アプレ・ラプルイの朝日〜聖劍と王冠、ヤンヘラ女神の御名において〜   作:鹿鳴弥

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大切なあなた

 

 

 

 

 

 

 朝。

 眩い光が、室内を照らしている。

 

 晴天の朝日が(ひさし)を越え、起床を促すように僕の顔を照らしていた。

 

「ん……」

 

 清々しい朝だ。

 目を閉じたまま布団の中で身じろぎし、今日の予定へ思考を巡らせる。

 今日は昼から海岸の探索。

 

 まだ朝餉の香りはしない。

 《蒼眼》で屋敷の周囲を視てみれば、近くの家々の煙突から炊煙が上がっていた。

 

 海岸では、漁師たちが今朝の漁で得た魚を、船から次々と降ろしている。

 

 その傍らでは、イルクが何やら交渉をしていた。

 今朝の料理当番は、確かイルクだ。

 

 イルクは料理に凝り性なところがある。

 朝ごはんが完成するまでには、まだしばらく時間がかかると見ていいだろう。

 

「ん~……」

 

 つまり、あと一時間くらいは眠っていられるということ。

 

 ああ、素晴らしき二度寝。

 食べ物の心配もせず、安心して眠りこけられるなんて、贅沢にもほどがある。

 いざ、布団を頭から被り、再び夢の世界へ旅立たん――。

 

「むん……?」

 

 つん、つん。

 頬を二度、指で突つかれた。

 

「エディン」

 

 布団の中へ、女性の細い右手が入り込んでいる。

 沈みかけていた意識を引き戻し、布団の外へ目を向ける。

 赤い髪の少女が、僕のすぐ傍に座っていた。

 

 リリアだ。

 寝間着姿のまま僕の布団へ手を突っ込み、じっとこちらを見つめている。

 

「どしたの」

 

 霧散しかけていた意識をどうにか掻き集め、毛布から頭を出す。

 

 眠そうな目だ。

 

 朝方のリリアにしては珍しい。

 勝ち気な猫のように吊り上がった目尻が、今は柔らかく垂れている。

 

 隣からは、アルターの大いびきが聞こえてきた。

 珍しく僕の布団に被害がないと思ったら、リリアの布団を奪い取り、頭から包まって眠っている。

 

 こんにゃろう、僕が風邪引いたらどうすんだ。破産するまで出前取るぞ。

 

「外、行かない?」

 

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 

 潮の香る海岸線。

 山の端から差し込む光が海を照らし、寄せては返す波が白く煌めいている。

 

「ちょっと寒いわね」

 

 隣を歩くリリアへ、苦笑いを向ける。

 彼女が着ているのは、素朴な白いワンピース。

 

 白い肩や腕が露出していて、見ているこちらまで寒くなってくる。

 春先とはいえ、冬が明けたばかりの朝方だ。

 

 夏に着るような薄着では、リリアといえど風邪を引いてしまう。

 

「まだ春先だからね」

 

 僕は着ていたコートを脱ぎ、黙ってリリアの肩へ羽織らせた。

 うん、よし。これで、少なくとも見た目の寒々しさはなくなった。

 

「……アリガト」

「どういたしまして」

 

 リリアは僅かに俯き、頬を赤くした。

 コートの襟元を両手で掴み、その内側へ顔を埋めるようにしている。

 

「エディンの匂いがする」

「ほんと? 臭かった? 毎日浄化魔法はかけてるけど、ちゃんと洗濯もした方がよかったなあ」

 

 このコートは、イルクから貰ったものだ。

 もともと着ていた服はイルクに回収され、【赤戦神艦】の中で新しい服を見繕ってもらった。

 最初は必要ないと断ったんだけどね。

 

『その継ぎ接ぎまみれ、血痕まみれの服で街中を歩く気~?』

 

 なんて言われたら、ぐうの音も出ない。

 洗濯して乾かす時間が惜しかったし、何度も洗えばコートの生地も傷む。

 だから浄化魔法だけで済ませていたけど、やっぱりそれだけでは不十分だったのかな。

 

「ううん」

 

 リリアは小さく首を横へ振った。

 

「わたしは好きよ。エディンの匂い」

 

 花が咲くような笑顔で、そう言った。

 

「……そっかあ」

 

 照れるようなことを、平然と言ってくれる。

 

 顔が熱くなってきた。リリアは時々、何でもないことのように、こういう言葉を口にする。

 

 どう反応すればいいのか、いつも困ってしまう。

 

 リリアは上機嫌に鼻歌を歌い始め、後ろ手を組んで僕の少し前を歩く。

 

 腰に剣がない。

 朝ならば必ず振り回している愛剣も、鍛錬用の木刀すら持っていない。

 

 本当に、ただの散歩だったんだ。

 

 僕だけ木刀を持ってきたのが、馬鹿みたいじゃないか。

 いや、リリアは最初から散歩だと言っていたけどさあ……!

 

「ふふ」

 

 木刀を持ってきた自分に難しい顔をしていると、リリアがどこか嬉しそうに笑った。

 

「エディンは、やっぱりわたし達のことをよく見ているのね」

 

「そりゃね。リリア達のこと、大好きだし」

 

「………………!」

 

「ちょ、リリア。叩かないで。分かった、分かったから」

 

 顔を真っ赤にしたリリアが、僕の腕をぽこぽこと叩いてくる。

 片手で軽く押し留めながら、何度も繰り出される弱々しい拳を受け流す。

 

「……とにかく」

 

 リリアは小さく息を吐き、表情を整えた。

 

「エディンは、いつもわたし達を見てくれている」

 

 静かな口調だった。

 普段の威風堂々としたリリアらしくない、凪いだ水面のような声。

 

 耳を澄ませば、その向こうに潮騒が聞こえるほどの静けさだった。

 

「ずっと、わたし達を一番に考えてくれている。いつも、わたし達に嘘を吐かずに行動してくれている」

 

 リリアは穏やかに微笑んでいた。

 

「そのうえで、エディンに聞きたいの」

 

 足を止める。

 赤い髪が、朝の潮風に揺れた。

 

「エディン」

 

 真っすぐに、彼女の碧眼が僕を映す。

 

「わたし達に隠していること、あるよね?」

 

 心臓が跳ねた。

 

 どうして、どうしてリリアは、僕が何かを隠していると分かったんだ。

 

「わたし達も、エディンを見ているから」

 

 リリアは優しく笑う。

 

 ……そうか。

 

 仲間を大切に思い、いつも見ていたのは、僕だけじゃない。当たり前のことを、僕は失念していた。

 

 ……もう、隠しておくべきじゃない。

 バレていたのなら、もう喋ったほうがいい。

 

「リリア、実は――」

 

 ログマのことを打ち明けなきゃ。

 

 彼の正体を知りながら保護し、みんなに隠していたことを、きちんと説明しなければならない。

 

 逡巡を呑み込み、リリアへ向き直った。

 

「――いいの」

 

 唇へ、リリアの人差し指がそっと添えられた。

 

 彼女の表情は変わらない。

 とても嬉しそうに、僕の前で笑っている。

 

「無理に言わなくていいの」

 

 リリアの指先から、微かな温度が伝わってくる。

 

「今は話すべきじゃないって、エディンが思ったのでしょう?」

 

 僕は何も答えられない。

 

「なら、エディンが話してくれるまで、わたし達は待つ」

 

 彼女は人差し指を僕の唇から離した。

 

「でも、いつかは話して」

 

 少しだけ、眉を下げる。

 

「エディンが、もう話しても大丈夫だと思えた時に。絶対よ?」

 

 そして、再び太陽のように笑った。

 

「わたしは――ううん。わたし達は、エディンを信じているから」

 

 リリアは踵を返す。

 

「じゃあ、またあとでね!」

 

 呆然と立ち尽くす僕を残し、手を振りながら屋敷の方へ戻っていった。

 

「そう、か――」

 

 何のことはない。

 

 隠し事をしていることなんて、最初から気づかれていた。

 自分は、何を馬鹿馬鹿しいことで悩んでいたんだろう。

 リリア達は、僕を信じてくれている。

 僕が話せるようになるまで、待ってくれている。

 

 それなのに僕は、彼女達を誤魔化すことばかりに必死になっていた。

 

「ほんっと、すごいなあ。みんな」

 

 胸の奥に詰まっていた大きな何かを、息と共に吐き出す。

 

 顔を上げた。

 

 山の向こうから、太陽が昇る。

 

 冷えた春先の空気を暖かな光が照らし、コートを脱いで軽装になった僕の身体を包んだ。

 

「こりゃ、ちゃんとログマを説得しなきゃ」

 

 山間を越えて差し込む陽光を鼻先で感じながら、先を歩いていく少女の後を追う。

 

「エディーン! 早く戻らないと、朝ごはんが遅れちゃうわ!」

 

 太陽のように笑うリリアの、よく通る声。

 それが、朝焼けに染まる静かな海岸線へ響き渡った。

 

「今行くー!」

 

 外れかけていた木刀をベルトへ巻き直し、僕達が借りている屋敷へ向かって駆け出した。

 

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 

「おー、おかえり~。朝の散歩は、もういいのかい~?」

 

 厨房では、既にイルクがお玉を振るっていた。

 味噌の優しい香りと、煮込まれた魚の匂い。

 

 屋敷全体に漂っていた香りの大元は、既に戦場と化していた。

 

 菜箸とお玉の残像が、鍋と鉄鍋の間を目まぐるしく行き来している。

 

「うん。朝ごはんを任せっきりにしちゃって、ごめん」

 

 小さく頭を下げ、イルクの隣へ寄る。

 

「リリアちゃんは?」

 

「素振りしに行った」

 

「相変わらずだねえ」

 

 イルクは苦笑した。

 お玉で鍋の中を掬い、小皿へ僅かに汁を注ぐ。

 

「味見、お願いできる~?」

 

「いいの!? ありがとう!」

 

 差し出されるまま、小皿へ口をつける。

 

 舌先を通る、透き通るような魚介の旨味。

 味噌の濃厚な味と香りが同時に舌を打ち、白身魚の上品な脂が喉を通り過ぎていく。

 

「おいしい!」

 

「そりゃよかった。随分と昔ながらの台所でね~。慣れるのに苦労したよ」

 

 そう言いながら、イルクは手慣れた動作で竈へ炭を投げ入れる。

 

 火元へ繋がった竹筒に取りつけられたペダルを踏み込むと、竈の奥へ勢いよく空気が送り込まれた。

 

 炎の勢いが一気に強くなり、羽釜の隣に開いた口から赤い火が噴き出す。

 

「僕も手伝うよ」

 

「お、いいの~? なら、串魚を焼いてもらおうかな」

 

 イルクが、左手に嵌めた黄金の腕輪を起動させる。

 

 異空間から、串を打った小魚が八本現れた。

 

 それを《統巡(とうじゅん)》で浮かせ、僕の手元まで運んでくる。

 

 塩は絶妙な加減で振られている。

 八本の串を手に持ち、炭火へ翳した。

 あとは、焼き加減へ集中するだけ。

 

 ジュッ……。

 

 魚の表面から水分が飛び始める。

 見る見るうちに皮が乾き、僅かな湯気が立ち上った。

 

 熱を受けた皮が縮み、羽釜から漂う米の甘い香りへ、魚の脂の匂いが混じり始める。

 

 食欲を掻き立てる、悪魔的な香りだ。

 やがて、魚の表面が僅かに張り始めた。

 

 ジュウ……ゥ。

 

 皮に光沢が生まれる。

 魚の脂が溶け出し、一滴の雫となって炭火へ落ちた。

 じゅわり、と白煙が立つ。

 

 炭火と魚の香ばしい匂いが、一層濃くなった。

 

 ――今だ。

 

 《蒼眼》で焼け具合を見切り、素早く一本の串を引き上げる。

 

「お、ナイス~」

 

 イルクから賞賛の言葉が飛んでくる。

 

 へへん、どうだ。

 僕の料理の腕前も、なかなか捨てたものではない。

 

 次々と焼き上がった串を引き上げ、皿へ盛りつけていく。

 ついでに一本だけ串を抜き、身の中に残った骨を丁寧に取り除いた。

 

 リモルさんの分だ。

 リモルさんは骨が残っていると、魚を食べようとしない。

 全くもってわがままな話だ。

 

 【伯方】にいた時も、骨が入っているというだけで魚を丸ごと残していたことがある。

 僕が食ったからいいんだけどさ、出されたものを食べないってなかなか僕にとって不快なんだよね。

 

 さて、イルクの方はどうなったかな。

 

 そう思い、ふと彼へ目を向けた。

 

「うわあ……」

 

 三つほどの作業を、同時にこなしている。

 右手の菜箸と鉄鍋――卵焼き器で、見事な卵焼きを作っている。

 すぐさま左手でお玉を握り、別の鍋に入ったあら煮を掻き混ぜる。

 

 そのまま足元のペダルを踏み込み、竈の火力まで細かく調節していた。

 

(まだまだだな)

 

 僕には、あれほど異なる動きを一度に処理することはできない。

 イルクには、まだまだ及ばない。

 

 料理の腕前も、戦闘も、イルクから教わりたいことは、山ほどある。

 

「よし、いい感じだね~。ちゃちゃっと運ぼうか~」

 

 羽釜の蓋から勢いよく水蒸気が噴き出した。

 

 それを合図に、イルクは再び汁物の味を確かめ、満足そうに頷く。

 手慣れた仕草で椀へ味噌汁を注ぎ、盆の上へ朝食を並べていった。

 

 ご飯。

 焼き魚。

 あら煮。

 卵焼き。

 

 人数分を用意すると、イルクが人差し指をくい、と傾ける。

 盆の数々が《統巡》によって宙へ浮かび上がった。

 

「うん!」

 

 僕もイルクが持ち切れなかった分を手に取り、残りを《統巡》で浮かせながら広間へ向かう。

 

 さあ、朝ごはんだ。

 

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 

「さて。今日の予定を確認していこうか~」

 

 僕の隣に座るイルクが、両手を合わせた直後に口を開いた。

 

 目の前には囲炉裏。

 自在鉤から吊るされたあら煮の鍋が、火にかけられている。

 

「わたしは、この人の護衛ね」

 

 左隣に座るリリアが、ご飯を箸で口へ運びながら、右端に座っている少女へ視線を向けた。

 

 コレトーさん。

 今はドールさんと名乗っている少女だ。

 

「一応、アルターもついていくのですよ~」

 

 あら汁へ口をつけながら、アルターがこちらへピースサインを向けてくる。

 

 ほむ。アルターが一緒なら安心だ。

 熱心で真面目なリリアと、享楽的で適当なコレトーさん。

 どう考えても、相性がいいとは思えない。喧嘩してコレトーさんがボコボコにされる。普通に最悪だ。

 

 アルターなら、二人の間を取り持つ優秀な緩衝材になってくれるだろう。

 

「よろしく~。俺はエディンと一緒に、周囲の探索へ行ってくるから~」

 

 イルクが僕の頭へ手を置き、ゆったりと撫でる。

 

「あら。エディンは、てっきりわたし達についてくると思っていたのだけど」

 

 リリアが目を細め、ドールさんへ横目を向けた。

 当のドールさんは、居心地が悪そうに味噌汁を啜っている。

 しかし、器の持ち方も、汁を飲む所作も非常に丁寧だ。

 

 昨日までとは打って変わった、深窓の令嬢じみた振る舞いだった。

 

「仕方ないでしょ~。エディンの《蒼眼》があった方が、探索は捗るんだからさ」

 

 イルクが肩を竦める。

 

「こっちには、こっちの約束もある。ドールさんの護衛は、二人に任せるよ。ドールさんも、それでいい?」

 

「——もちろんです」

 

 ドールさんは食器を静かに置き、懐から取り出したナプキンで口元を拭う。

 

「わたくしも、異論はございません」

 

 滑らかに微笑んだ。

 

「エディンさん。どうぞ、わたくしには構わず、お役目を果たしてくださいませ」

 

 昨日の失態とは比べものにならないほど流暢だ。

 イルクの迷宮特典って、やっぱりとんでもないな……。

 

 熾紅玉(ルビー)級の迷宮特典。

 

 【愛し姫の代詠】。

 

 効果は、姿の変容。

 そして、あらかじめ設定された人物像に合わせて、口調や立ち振る舞いを自動的に翻訳するものだと聞いた。

 

 それにしたって、昨日の醜態からかけ離れすぎていないか?

 姿そのものは、コレトーさんから大きく変わっていない。

 しかし、身元の特定に繋がりそうな装飾品や特徴は、全て認識できなくなっている。

 

 隣のリリアも、若干引いた顔でドールさんを見つめていた。

 

 まあ、昨日のコレトー(ドール)さんを目の前で見ていたら、そうもなるよね。

 俯瞰で見たら、僕もおんなじような顔をしていた。

 

「何か?」

 

 ドールさんが、可憐に小首を傾げる。

 

 すごい。

 とんでもなく可愛い小首の傾げ方だ。

 奥ゆかしさから最も遠い場所にいたコレトーさんからは、到底考えられない。

 

「ほほほほほほ……」

 

 リモルさんが、奇妙な笑い声を上げた。

 

 視線は真っすぐ、ドールさんへ釘づけになっている。

 座っているのは囲炉裏の一番奥。

 ドールさんから最も離れた位置へ、意図的に隔離されていた。

 

 その紅い目には、やっぱり危険な好奇心が宿っている。

 

「なんだよ、リモル。気色の悪い笑い方をしやがって」

 

「なに」

 

 リモルさんは口の端を持ち上げる。

 

「他者との交流に難のある人嫌いのイルクが、これほど自然に見知らぬ人間を宿へ招き入れたのだ。面白い以外の感想など出まい?」

 

 口元が、愉悦の弧を描いた。

 

「よほどの重要人物と見える」

 

 リモルさんの瞳が細まる。

 

「しかも、意図的に僕から遠ざけた位置へ座らせている。はてさて、そこまでして守りたい人物とは何者なのか、とね」

 

「簡単だ。エディンが、漂着していた女の子を放っておけなかったから泊めているんだよ」

 

 イルクは全く動じず、卵焼きを口へ運んだ。

 

「それに、お前は国際指名手配犯だろう。どこの世界に、指名手配犯を客人の隣へ座らせる奴がいるんだ」

 

 呑み込んでから、冷淡に言い放つ。

 

「この場へ同席させてもらえているだけでも、ありがたく思え」

 

 ……上手い。

 イルクは全く動揺を見せず、嘘も吐かずに言い切った。

 それにしても、今日はイルクと一緒に行動するのか。

 

 一瞬、浜辺へ置いてきた友人のことが頭をよぎった。

 

 イルクとの探索が嫌なわけではない。

 だけどログマは、今も一人だ。早く彼の性格や考え方を詳しく知り、人の中へ馴染むための方法を探したい。

 

 リリアとの約束に関わる隠し事も、ログマのことだし。

 リリアは僕を信じて待ってくれている。いつまでも待たせ続けるのは、僕の性に合わない。

 

「問題ございませんわ、エディンさん」

 

 食事を終えたドールさんが、真っすぐこちらを見た。

 

「あの件は、わたくしが応対いたします」

 

 柔らかく微笑む。

 

「エディンさんは心置きなく、探索へお向かいくださいませ」

 

 ……なるほど。

 

 ログマのことを、それとなく聞いておいてくれるのか。

 

 ありがたい。リリアとアルターも上手く離しておいてくれるのなら、なおさら助かるけど……。

 

 ちょん、ちょん。

 

 二度、僕の肩を指先で突つかれた。

 

 イルクだ。

 先ほどとは一転して、にへらと笑っている。

 イルクは《統巡》の応用で宙へ気魄を躍らせ、文字を描いた。

 《蒼眼》を持つ僕にしか読めない、薄い文字。

 

『リリアちゃんとアルターちゃんへ隠していることについてでしょう? なら、俺からそれとなく伝えておく。安心しろ』

 

 ……流石はイルク。イルクにも、隠し事をしていると気づかれていたか。

 

 僕はイルクへ小さく頭を下げ、続いてドールさんにも頭を下げた。

 

「よろしくお願いします」

 

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 

 燦々と日が照る、昼頃。

 

「うーむ」

 

 僕は《蒼眼》を全開にしながら、村の周囲を歩いていた。

 

「何かあったかい~?」

 

「まだ、何も視えないなあ」

 

 隣にはイルクがいる。

 

 目的は、イルゲルム――あるいは、操られた魔獣の群れの痕跡を探すこと。

 本来なら人を襲わないはずのランニングマグロが、なぜ人間を襲ったのか。

 その原因を調査したいと、リーリエさんへ申し出たのは僕だ。

 

「瘴気の濃さが、西へ進むほど増している。この流れを辿って――」

 

 どろり。

 海から、黒い汚泥が零れ落ちた。

 粘つく黒い魔力を口の端から吐き出しながら、一匹の異形がこちらへ一直線に迫ってくる。

 

「イルク」

「応よ」

 

 短く呼びかける。

 端正に整った偉丈夫の顔が、獲物を見つけた鮫のような獰猛な笑みへ変わった。

 

 敵だ。

 一匹のランニングマグロ。しかし、その身を満たしているものは魔獣の清浄な魔力ではない。

 

 口の端から涎を垂らし、正気を失っている。

 手足の生えた魚体から濃厚な瘴気が溢れ、血走った目でこちらを睨みつけていた。

 

「TSUNAAAAAA!!」

 

 けたたましい雄叫びが、辺り一帯へ撒き散らされる。

 瘴気を伴った叫びが海岸線を揺らし、周囲の濁った魔力が渦を巻いた。

 

 その渦の中から、次々と魔物が生まれる。

 

 首のない武士。

 槍のような触手を持つイソギンチャク。

 空中を泳ぎながら、不気味に笑うクマノミ。

 

「<火気厳禁(ツツヌア)>」

 

 ランニングマグロが魔法陣を描き、魔力を通した。

 周囲の水気がベールのように魔物達を包み込む。

 やがて青い霧となり、魔物の姿を淡く揺らがせた。

 

 ――火を拒む術。

 

 しかも、人間種が扱う形式の魔法だ。

 

 <紅蓮砲殲火(ヴァ・レグロム)>を使っても、ある程度軽減される。

 軽減率は大したことがない。が、この近くは海。退魔の力も加味すると、ダメージを与えるのは至難。

 

 刃を通そうとしても、水の霧が勢いを殺し、切れ味を鈍らせる。

 まるで、炎と刀の両方を警戒しているような術だ。

 

 ははは。なるほど。

 

 こいつら、僕の戦い方を知っているな?

 

「合わせるよ」

 

 イルクが虚空へ手を伸ばす。

 

 空間から巨大な紫色の馬上槍を取り出し、それを片手で軽々と振り回した。

 

「なら、遠慮な――」

 

 腰を深く落とす。

 身体を僅かに捻り――。

 

「――くっ!」

 

 一気に弾けた。

 

 跳躍するように砂浜を駆け抜け、素手のまま魔物達へ殴りかかる。

 

『――。』

 

 幽鬼のような首無し武士が刀を構え、僕へ振り下ろした。

 

「そおいッ!」

 

 急減速。

 足元の砂へ魔力を通し、掬い上げるようにして思い切り投げつけた。

 魔力を帯びた砂が魔物達へ打撃を与え、僅かに動きを鈍らせる。

 

 左腰へ納めた刀へ意識を向ける。

 

 踏み込みによって固めた砂を足場に、大きく脚を開いて立った。

 目を閉じる。

 

「飲み込め」

 

 イルクが馬上槍へ気魄を流し込む。

 周辺の瘴気が大きな円を描き、巨大な槍へ向かって集まり始めた。

 

 一陣の風が吹く。

 乾いた風ではない。

 瘴気と海水を含んだ、腐臭の漂う湿った風。

 

 病を運ぶような風が、瘴気の円を通過した瞬間――。

 

「――【怨燃(おんねん)萬瘴竜跪(まんしょうりゅうき)】」

 

 周囲に満ちていた瘴気の悉くが、槍へ吸い寄せられた。

 それは弱い魔力すらまとめて巻き込み、穂先へ向かって呑み込んでいく。

 

 坂を転がり落ちるように、<火気厳禁(ツツヌア)>を構成していた魔力までもが引き寄せられた。

 

 魔法の形が崩壊する。

 魔物達を覆っていた水の霧が、瞬く間に掻き消えた。

 

「――じゃあね」

 

 居合一閃。

 

 強く一歩を踏み込む。

 鞘から走った黒い刃が、そこにいた三体の魔物を、一太刀のもとに斬り伏せた。

 

 異形の身体が斜めにずれ、砂浜へ崩れ落ちる。

 

「――Aooo」

 

 残心を取ろうとした、その時。

 海中から、巨大な海蛇が襲いかかってきた。

 両目は赤く染まり、口から瘴気を吐き出している。

 

 二股に分かれた舌の隙間から、紫色の毒息が漏れていた。

 

 新たな魔物。

 

「壊放」

 

 刀を構え直そうとした瞬間、イルクが【萬瘴竜跪(まんしょうりゅうき)】の穂先を向けた。

 

 紫色の奔流が一直線に放たれる。

 海蛇の巨大な身体、その半分が跡形もなく消し飛んだ。

 赤黒い血液を胴体から撒き散らし、海蛇が音を立てて浅瀬へ倒れる。

 

「いやー、危なかったね」

 

 イルクは、何事もなかったように笑った。

 

 左手の腕輪へ気魄を流し、倒した海蛇の身体を亜空間へ格納する。

 

「ありがとう、イルク。ごめん。手間をかけちゃったね」

 

「なんのなんの~。助け合いこそが、冒険ですから」

 

 飄々とした笑みを浮かべたまま、僕の傍へ歩み寄ってきた。

 

「それにしても、やっぱり人間種の魔法を使っていたね」

 

「うん。魔力波長を視たけど、間違いない」

 

 魔物と見比べることで、ようやく確信できた。

 ランニングマグロの魔力波長は、人間のものに近い。

 魔物や魔族の扱う魔法は、人間種の魔法とは根本から異なる。

 

 魔力そのものの性質が違うからだ。

 

 <回帰原理(イニラ・イム)>も同じ。

 

 あれは僕自身の魔力波長を、魔族に近いものへ一時的に変質させることで発動している。

 

 それに対して、ログマを始めとしたランニングマグロの魔力は、あまりにも人間に近い。

 

「俺も安心したよ」

 

 イルクが、倒れたランニングマグロの死体へ屈み込む。

 

「やっぱり、ランニングマグロは本来の意味での魔物じゃない。魔獣――いや、亜人族だね~」

 

 イルクは魚体を検分する。

 

 その片腕には、逆さの十字架が刻まれたブレスレットが嵌められていた。

 

「天へ伸びる樹木を表した【旧神聖曜(アンセム)】」

 

 イルクがブレスレットを外し、僕へ見せる。

 

「木の原素を司る創世神の紋章だね」

 

 そこには、天へ向かって伸びる一本の樹木と、大地を示す逆さの十字架が刻まれていた。

 

「ランニングマグロってね。本来は、かなり温和な種族なんだよ」

 

 イルクはブレスレットへ付着した汚れを、親指で拭う。

 

「七柱いる創世神の一柱。豊穣の女神たる秋の金穂(エレメンチェレ)を崇めている」

 

「エレメンチェレ……?」

 

「ああ。エディンは、真名の方しか知らないのか」

 

 イルクが僅かに考え、言い換える。

 

「木を司る創世神、エレナ=ヴァギと言えば分かるかな?」

 

「ああ、ヴァギ神か」

 

 エレナ=ヴァギは、リステリアでも信仰している者が多かった。

 どちらかと言うと水の創世神、我らは彼女の奴隷(オル=エネメシス)の方がリステリアでの信仰は多かったけどね。

 

 エレナ=ヴァギは特に農家と軍人。

 それ以外の人々からは、あまり人気がなかった記憶がある。結構、両極端な宗派だった記憶がある、

 

「話を戻すよ~」

 

 イルクが立ち上がる。

 

「今の話からも分かる通り、ランニングマグロは人間にも友好的な亜人族だ。海を主な活動圏にしているけど、人との交流や交易も行っている」

 

 倒れた魚体へ視線を落とす。

 

「だから、本来なら人を襲うはずがないんだよ」

 

 イルクが顎へ手を当てる。

 

 その時、僕の脳裏を一つの影がよぎった。

 五つ目の魔族。

 執事服を纏った、僅かに赤い肌を持つ大柄な戦士。

 影を操り、【豚鬼宮】で死闘を繰り広げた男の姿。

 

「ねえ、イルク」

 

 一拍置き、息を呑み込む。

 

「魔族って、魔獣を魔物へ変えられたりする?」

 

「…………できるね」

 

 イルクの目つきが鋭くなった。

 

「できるよ。やり方は、反吐が出るほど下劣だけど」

 

「なら、もう一つ確認したい」

 

 イルクの傍へ寄り、倒れたランニングマグロの身体へ手を伸ばす。

 

「魔族は、魔物を操れるよね?」

 

「ああ……」

 

 イルクが長く息を吐いた。

 

 苦々しい表情を浮かべ、静かに答える。

 

「できるよ」

 

 その声は、重かった。

 恐らく、僕とイルクは同じ結論へ辿り着いている。

 ランニングマグロ達は、イルゲルムによって強制的に魔物へ変えられている。

 

 これまでは、イルゲルムではない可能性も残っていた。

 だけど、今となっては犯人はあいつで決まりだ。

 

 僕への対策を、あまりにも露骨に講じていた。

 前回の奇襲もそうだ。

 そして今回、<火気厳禁(ツツヌア)>を初手で使ったことが決定的だった。

 

 あれは、僕が<紅蓮砲殲火(ヴァ・レグロム)>と刀を組み合わせて戦うことを知っていなければ、最初から使う理由がない。

 

 まして、ここは海のすぐ傍だ。

 何の対策もなくとも、<紅蓮砲殲火(ヴァ・レグロム)>の威力は弱まる。

 

 それでもなお、炎と刀の両方へ備えた。

 前回の分身体を仕留めた、『夜舞い』を警戒してのものだろう。となると、分身体と本体の記憶は共有していると考えていい。

 

 僕を知る誰かの指示としか思えない。

 

「……ランニングマグロ達を、埋葬してあげないとな」

 

 小さく呟く。

 

 彼らは、人を襲いたくて襲ったわけじゃない。

 自分の信仰も、理性も、生き方も、全てを奪われたのだ。

 

「イルゲルムは、魔物の軍勢を率いて、ここへ攻め寄せるつもりなんだろうね」

 

 イルクが自分の頭を乱暴に掻いた。

 

 懐から煙草の箱を取り出す。

 一本抜こうとして――そのまま箱ごと強く握り潰した。

 

「エディン」

 

 イルクが、僕へ向き直る。

 

「この国から逃げないか?」

 

 僕の瞳を覗き込むように告げた。

 

 その目は何かを探るような彩だった。心の底から案じるような顔で、僕を見ている。

 

「俺なら、エディンを連れ出せる」

 

 潮風に混じり、イルクの熱を帯びた声が耳へ届く。

 

「エディンが守りたいのは、この国じゃなくてリステリアだろう?」

 

 イルクは一歩、僕へ近づいた。

 

「聖教国へ行こう」

 

 真剣な声だった。

 

「俺の育ての母であり、俺の上司でもある――リヴェータ・ロット・アイネイアス枢機卿のところなら、エディンを歓迎して――」

「行かない」

 

 言葉を遮る。

 

「行かないよ、イルク」

 

 真っすぐに、イルクを見つめ返した。

 

「何を言ってるの?」

 

 イルクの目が、僅かに揺れる。

 

「心配してくれるのは嬉しいよ」

 

 でも、と続ける。

 

「逆の立場だったら、イルクは逃げるの?」

 

 イルクは答えない。

 

「友達がいる国でさ。『お前が守りたいのはこの国じゃないんだから、逃げろ』って言われたら、イルクは逃げる?」

 

「…………逃げねぇ、な」

 

 イルクの拳へ、更に力が込められた。

 握り潰された煙草の箱が、小さな音を立てて歪む。

 眉間に皺が寄り、海原へと視線が向けられていた。

 

「それと同じだよ」

 

 僕は、自分の手に宿る力を見つめる。

 

「モーリス君がいる」

 

 指を握る。

 

「リーリエさんがいる」

 

 拳を作る。

 

「ヴァルガスさんだって、生きていた国だ」

 

 胸の奥から湧き上がるものを、言葉へ変えていく。

 

「そんな国を見捨てるなんて、僕はしたくない」

 

「エディン――」

 

「矜持だよ、イルク」

 

 顔を上げる。

 

「イルクが教えてくれた、僕の矜持」

 

 あの日。

 僕の力を、役に立つものだと認めてくれた。

 僕の生き方を、僕自身に選ばせてくれた行き方。僕の心の背骨になった、イルクの教えだ。

 

「役に立つか、立たないかは僕が決める」

 

 一歩、イルクへ踏み出す。

 

「僕の力を何に使うかは、僕が決める」

 

「だから、そんな寂しいことを言わないでよ」

 

 イルクの目を、真っすぐに見つめる。

 

「イルクにとって、今の僕は足手まといかもしれない」

 

「違うよ、エディン。俺が言いたいのは、お前が危険に――」

 

「それも含めて、自己責任でしょ」

 

 イルクの言葉を、真っすぐに断ち切る。

 

「ここで引くなんて真似、絶対にするもんか」

 

 ここで関わった、すべての人々を思い返す。

 

 リーリエさん。

 モーリス君。

 リリアやアルター。

 僕を信じて、最後まで背を預けてくれた仲間達。

 ヴァルガスさんが最期に向けてくれた、全幅の信頼を宿した笑顔。

 

「誰が何と言おうと」

 

 僕が、ここで逃げてしまえば。

 

「たとえ、ここで死ぬことになったとしても」

 

 僕は、僕でいられなくなる。

 認めてくれた人達の信頼を、自分から手放すことになる。

 そんな生き方をするくらいなら。

 そんな自分へ成り下がるくらいなら。

 

 死んだ方が、まだましだ。

 

「だからさ、イルク」

 

 俯きかけたイルクの顔を覗き込み、笑いかける。

 

「鍛えてよ、僕を」

 

 イルクの藍色の目へ、僕の姿が映っている。

 

「イルクが、安心して背中を預けられるくらいまで」

 

 一度、息を吸う。

 

「徹底的に」

 

 イルクは、しばらく何も言わなかった。

 やがて、低い声で問い返す。

 

「血反吐を吐くことになるぜ?」

 

「望むところだよ」

 

 僕は笑い、拳を差し出した。

 イルクは長く、長く息を吐いた。

 本当に仕方のない弟分を見るような顔で。

 

 それでも、どこか嬉しそうに笑いながら。

 大きな拳を持ち上げる。

 僕の拳へ、イルクの拳が静かに重なった。

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