アプレ・ラプルイの朝日〜聖劍と王冠、ヤンヘラ女神の御名において〜 作:鹿鳴弥
体調を崩しておりました。
「仲間たちを、元に戻すためです」
空気が静まり返った。
ログマの身体を離し、彼の目を見る。
ほんの少し左右に揺れている。だが、視線はまっすぐ僕へ向いている。強く握られた拳が、その思いの硬さを物語っていた。
「大丈夫」
ログマの肩に手を置き、視線を同じ高さに持っていく。
「信じて」
微笑み、彼の意識を僕だけに向けさせる。
左右に揺れていた瞳の揺れがなくなる。視線に力が入り、僕の目の底まで届くような力強さが宿った。
「エディン」
ログマは、重そうに唇を開く。
手を差し出し、その上に魔法陣を描いた。
……精神を接続する魔法、か。
うまく使えば精神を乗っ取ったり、偽の記憶を植え付けることができるタイプ。
下手をしなくとも記憶や人格を改ざんし、廃人にする危険性もある。
《蒼眼》に映る情報は、この魔法の危険度を雄弁に語っていた。
「説明。ログマたちの種族が使う、記憶を分かち合う魔法です。もちろん、危険性もあります。ですが、これしか――」
「ログマ」
逸るログマの言葉を遮り、微笑みを向ける。
「任せて」
ログマの喉仏が嚥下するように動いた。
彼は軽く深呼吸し、顔の表情を引き締めてこちらを見た。
「っは~。しゃあねえな」
がしがし、と後ろから頭を掻きむしる音。
コレトーさんだ。彼女は僕の隣に座りこみ、あぐらをかきながらログマの手を取る。
「乗りかかった船だ。俺も混ぜろや」
ログマは何も言わない。
瞳を潤ませ、わずかに笑みを浮かべているだけ。
しかし、その目は雄弁に僕らを信頼していることが伝わってきた。
「では」
ログマが描いた魔法陣に魔力を注ぎ込む。
「お見せします。ワタシが見たあの時の景色を」
魔法陣が緑色に輝く。
視界が螺旋を描き始め、目の前の景色が明滅し始め。
僕の意識は、光に落ちた。
※※※
そこは、海の上にある小島だった。
波の穏やかな隠れ島。海中洞窟を超えてようやくたどり着ける秘境が、僕の目の前に広がっている。
中は枯れた迷宮を居抜きした、みたいな複雑な構造。
青い石のような鉄、
『ここは……』
あたりを見回す。
「TSUNATSUNA」
「TSUNATSUNA」
隠れ島の中には大量のランニングマグロが暮らしていた。
百匹以上のランニングマグロだ。洞窟を削り、繁茂したコケからは小さなカニが養殖されていた。
あたりは海辺。
持ってきていた魚や塩を見比べながら、手足の生えたマグロたちが何やら会話いている。
「あ、ログマ! 帰ってきてたんだ!」
僕のもとへこぶりのランニングマグロが近寄ってくる。
「帰還。ええ、帰ってまいりました。ツェナ」
一瞬、僕の体がぶれた。
僕の肩から腕が動き、小さなランニングマグロの頭に手を乗せた。
「ログマ、大丈夫? 人間にひどいことされなかった?」
ログマのマントに、ツェナと呼ばれた少女が目を向ける。
認識阻害のためのマント。僕らが補修する前の、ぼろくなる前の隠蔽用の魔導具が、小さなランニングマグロの手で揺れていた。
……ああ。そうか。なんで見つかった当時から認識阻害のマントを着ているのかと思っていたけど、やっぱり。
『……差別、だろうな』
コレトーさんが小さくつぶやく。
亜人種は人だ。これは神学的にも魔法学的にも、証明された話。
だけど、人は己から遠いものを嫌う。
肌の色。耳の形。魔力の過多。そういう、わかりやすく違うものを人は拒む。
ログマの見た目はマグロの魚体に手足の生えたもの。
差別するには、これ以上ない的だ。
「肯定。ツェナ。今いる集落の……水陰村の人たちはいい人ばかりです。
異形種のワタシの治癒魔法を受け入れ、感謝してくれる。村のみんなのために恵みを分けてくれる。それに、みんなが見繕ってくれたマントもあります。問題など起きるはずもありません」
ログマは背負った籠を見せる。
大量のコメや肉、塩や鉄といった代物がうずたかく積まれていた。おそらく、人との交易品。
「決意。人は、ニンゲンは今でも恐ろしい。ですが、みんながいるのならばワタシは頑張ります。どこまででもやれます」
ログマの魔力の流れはひどく穏やかだ。
この当時から、ログマは治癒魔法が得意だったのだろう。
医師として、人里で活躍していたこと。僕らのいまいる、水陰村で治癒術師として活躍していることの記憶が流れ込んできた。
稚魚のランニングマグロがログマに頭を撫でられ、えへへとうれしそうに笑っていた。
「族長にね! お客さんが来てるの! そのお客さんの話が秘密だからってね、広場から出されちゃったの。ログマ、遊んで~!」
「恐縮。ワタシではツェナを満足させる遊びはできそうにありません」
「またまたー! ほら、いくよ!」
こぶりのランニングマグロに連れられて、僕の体が勝手に動き始めていた。
なるほど。僕は、ログマの記憶を追体験しているのか。
足がひとりでに歩き、稚魚と話しているログマ。
む……? 妙だな。ランニングマグロの言葉がわかる。ログマの記憶だからかな? それにしては言葉が突っかかりなく理解できる。
こういう類の精神魔法は東塔のころにさんざんやられたから経験則でわかるが、魔物の言葉って夢の中でも胡乱なものになるはずなんだけどな……。
『たぶんだけどよ。
『あ、コレトーさん!』
僕の頭にゆっくり目の思考が流れた。
『いらっしゃったんですね。反応がないので意識がないのかと思ってました』
『おめーの思考速度がキモイくらい早くて酔ってたんだよ。よーやくなれた』
コレトーさんがうげえ、という顔のイメージを僕の頭の中に送ってきた。
なるほど。思考内容も混線するのか。なら、少しゆっくり目に思考を回すか。
『ところで、その
『知らねえの? 世界の言語翻訳機能。魔族以外の知性体なら会話内容がわかるってもんよ』
コレトーさんが軽々と話す。
ああ、なるほど……。道理で。いろんな種族の言葉がわかるわけだ。
リステリアほど閉じた環境で育まれた文化と言語で育ったのに、なんで迷宮都市国家の人間の言葉がわかるのか、疑問だったんだ。
あれ? じゃあなんで古代語である日本語や英語、魔法言語は翻訳できないん――。
「ついたよ、ログマ!」
稚魚の声が響く。
目の前には大きな洞穴。ツタで編まれた暖簾がかかっていて、足元には緑と金の絨毯が敷かれている。
そこは厨房のような場所だった。
足元には小さな水面が広がっている。
まとめて料理を作っている女性のランニングマグロが料理をする後ろで、子供たちが走り回っている。
「きゃー、ログマだ!」
「あそんでー!」
「治癒魔法おしえて~!」
行った先ではランニングマグロの子供たち。
ログマの周囲を走り回り、ログマに何かをねだっている。
「肯定。順番を決めて遊びましょう」
ログマはそう言うと、子供たちを抱えて遊び始める。
時には追いかけっこ。
時には治癒魔法を子供たちにわかりやすく教え。
時には女性たちからおやつをもらっていた。
『平和だな』
『ですね』
穏やかなコレトーさんの声が脳裏に響く。
本当に素敵な光景だ。シュールといえばシュールだが、とても微笑ましい景色となっている。
その時。
「TSUNAAAAAAAA!!」
理性をなくした叫びが、竪穴から響いた。
「っ!」
ログマは無意識の反応だろう。
治癒魔法を体表に這わせ、瞬時の防護と治癒を張った。
瞬間、暗黒の瘴気が一際大きな竪穴から、すべての竪穴へ殺到した。
「ぐ………………っ」
強烈なめまいと吐き気。腹に虫がはい回るような感覚が、直に僕の体内にも反映される。
これは……。内臓の一部が腐ったな。昔、東塔で食らったことのある感覚だ。
「なに……が」
ログマは絶えず、治癒魔法を行使し続けている。
何が起きたのか。いや、何かが起きた。
事態の把握のため、かすんだ視界へ喝を食らわせて――。
「……
周囲の子たちが、魔物になっていた。
自分の声も、
「TSUNA、TSUNATUSNA」
よだれをたらし、意味の分からない譫言を呟きながら瘴気を垂れ流している。
「
そして、自分の体からも瘴気が上がっていた。
「いやあ、うまくいきましたねえ。イルゲルム閣下ぁ」
軽薄な、男の声。
族長の宅から、瘴気が発生した場所から声が聞こえる。
腹の奥で、濁った殺意が渦巻いた。
あれが、下手人。みんなを魔物に貶めた。
「
駆け出す。
目標は敵へ。せめてもの敵討ちを。
みんなの無念を、晴らす。
その一心で飛び込んだ先には。
「――ああ」
鬼がいた。
圧倒的な瘴気を渦巻かせ、従えている。
絶対的強者。己が逆立ちしても勝てない、角の生えた化け物。
体の一部が変容したからだろうかわかる、魔物たちの絶対的な主。
それと。
一瞬。
「TSU,TSU――」
目が合った。
「TSUNAぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
視界が反転し、ログマが一目散に駆け出した。
海へ飛び出し、浜辺を駆け、海を走る。
走って、走って、走って。
はるか彼方の浜辺にある、村。
そこへ、ログマは力なく歩いて行った。
※※※
意識が、戻る。
右手を上げる。そこには先ほどの実験で血まみれになった、僕の手があった。
頭が、割れるように痛い。
が、この手の頭痛は《蒼眼》の処理で慣れている。少し時間を置けば、大丈夫。
深呼吸をする。息を整え、目の前に座るログマを見る。
彼は正座していた。何かをこらえるように。あふれそうな何かをせき止めるように。
胸にたまっていた何かを必死に押しとどめていた。
「ワタシは、逃げました」
絞り出すように、ログマが語る。
「魔物となったみんなを捨て。半分、魔物となった己を偽り、人のようにふるまいながら。逃げて、逃げてきました」
…………そうか。
ログマが、
だから、翻訳の魔導具をコレトーさんに作ってもらわないと、彼の言っている言葉がわからなかったのか。
「そこから、ワタシは治癒魔法を研究しました。仲間を元に戻すために、わき目も振らず、必死に」
「無料でログマが診察していたのは、治験のため?」
努めてやわらかい声でログマに語り掛ける。
ログマは、躊躇いながらも頷いた。
「……肯定。その通りです。ワタシは、ただ仲間を助けるためだけに。あの日、逃げたことを見ないようにするために。人を癒し続けました」
ログマはうつむき、自嘲するような笑いを浮かべた。
「偽善。ワタシは人々の間で称えられていました。ですが、それは無私の奉公などではありません」
「ワタシは、皆さんを利用していたのです。エディンだけではありません。この村も、周囲にいたすべての人も。聖人と、善き人だと感謝されるたびに、つらかった」
ログマは恥を出し切るように語り、口をつぐんだ。
何も言わない。あとは、ただ沙汰を待つ。そういわんばかりの態度で正座したまま、不動を貫いた。
「……ええと」
コレトーさんと僕は顔を向き合い、頬を掻き。
「それの、何が問題なのかな?」
思っていたことをそのまま、ログマへ伝えた。
「……え?」
ログマが唖然とした顔で僕を見る。
いや、そんな目で見られても……。
「俺も何がダメなのかわかんねえ。普通じゃね? てか、ここまで頑張ってきて、見返りも求めてないんしょ?
普通にすごいじゃん。 なんでそこまで恥じ入るのか全く分からんのですが……」
恥の多い人生を送ってきたであろうコレトーさんが心底不思議そうに話す。
「は、反駁。しかし、ログマは」
「言い訳しない」
ぴ、とログマの顔の前に指を立てる。
「自分の体が魔物になっても。家族のみんなが魔物になっても、ログマは一人で頑張ってきた。それで助かった人もたくさんいるんだ。そこを、僕は褒めてあげてほしい」
一歩、ログマのもとへ踏み込み。
「よしよし。よく頑張った。僕ではできないことを、ログマは貫き通した。頑張った。えらいよ、ログマ」
やさしくログマを抱きしめ、頭を撫でた。
「……ああ」
震える腕で、僕の背に手を回す。
僕の胸に顔をうずめ、胸元で小さく震え、しゃくりあげていた。
胸元を濡らす、熱いものについては何も語るまい。
ただ、僕は彼を抱きしめ続けた。
※※※
「しっかし、あんな魔族がこの近辺にいるとはねえ」
ログマが落ち着いた後、コレトーさんは金平糖をほおばりながら言った。
「本当に。イルゲルムがあんなに手強いとは思いませんでした」
「そうそう、てごわ……。今なんつった?」
コレトーさんの金平糖を食べる手が止まる。
「手強かったんですよ。分身体でしたけど、あれは死ぬかと思いました」
「っス――。エディンさん? その魔族、どうしました?」
「撃退しました。リリアとも一緒でしたけど」
「とんでもねえことばっかしてんなお前!!!」
ぱん、と膝を叩いてコレトーさんが立ち上がった。
確かに、イルゲルムはとんでもなく強かった。分身体を使う魔物とも東塔にいたころ、戦ったことがあるけど、たいてい弱くなるんだよな。
だからこそ、イルゲルムがなんでログマを逃したのかがわからないんだよなぁ。
ログマはお世辞にも強くはない上に、魔物化による戦力増加の目撃者だ。
あいつは誇り高い魔族の戦士だが、目撃者を理由もなく生かすほど能天気な人物じゃない。
ログマを殺すことなんか、赤子の手をひねるより簡単だったろうに。
なんで生かしていたんだろう。
「え……。撃退……?」
ログマが信じられないものを見るような目で僕を見てくる。
「うん。【伯方】の【豚鬼宮】でね。ぶっ倒したよ。今は、その行方を追ってるんだけど」
僕は目を輝かせ、目を左右に動かし続けているログマと目を合わせ。
「ログマ。一緒にイルゲルムをぶっ倒す協力をしてくれないかな?」
一歩、踏み込んでみた。
※※※
「あの、魔族を……ぶっ倒す?」
ログマが僕の言葉を反芻する。
「そう」
彼に一歩近づき、手を差し伸べる。
「一緒にイルゲルムをぶっ飛ばそう。そんで、ランニングマグロの仲間のみんなを治すすべを、一緒に研究しよう」
「僕の仲間たちと一緒に」
ニッ、と笑う。
ログマは複雑な感情の入り乱れた目をしていた。
「……お気持ちはありがたく受け取ります」
「なら」
「でも、お断りします」
ログマは僕の手を払いのけ、僕から目をそらした。
「……理由を聞いても?」
払いのけられた自分の手を見ながら、ログマに視線の高さを合わせる。
「……怖いんです」
か細い声。
蚊の羽音のように高く、小さな声でログマは続ける。
「怖いんです。誰かに、ワタシの姿を見られることが。エディンやコレトーさんは、そんなことをしないとわかります。ですが」
「ほかの人がそんなことをしないとは限らない」
ログマはふるふる、と頭を振った。
「懇願。やめてください。ワタシに、そんな力はありません。考えるだけで、立てなくなります」
ごめんなさい、とログマは繰り替えし、膝を抱えた。
…………ほむ。
怖い、か。
「ログマ」
「大丈夫だよ」
力強く、ログマに視線を合わせに行く。
「新しい治癒魔法。これ、ログマひとりで作れた?」
「……否定。作れませんでした」
「でしょう」
僕は笑い、身体から力を抜いて自然体を維持する。
「でも、それは僕も同じだ」
ログマが一瞬、こちらを見た。
「僕一人じゃ、こんなすごい魔法を作れなかった。ログマの力があったから。みんなで力を合わせたからできたことなんだ」
「反駁。それは、みなさんをワタシが」
「利用したから。そうでしょう?」
ログマの言葉を重ね、笑いかける。
「ログマは利用したっていうけどね。僕は違う風に考えるんだ」
「助け合い。困ってるログマを、困ってる僕とコレトーさんが知恵を寄せ合って、できた新魔法じゃないか」
何か言いたげなコレトーさんを手で制する。
ここで「いや、俺は求めてないが……」とか言いかねない。今それを言われるとややこしくなる。黙っててほしい。
「今回も同じさ」
僕は立ち上がり、明かりのついた庵に指を向ける。
「ログマは僕の仲間が差別すると心配しているんでしょう?
不服はあるけど、その不安はわかるさ。だから」
心の底からの笑顔を見せ、ログマの目を見る。
「僕はログマを信じる。僕がログマを助けるよ。どんな心のない言葉も、嵐のような罵声からも。僕が守って見せる。だから」
もう一度、手を伸ばす。
座ったままのログマに向かって、立ったまま。
「僕のことを助けてよ。ログマ。僕ら、友達だろう?」
一瞬、ログマの目が潤んだ。
その赤い目には、僕の蒼い目が映っていた。
眩しそうに、僕の姿が映った瞳だった。
瞳は大きく揺れている。口を開いては閉じ、また開いた。
「――はい」
ログマは、首を大きく振り。
「ログマが、エディンを助けます」
「代わりに」
「エディンが、ログマを助けてください」
僕の手を取った。
「うん! 約束だ」
「一緒に、イルゲルムをぶっ倒そう」
その手を、僕は力強く握り返した。