アプレ・ラプルイの朝日 〜幽閉から始まる神喰らいの英雄譚〜 作:鹿鳴弥
「あ〜……。えっと、どっから説明した物かなぁ……」
珍しく本気で困った顔をしたイルクが頭を掻いていた。
場所は食堂。
大量に獲得したサケノミの巨大切り身をイルクと二人で運びきり、現在は冷凍庫で眠らせている。
「どしたの? イルク、浮かない顔だね。もしかしてサーモン、多すぎた?」
サクッと小気味よいパンの歯触り。
今日の朝食はスモークサーモンのブルスケッタとカプレーゼ。コーンポタージュだ。
ブルスケッタ。
これは炙ったパンにニンニクを擦りこんだオリーブオイル、モッツァレラチーズ、サーモンを乗せて焼いたもの。
調理師はイルク。
相変わらずイルクの料理センスはすごい。
どこで覚えたものなんだろうか。
でも、肝心の料理長の顔にはありありと困惑が浮かんでいた。
「いや、それはいいし、嬉しいんだよ〜。そっちじゃなくて、それよ」
ピッ、とイルクの人差し指が空を切る。
指の向く先は僕……。
ではなく、浮いている皿。
「それよ、それ。なーんでエディンが色々かっとばして<
「そーせんほー?」
ブルスケッタを頬張りながら答える。
いつも通り、聞くのは食べながらでいいとのこと。
話自体は真面目に聞いている。
「イルクが教えてくれないから、頑張って解析して覚えた」
「…………マジかぁ…………っ」
僕の言葉にイルクが頭を抱えた。
そ、そんなにイルク困らせるようなものなのかな?
「一応聞いとくね。俺、寝ぼけたり酔っ払ってエディンに理屈説明とかしてないよね?」
「うん。頑張った」
「Oh……。マジか……」
イルクは更に深く項垂れた。
「――いや、そうか。エディンはゼロから魔法を開発するド天才だったわ。
これはエディンの才能とセンスを天才程度としか認識してなかった俺の不手際。しゃーなし。ちゃんと教えるよ」
イルクがとん、と机を指で叩いた。
それに合わせて僕はご飯を机に置き、立ち上がった。
「よろしくお願いします」
「そう畏まらんでも……。って、普段の俺なら言うけど。そうね。これは、<
イルクの表情が硬い。
硬い、と言うか表情に変化が全く無い。
いつもは穏やかに細められている目がしっかりと見開かれ、僕の事を射抜くように見つめてくる。
「そうさな……。まずは<
イルクは指先を空へ向けてくい、と曲げる。
料理の乗った皿が机ごと浮き、端へと退けられる。
「<蒼仙法>は、神の御業。とある水の女神が編み出した、神の再現性。技の系統は三つ。《
拳が空を空振る。
――バチン、と青い稲妻が弾けた。
「――《
イルクが腕輪に力を込め、空中に人体模型が投影される。
人体模型の内部には『魔力』と書かれた赤い流れ、
『体液』と書かれた青い流れ。
そして、『
心臓部付近で渦巻いている黒い流れ。
この3つが違う色で表記されていた。
「《
イルクはそう言うと霊魂エネルギー……。『
イルクの手の筋肉量が増大し、見る見るうちに鱗が生えてくる。
「こんな風に、《流月》ってのは単なる強化じゃない。肉体そのものを霊魂の命令で改変し、肉体そのものを進化させるんだ」
イルクが僕に向けて顎を向けてきた。
『やってみろ』という言外の指示。
僕は頷き返し、自分の手に『気魄』を通す。
気魄に念を通す。
竜の鱗をイメージし、構築する。
結果、イルクと同じような鱗が僕の手から生えた。
「よし。次のレッスンは《
投影されている映像が切り替わる。
人体模型の心臓部で蠢いていた『気魄』が外へ流れ、
葉脈のように空中で枝分かれしていた。
「《
イルクは『
周囲の力場がイルクの気魄の命令に従い、僕の身体を浮かした。
「わあ……!」
すごい。すごく自然に、そして軽やかに僕の身体が浮いている……!
引きちぎれそうになったり、骨折しそうになったりしない……! とても丁寧な技術だ……!
「と、ここまではできるんだよね?」
イルクが僕を浮かせたまま尋ねてくる。
僕は一度頷く。
「ここからが<
イルクが僕を宙から降ろし、投影している映像を切り替える。
『気魄』を示す黒い矢印が空中で模型へ向かって戻る。
『魔力』を示す空中の青い矢印が
『気魄』の流れに沿って模型へ向かっている。
「《
バチンッ。
雷光が空に走ったような、衝撃と強烈な光。
青い雷光が辿った痕は爪痕のように何もなく、
大気に漂う塵がその部分だけ消失していた。
「《
気魄のイメージを外に分岐させているところで、
イルクのたしなめる言葉が入った。
なぜやろうとしているのがバレた……。
講義終了、と言ってイルクは椅子に座り込んだ。
「ふう〜。やっぱり、人に真面目に教えるのってしんどいね〜。<蒼仙法>並みにややこしい物となると、尚更だ」
どっかりと椅子に腰掛け、冷徹な雰囲気を消し飛ばして
イルクは温和な笑みを浮かべる。
……普段の雰囲気と全然違った態度を消して、
イルクはいつもの
だけど、その目に残っている感情は消せていない。
深い寂しさと誇らしさ。
2つが色濃く、胸焼けしそうなほど強く残っていた。
「まったく、エディンはとんでもないね〜! まさか<蒼仙法>を一目か二目見たくらいで再現するだなんてさ。よっ、天才児!」
パチパチパチパチ、と拍手の音が無音の食堂に響いた。
「<蒼仙法>は――」
イルクの目を見て、また逸らす。
全く笑ってない。いつものような穏やかさの欠片もなく、心底にある冷たさが、彼の目から感じられた。
「――<蒼仙法>は、イルクにとって大事なもの……なんだよね」
「………………まあ、な」
イルクは困ったように笑った。
「……俺の、そうだな。初恋の人が、教えてくれた術なんだ。……もう、俺しか使えない」
「……その、初恋の人って」
「………………まあ、察しのとおりだよ」
イルクはそう言うと寂しげな顔を浮かべた。
聞かれずともわかる。
その初恋の人は、亡くなってるんだ。
ああ、やっぱりだ。
話しているときのイルクの雰囲気が全然違ったんだ。
淡々としていて、静かで、声に圧があった。
それでいて懐かしむように、
眩しいものを見るような目で遠くを見ていた。
何でも教えてくれるイルクが、
<蒼仙法>だけはずっと教えず、秘密にしていた。
なのに、教えるときはすごく丁寧に、
緩い雰囲気すら捨て去って僕に教えてくれた。
理由は一つ。<蒼仙法>は、イルクにとって大切は思い出で、何より大事な物だったんだ。
「ご、ごめんね! 僕、変な勘違いしちゃってた。僕みたいなぽっと出の名ばかり王子が、イルクの大切なものに勝手に踏み入ってごめん」
深々と頭を下げる。
「そうだよね、イルクにとって大切なものだもんね。出来損ないで、ごめん。勘違いして、舞い上がっちゃった。お役に立とうって思ってたのに、迷惑かけちゃった。ごめん、ごめんなさい」
僕は、イルクの思い出に土足で踏み入ってしまったんだ。
褒めてほしいという自分本意な気持ちで、
イルクの心の大切な部分に遠慮せずに踏み荒らしてしまったんだ。
「<蒼仙法>のことは、もう忘れる。もう、使わないようにするから。今日はわざわざ僕のために時間作ってもらっちゃってごめん。そうだよね、僕なんかがこんなことしたって意味ないよね。ごめん。今日は僕、部屋に――」
眦に浮かんだ熱いものは、決して流すまい。
身体ごとイルクから反転して、自分の部屋へと戻る。
「――『敬意』が足りないな」
戻る前に、イルクの平坦な声が耳に届いた。
その声に身体が硬直する。
「そう、『敬意』だ。エディンには、『敬意』が決定的に欠けている」
淡々と、理解できないことをイルクは並べ立てていく。
何を言っているかは全くわからない。
ただ、わかることは一つ。
「『敬意』が、まるで足りてない」
イルクが、凄く怒っている。
「忘れる? 何言ってんだ。俺はそんなペラッペラの気遣いのために、<蒼仙法>を、俺の半身を教えたつもりはないよ。エディン」
長い腕を伸ばし、イルクが緩やかに立ち上がった僕を椅子に座らせる。
「……はい」
後ろを向く。
能面のように感情のない、無の表情がそこにあった。
「イルク……、その、僕は」
「エディン。俺は反論も言い訳も聞いてない。エディンは『敬意なら十分ある』って言いたいんだろうが、俺が言いたいのはそうじゃない」
イルクが椅子に深々と腰掛け、指を組んで僕を見詰める。
「俺への敬意が足りてないんじゃない。エディン、お前だ。お前自身へ向けてる『敬意』が足りてないんだ」
「敬意……?」
僕が、僕に向ける敬意……。
「そうだ。『敬意』だ。自分の努力とセンス、成果に対する『敬意』がまるで足りてない」
イルクは動かない。
不動の石像のように座っている。
焦げそうなほど強い目つきで僕を見詰めてくる。
「自分への『敬意』がないからそんなことを言うんだ。『誇り』がないからそんな風に自分と周囲を貶められるんだ」
「…………」
何も言えなかった。
『敬意』も、『誇り』も。
二つとも、自分の中には無い。
寒くなるくらい空っぽな心が、ずっと僕の腹の底にあるだけ。
「『誇り』とは、自分の成した成果と行動に『敬意』を払い、前へ進む人の意志と尊厳だ。『敬意』とは、何かを認め、賞賛する心構えだ」
「エディンは謙遜しているつもりなんだろう。遠慮しているつもりなんだろう。だけどな、それは違うんだ」
イルクは眉間に皺を寄せ、眦を吊り上げる。
「エディンのやっていることは『卑屈』だ。
負け犬のやる、何も無い雑魚が当たり前のように勝者に道を譲る、負け犬根性だ。そんなものを向けられて誰が嬉しいよ」
「『謙遜』とはな。自他ともに優と認められた者が『敬意』を示すために道を譲る、真の強者がやる行為だ。『誇り』を持って初めて『謙遜』に意味を持つ。『卑屈』と『謙遜』は全く違う」
「卑屈と謙遜は、全く違う……」
「そうだ。そして、俺はそんなエディンを見ていると本当に腹が立つ」
イルクは大きくため息をつき、ガジガジと自分の頭を掻きながら僕を見る。
「どうして、エディンはもっと自分を認めてやらないんだ。どうして、自分を責める方向にばかり熱心なんだ」
「…………」
何も、何も答えられない。
僕はイルクの言葉に、何も――。
「俺の半身たる<蒼仙法>を半分も会得した、出来のいい
答えられなかった。
ぐじゃぐしゃになった顔を向けられなくて、変に上ずった声を聞かれたくなくて。
情けない面を、見せたくなくて。
僕は。
「泣いていいんだよ、エディン。大っぴらに泣いちまえ」
「俺は、ちゃんと受け止めてやるから」
僕は……!
「僕、僕……! ずっと、ずっと、東塔で閉じ込められてて……! ずっと、悪魔だって……! 誰も、僕を無かったことにして……! 一人で、認めて、認めてくれなくて……! 褒めてくれなくて……! ぜんぜん、許してくれなくて……!」
もう、涙が止まらなかった。
イルクの常が顔に当たる。
いつもみたいに乱雑にじゃなくて、優しく頭を撫でる大きな掌。
「――ああ、わかってるよ。そうだよな。辛かったよな。しんどかったよな。ごめんな、意地悪なことばっか言ってな」
それが、どうしようもなく温かくて。
涙が、止まってくれなくて。
ずっと、僕は泣き続けていた。
※※※
時は過ぎ去り、夜行。
航海は極めて順調であり、
エディンも寝静まる夜の
元気にして、どうしようもない孤独を飼っている少年が泣きつかれ、今も眠り続けている夜の【赤戦神艦】。
「――ふう……」
その艦橋に、一人の男のため息が響いた。
「……全く。ひでえ話だ」
艦の主、イルクは一人ごちる。
その表情は常のものではなく。怒りと乱雑な野生に満ちた荒々しい表情であった。
エディンとの出会いは、今でも夢に出る。
あれはたまの休暇。東太洋を【赤戦神艦】で航海していた時に現れた、突然の嵐。
深海すら踏破できるこの艦であっても航行不能になり、
大破するほどの雷雲に、なす術無く墜落させられた。
外壁に自分は叩きつけられ、【赤戦神艦】は自己修復のため亜空間倉庫へ自動格納された。
死の淵を彷徨う最中。
『――大丈夫?』
今度こそだめだ、と思っていたあの時、
いっぱいの水と蘇生行動を取ってくれた少年。
今は亡き、我が師匠。
我が最愛の女■と似た雰囲気を持つ、あの青い瞳。
今度こそは護らねば。導かねばならないと決めた少年の、
涙はイルクと言う男の胸をどうしようもなくかき乱していた。
彼は今、どうしようもなく怒っていた。
エディンの涙。滅多なことでは泣くことも、
苦悶の声を漏らすことも無い弟分の、引き裂かれるような慟哭がどうしようもなく、彼の心を怒りに狂わせていた。
「……いっそ、灰に変えせばよかったか?」
イルクはリステリアを想起し、忌々しげに吐き捨てる。
あの国は胡散臭い。
【赤戦神艦】でも越えるのがやっとな、異常な嵐。
蒼輝水と言う、聞いたことのない神秘の物質。
エディンを殺すではなく、
(処刑、と言うよりは封印が近いか)
イルクはため息を漏らし、髪を後ろへなでつける。
何がどうあれ、ろくでもない国家であると思いながらも考察に耽る。
(エディンの封印にこだわっていた割には、エディンへの追跡も淡白だった)
イルクは己の思考を回す。
(追跡はほとんどなし。文明が停滞してるとはいえ、封印してる)
追跡がぬるかった。
塔を破壊したあとの、【赤戦神艦】への追撃もほとんどなかった。
いや、抵抗らしい抵抗はあった。
しかし、艦を沈めるほどのものでも、傷をつける程のものでもない。
魔法の文明レベルからして、さほどの脅威でもない。
灰燼に帰すのは簡単な話だ。
「だけどやるわけには行かねぇよなぁ」
【赤戦神艦】――。否、イルクが武装して暴れまわれば、リステリアなど一夜とかからず嵐の果てに沈めることができる。
エディンの思い――。それでも国を護りたいという思いを無駄にはしたくない。
故に実行することはないが、悔いとは矛盾の末に生まれるもの。
「ったく……、やっぱり世の中ってままならねぇや」
はあ、とイルクは溜息をつき、頭の後ろで手を組む。
「にしても……。どうしようかね」
イルクは纏わり付く怒りを振り払い、目下の問題に苦笑する。
問題とは即ち、エディンの潜在能力だ。
もともと、並々ならぬ天才であるとは理解していた。
最高クラスの魔導師がゴロゴロいたイルクの実家でも、
三の齢で魔法を使い始めた子供など聞いたことがない。
だが、エディンの潜在能力はイルクの認識の外にあった。
<蒼仙法>――。千年の時を経て修行を重ねたとしても、凡人では指を掠めることすらできない神の御業。
それをエディンは十三の齢、それも<蒼仙法>に触れてから一日と経たずに奥義手前まで修得したのだ。
「俺が他の人間とは全く違うスタートラインだったとは言え、まさか教えるまでもなく一瞬で当時の俺を追い抜くとはなー。流石に凹むぜ」
イルクは誇らしげに笑いながら、目下の問題に頭を悩ませる。
「……いやぁ、流石にな……。俺だけで魔法を教えるの、手に余るわ……」
エディンは天才が過ぎる。
解析能力は去ることながら、人並外れた思考能力、理解力、そして修得速度。
戦闘思考や身体制御も群を抜いており、文字通りの規格外の天賦。
「武芸はともかく、魔法はな……。俺が教えられるのは理論と知識だけだからな……。それでもエディンは覚えられるんだろうが、偏りが酷くなるしなぁ」
イルクは頭を悩ませ、大きなため息をついた。
「しゃあねえか。本当に嫌だが、あいつに頼ろう」
「あのイカレポンチ。世界指名手配を食らった最悪の魔法師」
イルクの脳裏に宿るのは一人の少年。
ふてぶてしく、忌々しい。しかし、魔法となるとこれほど頼りになるのはとある人物――。
育ての母たる<翼ある蛇>を除けば、最も頼りになる悪友。
「人類史最大魔力。【魔神】リモル・ケッツァーに」
青年は静かにため息を漏らし、通話用魔導具に手を掛けた。