私は親友のままでいたくない   作:さぶろー

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第12話 博士の家

 朝の空気は、少し冷たかった。

 

 ホップが目を覚ますと、テントの布越しに薄い光が差している。

 

 最初に思い出したのは、昨夜の赤い流れ星だった。

 

 ホップは静かに身体を起こし、鞄の中を確認する。

 

 ボールの入った場所とは別に、小さな包みを入れていた。

 

 そっと開くと、赤い光を抱えた石がそこにある。

 

 願い星。

 

 夢ではなかった。

 

 ホップはしばらくそれを見つめてから、もう一度丁寧に包み直した。

 

「起きてる?」

 

 隣から声がした。

 

 マサルも身体を起こしていた。

 

「うん」

 

「おはよう」

 

「おはよう」

 

 マサルも鞄の中を確認する。

 

 昨夜拾った願い星を見て、少しだけ目を細めた。

 

「夢じゃなかったね」

 

「うん。ちゃんとある」

 

「博士に見てもらおう」

 

「そうだね」

 

 二人はテントの外へ出た。

 

 二番道路の朝は、夜とはまた違っていた。

 

 草むらの向こうから、小さな鳴き声が聞こえる。

 

 昨日は何度も通った道なのに、朝の光の中では少しだけ穏やかに見えた。

 

 坂の先には、マグノリア博士の家が見えている。

 

 夜には遠く見えた明かりの場所が、今ははっきりと形になっていた。

 

「近いね」

 

 ホップが言う。

 

「うん。昨日のうちに行けなくはなかったね」

 

「でも、昨日はここで止まってよかったと思う」

 

「俺もそう思う」

 

 マサルが頷いた。

 

 その返事に、ホップは少し笑う。

 

 昨日、ここで止まると決めた時、少しだけ足を止めることに慣れていない自分がいた。

 

 旅に出たのだから、進まなければいけない。

 

 そう思っていた。

 

 けれど、ポケモンたちを休ませて、自分たちも休んで、朝を迎える。

 

 それも旅なのだと、今なら少し分かる。

 

 二人は簡単に朝の支度をした。

 

 手持ちの様子を確認し、朝の食事を済ませる。

 

 食べ終えたポケモンたちは、またそれぞれボールへ戻した。

 

「今日もよろしくね」

 

 ホップはヒバニーたちのボールを鞄にしまう。

 

 中にいる。

 

 一緒にいる。

 

 外に出していなくても、それは変わらない。

 

 テントを片付けるのは、張る時より少しだけ早かった。

 

 支柱を外し、布を畳み、荷物をまとめる。

 

 昨日はあれだけ苦戦したのに、一度やっただけで手順が少し分かる。

 

「昨日より早いね」

 

 ホップが言うと、マサルは畳んだ布を押さえながら頷いた。

 

「うん。昨日よりは」

 

「まだ上手いとは言えないけど」

 

「もう少し慣れたいね」

 

「だね」

 

 ホップは少し笑って、荷物を鞄に入れた。

 

 全部片付け終えると、キャンプをしていた場所は昨日より少し広く見えた。

 

 火の始末を確認し、忘れ物がないかを見る。

 

 それから、二人は坂の方へ歩き出した。

 

 マグノリア博士の家が近づいてくる。

 

 白い壁。

 

 広い庭。

 

 二年前、この家の名前を聞くたびに、胸の奥が重くなった。

 

 原因を調べるため。

 

 戻る方法を探すため。

 

 自分に何が起きたのか、誰かに確かめてもらうため。

 

 マグノリア博士が悪いわけではない。

 

 ソニアが悪いわけでも、誰が悪いわけでもない。

 

 ただ、あの頃のホップにとって、その名前は「分からない」という言葉と一緒にあった。

 

 けれど今、鞄には願い星がある。

 

 ボールには、昨日一緒に歩いたポケモンたちがいる。

 

 隣にはマサルがいる。

 

 ホップは立ち止まらず、博士の家の前まで歩いた。

 

「行こう」

 

「うん」

 

 マサルが頷く。

 

 ホップは扉の前で、一度だけ息を吸った。

 

 扉が開く。

 

 出てきたのは、ソニアだった。

 

「あ、来た来た」

 

 ソニアは二人を見ると、すぐに笑った。

 

「昨日のうちに来るかと思ってたけど、近くでキャンプしてたんだね」

 

「うん。着く頃には夕方になってたから」

 

「その判断は正解だよ。初日から無理しても疲れるだけだし」

 

 ソニアはホップの鞄を見る。

 

「手持ちも増えた?」

 

「うん。ウールーとココガラを捕まえたよ」

 

「俺はガーディ」

 

「いいじゃない。ちゃんと旅が始まってるね」

 

 その言葉に、ホップは少しだけ胸の奥がくすぐったくなった。

 

 昨日も似たようなことを思った。

 

 ちゃんと旅が始まっている。

 

 まだ二番道路までしか来ていない。

 

 けれど、昨日の朝とは確かに違う。

 

「博士、いる?」

 

「いるよ。待ってる」

 

 ソニアは中へ案内した。

 

 家の中は静かだった。

 

 窓から朝の光が入っている。

 

 奥の部屋に、マグノリア博士がいた。

 

 白い髪をまとめ、落ち着いた目でこちらを見る。

 

 ホップは少しだけ背筋を伸ばした。

 

「よく来たね、ホップ」

 

 博士はゆっくりと言った。

 

 その声は、二年前に聞いた時と変わらなかった。

 

 急かすわけでも、踏み込むわけでもない。

 

 ただ、そこに来たことを迎える声だった。

 

 博士はホップを見て、少しだけ目を細める。

 

「もう……大丈夫なんだね?」

 

 ホップはすぐには答えなかった。

 

 二年前のことが、胸の奥に少しだけ戻ってくる。

 

 部屋から出られなかったこと。

 

 鏡を見るのが怖かったこと。

 

 自分の名前さえ、遠く感じていたこと。

 

 全部消えたわけではない。

 

 何もかも平気になったわけでもない。

 

 それでも、今のホップはここにいる。

 

「はい」

 

 ホップは頷いた。

 

「まだ、全部ってわけじゃないけど」

 

 そう言ってから、隣にいるマサルを少し見た。

 

 マサルは何も言わなかった。

 

 ただ、いつものようにそこにいた。

 

 ホップは少し笑う。

 

「でも、大丈夫です」

 

 博士はそれを聞いて、ゆっくり頷いた。

 

「そうかい」

 

 それ以上、博士は何も聞かなかった。

 

 もうつらくないのか、とも。

 

 どうして大丈夫だと言えるのか、とも。

 

 これから先、本当に平気なのか、とも聞かなかった。

 

 ただ、今そこにいるホップを見て、頷いた。

 

 それがありがたかった。

 

「二人とも、昨日は二番道路でキャンプしたんだってね」

 

 博士が言う。

 

「はい」

 

「初めてだったので、少し手間取りました」

 

 マサルが答えると、ソニアが横で笑った。

 

「初めてのキャンプなんて、大体そんなものだよ。テント立てるのもカレー作るのも、最初から上手くはいかないし」

 

「カレーは少し焦げました」

 

 ホップが言う。

 

「でも、ちゃんと食べられたよ」

 

 マサルが続ける。

 

 ソニアは楽しそうに頷いた。

 

「それなら十分。最初のキャンプとしては成功だね」

 

 成功。

 

 そう言われると、少しおかしかった。

 

 テントは少し曲がっていたし、カレーは少し焦げていた。

 

 それでも、成功でいいらしい。

 

 ホップは鞄に手を添えた。

 

「あの、博士」

 

「何だい?」

 

「昨日の夜、これを拾いました」

 

 ホップは包みを取り出し、そっと開いた。

 

 赤い光を抱えた石が、朝の光の中でも淡く輝いている。

 

 マサルも、自分の願い星を取り出した。

 

 博士の表情が少しだけ変わる。

 

 ソニアも目を丸くした。

 

「願い星……!」

 

「昨日の夜、赤い流れ星みたいなのが落ちて」

 

 ホップが言う。

 

「近くを探したら、二つありました」

 

 マサルが続ける。

 

 博士は二つの願い星を静かに見た。

 

「そうかい。旅立ったその日に願い星を拾うとはね」

 

「珍しいんですか?」

 

「珍しいよ。少なくとも、よくあることではないね」

 

 博士は手を差し出した。

 

「少し見せてもらってもいいかい?」

 

「はい」

 

 ホップは願い星を博士へ渡した。

 

 マサルも続けて渡す。

 

 博士は二つの願い星を手に取り、光の具合を見るように角度を変えた。

 

「確かに願い星だ」

 

 博士は頷く。

 

「これは、ダイマックスバンドを作るのに使える」

 

「ダイマックスバンド……」

 

 ホップはその名前を繰り返した。

 

 聞いたことはある。

 

 ダイマックスを扱うトレーナーが身につけるもの。

 

 ガラルのスタジアムで、ポケモンと一緒に戦うためのもの。

 

 兄も身につけている。

 

 けれど、それが急に自分の手の届くものとして出てくると、少しだけ現実味が薄かった。

 

「ガラルには、ダイマックスを起こせる場所がある」

 

 博士は静かに説明した。

 

「願い星は、その現象と深く関わっている石だよ。これを使えば、パワースポットでポケモンをダイマックスさせるためのバンドを作ることができる」

 

 ホップは博士の手の中にある願い星を見る。

 

 昨夜、自分たちで拾った赤い光。

 

 それが、兄のバトルで見てきたあの巨大な姿へ繋がっている。

 

 そう思うと、胸が少し高鳴った。

 

「私たちにも、作れるんですか?」

 

「ああ。二つあるなら、二人分作れる」

 

 博士はホップとマサルを見る。

 

「少し時間をもらうよ。急ぐものではないからね」

 

「お願いします」

 

 ホップは頭を下げた。

 

 マサルも続ける。

 

「お願いします」

 

 博士は願い星を大事そうに受け取った。

 

「任せておきなさい」

 

 その言葉に、ホップは少しだけ肩の力が抜けた。

 

 願い星を手放すことに、少し寂しさがないわけではない。

 

 けれど、なくなるわけではない。

 

 形を変える。

 

 昨日拾った赤い光が、明日から進むための道具になる。

 

 そう思うと、不思議と納得できた。

 

 ソニアが二人を見て、少し笑った。

 

「旅立ち早々、ずいぶん大きいもの拾ったね」

 

「私もびっくりしてる」

 

「マサルは?」

 

「俺もびっくりしてるよ」

 

「旅立ってすぐだもんね」

 

「うん」

 

 そのやり取りを聞きながら、ホップは昨日の夜のことを思い出す。

 

 赤い流れ星。

 

 草むらの中の光。

 

 願い事の話。

 

 まだ分からないかな、と言ったマサル。

 

 私も、まだ分からないかな、と答えた自分。

 

 今でも、願いはまだ言葉になっていない。

 

 けれど、願い星は博士の手に渡った。

 

 それはもう、ただ夜に見つけた光ではない。

 

 これから先の旅に繋がるものになろうとしている。

 

「出来上がるまで、少し休んでいくといい」

 

 博士が言った。

 

「昨日から歩き通しだったんだろう?」

 

「はい」

 

「では、休むのもトレーナーの務めだね」

 

 ホップは少しだけ背筋を伸ばした。

 

「はい」

 

 そう答えてから、自分で少し驚いた。

 

 トレーナー。

 

 その言葉が、前より自然に胸に入ってきた。

 

 二年前、この家は、自分に何が起きたのかを確かめるための場所だった。

 

 今は違う。

 

 ここは、昨日拾った願い星が形を変える場所だ。

 

 自分たちの旅が、少しだけ次へ進む場所だ。

 

 ホップは窓の外を見た。

 

 庭の向こうには、二番道路が続いている。

 

 その先には、まだ見ていない町がある。

 

 まだ戦っていない相手がいる。

 

 まだ言葉にならない願いもある。

 

 ホップは隣にいるマサルを見た。

 

 マサルも、窓の外を見ていた。

 

 同じ方を見ている。

 

 そのことが、今はとても自然だった。

 

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