エンジンシティの中は、ワイルドエリアとはまるで違う広さだった。
空が広いのではなく、建物が高い。
草の匂いではなく、蒸気と機械の匂いがする。
道は広いのに、人が多いせいで、少し狭く感じる。
ホップはマサルと並んで歩きながら、何度も周りを見上げた。
大きな歯車。
煙突。
石造りの建物。
行き交う人たちの声。
その中には、ジムチャレンジャーらしい子たちもいた。
同じように荷物を持って、同じように開会式へ向かっている人たち。
その中に、自分もいる。
ホップは少しだけ背筋を伸ばした。
「すごいね」
「うん」
マサルが頷く。
「人も多いね」
「うん。すごく多い」
そう言ってから、マサルはまたホップの方を見た。
さっきから何度目かだった。
視線だけで、すぐに分かる。
心配している。
ホップは少しだけ口元を緩めた。
「見すぎだよ、マサル」
マサルが目を瞬かせる。
「え?」
「せっかく初めての街に来たんだから、そっち見ようよ」
ホップは町の方を指した。
「私は大丈夫だから、ね?」
マサルは少しだけ気まずそうに視線を外した。
「あ、ごめん」
それから、頬を指で掻く。
「つい癖で」
ホップは小さく笑った。
その癖を、知っている。
二年前からだ。
ホップが外へ出る時。
人のいる道を歩く時。
少し無理をしていないか、マサルはよく気にしていた。
何も言わずに隣にいて、必要な時だけ声をかける。
今も、それが残っている。
「昔から変わらないよね」
ホップは言った。
「いつもありがとう」
マサルは少しだけ目を伏せた。
「うん」
短い返事だった。
でも、耳のあたりが少しだけ赤く見えた。
ホップはそれを見て、また少し笑う。
「ほら、行こう」
「うん」
二人は人の流れに沿って、エンジンシティの奥へ進んだ。
坂を上がるにつれて、さらに大きな建物が見えてくる。
エンジンスタジアム。
町の中でも、ひときわ目立つ場所だった。
ホップは足を止める。
そこに、開会式がある。
そこから、ジムチャレンジが始まる。
二年前、行けなかった場所への入り口。
兄が待つ場所へ続く道の、最初の門。
「ここなんだね」
ホップは呟いた。
「うん」
マサルも隣で立ち止まる。
「大きいね」
「うん。大きい」
スタジアムの前には、ジムチャレンジャーらしい人たちが集まっていた。
受付の案内を確認している人。
緊張した顔でスタジアムを見上げている人。
友だち同士で話している人。
その全部が、ホップには少し眩しく見えた。
自分もここに来た。
マサルと一緒に。
ヒバニーたちと一緒に。
ダイマックスバンドを腕につけて。
「ホップ」
「何?」
「行く?」
マサルが聞いた。
ホップは一度だけ、自分の手首に触れた。
願い星が形を変えたもの。
兄と同じもの。
これから使うことになるもの。
「うん」
ホップは頷く。
「行こう」
必要な確認を済ませると、今日はホテルで休むように案内された。
開会式は明日。
宿泊先はスボミーイン。
ホップはその名前を聞いて、少し肩の力が抜けた。
「まずは休めってことだね」
「そうだね」
「ソニアにも言われたし」
「うん。疲れたら休む」
「もう覚えた?」
「覚えたよ」
マサルが普通に答えるので、ホップは笑った。
スタジアムを離れて、二人はホテルへ向かった。
道の途中にも人は多かった。
店の前で話す人。
ポケモンを連れた人。
ジムチャレンジの話をしている人。
エンジンシティ全体が、明日の開会式を待っているようだった。
ホップも落ち着かない。
けれど、嫌な落ち着かなさではなかった。
胸の奥が少し浮く。
明日が来るのが怖いのではなく、待ち遠しい。
そんな落ち着かなさだった。
「明日、開会式なんだよね」
「うん」
「なんか、まだ変な感じ」
「変?」
「うん。ちゃんとここまで来たんだなって」
ホップは前を向いたまま言う。
「二年前は、ここに来ることもできなかったから」
言ってから、少しだけ息を吐いた。
重くしたいわけではなかった。
ただ、事実として、そこにある。
「でもちゃんと来れたね」
マサルが言った。
ホップは横を見る。
マサルは前を見ていた。
言葉は短い。
でも、曖昧ではなかった。
「うん」
ホップは頷く。
「来たね」
「うん」
「マサルと」
「うん」
それだけで、十分だった。
しばらく歩くと、スボミーインが見えてきた。
大きな建物だった。
入口には明かりが灯り、行き来する人の姿もある。
ここにもジムチャレンジャーが泊まるのだろう。
ホップは少しだけ緊張しながら、マサルと一緒に中へ入った。
ホテルの中は、外よりも落ち着いた空気だった。
磨かれた床。
受付。
壁に飾られた絵。
旅の途中で泊まる場所というより、ちゃんとした大きなホテルだった。
けれど、その落ち着いた空気を壊すように、受付の前に騒がしい集団がいた。
黒とピンクの服。
大きな声。
派手な動き。
ホップは足を止める。
「なに、あれ」
「分からない」
マサルも少し眉を寄せた。
受付の前にいる人たちは、どう見ても普通に並んでいる様子ではなかった。
通ろうとする人の前に立ったり、大きな声で何かを叫んだりしている。
「今日はここ、通せねえんだよ!」
「大事な人のために、場所を守ってるんだ!」
「ジムチャレンジャーなら、他を当たりな!」
受付の人が困った顔をしている。
周りの客も、少し離れたところで様子を見ていた。
ホップはマサルを見る。
マサルもホップを見た。
言葉にしなくても、考えていることは同じだった。
このままでは、チェックインできない。
それに、受付の人も困っている。
ホップは一歩前へ出た。
「あの」
騒いでいた一人が、こちらを向く。
「ああ?」
「そこ、通りたいんだけど」
「だから通せねえって言ってるだろ!」
「でも、ここホテルだよね」
ホップはできるだけ落ち着いて言った。
「泊まる人が受付できないのは困るよ」
「こっちにも事情があるんだよ!」
「その事情で周りに迷惑かけるのは違うと思うけど」
そう言うと、相手は少しむっとした顔をした。
横から別の一人が前に出てくる。
「なんだよ、ジムチャレンジャーか?」
「そうだよ」
ホップは頷く。
「明日の開会式に出る」
「だったら余計に通せねえな!」
相手は大きく腕を振った。
「ここは大事な場所なんだよ!」
ホップは少しだけ息を吐いた。
話して分かる相手ではなさそうだった。
隣で、マサルが静かにボールへ手を伸ばす。
「ホップ」
「うん」
ホップもボールを手に取った。
騒いでいた人たちは、それを見てにやりと笑う。
「やる気か?」
「通してくれないなら」
ホップは前を見る。
「バトルで決めるしかないでしょ」
マサルも隣に立つ。
「受付の前は空けてもらうよ」
騒いでいた集団の声が、さらに大きくなった。
「いい度胸じゃねえか!」
「後悔すんなよ!」
ホテルの中で、周りの人たちがさらに距離を取る。
ホップはボールを握り直した。
明日は開会式。
今日は休むだけのはずだった。
けれど、ジムチャレンジに向かう道は、どうやら静かなことばかりではないらしい。
「行くよ、マサル」
「うん」
マサルが頷く。
「行こう」
ホップはボールを投げた。
スボミーインの受付前で、最初の騒ぎが始まった。