マグノリア博士が願い星を預かってから、少し時間が経った。
ホップとマサルは、ソニアに案内されて居間で待っていた。
窓の外には庭が見える。
その向こうには、昨日歩いてきた二番道路が続いていた。
朝の光の中で見ると、夜に願い星を探した草むらは、思っていたより普通の場所に見えた。
赤い流れ星が落ちた場所。
そこで二人で願い星を拾ったことが、少しだけ夢のようにも思える。
けれど、夢ではない。
さっきまで鞄の中にあった願い星は、今、博士の手元にある。
「緊張してる?」
ソニアが聞いた。
ホップは少しだけ肩を揺らす。
「してる、かも」
「かもなんだ」
「うん。楽しみでもあるし、変な感じもする」
「ダイマックスバンドだもんね」
ソニアはそう言って、窓の外を見た。
「ダンデも持ってるし、ガラルのジムチャレンジでは見慣れたものだけど、実際に自分が持つとなると、また違うでしょ」
「うん」
ホップは頷いた。
兄の腕にあるもの。
スタジアムで、リザードンと一緒に立つ時にあるもの。
それはずっと、ダンデのものだった。
チャンピオンのものだった。
自分からは遠い場所にあるものだった。
けれど、昨夜拾った願い星がそれになる。
そう考えると、まだ少し落ち着かなかった。
隣にいるマサルは、静かに座っている。
けれど、ぼんやりしているわけではなかった。
さっきから時々、博士のいる部屋の方を見ている。
「マサルも気になる?」
ホップが聞く。
「うん。気になるよ」
「だよね」
「願い星がどうなるのか、気になるからね」
「うん」
ホップも同じだった。
昨夜、手のひらの中で光っていた石。
それが形を変える。
ただの石ではなく、旅の中で使うものになる。
それを待っている時間は、思っていたより長く感じた。
しばらくして、奥の部屋からマグノリア博士が戻ってきた。
手には、小さな箱を持っている。
ソニアが立ち上がった。
「できたの?」
「ああ」
博士は二人の前まで来ると、箱を開いた。
中には、二つのダイマックスバンドが入っていた。
白い本体に、願い星の赤い光を宿した腕輪。
ホップは思わず息を止めた。
昨夜拾った光とは、もう形が違う。
けれど、そこには確かに同じ赤があった。
「これが、君たちのダイマックスバンドだよ」
博士は静かに言った。
「願い星を使って作った。ガラルのパワースポットで、ポケモンをダイマックスさせるための道具だ」
ホップは博士の手元を見る。
「これを、私たちが……」
「ああ」
博士は一つをホップへ差し出した。
ホップは両手で受け取る。
思っていたより軽かった。
けれど、腕に巻くと、少しだけ重みを感じた。
物の重さではない。
兄が持っていたものと同じものを、自分も身につけている。
その事実が、手首に残るようだった。
マサルも、もう一つのダイマックスバンドを受け取った。
腕に巻いて、少しだけ角度を変えて見ている。
「どうだい?」
博士が聞く。
「不思議な感じです」
ホップは正直に答えた。
「昨日まで、ただの願い星だったのに」
「願い星は、ただの石ではないからね」
博士は頷く。
「ダイマックスは、どこでも起こせるわけではない。ガラルにあるパワースポットや、スタジアムのような場所で起きる現象だ。このバンドは、その場でトレーナーとポケモンを結びつける役目をする」
ホップは自分の腕を見る。
赤い部分が、朝の光を受けて淡く光った。
「スタジアムで……」
ホップは小さく呟いた。
ダンデが立っていた場所。
観客の声が響く場所。
ポケモンが巨大な姿でぶつかり合う場所。
そこへ自分も行くのだと、改めて思う。
昨日までは、まだ遠かった。
ジムチャレンジに行くと決めていた。
兄に挑むと決めていた。
けれど、ダイマックスバンドを腕に巻いた瞬間、その場所が少し近くなった気がした。
「マサル」
「何?」
「これ、兄貴と同じだね」
「うん」
「私たちも、スタジアムに立つんだね」
「そうだね」
マサルは自分の腕を見て、それからホップを見る。
「行くんだよね」
「うん」
ホップは頷いた。
「行く」
その言葉は、思っていたよりはっきり出た。
博士はその様子を見て、少しだけ目を細めた。
ソニアも何も言わずに笑っている。
ホップはもう一度、自分の腕のダイマックスバンドを見る。
昨夜、願い事はすぐには思いつかなかった。
二年前なら、きっと迷わなかった。
男に戻りたい。
元の自分に戻してほしい。
そう願ったはずだった。
その願いが、消えたわけではない。
もう何も気にしていないわけでもない。
けれど、昨日の夜、ホップはそれを願えなかった。
願い星を手にした時、最初に思い浮かんだのは、戻りたいという言葉だけではなかった。
二年の間、隣にいてくれたマサルのこと。
今の自分で旅立った朝のこと。
ヒバニーを選んだこと。
ウールーとココガラを捕まえたこと。
少し曲がったテントを二人で立てたこと。
焦げたカレーを、マサルが「おいしいよ」と言って食べたこと。
夜の草むらで、マサルが隣にいたこと。
それらを全部なくしてまで願いたいことが、あの時のホップには思いつかなかった。
だから、願いはまだ言葉にならなかった。
けれど、言葉にならなかった願い星は、今、ダイマックスバンドになって腕にある。
なくなったわけではない。
誰かに取られたわけでもない。
形を変えて、ここにある。
ホップはそっと手首に触れた。
それだけで、少し胸の奥が熱くなる。
「ホップ?」
マサルが声をかけた。
ホップは顔を上げる。
「何でもない」
「大丈夫?」
「うん。大丈夫」
そう答えてから、ホップは少しだけ笑った。
「ただ、すごいなって思っただけ」
「ダイマックスバンド?」
「うん」
ホップは腕を少し上げた。
「昨日拾った願い星が、これになったんだね」
「そうだね」
「大事にしないとね」
「うん」
マサルも自分のダイマックスバンドを見る。
「なくさないようにしないと」
「それは本当にそう」
「旅立ってすぐなくしたら困るし」
「困るどころじゃないよ」
ホップが少し笑うと、マサルも笑った。
ソニアがそのやり取りを見て、楽しそうに肩をすくめる。
「二人とも、ちゃんと扱いなよ。博士が作ったんだから」
「分かってるよ」
「はい」
ホップとマサルがそれぞれ答えると、博士は穏やかに笑った。
「大事にするのはいいことだ。けれど、道具は使うためにある。いつかスタジアムで、そのバンドを使う時が来るだろう」
ホップは頷いた。
「はい」
「その時は、ポケモンとよく息を合わせることだね」
「分かりました」
ポケモンと息を合わせる。
それは、まだよく分からない。
ヒバニーとは出会ったばかりだ。
ウールーとココガラも、まだ捕まえたばかりだ。
けれど、昨日一緒に歩いた。
一緒にバトルした。
一緒にカレーを食べた。
これからもっと一緒に進んでいく。
その先に、スタジアムがある。
そう思うと、少し緊張した。
でも、怖いだけではなかった。
「お、できたみたいだな!」
外から明るい声が聞こえた。
振り返ると、ダンデが庭の方から入ってきた。
ソニアが呆れたように息を吐く。
「ダンデ、普通に玄関から入れないの?」
「庭にいたんだから仕方ないだろう?」
「仕方なくないでしょ」
ダンデは気にした様子もなく、ホップとマサルの腕を見る。
「似合っているぞ、二人とも!」
「兄貴」
ホップは思わず腕を見せるように上げた。
「本当にできたよ」
「ああ。よく似合っている」
ダンデは満足そうに頷く。
「それを手にしたなら、いよいよだな」
「いよいよ?」
「ジムチャレンジだ」
その言葉に、ホップの背筋が少し伸びた。
ダイマックスバンド。
願い星。
博士の家。
そこまで来て、次に来る言葉は分かっていたはずだった。
それでも、兄の口から聞くと、胸の奥が強く鳴った。
ダンデはホップとマサルをまっすぐ見る。
「ホップ、マサル。お前たちは二年待った」
その声は、いつもの明るさを残しながらも、少しだけ真剣だった。
「ただ待っていただけじゃないことは、見れば分かる」
ホップは何も言わなかった。
マサルも静かにダンデを見ている。
「だから、次は見せてもらおう」
ダンデは庭の方へ視線を向けた。
「二人が、どんなトレーナーになったのか」
ホップはマサルを見る。
マサルもホップを見た。
自然と、昨日のバトルのことを思い出す。
ヒバニーとメッソン。
最初の相棒同士のバトル。
負けた悔しさ。
それでも、同じ場所から始まった嬉しさ。
「バトル、だね」
ホップが言う。
「うん」
マサルは頷いた。
「やろう」
ダンデは笑う。
「いい返事だ」
ホップは自分の腕のダイマックスバンドに、もう一度触れた。
願い星が形を変えたもの。
兄と同じもの。
これからスタジアムへ向かうためのもの。
それを腕に巻いたまま、ホップは庭の方を見た。
次は、マサルとのバトルだ。