、あいえー……。ふ、フレドリクスさん。なぜ、ここに……?」
「イルク」
「失礼いたしましたッ! イルクさんは、どうしてこちらにいらっしゃるのでしょうか!」
コレトーさんの右手が風を切った。
土下座したまま、後頭部の横へ敬礼を添えるという、極めて珍妙な姿勢でイルクと向き合っている。
向き合っているのは床なんだけど。
「それは、こちらの台詞です」
イルクの声は、普段より数段低い。
「<
すごい……。イルクの敬語だ。
しかも、普段とは比べものにならないほど冷たく、低い。
怖い。
こんな声で兄貴分から詰められたら、僕でも流石に泣く。
「な、ないです……。本当に、なんであなたがここにいるんすか……。あなた、今は確か魔界で……」
視線に重力が生まれた。
人を射殺せそうなほど鋭く、無機質なイルクの目が、コレトーさんへ向けられる。
「ナンデモナイデス」
枯れ果てた、少女らしからぬ声がコレトーさんから漏れた。
首でも絞められているのかと思うほど、しわがれた声だ。
それにしても、よくあれだけの威圧を真正面から受けて、気絶しないな。
「それで、イルク……」
意を決し、イルクへ話を振る。
「コレトーさんは、リモルさんに狙われているんだ。だから、黄金の競売が終わるまで、正体がリモルさんへ露見しないよう手伝ってほしい」
リモルさんは、まだ宿へ戻っていない。
イルクによれば、上空に待機させている浮島――アイテールへ戻ったらしい。
「あったりまえでしょ~。この人、本当に危険な立場の人なんだから」
イルクは一瞬で雰囲気を変え、普段の柔和な表情へ戻った。
困ったように笑い、コレトーさんへ目を向ける。
「小鳥遊惟任。世界最大の魔法学園にして、聖教二大宗派の一角――【叡神派】の本拠地。<
イルクは、シャツの襟を摘まんで肌を扇ぎながら語る。
「<銀蛇卿>の懐刀。第四の変革。魔導の歴史を塗り替えた大偉人だ」
僕の隣で小鹿のように震えている姿からは、まるで想像できない経歴だ。
「世界各地から引き抜きの誘いを受けているし、同時に危険人物として睨まれている存在でもある」
イルクの表情が、僅かに引き締まる。
「もちろん、リモルの馬鹿が狙っているものも、恐らく例の魔導具の設計図や製造技術だろうね」
「あまり、この場では詳しく話せないけどさ」
イルクは一度言葉を切り、声を僅かに潜める。
「簡単に言えば、
背筋が僅かに冷える。
「国ごとの資源格差も、地理的な不利益も、下手をすれば地政学的な対立すら解消してしまう。だけど、それだけ危険も大きい」
イルクが、床へ置かれた黄金の懐中時計へ目を向ける。
「人類が手にするには早すぎると判断されて、今は学堂内部でしか使われていない。リヴェータ様が、小鳥遊教授の出国を禁じている最大の理由だよ」
……思っていたより、遥かに規模の大きな話だった。
僕の隣で震え続けている姿を見ても、どうにも信じられない。
僕は何か、高度な詐欺か催眠術にでもかけられているんじゃないだろうか。
しかし、イルクがこれほどの情報を持っていることで、ある疑念が確信へ変わり始めた。
コレトーさんを、名前ではなく「小鳥遊教授」と呼んでいる。
イルクの本名である、フレドリクス・アイネイアスを知っている。
何より、イルクがリヴェータ【枢機卿】へ敬称をつけている姿など、これまで一度も見たことがない。
イルクは聖教の――それも、リヴェータ【枢機卿】の配下か、それに近しい立場の人間なのだろう。
「だから、俺としては、小鳥遊教授の密出国を見過ごすわけにはいかないんだけど……」
イルクが、ぎろりとコレトーさんを睨む。
彼女の背筋が、跳ねる海老のように大きく反った。
「……俺も、リーリエの阿呆から受けた依頼を片づけなきゃならない」
イルクは黄金の腕輪へ気魄を流す。
瞬間、その手の中へ一つの指輪が現れた。
並の魔導具では放ち得ない、濃密な存在感。
魔力だけではなく、気魄まで要求するらしい何かを、土下座したままのコレトーさんの前へ置く。
「だから、エディン」
藍色の瞳が、真っすぐ僕を捉える。
「俺の依頼が終わるまで――そうだな。黄金の競売が終わるまでの間」
イルクは静かに笑った。
「小鳥遊教授を、守ってあげてくれ」