勝敗は、すぐについた。
受付の前で騒いでいた相手は、勢いだけはあった。
けれど、ホップとマサルが並んで相手をすると、長くは続かなかった。
ホテルの中にいた人たちが少し離れて見守る中、最後のポケモンが動けなくなる。
「そこまで」
マサルが静かに言った。
ホップはボールを下ろす。
受付の前は、ようやく少しだけ静かになった。
「だから言ったでしょ。泊まる人が受付できないのは困るって」
「ぐっ……!」
「でも、これで通してくれるよね?」
ホップが言うと、相手は悔しそうに顔をしかめた。
それでも、すぐにどく気配はない。
「まだだ! 俺たちは――」
「まだ騒ぐつもりなん?」
その声に、騒いでいた人たちの動きが止まった。
ホップも振り返る。
ホテルの入口の方から、一人の女の子が歩いてきていた。
黒い髪。
落ち着いた目。
ホップやマサルと同じくらいの年に見える。
けれど、受付前で騒いでいた人たちは、その子を見た瞬間に明らかに慌てた。
「お、お嬢!」
「いや、これはその」
「お嬢のためにですね!」
お嬢と呼ばれた女の子は、少しだけ眉を寄せた。
「うちのためって言うなら、ホテルで迷惑かけんといて」
その声は大きくはなかった。
でも、騒いでいた人たちにはよく効いたらしい。
さっきまであれだけ強気だったのに、全員が一斉に肩を縮める。
「ごめんね」
マリィはホップとマサル、それから受付の人に向かって言った。
「エール団って、うちの応援団なんだけど……みんな浮かれてて」
「応援団?」
ホップが聞き返す。
「うん。ジムチャレンジでうちを応援するって言って、ついてきとるんよ」
マリィはため息をつく。
「でも、こうやって周りに迷惑かけるのは違うやろ」
それから、エール団の方へ向き直った。
「ほら! みんな、はよ帰って! 帰って!」
「で、でもお嬢!」
「でもじゃない」
マリィが少し強めに言う。
「明日は開会式やろ。騒いどる場合じゃなか」
「は、はい!」
「お嬢がそう言うなら!」
「今日は引きます!」
エール団は騒がしく、けれど先ほどよりはずっと小さくなった声で口々に言いながら、受付前から離れていった。
その背中を見送ってから、マリィはもう一度ホップたちを見る。
「ほんと、ごめんね。迷惑かけた」
「ううん」
ホップは首を横に振った。
「ちゃんと止めてくれたし」
「バトルまでさせてしまったけん」
「それは、まあ」
ホップは少しだけ笑う。
「通してくれなかったから仕方ないよ」
マリィはその言葉に、少しだけ目を細めた。
「強かったね、二人とも」
「ありがとう」
ホップが答えると、マサルも軽く頭を下げた。
「ありがとう」
「うちはマリィ」
マリィが言った。
「スパイクタウンから来たジムチャレンジャー」
「私はホップ」
ホップも名乗る。
「こっちはマサル。私たちも、明日の開会式に出るんだ」
「マサルです。よろしく」
マサルが言う。
「よろしく」
マリィは短く頷いた。
「明日の開会式、あんたたちも出るんよね」
「うん」
「じゃあ、また会うかもね」
「そうだね」
ホップは頷く。
「その時はよろしく、マリィ」
「うん。よろしく」
マリィはそう言って、少しだけ笑った。
落ち着いた子だと思った。
エール団があれだけ騒いでいたのに、慌てず、怒鳴り散らすこともなく、ちゃんと止めた。
同じジムチャレンジャー。
明日、同じ開会式に出る相手。
ホップはそのことを、少し不思議な気持ちで受け止めた。
受付の人が、ほっとした顔で頭を下げる。
「ありがとうございます。お二人とも、チェックインですね」
「あ、はい」
ホップは慌てて受付に向き直った。
エール団の騒ぎが収まると、ホテルの中には少しずつ落ち着いた空気が戻ってきた。
手続きを済ませ、それぞれの部屋の鍵を受け取る。
当然、ホップとマサルの部屋は別だった。
廊下へ向かいながら、ホップはさっきのことを思い出す。
「マリィ、しっかりした子だったね」
「うん」
マサルが頷く。
「応援団があれだけ騒いでたのに、ちゃんと止めてたし」
「慣れてる感じだったね」
「大変そうだけどね」
「うん」
ホップは少しだけ笑った。
「でも、同じジムチャレンジャーなんだよね」
「そうだね」
「明日の開会式、あの子も出るんだ」
「うん」
ジムチャレンジャー。
その言葉が、また少しだけ近くなる。
ハロンタウンを出た時は、自分とマサルと、兄と博士たちの中にあった言葉だった。
けれど、ここには他にもいる。
マリィもそうだ。
エンジンシティに集まっている、たくさんの子たちもそうだ。
同じ開会式に立つ。
同じジムチャレンジに挑む。
ホップは自分の手首にあるダイマックスバンドを軽く見た。
「明日、本当に始まるんだね」
「うん」
マサルが答える。
「始まるね」
廊下を進み、それぞれの部屋の前に着く。
部屋は隣同士だった。
ホップは鍵を見てから、自分の部屋の扉を見る。
今日はここで寝る。
明日の朝、起きたら開会式に向かう。
そう思うと、急に少しだけ現実味が増した。
「ホップ」
「何?」
「明日の朝、ちゃんと起きられる?」
マサルが聞いた。
ホップは一瞬きょとんとして、それから笑った。
「マサルこそちゃんと起きられる?」
「正直、少し自信ないかな」
「だよね」
ホップは頷く。
「私も」
二人とも少し笑った。
朝が弱いというより、今日はきっと眠る前に色々考えてしまう。
開会式のこと。
ジムチャレンジのこと。
今日会ったマリィのこと。
エール団の騒ぎのこと。
それから、ここまで来たこと。
「ならさ」
ホップは鍵を指先で軽く揺らした。
「朝、起きられた方がモーニングコールしない?」
「モーニングコールか」
マサルは少し考えてから頷く。
「良いね。助かるよ」
「もう掛けられる側でいるつもりなの?」
「いや、掛けたいとは思うけど」
「うん」
「モーニングコールで目を覚ますのは、俺な気がして」
「なにそれ」
ホップは思わず笑った。
マサルも少しだけ笑っている。
「じゃあ、起こしてあげるから安心して寝てて良いよ」
ホップは少し胸を張る。
「私がちゃんと起きるからさ」
「いや、俺だってちゃんと起きるよ」
「ほんとに?」
「ほんとだよ」
「ほんとにほんと?」
「ほんとにほんと」
二人でまた少し笑った。
明日の朝のことを話しているだけなのに、少し楽しい。
開会式の前の夜。
緊張してもいいはずなのに、こうして笑っていられる。
それが、ホップには嬉しかった。
ホップは自分の部屋の扉に鍵を差し込む。
「じゃあ、おやすみ、マサル」
「うん」
マサルも隣の扉の前に立つ。
「おやすみ、ホップ」
短い挨拶を交わして、それぞれの部屋へ入る。
扉が閉まると、廊下の音が少し遠くなった。
ホップは部屋の中に入り、荷物を下ろす。
明日は開会式。
本当に、ジムチャレンジが始まる。
緊張はある。
けれど、嫌な緊張ではなかった。
ホップはスマホロトムを取り出し、アラームを確認する。
それから少し考えて、マサルにもメッセージを送った。
『ちゃんとアラームかけた?』
すぐに返事が来る。
『かけたよ』
ホップは少し笑って、もう一度送る。
『私もかけた』
返事は短かった。
『よかった』
ホップはスマホロトムを置いて、ベッドに腰を下ろす。
知らない町。
知らないホテル。
隣の部屋にはマサルがいる。
それだけで、少し安心できた。
ホップは手首のダイマックスバンドに触れてから、ゆっくり息を吐いた。
明日、開会式が始まる。