箱庭のそら 作:ななしのPL
『機会は一度』
ゆきえのことばを思い返す。
駆ける。
駆ける。
駆ける。
光以外の全てを置き去りに駆ける忍者に比べるべくもない停止した時間。
けれど月明かりだけが織上カズキと併走する。
樹々のざわめき。
空気が少しずつ変わり始めた。
『惡霧は織上さんが外に出た瞬間から動きます』
『村を覆うように広げた霧を集めるには時間がかかる。それこそ織上さんの足でも多少の距離は稼げるくらいに』
背筋から凍るような汗を感じている。
だけど、振り向かない。
振り向いた先に織上ができることは無くて、ただ時間を無為にするだけからだ。
『村の外にデケェ樹あるんだ。あそこに罠を仕掛ける』
ゆきと曰く、この森を夜に染めているものだとか言っていたけど織上には分からない。
ひとつ分かるのはこの夜の森で一際目立つ大きな樹だということ。
月まで届きそうなその大樹を目指し、織上は持てる全力で駆け抜ける。
瞬きの間に黒い影が二つ、現れては木の葉のように舞い踊る。
織上に惹かれた妖魔が細切れとなって散っていた。
「……っ!!」
きっと、本当なら2回は死んでいた。
薄暮ゆきとは惡霧本体を仕留めるための罠の準備。薄暮ゆきえは織上に釣られた惡霧を足止めしている。
そのどちらもが忍法を駆使して、襲いかかる低級妖魔から織上を守っていた。
『只管に直進して下さい。村の人達が仕掛けた罠は人間には反応しません』
草木に紛れた剃刀のような葉がまた一つ、認識できない音速の時間に妖魔を置き去りにする。
大樹は巨大で目立つが、それ故に距離感が分かりにくい。
しかし織上カズキはそこまで忍者の護衛なしで駆け抜けなければならなかった。
瞬きの間に散っていく妖魔を見送り、織上は一瞬息を整える。
なるほど……これは確かに死んでほしいと言うのと同じだな、と頭の片隅で思う。
だけど再び駆けた足に迷いは無かった。
交わした会話を思い返す。
(俺は、二人を信じると決めたんだ)
*
ぐらり、視界が揺れた。
瞬きの間に景色が一変したような気すらする。
織上は何を言われたのか理解が追いついていなかった。
「俺、死ぬの?」
がくがくぶるぶる。
哀れ織上カズキはまな板の上の鯉の気分を味わった。
命助けてもてなして、それが油断させる為の罠だったというなら何を信じれば良いのだろうか。
ゆきえが申し訳なさそうに頷いた。
「はい。再度申し上げますが織上さんには死んで頂きます」
「……聞き間違いじゃなかった。マジで死ぬの俺!?」
「その言い方はないでしょ姉さん」
呆れたようにゆきとは肩を竦めた。
「情報は正確に言うべきだ。だから俺がはっきり言ってやんよ。織上さんには餌になってもらいまーす!!」
「ゆきくん」
余計に酷い言い様だった。
どこか他人事で楽しげな声色にゆきえが睨みつけるも、意に介さない様子。
そんな調子でゆきとは続けた。
「格好つけたって仕方ないもーん。実際俺ら二人じゃ惡霧に勝てないんだ」
「いやでも言葉軽すぎだろ!」
「それはそっちも同じでしょ」
刹那。
空気がずしりと沈み込む。
「"俺に出来ることならなんでもする"。軽いよねえ言葉って。なら織上さん、命賭けてちょーだいって言われたなら四の五のいうなよ。
俺は軽い言葉、大っ嫌いなんだわ」
ゆきとは変わらず織上を見つめているのに──その眼差しが、言の葉が、重しのようにのしかかった。
ゆきえが慌てた様子で立ち上がる。
「ゆきと、やめなさい」
「……ふん。ちょっと頭冷やしてくる」
ゆきとの姿が消えると同時に空気が軽くなる。気のせい、とは思わなかった。
これもまた忍者の術か何かだろうか、と織上は軽く頭を払う。そんな彼の様子に、ゆきえは申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんなさい、今のはゆきくんの言霊術です。字に書いたように言葉そのもので相手を縛る忍法なんです。身体は大丈夫でしょうか?」
「大丈夫……だけど、何が何やら。確かに出来ることならなんでもするけど、急に死んで欲しいって言われて納得できる訳ないだろう?」
「はい。順を追って説明させて頂きます」
ゆきえの細い指が織上を指す。
「織上さんは惡霧が狙った獲物であり、マーキングされてるんです。べったり粘液塗れなイメージで伝わりますか?」
「初耳かついらない情報すぎる。それがどうしたんだ?」
「わたし達が惡霧に勝つには不意打ちしかないんですが、そのマーキングが厄介なんです。織上さんが生きてる限り惡霧の目としてこちらの動きを読まれます。今は結界にいるから大丈夫なんですけど」
「うえぇぇぇ……」
腕で顔をごしごしと拭うもそれで拭えるものもなく、織上は少しばかりヒリヒリとする頬を抑えて座り直した。
「そんな状態なの俺ぇ……ってかよく村の中に入れてくれたよねって、は!? もしかして村の人に凄く見られてたのって!」
「はい。まあ、そのせいですね」
「……風呂入りてえ」
「取れる訳じゃないですけど、タオル貸しましょうか?」
「お願いします……そういえば随分遅い時間な気がするけど、二人の家族は帰ってこないのか?」
ぱちり。
言われて気付いたようにゆきえは頷いた。
「うち両親居ないんですよ。五年……もっと前だったかしら。忍者の仕事で亡くなったので」
あっさりとした答えだった。
気にしていない、というよりももっと無関心とでも言うべきか。自分の家族のことなのにどこか上の空のようにすら見えた。
「そ……うなんだ。悪い、聞いちゃって」
「気にしないでください……と言っても無理ですよねー。でも本当、こっちでは珍しくもないことなのですよ」
「寂しくはないのか?」
「手のかかるゆきくんがいますから」
にこにこと微笑むゆきえの本心は織上には分からないけれど、その言葉は信じられた。
これまでのやり取りを見るに……この姉弟はお互いのことが一番大切なのだろう。
「脱線しちゃいましたね。さて、そのマーキングは惡霧を倒すか、織上さんが喰らわれるまで外れることはありません。取れる手段は餌に食い付いた隙を叩くことだけ」
「……つまり俺が惡霧に喰われるってコトなんだな。そりゃ死ぬわ」
ゆきえが頷く。
「勿論わたし達は全力で救助します。でも非常に危険で、限りなく死に近づくことは間違いありません。失敗したら確実に死にます。
それでも、わたし達に協力してくれますか?」
「……」
織上カズキは普通の高校生だ。
数時間前まで学校にいて、友人と過ごして、家族のもとに帰るだけの普通の高校生だったのだ。
すぐには答えられなかった。
「一時間後にまた伺います。……重い決断を迫ってごめんなさい。本当に無理なら、いつでも仰ってくださいね」
タオルは置いておきます、と言う言葉と共に、ゆきえは部屋を出て行った。
一人きりになった織上は、ひとまずタオルを手に取った。
何かをしないと落ち着けそうになかった。
よく温められたお湯が入った器の隣にふかふかのタオルが添えられていて、その日常のかけらにホッとする。
薄暮ゆきえはああ言ったけれど、多分本当に手段が無いのだろう。
この短い付き合いでも織上はなんとなく理解できる、あの双子はこういった冗談が嫌いなタイプだ。
だからと言って自分が死ににいくのを許容できるかというとまた違うけれど。
(……ゆきとくんにも話聞きたいな)
外に出ていったきり戻らないがどこに行ったのだろうか。
丁寧にも「使った後置いといてください」とメモの貼られた器を撫でて、手を合わせる。
温かいタオルのおかげか少しばかりすっきりした気持ちで立ち上がった。
スマホで時間を確認する。時計は23時を越えていた。普段ならとっくに親からお叱りの電話が来るのに……と思えば電波が圏外を指している。
忍者の隠れ里は電波からも隠れているらしい。
答えはまだ出ない。なら、先にゆきとを探そう。
織上は目的を決めた。
(靴は……無いな、外に出てるのか)
そっと家から出ると声が聞こえた。
ゆきとの声だ。
話してる相手の声は聞き覚えがなく、ゆきえではないことだけが分かる。
「なんでお前がここにいるんだよ」
「里の中が匂うは騒がしいわだったので。なんてもの入れてるんですか」
「そりゃあ悪かったな。んで? 来たからには手伝ってくれんのか?」
「中忍への報酬が支払えるなら構いませんよ」
「……そこは友情価格とかねぇのかよ幼馴染」
「さあ」
ゆきとといたのは黒髪に青い目の少年だった。
この里の人間は青い目じゃないといけないのか、と関係ない思考が織上に流れる。
あ、とゆきとが声を上げた。
「織上さん、ちーす。立ち聞きかよ」
「うっ。ごめん……ところでこちらどちらさんでしょうか」
「日暮夕霧といいます、はじめまして」
「はじめまして、織上カズキです」
「こいつ俺らの幼馴染。村の外に住んでるから、あんま帰ってこない奴なんだけど……」
日暮夕霧は冬空のような薄い青目が印象的な少年だった。
年は織上よりもやや下に見えるか。ゆきと達の幼馴染であることから、彼らと同年代なのだろう。
そんな日暮少年は織上を無言で見つめていた。
「えーっと、日暮、さん? じっと見つめられても困るんですが……」
「これは失礼。二人が余所者に入れ込むのが珍しくって、つい観察しちゃいました」
「オイ。どう言う意味だコラ」
「どうもこうもそのままの意味ですが?」
「上等だわんころ」
「は? 犬じゃねえです狼系男子ですけど? あんま宣うとマジで殺しますよ枯れ木蜥蜴」
『……』
「待て待て待て待て!!! 俺挟んで喧嘩すんな!?」
一気に剣呑な空気が流れた。
いつのまにかゆきとは片手に紙片を握ってるし、日暮は背にしていた竹刀袋の口が開いている。
一触即発の空気になりつつある空間に織上は冷や汗を流した。
先に手を下ろしたのは日暮の方だった。
「やーめた、面白く無いし」
「そうかよ。今日こそその澄ました面ボコボコになっただろうに」
「相変わらず威勢だけ良いですよねえ、下忍なのに」
「うっせ」
「ねえゆきとさま。【奥義】も持たない以上、何を言っても説得力はありませんよ。
それこそ貴方の嫌いな軽い言葉です」
ゆらり。
視界が揺れる。世界が揺れる。一瞬の浮遊感が織上カズキを包みこむ。
日暮夕霧は涼しげに織上を目を向けて、だが薄暮ゆきとはそれに怒りの表情を浮かべていた。
ほんの刹那だったが……織上は青い目をした何かと目が合ったような気がした。
夢だったのだろうか。その全ては消え失せ、日暮夕霧は少年の姿のまま織上を見ていた。
「可哀想な一般人さん。強く生きてくださいね」
じゃあ帰ります、と日暮は手を振った。その手をゆきとは力強く握りしめる。
怒りが滲んだままの表情だった。
「待てや。お前何しに来たんだ、人を煽るだけ煽っておいてさっさと帰るのかよ」
「そりゃそうですよ、結界に侵入した異物の確認に来ただけですもん。もういいかなって」
「ふざけんな!! 織上さんや村の人に何かあってもいいのか!!」
「良いですよ、別に」
「……っ!」
淡々とした言葉に、織上はゆきえとの会話を思い出した。だが日暮の声はそれ以上に無機質で、どこか機械的な返しのように感じる。織上の背にひやりとしたものが流れた。
非日常というものは触れたばかりだけれど、この感覚には覚えがあった。
(最初に襲われた時みたいな、嫌な感じだ)
日暮はニコリと微笑んだ。
「んん……意外と感は悪くなさそうな。御斎学園の生徒だし、一般人でも悪くはないんでしょうか。
まあいいです。あなたがどうなろうと俺の忍務に支障はないので」
「随分な言い方だな。もうちょっと気遣いとかないんですかね、一般人に」
「やめときな、織上さん。夕霧はそういうの通用しねえ、こっちが疲れるだけさ」
「よくお分かりで。その通りです」
指を唇にあてて微笑む。けれどもひとつだけ、青い目だけは笑ってなかった。
先も感じた悪寒が織上の背に走る。
「弱い人間さん。結論を出すなら早い方がいいですよ」
「っ、なんで知って……」
「……あーもー、お前本当帰れ! 暫く顔も見たくねえわ!」
「おや、怒られてしまいました。じゃあ仕方ないですね」
くるりと体の向きが変わる。楽しげな表情が織上を見つめていた。
「強く生きれたらいいですね、これからも」
そういうが否や、今度こそ日暮は二人に背を向けて消えた。
残されたゆきとと織上は顔を見合わせてため息をつく。
「なんだったんだマジで」
「……忍者にも人外いるって言ったでしょ。あいつはそう。人間の姿をしてるけどその実妖魔と大差ねえ」
俺らはそういう連中を隠忍って呼んでる、とゆきとは付け足し座り込んだ。
織上が来る前から二人は話していたことを思い出す。疲労があるのは想像に難く無い。
ゆきとは織上を見上げた。
「……なんで出てきてるのさ織上さん、もう聞いたんだろ? 外でても良い顔されねえよ」
「ゆきとくんと話したかったんだ」
「俺とぉ?」
織上も徐に地面に腰を下ろした。
ちょうど対面になるのか、胡乱げなゆきとの表情がよく見える。
「実は、先にゆきえさんと話をしたんだ」
「……なーるほどねえ。ようやく実感湧いたけど答えが出せない、ま、そうだろね」
「話を聞いて自分がすげえ安請け合いしたことを実感したよ。悪かった」
「俺も、ごめん。織上さんのことなんも考えてなかった」
ゆきとは続けた。
「俺らの事情とか織上さんが分かる訳ないのに、勝手に腹立てた。ほんとごめん」
「いいよ、もう流そうぜ。俺はさあ、忍者とかやっぱなんも分からないんだけどさ……ゆきえさんもゆきとくんも優しい良い人ってことだけはわかったよ」
「優しくねーよ。いくら食い付いた刹那を狙うって言っても一般人を囮にするのは恥だ恥。恥ずかしくてしにてーもん」
むくれた表情が、薄暮ゆきとは織上よりも年下の少年だということを思い出させた。
ほんの少し目を伏せる。双子の姉である薄暮ゆきえも同じで、忍者というファンタジーを持っていても、二人は年相応の子どもなのだと織上カズキは理解した。
「あーあ。俺も忍者の力に目覚めたりしねーかなー! そしたらめっちゃ主人公っぽいのによ!」
「えー、織上さんに才能は多分ないよ」
「断定するじゃん。泣いちゃうぞ」
「だってねえ……死にかけた時に目覚めることはあるらしいけど、さっき別にそんなでもなかったし。うん、実に一般人!」
「酷いって。これ本当貶してるよねえ!?」
「あははは!」
「ったくもう……」
とはいえ妖魔という存在を知った今、織上は寧ろ忍者の力が無い方がいいんじゃないか、と思う。
だってそんな力があっても、双子のように誰かを助けるなんて行動は、織上に取れるとは思わなかったから。
「ゆきとくんもゆきえさんも凄いよな。忍者なんてすげえ力持ってて、あんなのと戦って。更には初対面の相手のために自分より強い奴なのに挑むってさ……絶対怖いじゃん」
「……」
ゆきとの視線が鋭くなった。
「別に俺らも慈善事業じゃない。こっちだって目的があってやってることだ」
「それが使命ってやつ?」
「まーね。裏の目的は当たり前にあるよ」
「その辺忍者だよなあ。ちなみに教えてくれたりとかは……」
「あるわけないじゃん、忍者舐めんな」
にひひと笑う声に釣られる。穏やかな時間が流れた。
ひとしきり笑い終えると、ゆきとは真面目な表情を浮かべた。
「俺らは忍者なんて大層なモンに生まれついてる訳だけど、実際のところ強さとしちゃあ半人前以下。一人前になる修行中なんよ」
「……あんな爆発起こせて?」
「あれはそういう忍法なんだよ!」
忍法【爆破】というらしい。まんまじゃねえかと織上は内心突っ込んだ。
しかし、光の速さで動ける生き物がそれで半人前とは何の冗談か。そんな眼差しを受けてゆきとは罰が悪そうにそっぽを向いた。
「一人前と認められるには別種の技能が必要なんだよ。それが【奥義】。それを修めた者だけが中忍、つまり一人前の忍者として活動できるんだ」
「そんな感じになってるんだ」
「スポーツだって学生とプロじゃ全然違うでしょが。雑だけど同じ括りだよ」
一瞬だけゆきとの口元が悔しそうに歪んだ。
「中忍は俺と姉さんが何人いたって勝てねえ、奥義によって天と地ほどの差が出来てるんだ。だから俺らは……」
「俺らは?」
「やっぱ、なんでもない。ってか結構時間経ったし戻ろう」
露骨に話をずらされ、織上は思案する。けれどゆきえと約束した時間まではあと僅かであり、余裕がないのも事実だった。
「戻ろうか。やっぱりゆきとくんと話せて良かった」
「それはどうも。なんだよ、改まって」
「うんにゃ? 良かったなあって思ったことは口に出した方が良いじゃん! 小さなことでもなんか嬉しくなるんだよね」
「……織上さんって変わってんねー」
(信じよう)
織上カズキは今この瞬間、覚悟した。
数時間の出会いだとしても。話されていないことがあるとしても。
それでも、触れた人柄を──心の底から信じ抜くと心に決めた。
客間に戻り、佇む影がひとつ。
「おかえりなさい、二人とも。それでは、織上カズキさん。改めてお返事頂けますか?」
「ああ」
大きく息を吸い込んだ。
しっかりとゆきえの目を見つめ、言葉を紡ぐ。
日付も変わろうかという頃合い。
一般人と忍者の交わしたその言葉は、三人だけの秘密となった。
○織上カズキ
通ってる高校が忍者養成校とはまだ知らない。
私立に通うだけあって結構育ちが良かったりする。
○薄暮ゆきえ
一般人にこんなお願いをする自分の弱さに怒っている。
強くなりたい。
○薄暮ゆきと
外で頭を冷やしてたら煽り魔に爆発させられた。
織上カズキのことを少し見直している。
○日暮夕霧
表向き15歳の中学三年生。人間に擬態してる隠忍。中忍。
基本的に外で生活してるが双子が織上を連れ込んだので物見遊山にきた。
双子とは幼馴染らしい。