漆黒の世界が広がっていた。
見渡す限りの闇。冷え込んだ夜のような鼻を刺す冷たい香り。
《蒼眼》で周囲を観察する。
俯瞰の視界も含め、すべての感度が良好。《蒼眼》を無効化するのは【聖劍宮】だけだったのかな。
入った途端、殺しに来るような迷宮ではない。
あるのは上下左右を満たす黒い影だけ。
「みんな、いる?」
確認の声を上げる。
《蒼眼》でも視えるが、一応だ。
「ええ」
「もちろんなのです」
「肯定。ここにいます」
「うん、いるよ。エディンくん」
「大丈夫だよ~」
全員が返事を返してくれた。
リモルさんだけが魔力の波を発生させ、僕の顔に浴びせてきた。
小さな【魔神】が指を鳴らす。
硬質な音が耳に届き、先頭に光が満たされる。
「測定完了~。輝鉱七種クラスの反応だね、こりゃ。
やっぱり、迷宮に封印されると相当ランク下がるんだね。
迷宮に力を奪われるからかな~?」
空間に何やら剣を刺し、柄頭が白色に光ったのを見てイルクが語る。
足元には黒いタイルが敷き詰められている。壁には紫色のステンドグラス。上には金色のシャンデリア。ろうそくには火がひとつも灯っていない。
――童話で読んだ魔王城みたいだ。
「エディン君、貴公の目ではどこに、どんな地形となっているのかね?
貴公の目と魔力探知の結果のすり合わせを取っておきたい」
リモルさんが魔力探知をかけながら髪を払い、前を睨む。
「――まっすぐ道なりです。その先の大扉の奥。
迷宮の主らしき存在がいます」
《蒼眼》で周囲を見回す。
魔物はこの一帯にはいない。だけど、この先の大広間に、大量の魔物の姿。
そして。
「体が崩れた、イルゲルムらしき存在が中央にたたずんでいます」
それはイルゲルムだったもの。
四足歩行の獣のように這いつくばり、影の触手を全身からまき散らして、広間の中央で立ち尽くしていた。
※※※
僕たちはそのまま、広間の中央に向かう。
硬く反発する床。鉄板を仕込んだ靴とタイルの床が硬い音を奏で、淡く浮いた光球が闇道を照らした。
最後の大扉。
その前に、僕らは横並びに並んだ。
「みんな。準備はいい?」
【天璽聖劍】を片手で握る。
聖劍は、思いのほか軽い。片手でも扱えるくらいの重量で、柄の握り心地もいい。
感触を確かめながら、全員に目を向ける。
全員が静かにうなずいた。
ある者は戦意を練り上げ、ある者は縛った力を解き放ち、ある者は魔力を練り上げていた。
そこに迷いなど、一切ない。
「じゃあ、開けるよ」
みんなに背を向ける。
内開き、木製の大扉。僕の背丈よりも大きな扉に手をかける。
扉の先では、黒いオオカミの群れがこちらをじっと見ている。
すぐに飛び掛かれるよう、前傾姿勢。イルゲルムらしき影も、こちらを睨みつけている。
重厚な扉だ。何かが押してきているような重さの扉。
筋肉を張らせ、踏み込んだ足に重心を置く。逆手に握った聖劍を扉と手の間に挟み、押し出す。
扉が音を立てて開き。
「ぐるるるあぁっぁあぁっ!」
中からよだれを垂らした狼の群れが、こちらに殺到してきた。
「行動開始!」
僕の声が部屋に木霊する。
――ちりん。腰に差した『亡星』が、鳴いているような気がした。
※※※
「<
リモルさんの詠唱が空に響く。
魔力により描かれた魔法陣から空色の凍て星が射出される。
氷の魔法砲撃は青い尾を引き、狼の群れに着弾する。
「ぎゃ……っ!」
吠える間もなく狼の群れが凍結。氷の蓮華が迷宮の床に花開いた。
「《
イルクの声が漏れ、拳に異常な力が宿る。
手に握られているのは、【幽輝剣】一本。
迷宮を揺るがすほどの踏み込み。全身の膂力を刃一辺に収束させ、放たれた極光が残る狼の群れを灼きはらった。
「いくぞっ!」
<
青い稲妻が僕の身体を覆った。
膨大な強化に、身体が軋む。一歩の踏み込み、一度の呼吸で身体が破裂しそうなほどの痛み。規格外の強化が身体を蝕んでいく。
「ふんッ!」
その痛みを根性で耐える。致死にも至る過剰な強化により、眼に耐性の星が宿った。
――耐性獲得。『自傷』
体にかかる激烈な損傷を軽くし、<
莫大な魔力が体内から抜け、魔力が底を尽きそうになる。
「今宵最後の饗宴だ。遠慮せず持っていけ、諸君!」
リモルさんから注がれた魔力が体内を潤し、魔力の収支が釣り合っていく。
身体が羽根のように軽くなった。
「<
アルターが指先を黄金で染め上げ、僕ら全員に黄金の防壁を宿らせる。
「<
同時に指を交叉させ、僕以外の全員に月光魔法による強化を施す。
「行くわよ――!」
全身に魔力を滾らせたリリアが、足の筋肉を解放する。
それを横目に、跳躍。
【天璽聖劍】を腰だめに構え、イルゲルムだったものへ迫る。
「Grrrrraaaaaaa!」
意味をなくした叫びがあたりに木霊する。
四つ足のイルゲルムの黒い触手から影が伸びる。
さながら、馬防柵のような棘。
実体化した影の刃が一息に迫り、こちらの首を切り落とそうと喉元にやってくる。
「はあ――っ!」
その一撃を、【天璽聖劍】の一刀によって切り伏せる。
影の手ごたえは硬い。だが、かつてのイルゲルムのような巧妙な影の使い方ではない。
影を振り回すだけの、野性的なだけの刃になっていた。
「【八炎鼓】!」
リリアの剣に、源流能力の
野草のように伸びる影の刃が、万象を
「ヴァルガスさん!」
『――!』
モーリス君がヴァルガスさんの名を喚ぶ。
赤龍公が握る赤い大剣から瘴気の刃が伸び、側面から伸びる影を断ち切った。
イルゲルムの肉の肌が露わになった。
「――もらった!」
魔力を放出する。
空中の反作用を蹴り、再加速。【天璽聖劍】を握りしめ、黄金の極光を解き放つ――!
『――させませんよぉ!』
不愉快な声が耳を打った。
イルゲルムの身体から伸びた人間の手が、彼の両刃槍を握り、投擲する。
瞬間、移動。そこにいたはずのイルゲルムの身体はそこにない。
両刃槍を投げた場所に、イルゲルムは転移していた。
「お前……! どこまでイルゲルムを弄べば気が済むんだ! リューリュ!」
四足歩行するイルゲルムの身体に、リューリュの顔面が浮かんだ。
『終われない! こんなところでミーが終わるわけにはいかないんですよぉ!』
影がヤマアラシの如く剣山を形成する。
イルゲルムの身体から足が生え、僕から逃げ回る。
『【勇者】なんて前時代的なもののために終われないんですよぉ!
生きて、生きてさえいればミーはまだやり直せる! お前たちに阻まれさえしなければぁ!』
狂乱したようにリューリュが叫び散らす。
全身からあふれ出す瘴気が狼の群れを作り出し、僕の方へと押し寄せる。
「うざったいなあ!」
蹴り一閃。
音すら越えた速度の蹴りが、前方から迫る五匹の狼を正面から蹴り殺す。
リューリュは両刃槍を投げ、その影に転移する行為を繰り返していた。
『――』
赤龍公が何かの紙片をイルゲルムに向かって抛る。
それは聖なる光の結界となる。四足の影鬼を囲い、放たれた光の帯がイルゲルムの両手を雁字搦めに縛った。
そこへ、イルクが駆ける。
下段から僕も同時に【天璽聖劍】を構え、切りつけるべく疾走していた。
『――【柔海攪拌】!』
獣の全身を産毛が立つ。
イルゲルムの全身、すべてから伸びた腕が光の帯を掴み、身体に強制的に融合させる。
『が、ああああああああっっ!!!』
激痛にあえぐようにリューリュが叫ぶ。
縛られていた手が瞬時に溶解し、その体が自由になった。
理性なき獣のような俊敏さで結界を潜り抜け、上空へ躍り出る。
『《
影が爆裂する。
黒が反転し、苦し紛れに放たれた衝撃が、僕らの身体を打った。
「く……っ!」
身体が勢いよく弾き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
イルクは空中で反転し、壁に着地。影の獣めがけて跳躍していた。
「エディン!」
ログマが駆け付け、<
全身についた打撲が快癒する。全身にあった鈍い痛みが無くなる。
「ありがとう、ログマ。助かったよ」
「否定。ワタシは直接戦闘には役立てませんから……」
「治癒だけでもだいぶこっちも戦いやすくなる。ありがとう」
ログマにそういい、イルクたちへ目を向ける。
リリアがイルクに追従している。地を蹴り、襲い掛かってきた狼を足場にし、影鬼へと刃を構えて突撃していた。
『【柔海攪拌】!』
苦し紛れにリューリュが狼たちに影を伸ばした。
影は狼たちの身体を撫で、全身を撫でまわす。
『《
狼たちの群れが、すべて融合させられる。
堕ちたイルゲルムの腕、そして影の一部を融合させられた。
それは巨大な狼の巨人。
黒い毛皮を纏い、一つ目を持つ強大な魔物になった。影獣とイルク、リリアの間に挟まれたそれが、二人の攻撃を影にて防いだ。
『殺せぇ! 殺した肉はすべて、お前のものだ!』
余裕のない声が響く。
巨狼人が咆哮する。全身に影を纏い、血走った眼でイルク達を睨みつけていた。
……こりゃあ、少し面倒なことになってきたかな。
「苦し紛れだな」
リモルさんがそういうと、<
深紅の太陽がイルゲルムへと殺到する。
「グルルルルゥ!」
瞬間、割って入った巨狼人の爪が爆炎を切り裂く。
その爪には影を纏っていた。肌が痺れるほどの威圧を放っている。
俊敏な動作。
巨体からは考えられないほどの迅さで地を駆け、扉付近で強化を維持していたアルターに巨狼人が飛び掛かった。
「アルターさん!」
瞬間、イルクが二人の間に割り込む。
リリアも狼に意識を向け、足先に圧をかける。高速で方向を転換。赤毛を振り乱し、イルゲルムから巨狼人に刃を翻す。
…………リューリュのやつ、戦う気がないのか。
さっきから防御に専心しているような動作ばかり。イルゲルムの力を使いこなすための偽装か?
『へ、へひひひひひ……。死ぬわけには、いかないんですよぉ……!』
リューリュが卑劣な笑い声を出す。
僕への警戒も全く怠っていない。だが、攻撃してくる気配がない。
防御に専心している。
全身からあふれ出る瘴気が魔物を作り出し、防御陣形を固めている。
イルクを見てみると、頬に汗が伝っていた。
以前の大規模な攻撃や、音速以上の攻撃ができていない。下手に動くと、リリアやアルターを巻き込むからだろう。
リモルさんも面白くなさそうに、威力を絞った魔法攻撃を繰り返していた。
二人とも、天上や柱に意識を配っていた。
そこにはひびが入り、微粉が舞っている。
やっぱり、僕らや環境を庇っている動きだ。
下手にあの二人が本気を出せば、この一帯が崩落しかねない。
二人とも、閉鎖空間で共闘した経験がないのだろう。
リリアやアルター、ヴァルガスさんの動きを横目に抑えながら戦っている。
――僕が、殺るしかない。
だが、どうやって?
リューリュは手札を増やして穴熊を決め込んでいる。リューリュも僕の手札は知っている。
何より、【天璽聖劍】を全力でぶっ放したら、それこそ崩落の憂き目にあう。
これ以上の手札は……。思いつかない。
一撃で、一点突破。周囲に傷をつけず、最速で【天璽聖劍】を叩きこむ手札なんて――。
腰が、脈を打った。
左腰に佩いている黒い刀。『亡星』が、生き物のように脈を打っていた。
※※※
――主よ。我が刃の担い手よ。
――ワタシにも、やれることがあります。
――あなたの望む形に。主が求める形に。
――すべてをつらぬく、あなたが最も得意な武器に。
――ワタシは、■■は、なれます。
静寂の意識に、畳みかけるような声が響いた。
声は一瞬。
血の気が引いていくように音が消え、『亡星』の形が変わっていく。
「これは――」
それは、もう刀の形ではなかった。
刀ではない、僕が手になじんだ武器へと形を変えていた。
「モーリス君!」
近くで符を片手に戦っていたモーリス君を呼び止める。
気づくと同時にモーリス君は跳躍し、狼の群れを飛び越えてこちらにやってきた。
「どうしたの、エディン君」
「ちょっと」
「試したいことがあってさ。協力してくれる?」
※※※
事態は、リューリュ・ヴェティの思惑通りに進んでいた。
巨狼人が影を纏い、イルクとリリア、リモルの三名を追い詰めている。
『へっひっひひひひ……』
リューリュは楽しげに頬を歪ませていた。
リリアたちは攻撃をまともに振るえない。ここは出来損ないの迷宮。本来ならば強固に保たれる内壁も脆い。
煉瓦作りと大差ない。
ここで上空にて演じていたような威力の攻撃を放てば、この次元の狭間にて生き埋めとなるだろう。
そうなれば、リューリュにとっては好都合。
崩れ行く迷宮から力づくで抜け出し、再起を図る。
狙いは彼らの命ではない。彼らそのものを生き埋めとすること。
内壁が砕けた塵が、天井から舞い落ちる。
どれだけ手加減していようとも、衝撃は伝わる。
疑似的にとはいえ、迷宮の主となっているリューリュは直接迷宮を攻撃することができない。
だが、あれほどの超越者たちの攻撃の余波ならば、ここを破壊することも十二分に可能。
そこへ、エディンが動いた。
地面を這うように跳躍しながら、一直線にこちらへ向かってくる。
右手には、極光を湛えた聖劍。腰には黒い湾状の何かを背負っていた。
(バカめ)
リューリュは内心で嗤いながら、狼の手勢を差し向けた。
威力が高ければ高いほど良い。あれほどの攻撃。その余波だけで迷宮を粉砕してあまりあるだろう。
大振りを誘うように、かつ致命傷から逃れられるように両刃槍を構える。
瞬間――。
「――!」
英霊たるヴァルガスが、エディンと並走し始めた。
彼を庇うような姿勢。鎧のように霊体となり、エディンにまとわりついて走っていた。
狼の群れと接敵する、その直前。
『行け、エディン少年!』
英霊が、口を開いた。
エディンはヴァルガスの大剣を足場に、天高く跳んだ。
右手の聖劍は、臨界寸前の光があった。
影をも灼く、霊魂殺しの一刀。あれが直撃すれば死は免れない。
エディンの筋肉が、魔力が雷光を纏った。
『~~!』
リューリュはたまらず、両刃槍を
エディンが空を跳びながら、聖劍を振った。
極光は――。放たれない。ただ、聖劍へ魔力を注ぎ込み、空振りしただけ。
(何を――)
リューリュの思考が走り、両刃槍の影に自分が転移した。
「いまだ――」
「――モーリス君!」
「<
足元が、盛り上がった。
『なんです――!?』
態勢が、大きく崩れた。
しかし、背後には柱。極光を放てば柱は崩れる。身動きこそ取れないが、斬撃の光波はこない――。
そう、思っていた。
『――は?』
空を跳ぶ、次期【勇者】。
弓――。それは、腰に佩いていた黒い刀が変化したもの。
矢種は聖劍。極光を限界を超えて蓄えた、影殺しの刃。
いつしかの屋台で、基礎を掴み、身に沁み込ませたエディンの弓。弦が引き絞られ、狩人の《蒼眼》がリューリュを見下ろしていた。
「アル――フェウス」
イルゲルムの口が開かれた。
リューリュの頭に流れ込む、存在しない記憶。
それは、青い髪の大英雄。
魔界最強を墜とし、人類の最高の軍隊を率い、今なお世界に影響を轟かせ続ける、真なる意味での人類の極点。
イルゲルムの身体が、大きく強張る。身動きが取れない。
エディンの構えは、その男のそれにあまりにも酷似しすぎていて。
イルゲルムの主たる【魔王】アレクセイを討ち取った奥義と同じ。
弓に、聖劍を番えた奥義。
其は――。
「<青朱雀>!」
極光が弓より一直線に放たれた。
一条の流星が空を切り裂き、イルゲルムとリューリュの身体を刺し貫いた。
『ああ、あああああああ!! 痛い、痛い、痛い、痛い!!
なぜ、なぜミーが! <アリウスの梯子>でも最高の栄誉を受けた超越者たるミーが! リーリエ師匠から認められたはずの、ミーが!
ミーは、ミーだぞ!? こんな、薄汚いガキに……!』
みっともなく叫び散らすリューリュの魂に、イルゲルムが口を覆った。
「我は、満足だ――」
エディンにイルゲルムはやわらかい表情を向けた。
全身を刺し貫く、魂を灼く光の中。イルゲルムは心底から肩の力を抜いた。
――どうか、あの優しくも強く、狂気を抱えた少年の旅路に祝福を。
「陛下。いま、御傍に――」
イルゲルムは心中でそう願い、瞼を閉じた。
二千年を生きた大魔族。その最期であった。
※※※
イルゲルムは、光に包まれた。
その姿は、もう残っていない。笑顔に包まれ、光の中に消えていった。
同じくして、巨狼人の姿も消えた。イルゲルムという、瘴気と呪力の供給元を絶たれ、その姿をかき消した。
「――ふう」
風圧を肌で感じ、地面に着地する。
じん、と衝撃が足に沁みる。息を抜けば、身体がわずかにふらつく。視線が、足元にきていた。
疲労が、どっと出てきたんだな。
「エディン」
リリアの声。
顔を上げる。
そこには、あちこちに汚れや傷を作りまくったみんなの姿。
だけどみんな、笑っていた。
「お疲れ様」
みんなが拳を突き出す。
「みんなも、お疲れ様」
そこへ、僕は拳を突き出した。
三週間にわたる、イルゲルム達との因縁。
直感だが、わかる。長かったような、短いような激動の日々。
いま、ここに終止符が打たれた。