アプレ・ラプルイの朝日〜聖劍と王冠、ヤンヘラ女神の御名において〜 作:鹿鳴弥
偽りの夜に花火が轟く水陰村。
そこには普段とは違い、開放的に祭りを楽しむ村人たちがいた。
その遥か先。
ログマたちが過ごしていた拠点の廃墟に、密やかな声が木霊していた。
「遅かったではないか」
しわがれた重い声が響く。
発声の主は三つ目に角が生えた、執事服の壮年。
魔族の元大将軍。イルゲルム。
「そうですよぉ。ユーは計画の要なのですよぉ?その意識をはっきりと持っていただきたいのですがぁ」
軽薄な調子の声。
発声の主は青髪赤目。貴族然とした衣装の上に、黒衣を纏った男。
秘密結社<アリウスの梯子>所属、リューリュ・ヴェティ。
「………………」
その彼らと相対しているのは、手足の生えたマグロ。
御簾籠りの奇人、ランニングマグロのログマ。
ログマは皿のような瞳を尖らせ、ありったけの殺意をふたりにぶつけていた。
その拳は力強く握られており、腕には青筋が浮いていた。
「おんやぁ?いいのですか、ミー達にそんな態度を取ってぇ」
リューリュはちっち、と指を振る。目を弓なりに細め、いやらしい笑みを浮かべながらログマの肩を叩く。
「ユーの同胞が、どうなってもいいのですかぁ?」
ログマの肩が大きく揺れる。
「ユーはミーに泣きついてきた立場でしょぅ?仲間を元に戻してほしいと。そのためならなんでもすると」
彼は握り拳を作ったまま、リューリュを睨みつける。
「いやあ、傑作でしたよぅ。ユーの同胞を魔物に変えた敵であるミー達に、仲間を元に戻してほしいと言ったあの時のあなたの顔!写影機を買っておくべきでしたねえ!」
リューリュはログマの周りを歩き回る。彼の神経を逆撫でする言葉を選び、責め立てるように彼を嗤っていた。
「それで」
しわがれた声がリューリュを遮る。三つ目が一斉に蠢き、ログマに視線を向けた。
「密偵としての仕事を果たしたか」
淡々とイルゲルムはログマに声をかける。
鬼のような男から発せられる圧が、さらに増した。威圧がログマの肌を刺すように覆い、嘘偽りを許さず、有無を言わせない力となって彼を硬直させる。
「………………っ」
ログマの肩が僅かに震える。乾いた唇を鋭い歯で噛み締めたせいで、血が溢れてきていた。
ログマは何度も息を吸い、呼吸を整え。
「否定。ワタシは、金輪際、あなたたちには協力しません。ワタシは、人の側につきます」
彼は鋭い視線を保ったまま、イルゲルムを睨む。
「――ほう」
イルゲルムは否定とも肯定とも取れない返事を返した。
視線は鋭いまま。しかし、その目には僅かな驚きの色が含まれていた。
「いや。いやいやいや」
対するリューリュは当惑したように声を上げた。
「それは今更ぁ、虫が良すぎる話でしょぉ?ユーは何度ミー達に人間の情報を送ってきたと思っているのですかぁ?」
海水で湿気た髪を櫛で整えながら、リューリュは眉を歪める。
その理解不能な返答に、彼の軽薄な顔には常ならぬ感情が刻まれていた。
「そもそ――」
一閃。
リューリュの言葉を遮るように振り抜かれた両刃槍が、遺跡の壁に斬撃の痕跡を刻み込んだ。
何度か両刃槍を回転させ、地面に突き刺す。
「理由を、言ってみろ」
低い、嗄れ声がログマを威圧する。
大気をびりびりと震わせ、気温を一気に下げた。
イルゲルムの姿が陽炎のように揺らぐ。
それは威圧であった。威嚇であり、その覇気のすべてがログマひとりに注ぎ込まれた。
「…………仲間。仲間が、できたからです」
ログマは浅い息を吐く喉に力を込めて、イルゲルムに相対する。
「ワタシはログマ。誇り高き【勇者】の友である、ランニングマグロ族の治癒術師。彼の友であるワタシが、人を襲う手助けなど、もうできるはずがありません!」
震えた声に、熱い決意を乗せる。
威圧の前に今にも消えるような、凍えてしまいそうな決意。彼一人ならば、きっと怯えて動けなかった。言い出すこともできなかった。
『一緒に、イルゲルムをぶっ倒そう』
友人の言葉が。寄り添ってくれた恩人の言葉が、凍えそうなログマの心に勇気の熱を与えてくれる。
自分の醜さを知りながら、それでもと手を取ってくれた。
彼の期待に、応えたい。
その一心が、怖気づくログマの踏み出す一歩となっていた。
「――なるほど。エディンの影響か」
イルゲルムが小さく呟く。
ログマの心象を見透かすような言葉であった。ログマの肩が僅かに跳ね、指先に力が入った。
「確かに、あやつは我が倒すに相応しい傑物だ。事実、我が影御體を倒したのは奴だ。が」
地面に突き刺していた刃を引き抜く。
両刃槍をログマの瞼に当て、僅かに刃を引く。ログマの目の上から、一滴の血が溢れた。
「その上で言ってやろう。勝つのは我だ。
お前が裏切るというのならば、お前を殺し、すぐにでも冥府へ送ってくれる。
そうなれば、お前の同胞はすべて魔物として我らに使い潰す。お前との義理とて、果たす必要がない」
イルゲルムは淡々と続ける。
「我らを倒した後、仲間である魔物化したランニングマグロをどうするか、考えているのか」
「エディンならばそれを裏切ることはないだろうが、エディン以外はどうだ。エディンがいなければ、お前は受け入れてすらもらえなかった」
「そして、今まで散々人に被害を出したランニングマグロであるお前が、人に受け入れてもらえるか?」
血が、ログマの目に入った。
どくどくと流れる血が熱い。触れている刃が夜風のように冷たい。語る合理が、どこまでも強い。
その熱さが怯えた心を奮い立たせ、冷たさがログマの勇気を萎びさせる。
「……否定。それでも、エディンは」
拳を握り締め、イルゲルムを睨み返す。
「エディンなら、必ずあなた達を打倒して、同胞を救ってくれる!きっと、必ず!」
ログマが咆える。
万感を込めて、イルゲルムに対峙する。
愚かだ、とログマは思っていた。自分の種族の問題を、友一人に丸投げする無責任な行為であると理解していた。
馬鹿げていても、どんなに愚かな行為であろうとも。
イルゲルムと対峙するのなら、エディンの味方となるのならば。
彼の隣で戦うと決めたのならば。
恐ろしくても、馬鹿げていても、絶縁状を叩きつけるケジメがログマには必要だった。
ログマは目の前が白み始めたのも気にせず、イルゲルムを睨む。
(友を、恩人を裏切ったままで居続けるよりは、マシです)
「………………」
イルゲルムは刃をログマの瞼に当てたまま、僅かに目を細める。その紅い瞳に浮かぶ感情は窺い知れない。
「そう、か」
イルゲルムは何かを言おうとするリューリュの口を影で縛り、ログマを見下ろす。
「道理すら弁えぬ愚か者め。貴様など、殺す価値もない」
刃を下ろし、イルゲルムは吐き捨てる。
「消えよ。どこへなりとも行くがいい」
イルゲルムはログマに背を向けた。
「……っ!」
ログマは何も言わず、弾かれたように走り出した。
海の上を走り、脇目も振らずに駆けた彼の姿は、夜の中に溶けていった。
「……困りますよぉ、閣下。手駒を勝手に減らされては」
「ふん。よく言う」
イルゲルムは夜に消えたログマの背を正確に捉え、両刃槍を影に飲ませる。
リューリュへ振り向き、冷たい眼光を向けた。
「アルフェウスさえ復活させればよい。さすれば、奴の身体に紐づけられた封印も消え、邪神どもが現世に満ちるだろう」
「そして、閣下の大望。
リューリュはため息を吐き、腰に手を当てた。
(まあ、構いませんがねぇ)
リューリュは怪しく心中で笑い、懐に忍ばせた符へ意識を向ける。
(ログマ君。イルゲルム閣下ぁ。
ユー達の目論見がそんなに上手くいくと、本気で思っているのですかねぇ)
彼は内心の笑いを表に出すことなく、静かに嗤う。
想定外のこれも、許容範囲内。
いまだすべては、彼の掌の上なのだから。
※※※
<荒神祭>当日の朝。
僕、エディン・イラ・リステリアは水陰村を出て、【出雲】へやってきていた。
【出雲】にはたくさんの出店が並んでいる。水飴の甘い香り、魚の焼ける香り、射的の的が打ち抜かれる音、喧騒の熱が肌や耳に、鼻に伝わってくる。
「すごい人だね」
人が大通りにごった返していた。
武士が喧騒に眉を顰めながら歩き、村人たちが浮かれた様子で騒いでいる。商人が声を張り上げ、職人が屋台で武器や鉄を喧伝する。
「――そうね」
リリアは悠然とした態度で、ほんの少し朱が差した頬を隠すように笑った。
その熱気は、昨日の競売とは比べものにならない。
あちらこちらの街角から人の熱気が噴き出し、人の熱と香り、活動で空気が薄くなっていた。
これじゃ、はぐれないようにするのも一苦労。
リリアやアルター、なんだか疲れた様子のログマを魔力の線で繋ぎ、はぐれてもすぐ分かるようにしていた。
コレトーさんはいない。
というか、部屋から出てきていない。昨日の競売での武勇伝をお嬢様言葉で喋り倒しながら、黄金の山を見て涎を垂らしていた。
今日も食べ歩きをしたいところだが、それはほどほどに。
一応、今日は護衛任務。今の服装は着流しのままだ。リーリエさんから休んでいていいと言われたけど、お給金をもらっているからには、そういうわけにはいかない。
「もうそろそろだね」
《蒼眼》で空を見上げる。
天まで伸びる五本の護摩壇。尖塔のような祭壇の天辺には、すでに炎が灯っていた。
そこへ、陰陽師たちが大幣を振り回し、何やら呪文を唱えていた。
同時並行で周囲を視ながら、組まれていく<荒神祭>の術式を頭の中に刻み込んでいく。
(ほむ。今は気圧の操作か。上空に冷たい風と温かい湿った風が混ざり始めてる。少しずつ、雲を呼んでいるんだな)
ちょん、ちょん。
《蒼眼》に反応があった。アルターがリリアのことを肘でつついている。
む、何か見つけたのかな。リリアとアルターの会話に耳を傾ける。
『リリア、リリア。昨日はどうだったのです?エディンとどこまでいったのです?』
何かと思えば、昨日の話。<荒神祭>での二人きりの買い物についてだった。
『どうもこうも……ご飯を分け合ったわよ』
『エッ……!それって間接キ――』
『しーっ!アルター、お黙り!エディンも聞いているのよ!?』
顔を真っ赤にしたリリアが、アルターの口を塞いだ。
ほむ……。間接キってなんだ?関節を動かしやすくするものかな。ストレッチ的な?
なんでご飯でそうなるんだろう。イルクに聞いてみるか。
『それで、その後は?押し倒したり押し倒されたり、海の上で熱いヴェーゼの夜を……』
「過ごしたわけないでしょう!?」
リリアが大きな声を出した。
一瞬、周囲の視線がリリアのもとへ集まる。視線の先へ一歩出て、周囲へにこやかに頭を下げれば、視線は自然と散った。
「どうしたの。関節でそんなに騒ぐことないでしょ」
「んな!?」
リリアの目が大きく見開かれた。
「え、エディンはそんなに手慣れているのです……?」
アルターが恐る恐るといった様子で聞いてくる。
ふふん。ストレッチは得意なんだ。筋肉を柔らかくするのは急務だったからね。リリアほどではないだろうけど、手が爪先より下につくくらいのもの。
「もちろん。回数は百を超えるよ」
「百!?」
「リリアもそれくらいしてるでしょ」
「してるわけないでしょう!?」
リリアが顔を真っ赤にしていた。
「起きた後にもするね」
「あ、朝に!?」
「するなら朝と寝る前でしょ。みんなとしてみたいかも。楽しそうだよね」
「嫌よ!!!」
リリアが声を大きくして否定してきた。
む、そんなに嫌がるものかな。
手団扇で顔を扇ぎながら慌てふためくリリアをよそに、アルターが口をへの字にして腕を組んでいた。
「質問なのです。エディン、それって何の話なのです?」
「何って……」
「ストレッチの話でしょ?」
沈黙の亀裂が走った。
リリアの顔が引きつり、アルターが頭に手を当てていた。
「な、なんだよう。すごい物言いたげな顔するじゃん」
「エディン、この場合の間接キスっていうのはですね……」
アルターが耳打ちをしてくれる。
ほむほむ。…………ほむ。間接キス。食べ物を経由したキス、と……。
「…………………………ごめん、リリア。ストレッチのことだと思ってた」
……しまった。そういうことか。
顔が熱い。僕は無意識に、とんでもなく恥ずかしい行為をしでかしていたんじゃないか?
失念していた。女の子は普通、そういう接触に敏感なんだ。
そういう意図を全く想定していなかった。そうか、間接キス。そういう概念もあるのか。
考えれば考えるほど、身体が熱くなる。
「~~~!バカ、ばーかっ!!」
リリアが顔を真っ赤にして、そっぽを向いた。
「はあああ……。イルク、いったいエディンの情操教育で何を教えていたのですか………………」
アルターが思い切り頭を抱え、大きなため息を吐いていた。
「考察。エディンの幼少期から察するに、女性に興味を持つ余裕がなかったのでは?」
人の姿に化けたログマが小さく語る。
……興味、興味か。僕にはない思考を教えてくれるから、女性の自由さと奥深さには興味があるんだけど……。
言い訳じみた思考を打ち切り、ログマに視線を戻す。
その声に、いつものような元気さがない。弱々しく、声に僅かな乱れがあった。
「……ログマ、しんどいのなら無理しなくていいよ?どこか、休めそうなところを探そう?」
ぴく、とリリアが反応した。
恥ずかしがっていた顔から一転。訝しむような視線に変わり、目を心配そうに細めた。
「大丈夫?無理そうなら、庵に帰った方がいいわよ」
「エディンとリリアの言う通りなのです。何事もほどほどが一番なのです」
リリアとアルターが口を揃えてログマに声をかける。
《蒼眼》で偽装を越えてログマの顔を見ても、血色の悪そうな顔色になっていた。
「平気。大丈夫です。ワタシのことは気にしないでください」
ログマはそう言いながら、血の気が引きかけた顔に力を込め、不格好に笑う。
その様を見て、黙っていられるほど僕は人間ができていなかった。
《流月》の制御を外し、《蒼眼》の知覚範囲を拡張。
ログマの体内はおろか、魔力、霊魂情報、思考までも読もうとし――。
『皆さん、お待たせいたしました』
『これより、応明十八年度の<諸天教法・荒神祭>を開始いたします』
<荒神祭>のアナウンスが、僕の意識を縫い留めた。
※※※
青い魔力が円を描く。
《蒼眼》で視る魔力ではない。肉眼でも見られるほどに圧縮された魔力が、光の円となっている。
『高天原に坐し坐して、天地を
我らが祈りを聞こし召し、我らが願いを聞き給え』
祝詞が五本の護摩壇より輪唱される。
黒い柱のような壇より光が走り、天に浮かぶ光の円へ伸びる。
光の円帯が回転する。青白い円帯が収縮し、太陽の周りを周遊する。太陽の光が円によって乱反射し、太陽光そのものが魔法文字へ変わっていく。
『ここに我ら、四海の御祖の神たる竜祖神に、十種の萬象を捧げん』
護摩壇に坐す複数の陰陽師たちが汗を流し、一切の乱れのない祝詞を重ねながら、形代を天へと放る。
人の形代――。陰陽道の符が複数の式神を解き放ち、天へ躍らせる。
浮かんだ式神は十以上。
巨大な牙を持つイノシシ、炎の蹄を持つ馬、相貌の山羊、風を纏う鬼……。
それら一つ一つに、黄金の炎が灯る。
焼き切られた式神は光の粒子となり、天円に吸い込まれていく。
『戒めの雨よ、一切衆生の罪穢れを禊ぎ祓い給ひ、萬象の厄災を速やかに祓い、清め給え』
天の巨大な円に、五芒星の陣が刻まれる。
それは風を呼んだ。ごう、と吹き荒れた上空の風が道を作る。
彼方で渦巻いていた積乱雲が招かれ、螺旋を描きながら太陽の光帯を覆った。
快晴の空が、曇天の影に覆われた。
『しかして天球の理も、御祖の御許へと納め給へと、祈願し奉る』
雲が揺れ動く。
流雲が形を作り、稲光を発しながら蠢く。
雲が、魔法陣となった。
形は五芒星。快晴に刻まれていた魔法陣と同じ形のものだ。風が経絡を作り、稲妻が雲に溜め置かれる。
「すごい…………」
どこかの、誰かが漏らした声が響く。
皆、空を見上げていた。体調の悪そうなログマでさえ、天変地異の大儀式へと視線を吸い上げられていた。
護摩壇の上の陰陽師たちが脂汗を流しながら魔力を練り上げ、大幣と塩を炎へ向けて振るう。
『此の由を聞こし召し、御霊のうちに念じ奉る。
悪鬼悉く退き、
護摩壇より、七色の魔力が立ち上った。
それは雲の経絡を通り、風雲に聖性が灯るのが視えた。
大幣を振っていた陰陽師たちが一斉に印を結び、同時に締めの祝詞を唱える。
『――急急如律令』
瞬間、虹色の雨が落ちてきた。
ぽつり、ぽつりと。少しずつ垂れるような雨が勢いを増し、小雨へ変わっていく。
暖かく、包み込むような雨だった。
体に触れているのに、全くべたつかない。衣服に触れた雨は溶けるように消え、一瞬で乾いていく。
何より、雨の香りがない。曇天の時に香る雨臭さがない、透き通った雨だ。
――気持ちいい。
これが、退魔の雨。
僕の纏う魔力を洗い流し、街に残った魔法や魔力も消えていく。
魔力が、流されていく……?
なら、ログマの隠蔽魔法は?
魔導具が<
急いで振り返った先には。
「エディン……」
人としての偽装が剥がれ、ランニングマグロの姿に戻った、ログマの姿があった。