競売当日の朝。
澄み切った青空の下、潮風とは別に、焼けた醤油の香りが漂う。
朝日が燦々と砂浜を照らしていて、潮風が少しべたつく。春先だというのに、汗が僅かに湧き出る暑さ。
海辺にはいくつもの屋台が軒を連ね、香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
僕は群青色の着流しに身を包み、大きな木にもたれかかっていた。
人を待っている。待ち合わせより十五分ほど早く着いていた。あまり人を待たせたくはないからね。
しかし、暇だ。
腰に佩いた刀が魔力を吸い、独特の刃鳴りを起こす。
競売会場に並んでいる人たちも、楽しそうに順番を待っている。
「ふンむ……」
先頭に立っているのは、やたら着飾ったコレトーさんだった。
青いワンピースに、翼ある蛇を象った銀のネックレスや指輪などを身につけ、堂々としている。
黙っていれば美少女。
口を開けばコレトーさんだ。ありがたいことに、遠目で見ている分には美少女として認識できる。
なんて馬鹿なことを考えていたら、視界の端から赤髪の少女が真っすぐこちらへ向かってきた。
「エディン!」
僕を呼ぶ溌剌とした声。
リリアだ。髪を珍しく結っている。化粧も薄く施していて、普段とは印象が違う。
青い浴衣を着ている。僕の青い着流しとお揃いだ。
「おおー!リリア、とってもきれい!お花みたいでかわいいよ!」
まるで深窓のお姫様って感じ。
普段の勝ち気な女剣士の雰囲気とは全く違う。
通りかかる人が思わず振り返ってしまうような、息を呑むほどの可憐さがあった。
事実、さっき競売会場に並んでいた人たちも、リリアを振り返っていたし。
「………………そ、アリガト」
リリアがそっぽを向いて言った。
三つ編みにした赤髪を指で擦り合わせ、耳に髪をかける。
髪と同じくらい、耳が真っ赤になっていた。
隠すものじゃないだろうに。顔が赤くなることくらい、誰にでもあると思うのにな。
「待った?」
視線を海辺に向けたまま、リリアが聞いてくる。
「いや、僕も今来たところだよ。着流しの着付けに戸惑ってね。見てよ、リリア。すっごいひらひら!着やすいし、これもいいね!」
ひらりと自分の着流しをリリアに見せる。
しかし、この着流しってやつ、いいな。リーリエさんからもらったものだけど、着心地がいい。
程よい隙間から風が入り、防寒の術式も刻まれているから、涼しいのに寒くない。
「そ。……エディンのも、よく似合ってるわ」
消え入りそうなほど、か細い声。
リリアは盗み見るように僕を見ながら、腰に佩いた宝剣の柄に指を下ろす。
深紅の宝剣は、おしゃれをしていても帯剣したままか。
今の格好から考えると浮きそうなものなのに、リリアの青い装いと合わさると、それすらもアクセントになっていた。
「じゃ」
潮風で少し崩れ始めた髪型を直し、
「行こうか。リリア」
いまだ顔を赤くしたままのリリアへ、手を差し伸べた。
「うん」
リリアは僅かに赤い頬のまま、僕の手を取る。
「エスコート、してくれる?」
僕より僅かに背の高い彼女が、少しだけ声を張った。
「もちろん」
ぎゅっと、その手を握る。
「お姫様」
剣を握っているとは思えないほど柔らかい、女性らしい手を握り直す。
白く、柔らかい真珠のような手に朱が差した。
※※※
「へい、いらっしゃい!塩キュウリ、塩キュウリだよ!」
「いかがです?マグロの串焼き、玉カステラ!」
「冷やし麺~!りんご飴もあるよ!」
食の博覧会だった。
ソースと醤油の焦げつく香り。甘い菓子の香り。焼いた魚の匂いが混じり、腹の虫が盛大に鳴った。
「リリア、リリア!あれ、おいしそうだよ!買ってくるね」
僕はリリアをその場に残し、りんご飴の屋台へ向かう。
「おじちゃん、りんご飴ふたつ」
「あいよ」
懐からりんご飴の代金を取り出し、おじさんに渡す。
「いっこ」
リリアが割って入り、代わりにお金を置いた。
りんご飴一個分の代金。特殊な力が宿った銅貨が3枚、百五十テレスだ。
「おじさん。二個じゃなくて一個。その代わり、とびきり大きいのを頂戴」
「――あいよ」
屋台のおじさんが笑みを深める。
大ぶりのリンゴを手に取り、鍋で沸かした飴の中にくぐらせる。
「エディン」
「一緒に、食べよ?」
珍しい、上目遣いのお願いだった。
リリアの額には僅かな汗が滲んでいる。額だけでなく、首筋にも玉のような汗が浮かんでいた。
普段なら揺れない宝剣が小刻みに揺れ、安定していた体幹に僅かな歪みが生まれていた。
「いいよ!じゃあ、ほかにも買って、あそこの岩の上で食べよっか!」
その答えは、言うまでもないものだった。
※※※
「いや~、いろいろ買ってたら時間経っちゃったね」
選んだのは、ごつごつとした岩場。
程よく人が少なく、声をかけられることもなさそうな場所だ。
リリアは、女の子として声をかけられることをあまり好んでいない。
だが、リリアは美人さんだし、声をかけられることも多い。
いちいちじろじろ見られながら食べるのは、彼女も落ち着かないだろう。
「よっと」
りんご飴や焼きそば、小さな寿司などを《統巡》で空に浮かせたまま、リリアの手を取り、腰に手を回して岩場の上へ持ち上げる。
「あ…………」
リリアが小さな声を漏らした。
ちょっと力が強すぎたかな。
「うん。やっぱり座るにはいい場所だね」
《蒼眼》で周囲を視回し、頷く。
肉眼でも僅かに島が見える。海もきれいだ。日は西へ傾き始め、夕日とまではいかない午後の太陽が白波を照らしている。
「さ、リリア。座って座って」
僕は岩場へ腰を落ち着かせ、すぐ隣を手で叩いて誘う。
「うん……」
どこかしおらしい態度のリリアが、僕の隣に腰かける。
――《統巡》、起動。
「わっ」
リリアの口から、珍しい声が飛び出た。
彼女は今、空気椅子のような体勢になっている。しかし、実際には僕が《統巡》で彼女を軽く浮かせ、椅子代わりにしていた。
せっかくきれいな格好をしているんだ。
それを岩で汚すような真似をしたら、もったいない。
「どうぞ」
僕はいたずらっぽく笑い、リリアにりんご飴を差し出す。
「もう……」
リリアは耳に髪をかけ、そっぽを向いてりんご飴を受け取った。
「バカ」
突然の罵倒。
しかし、小さく柔らかい声で言いながら、りんご飴をかじった。
僕も拳大の寿司を口に運ぶ。
一口では入りきらなさそうだ。少し顎の関節をいじり、可動域を広げて一口で頬張る。
魚の脂と米酢。塗られた焦がし醤油の塩味が、口の中に広がる。
噛めば噛むほど旨味と甘味が増し、魚の臭みを酢飯が中和してくれる。
うまい。
「にしても、会場はうまくいってるかな」
会場へ《蒼眼》の焦点を合わせれば、上空には数多の式神の姿があった。
鋭い爪を持った赤鉄色の大熊。
会場を覆うほどの巨大な龍。
太陽の影を纏う三つ足の鴉。
僕たちは今日、リーリエさんから暇を出された。
曰く、会場は式神を使って警護するからとのこと。僕たちには、明日以降に備えて英気を養ってほしいと依頼が出た。
一応、依頼のお金をもらっているんだ。
抗議もしたんだけどね。
そのときに、
『そうだね。エディン君が……【勇者】がここにいてくれるってことが、大切なのさ。詳しい事情は言えないんだ。今日と明日の休みは、その罪滅ぼしと思っておくれよ』
と言って、それなりのお金と休みをもらった。
おかげで、明日もやることなしだ。
「うまくいっているでしょう。アルターもいるんだし」
りんご飴をかじりながら、リリアがつまらなさそうに語った。
アルターだけは今日、ここへ来なかった。
黄金競売で仕事をしている。何を言っても、頑として動かなかった。
リーリエさんからも言ってほしかったんだけど、
『え、やだよ。此もわざわざ馬に蹴られに行く理由がないし』
とのことだった。
馬に蹴られるって何だ。
馬なんかここにいないから、たぶん僕の知らないことわざの類だろう。
あとで調べてみるか。
「エディン」
リリアがりんご飴を僕に差し出した。
一口かじった方を向けている。彼女の頬は赤くなっていて、少し元気がないように見える。
「いいの?」
「半分こするって、約束だったから」
リリアは少し顔を背け、軽く顎をこちらへ振る。
早く食べろ。言外にそう言われた気がした。
「いただきます」
感謝を込めて、かじられた側のりんご飴に歯を立てる。
「あ……」
リリアが、何かを気にするような声を漏らした。
それを気にせず、りんご飴をかじり取る。
飴の硬い食感。
飴が体温で溶ける。リンゴの瑞々しい酸味と甘さが口の中に広がり、リンゴ特有の酸っぱい香りが鼻を突き抜けた。
「うん!美味しい!リリアもどうぞ!」
リリアにりんご飴を渡したが、俯いたままだ。
僅かに肩が震えている。《蒼眼》でリリアの顔を見ると、顔がリンゴよりも真っ赤だった。目が熱で潤み、泣きそうになっている。
「リリア!?だいじょうぶっ?」
こうしちゃいられない。
《蒼眼》でリリアの体内を観測。
――病気ではない。だが、脈拍が激しく、呼吸が浅くなっていた。
俯いている顔を上げさせ、額と額をくっつける。
「~~~!?」
「うん。体温は高いけど、熱はなさそうだ」
リリアは目を白黒させているが、それどころではない。
懐から手拭いを出し、水の魔法陣を描く。手拭いを水で濡らし、リリアの額に当てる。
「……これでよし、っと。だいじょうぶ?宿に帰る?」
ふるふると、リリアは首を横に振った。
「……りんご飴」
「食べる?」
リリアは首を縦に振った。
「どうぞ」
僕はリリアの汗を手拭いで拭きながら、りんご飴を食べさせる。
食べさせる向きはもちろん、僕が食べたのとは逆の方向。リリアはりんご飴が好きっぽいから、たくさんある方が喜ばれるだろう。
「アリガト……」
消え入るような声で僕に礼を言いながら、リリアがりんご飴の棒をひったくる。
「ん……っ!」
反転させて、僕がかじった方を食べた。
「えへへ」
リリアは真っ赤な顔で、悪ガキのように笑う。
その姿が、とても鮮やかで。
とてもかわいらしくて、リリアらしくて。
「……っ」
なぜか、胸がどくんと高鳴った。
『――二十億!黄金千キロを、ドール氏が現金一括で落札しました!!』
会場から大きな声が木霊する。
アルターの声だ。音量を最大にしたのだろう。水陰村の全域に、彼女の声が響いた。
どうやらドールさん……コレトーさんが、黄金を落札したようだ。
《蒼眼》で視れば、思い切りガッツポーズを決めているコレトーさんの姿があった。
『これにて競売は終了!これより、リーリエ・アモン氏の余興により、夜を呼びます!』
《蒼眼》で視てみると、会場の中心にはリーリエさんが立っていた。
彼女はいつも通りの不敵な笑みを浮かべている。珍しく指先に魔力を集わせ、黒い翼蛇の紋様を宙に描いた。
黒い、夜の蛇。
そこには、信じられないほど莫大な魔力が込められていた。
おそらく、僕の魔力総量の半分以上。
<
目が離せない。
リリアの肩を抱き寄せ、無意識に刀へ力を込める。
「<
瞬間、夜の蛇に黄金の法力がまとわりつき――。
夜が降りた。
天球を覆う闇が、太陽の光を遮る。
空に広がるのは西日ではなく、満天の星空。無窮の暗黒。
「【
リリアが腕の中で、ぼうっと呟いた。
「なに、アン――」
アンセムについて尋ねようとした、その瞬間。
光の龍が、海から空へ昇る。
ひゅるるる……と鏑矢のような音が海辺に響き、暗天の天頂へと昇り――。
火の華が、夜闇に咲いた。
赤い花。
イカリソウだ。
描かれた花は、五芒星のように放射状へ広がっている。
一段咲き、遅れて二段目が開いた。
それは、童話で読んだことのあるもの。
花火。
天に火の華を咲かせる、この国の風物詩。
何かが燃えたような、焦げた香りが海に広がる。
「す――」
すごい。
そう言おうとした声も、次の花火にかき消された。
どん、と咲くのは黄色い花。
船の上から、空へ向かって大輪の花を咲かせていく。
「すごい、すごい!リリア、リリア!」
声をかき消されないように、リリアの近くで声を張る。
「きれいだね!」
振り返ったとき、リリアは花火を見ていなかった。
僕だ。
紺碧の瞳は、花火ではなく僕を見ている。
目が合った。
彼女の目は、真っすぐ僕を見つめていて。
花火を背景に、はしゃいでいる僕を見つめていて。
「ええ」
「とっても、きれいだわ」
その瞳に映る僕は、僕のものとは思えないほどきれいで。
次の花火の音が、聞こえなかった。