駅でダンデと合流したあと、三人はハロンタウンへ戻った。
ブラッシータウンからハロンタウンまでの道は、さっき歩いてきたばかりだ。けれど、隣にダンデが加わるだけで、空気が少し変わる。
チャンピオンのダンデ。
ホップにとって、兄はずっと遠い背中だった。
誰よりも強く、誰よりも真っ直ぐで、ガラル中の人がその名を知っている。テレビの向こうでも、スタジアムの中心でも、兄はいつも眩しかった。
その兄に挑む。
二年前から変わらない目標だ。
その気持ちが薄れたわけではない。
今でも、兄に追いつきたいと思っている。いつか同じ場所に立って、自分の力で勝ちたいと思っている。
けれど。
ホップは隣を歩くマサルを見た。
黒いニット帽の下で、マサルはいつも通りの顔をしている。特別はしゃぐわけでもなく、緊張している様子を見せるわけでもない。
それでも、目が少しだけ明るい。
分かりにくいけれど、楽しみにしているのだと思った。
マサルと旅をする。
同じ道を歩いて、同じ町へ向かって、同じジムチャレンジに挑む。
そのことを考えると、胸の奥が温かくなる。
兄に挑む道が始まる。
それは確かに大きなことのはずなのに、今のホップの中では、マサルと一緒に旅に出ることの方が近くで膨らんでいた。
気づけば、ホップはマサルの横顔を見ていた。
マサルが視線に気づいて、こちらを見る。
「どうかした?」
ホップは一度瞬きをした。
それから、首を横に振る。
「何でもないよ。ただ、楽しみだなって」
マサルは少しだけ目を細めた。
「そうだね。俺も楽しみ」
その返事が、ホップの胸に静かに沈んだ。
兄に挑む道が始まる。
そのはずなのに、今はマサルのその一言の方が、少しだけ近くで響いていた。
ハロンタウンへ戻ると、ダンデはホップの家の前で足を止めた。
庭には、母が待っていた。
ダンデが帰ってくることも、今日二人が旅立つことも、当然知っている。それでも、母はいつもより少しだけ落ち着かない顔をしていた。
「戻ったぞ」
ダンデが言う。
母は頷いて、ホップとマサルを見た。
「いよいよなのね」
「うん」
ホップは頷いた。
「いよいよ」
その言葉を自分で言うと、急に現実味が増した。
ダンデは笑って、持っていたボールを三つ取り出した。
「さて。二人を送り出す前に、まずは相棒を選んでもらわないとな」
ボールが開く。
光の中から、三匹のポケモンが現れた。
ヒバニー。
サルノリ。
メッソン。
三匹はそれぞれ違う反応を見せた。
ヒバニーは元気よく跳ねて、サルノリは周囲を見回しながら、持っていた枝を軽く叩く。メッソンは少し後ろに下がって、ダンデの足元からこちらを見上げていた。
ホップは思わず息を呑んだ。
ここから始まる。
二年前、手を伸ばせなかった場所に、今、自分は立っている。
「まず、マサル」
ダンデが言った。
「お前から選べ」
マサルは三匹を見た。
それほど迷っているようには見えなかった。
メッソンが少しだけ顔を上げる。
マサルはその前にしゃがみ込んだ。
「来る?」
メッソンは少し迷って、それから小さく頷いた。
マサルは少しだけ笑った。
「じゃあ、よろしく」
ダンデが頷く。
「マサルはメッソンか」
ホップはその様子を見ていた。
マサルとメッソン。
何となく、似合うと思った。
次に、ダンデがホップを見る。
「ホップ」
「うん」
ホップは一歩前に出た。
三匹のうち、メッソンはもうマサルの隣にいる。残るのはヒバニーとサルノリだ。
サルノリは枝を持ったままこちらを見ていて、ヒバニーは元気よく跳ねながらホップを見上げていた。
ホップはヒバニーの前にしゃがむ。
ヒバニーは逃げなかった。
じっとホップを見ている。
その目が、何だか頼もしかった。
「私と来てくれる?」
ヒバニーは返事の代わりに、その場で軽く跳ねた。
まるで返事みたいだった。
ホップは笑った。
「よろしくね」
ヒバニーが嬉しそうに跳ねる。
ホップはその小さな体を見つめた。
自分で選んだ。
今の自分で、最初の相棒を選んだ。
それが、思っていたよりもずっと嬉しかった。
「よし。ホップはヒバニーだな」
ダンデは満足そうに言った。
残ったサルノリが、ダンデを見上げる。
ダンデは屈んで、その頭を軽く撫でた。
「お前はオレと来るか」
サルノリは枝で地面を軽く叩いて、それから頷いた。
母がその様子を見て、静かに笑った。
「いい子たちね」
「もちろんだ」
ダンデは胸を張る。
「どの子も、二人にふさわしい最高のポケモンだ」
その言い方が兄らしくて、ホップは少し笑った。
ヒバニーがホップの足元に寄ってくる。
ホップはもう一度しゃがみ、その頭をそっと撫でた。
温かい。
生きている。
これから一緒に旅をする、自分の相棒。
胸の奥に、じわりと熱が広がった。
「ホップ」
ダンデが呼ぶ。
顔を上げると、兄はチャンピオンの顔をしていた。
「相棒を選んだなら、次にすることは分かるな」
ホップはマサルを見る。
マサルもこちらを見た。
メッソンがマサルの足元からこちらを見ている。ヒバニーも、ホップの前で軽く跳ねた。
「バトルだね」
「ああ」
ダンデは頷いた。
「最初の一戦だ。勝っても負けても、ここから始まる」
ホップは息を吸った。
最初の相手がマサル。
それは、二年前から何度も想像したことだった。
ジムチャレンジに出たら、きっと何度も戦うことになる。勝ったり、負けたり、追いかけたり、追い越されたりする。
その最初が、今ここにある。
「マサル」
「うん」
「負けないよ」
マサルは短く返した。
「俺も」
それだけで十分だった。
バトルは、あっという間だった。
ヒバニーはよく動いた。
ホップの声にも反応した。初めて組んだとは思えないくらい、まっすぐに向かってくれた。
けれど、メッソンはよく見ていた。
マサルの指示は少なかったが、必要なところで迷わなかった。
最後にヒバニーが足を止めた時、勝負は決まっていた。
ホップは負けた。
悔しさが、胸の中にすぐ湧いた。
けれど、不思議と嫌ではなかった。
負けたことは悔しい。
でも、同じスタートラインに立てたことが嬉しかった。
マサルと向かい合って、バトルをして、負けて、次は勝ちたいと思えた。
それが嬉しかった。
「ヒバニー、ありがとう」
ホップはヒバニーの前にしゃがんだ。
ヒバニーは少し悔しそうにしていた。
その顔を見て、ホップは笑う。
「次は勝とうね」
ヒバニーが顔を上げる。
力強く頷いた。
マサルがメッソンに声をかけてから、ホップの方を見る。
「もう一回やる?」
「今日はいい」
「そっか」
「次は勝つから」
「分かった」
マサルはいつも通りだった。
勝ったことを大げさに喜ばない。
負けたホップを慰めすぎない。
ただ、次があることを当然のように受け取る。
それが心地よかった。
ダンデが近づいてくる。
「いいバトルだった」
ホップは少しだけ眉を上げた。
「負けたけど?」
「負けたから悪いバトルだった、なんてことはない」
ダンデははっきり言った。
「ホップ、お前はちゃんとヒバニーを見ていた。マサルもメッソンを見ていた。最初の一戦としては十分だ」
それから、少し笑う。
「もちろん、チャンピオンを目指すなら、それだけじゃ足りないけどな」
「分かってる」
ホップは立ち上がった。
「私はもっと強くなる」
「ああ」
ダンデは頷いた。
「そうでなくちゃな」
兄の言葉は、胸を熱くした。
やはり、兄は遠い。
そして、追いかけたい相手だ。
その気持ちは変わらない。
けれどホップは、すぐ隣にいるマサルも見た。
マサルはメッソンと何か短く話している。メッソンは少しだけ安心したように、マサルのそばにいた。
兄の背中を追いかけたい。
でも、それだけではない。
マサルと並んで進みたい。
マサルに負けたくない。
マサルと、次の町へ行きたい。
その気持ちが、胸の中ではっきりと形を持ち始めていた。
「ホップ?」
マサルがまたこちらを見る。
今度は、ホップもすぐに返せた。
「何でもない」
「そう?」
「うん。ただ、次は勝つって思ってただけ」
「そっか」
マサルは少しだけ口元を緩めた。
「じゃあ、俺も負けないようにする」
「そうして」
ホップも笑った。
母が二人を見ていた。
その表情は少し寂しそうで、それでも安心しているようだった。
「本当に、行くのね」
母の言葉に、ホップは振り返る。
「うん」
今度は迷わなかった。
「行ってくる」
母は頷いた。
「気をつけて」
「うん」
ダンデが二人に向き直る。
「まずはブラッシータウンだ。そこから先、ジムチャレンジの手続きも進めていくことになる」
「分かった」
「はい」
マサルも頷く。
ホップは鞄の紐を握り直した。
足元にはヒバニーがいる。
隣にはマサルがいる。
そして、前には兄がいる。
二年前には立てなかった場所に、今、自分は立っている。
「行こう、ヒバニー」
ホップが言うと、ヒバニーが元気よく返事をした。
マサルもメッソンと並ぶ。
その姿を見て、ホップの胸がまた少し温かくなった。
兄に挑む道。
マサルと旅をする道。
その二つが重なって、ようやく本当に始まったのだと思った。