遡ること古代ギリシア、かの哲学の父ソクラテスは言った。「私は、私が知らないことがあるということを自覚している。」まあ、つまるところ、自分が何も知らないことすらも知らない人間よりは、知らないことを知る人は賢いのだという。これが所謂無知の知だということは有名な話だ。が、しかし、現代において無知は恥である。情報化が進み、
インターネットにアクセスさえ出来れば膨大な知識を得ることができる今、知らないことは情報の入手を怠っている証左となった。しまいには誰かに「知らない?」と訊けば「ggrks」と返される始末。……いや、世知辛くない?知ってるなら教えてくれてもいいじゃんね??ここでくれぐれも「ははーんさては知らねーな?オメーも」などと言ってはいけない。匿名を盾にレスバのゴングが鳴り響くことになる。ソースは私。あれ以降Y〇uTubeでコメントしなくなった。レスバガチ勢、コワイ。
「先生?こ、こんなことも分からないんですか?本当に?キヴォトスでは幼子でも知っているはずですが……」
リンちゃん改めリン会長代理の話の大半を聞き流し、おそらく所謂異世界転生をしてしまったことだけは辛うじて理解できたどうもぼくです。……あれ、話聞かなくても分かりそうなことだな?聞き流してたんだったわ……
今は「しゃーれ」や「きぼとす」などの馴染みの無い単語たちを理解するべく、はじめましての度にアレ何コレ何とリンちゃんに説明を求めていたところだったのだが……どうやらその多くがここでは常識であるらしい。早くも幼子以下の烙印を押されてしまった。解せぬ。
だって、ねぇ?異世界だよ?世界が異なるんだよ?むしろ実質産まれたてオギャオギャの赤子みたいな状態でもなぜなぜ期には入っていることを褒めるべきでは?どの道幼子以下じゃねぇか……
やはり無知は恥である。
一旦、整理しよう。どうやら私は「先生」として、ここ、学園都市キヴォトスへと転生したらしい。正しくは「先生」だった人物の意識として、だろうか。そうでないといきなりキヴォトス伝説(アポ無し)になってしまう。これもう拉致だろ……。だが、リンちゃんは連絡したようだし、おそらく私が乗っ取る前の人物の記憶は消えているのだろう。拉致じゃなくてよかった〜。犯罪はなかった。いいね?いや、まてよ……意識を乗っ取ったとすれば元の人はどこいったの?もしかして実質死んだってことに……容疑をかけられたとき、あなたには黙秘権があります。もちろん、私にもね。
「キヴォトスについての説明が想定より時間をとってしまいました……。先生、そろそろ話を進めてもよろしいですか?」
「あっ、はい。ダイジョブっす」
……そうだよね、リンちゃんからしてみればこんなに常識がない大人が先生として赴任するなんて思ってなかったよね。なんかごめんね……。
結局、キヴォトス常識基本のきレベルのなぜなぜしかできなかった。……なんなら聞いても分からんことも多かった。とくにへいろーとかいうやつ。リンちゃんの頭に浮いてるのなぁに?もしかして天使?って聞いたら、何やら顔を赤らめて神秘がなんだ言ってたけど本人もよく分かってないみたい。なるほど、不思議だね?影みたいなもんかな?照れた顔もかわいいね?
まぁ、とりあえずはシャーレの先生として問題の対応に追われていれば良いのだろう。誠に遺憾だが、パソコン、書類と向き合うのは慣れっ子である。じむさぎょうがすきです。たんじゅんさぎょうはもーっとすき。ちなみに労働は大嫌いです。コレ、大前提ね?詰んでいたのだ、はじめから。嫌いなものは楽に終わるに限る。
なにより一人作業な点が素晴らしい。ココ!重要!!え、他部署との連携?……ひ、ひとりでできるもん!!
「大丈夫ならよかったです。では、先生としての業務に同意して頂けるようであれば、こちらの書類に印鑑をお願いします。最終確認となりますので、捺印され次第あなたはシャーレの先生となります。」
そう言いながら、彼女は胸を撫で下ろすと、その手で1枚の紙切れを差し出した。
説明を受けた私はというと、その書類を手に取り、ひとつ頷く。常識はともかく、シャーレの部室で作業するだけならまぁ……現場の仕事もそう無いだろうし……いいかな?私の代わり探すのも大変だろうし……
よし、腹は決まった。返事の代わりに印鑑を手に取る。……キヴォトスにも印鑑はあるんだな。ようやく馴染みのある常識が出てきて少し嬉しい。
……さて、無知の恥は日常にこそ潜むものだ。やれ上座だ下座だの、上司の印には印鑑を傾けるだの、どこで知るのかも分からない暗黙の了解はごまんとある。これらもすべて常識の範疇にくくられ、知らないと恥ずかしいことのように扱われる。今回の場合、リンちゃんが上司かは正直微妙なところだが、立場上は私が雇われている側である。上司とするのが無難だろう。……いやほんと、皆さんどこで習ったの?義務教育では教わらなかったよ?お辞儀をするのだ、印鑑。苦しいお……
「……つかぬ事をお聞きしますが、先生?」
「うん?何かな?」
「なぜ傾けて捺印なさるのですか?」
「えっ」
えっ
「……これは、ほら、あれだよ。リンちゃんに迷惑かけてごめんね……的な?」
「誰がリンちゃんですか。はぁ……。迷惑に関してはいきなり呼びつけた我々にも非はあるのでお気になさらないでください。これからは普通に捺印していただいて構いませんよ。その方が見た目も綺麗ですし。」
まさかキヴォトスでは存在しない常識もあるとは思わなんだ。……知も恥になりうるの?知ってたのに?
恥の多い生涯を送っています。
また一つ恥を上塗りしたものの、その他書類の記入は順当に進み、無事完了した。
これで、晴れてシャーレの先生になったというわけである。
「それでは、改めて、よろしくお願いいたします、先生。」
「あぁ、これからよろしくね。リンちゃん。」
三度目の正直だと、ダメ押しのリンちゃん呼びを試みるも、返事の代わりに鋭い視線を返される。……はい、もう呼びません。
それにしても改まって“先生”と呼ばれると、なんだかこそばゆいな。本当に先生になったのだと言う実感も湧いてくる。
もちろん、もう意味もなく判子を傾けることはしない。ここまでは順調だ。
ただ、問題があるとすれば……
「私に、本当に先生が務まるだろうか……」
「……書類への記入も終わりましたし、今更やっぱり無理です、ではこちらとしても困ってしまいます。……それとも、まだ何か不安な点などありましたか?」
「その……持ってないんだ。」
「えっと……?何がないのですか?」
「ないんだよ……教員免許。」