マグノリア博士の家の庭に出ると、朝の光が芝生の上に落ちていた。
昨日、窓越しに見ていた庭。
今はその真ん中に、ホップとマサルが向かい合って立っている。
ホップは自分の腕を見る。
さっき受け取ったばかりのダイマックスバンドが、手首にある。
まだ使う場面ではない。
ここはスタジアムではないし、ダイマックスを起こす場所でもない。
それでも、腕にあるだけで、これから自分が向かう場所を思い出す。
スタジアム。
ジムチャレンジ。
そして、兄が待つ場所。
「ルールはシングルバトルだ」
ダンデが二人の間に立って言った。
「今の手持ちで、今の二人を見せてくれ」
「分かった」
ホップは頷いた。
「うん」
マサルも頷く。
ソニアとマグノリア博士は、少し離れたところで見ていた。
ホップはボールを手に取る。
昨日捕まえたばかりのウールー。
まだ一緒に過ごした時間は長くない。
けれど、二番道路を一緒に進んで、キャンプで同じカレーを食べた。
それだけでも、昨日の朝とは違う。
「行こう、ウールー」
ホップがボールを投げる。
ウールーが庭に出た。
向かい側では、マサルがガーディを出している。
ガーディはすぐに前へ出たがるように姿勢を低くした。
「ガーディ、落ち着いて」
マサルが言うと、ガーディは一度だけ尻尾を振り、前を向いた。
「始め!」
ダンデの声で、バトルが始まった。
最初に動いたのはガーディだった。
勢いよく前へ出て、ウールーへ向かってくる。
ウールーも逃げずに受けた。
ホップは声を出す。
マサルも、ガーディに指示を出す。
庭に、二人の声とポケモンたちの足音が響いた。
ウールーはよく粘った。
けれど、ガーディの勢いを最後まで止めきれず、先に動けなくなった。
「ウールー、ありがとう」
ホップはウールーをボールに戻した。
胸の奥が少し熱くなる。
負けたから終わりではない。
まだ次がある。
「ココガラ、お願い」
次に出したのはココガラだった。
ココガラは庭の上を低く飛び、ガーディの動きをよく見ていた。
ガーディはもう一度前へ出る。
けれど、今度は届く前にかわされる。
ココガラは空から何度も動き、少しずつガーディの体力を削っていった。
やがて、ガーディが足を止める。
「ガーディ、戻って」
マサルがボールへ戻した。
「頑張ったね」
その声は、いつも通り落ち着いていた。
けれど、ちゃんとガーディへ向いている声だった。
マサルが次のボールを手に取る。
「行こう、メッソン」
メッソンが庭に出た。
昨日より少しだけ、前に出る動きが早い。
ホップはそれを見て、息を吸った。
メッソンは強い。
最初のバトルで、ヒバニーはこのメッソンに負けた。
でも、今はあの時と同じではない。
ココガラが動く。
メッソンも、それをよく見ていた。
空から動くココガラに対して、メッソンは慌てずに距離を取る。
マサルの声が届くたび、メッソンの動きが整っていく。
しばらくして、メッソンの攻撃が決まった。
ココガラが芝生へ降りる。
「ココガラ、ありがとう」
ホップはココガラを戻した。
これで、ホップの残りは一体。
マサルの残りも一体。
ホップは最後のボールを見る。
ヒバニー。
最初に選んだ相棒。
昨日、マサルのメッソンに負けた相手。
ホップはボールを握り直した。
「行こう、ヒバニー」
ヒバニーが庭に出る。
出た瞬間から、目はメッソンを見ていた。
メッソンもヒバニーを見る。
相性なら、メッソンが有利だった。
それはホップにも分かっている。
でも、ここで引く理由にはならなかった。
「ヒバニー」
ホップが声をかける。
「勝とう」
ヒバニーが強く鳴いた。
最後の一戦が始まった。
メッソンは落ち着いていた。
ヒバニーはよく動いた。
一度距離を取られ、攻撃を受ける。
それでも止まらない。
ホップはヒバニーの動きを見て、声を出した。
マサルもメッソンに指示を送る。
庭の空気が、少しだけ熱を持った。
ヒバニーは最後まで足を止めなかった。
何度も動いて、何度も向き直って、メッソンの動きを追う。
そして、最後の一撃が決まった。
メッソンがその場に膝をつく。
「そこまで!」
ダンデの声が響いた。
ホップは一瞬、息を止めた。
それから、胸の奥から声が出る。
「勝った!」
ヒバニーがその場で大きく跳ねた。
ホップは駆け寄って、しゃがみ込む。
「やったね、ヒバニー」
ヒバニーは嬉しそうに鳴いた。
勝った。
マサルに勝った。
昨日は負けた。
今日は勝った。
それがただ、嬉しかった。
マサルはメッソンのそばにしゃがんでいた。
「メッソン、ありがとう」
メッソンをボールに戻してから、マサルはホップの方を見る。
「負けたね」
ホップは立ち上がる。
「うん」
「強かったよ」
マサルは普通にそう言った。
悔しがっていないわけではないと思う。
でも、その言葉に嘘はなかった。
ホップは少しだけ笑う。
「次も勝つよ」
「次は俺が勝つよ」
「言ったね」
「言ったよ」
そのやり取りに、ソニアが少し笑った。
ダンデも満足そうに頷いている。
「いいバトルだった」
ダンデはそう言ってから、二人のボールを見た。
「だが、まずはポケモンたちを休ませよう」
ホップとマサルは、それぞれのボールをダンデへ渡した。
ダンデは慣れた手つきで、傷ついたポケモンたちを回復していく。
ホップはそれを黙って見ていた。
ウールー。
ココガラ。
ヒバニー。
みんな、それぞれの場面で戦ってくれた。
外に出ているのは最後まで残ったヒバニーだけだったけれど、勝ったのはヒバニーだけのおかげではない。
ガーディを相手に粘ったウールー。
ガーディを倒したココガラ。
最後にメッソンと向き合ったヒバニー。
その全部で、今日の勝ちだった。
マサルの方も同じだ。
ガーディも、メッソンも、よく動いていた。
だからこそ、勝てたことが嬉しかった。
「よく頑張ったな」
ダンデが言った。
それはポケモンたちに向けられた言葉だった。
けれど、ホップとマサルにも向けられているように聞こえた。
回復を終えたダンデは、二人へボールを返す。
「ありがとう」
ホップは受け取ったボールを、大事に鞄へしまった。
マサルも頭を下げる。
「ありがとうございます」
ダンデは二人を見た。
さっきまでの明るい兄の顔とは少し違う。
チャンピオンとして、二人を見ている顔だった。
「ホップ、マサル」
「はい」
「うん」
「二人とも、いいトレーナーになった」
その言葉に、ホップは一瞬だけ息を止めた。
二年前。
ジムチャレンジへ行けなかった時。
それでも、兄は待つと言ってくれた。
マサルは隣にいてくれた。
自分は、自分のままでいていいのだと、少しずつ思えるようになった。
そして今、兄の前でマサルとバトルをした。
勝った。
ヒバニーたちと一緒に。
「今日のバトルを見て、はっきり分かった」
ダンデは続ける。
「お前たちは、もうジムチャレンジへ向かえる」
ホップの手首で、ダイマックスバンドが朝の光を受けた。
昨日拾った願い星。
今は、自分の腕にある。
「チャンピオン、ダンデの名において」
ダンデはまっすぐに二人を見る。
「ホップとマサル。二人をジムチャレンジへ推薦する」
庭に、少しだけ風が吹いた。
ホップはすぐには声を出せなかった。
ジムチャレンジ。
二年前、行けなかった場所。
行かないと決めた場所。
それでも、諦めなかった場所。
そこへ向かうための言葉が、今、兄から渡された。
「ありがとう、兄貴」
ホップは言った。
「絶対、挑みに行くよ」
「ああ」
ダンデは笑う。
「待っている」
マサルも静かに頭を下げた。
「ありがとうございます」
「マサルも、遠慮はいらないぞ」
ダンデは笑った。
「全力で来い」
「もちろんです」
マサルが頷く。
ホップはその横顔を見る。
マサルも、同じ推薦を受けた。
同じ道へ進む。
親友で、ライバルで、一緒に旅をする相手。
昨日の夜、願い事はまだ分からないと言った。
今も、全部が言葉になったわけではない。
けれど、これだけははっきりしている。
私はこの道を進みたい。
マサルと一緒に。
自分のポケモンたちと一緒に。
そして、いつか兄に挑むために。
ホップは自分の腕のダイマックスバンドに触れた。
「行こう、マサル」
「うん」
マサルは頷いた。
「行こう」
推薦を受け取って、二人のジムチャレンジがようやく本当に始まる。
ホップは庭の向こう、二番道路の先を見た。