花と表した少女たちの物語

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的礫たる花、盛りにあり

 早朝のまだ薄暗い頃御陵ナグサは、先生を同伴して巡回をしていた。終わりに近づくにつれて日が昇り、まぶしい光が肌を焼き始めた。

「暑い、暑いね」

 ぼそぼそという先生は手巾をもって汗を拭く。ひと夏激しい暑さに、雲すらも出ることを憚(はばか)ったか、煌々と照る太陽の下立ち上る陽炎がある。

「先生、もう少し頑張ろ。そうしたら涼しいところで休もう」

 ナグサのほんのり冷たい手が先生の頬にあてられた。

「心配には及ばないよ、君に誘われて、『はい』と答えたのは私なんだから。差し障りがあったら申し訳ないね」

 先生はピンと姿勢を正して歩き出した。ナグサは微笑していた。

風情のある木造の家が並ぶ。都市のいきれに先生はむせた。彼は俯こうとしたけれども、無理矢理に大きな息を吸って、持ち直しては戯れにナグサを見た。彼女はまた冷たく生きるものの姿で、また幼く柔らかいものの姿で、一歩二歩と進んでいる。

 顔に焦点が合う、滑らかに流れる髪の分かたれた隙間に、薄い輪郭の中で余裕のある肉付きを持った頬が静かに佇む。鋭く生えそろったまつげの縁取りに涼しげな瞳がくるくると回転し、柔弱で物憂げな口鼻がひっそりと付いている。

 繁華街に出たとき、ナグサの羽織が上機嫌に舞った。香ばしいにおいにじゅうじゅういう音が聞こえる。もうそんな時間かと先生が腕時計を見れば九時を回っていた。

「おや、先生と百花繚乱の人じゃないか。見回りかい?お疲れさんだね。あんたらが頑張ってくれたおかげでここいらの治安もいい。ほら、持って行って」

 においと音の主は或る屋台で、ナグサの上機嫌な理由もそれであろう。犬の店主は二人に話しかけて焼き鳥を二本渡した。先生は自分に渡された焼き鳥をナグサに譲る、そして沈黙の彼女を見れば、蕾の膨らむが如きはにかみに満足して前へ向き直った。

 いずれの催しであろうか。ともかくも百鬼夜行の祭りは多く、地方とあらば途方もない。家屋の中腹に、赤白青黄縞々もある屋台の屋根がさあと並んで、皆一様に仕込みを務めこれからの喧騒を待っている。

 ナグサは焼き鳥を見つめるまま口をつけようともしない、そのまましばらく進んでいると、不意にトンビの鳴き声が一つ響いて、先生は振り向き出所を探す。ナグサはなおも焼き鳥を眺めていた。

 清く透き通った霄(おおぞら)に、黒い雫がパッと落ちて、一瞬間に二人の下へ向かった。その動きは迅速果断、迷いなく進む残像が瞬く間にナグサの手元へ落ちて、くっきりとU字を刻んで空へ還った。周りはどよめく。

「トンビだ!泥棒鳥だ!もうきやがったんだ」

 これがためにナグサは一本の焼き鳥を失った。不幸なことに、失ったのは先生が渡した焼き鳥である。トンビを追ううるんだ瞳は決壊の寸前というところ、

「あ、ごめん、なさい。せっかくくれたのに、無駄にしちゃった」

 とつぶやいた。先生はナグサの手を引いて近くのベンチまで歩く、

「さあ、少し休みながら待ってて」

ナグサは腰を下ろした。見届けた先生はもう一度屋台に行って、焼き鳥を貰い彼女の前に差し出した。

「気負わなくていいよ、責められることをしたんじゃないから。あんなことは知らない顔だ、そう思ってくれていいよ」

「でも、申し訳ないよ。私の不注意だったのに、もし、これが襲撃だったのなら、先生を狙ったものだったら……知らないなんてできないよ。再犯、同じ轍を踏む、もう傷つきたくないけれど、それ以上に傷つかせたくないの」

 ベンチには屋根があって影が差していた。影はナグサを覆う、先生は覆わない。太陽が彼の後頭部から天辺の間をじりじり焼いた。

「なにも、君を信じていないというわけじゃないけれど、私のことは気にしないでもいいんだ。柔くはないんだ。一人にしないよ、私にはできないよ、化けて出たったしてみるよ」

 との呼びかけにクスリと笑ったナグサは立ち上がって、陰から陽だまりへ。二人には昇る太陽が煌々とありながらも、巡回を再開する。足取りは確固たるものだった。

 心地よい温度の風がナグサの目頭から目尻へと吹き抜けて、溜まっていたものはそれとともに消えていく。

 

 

 巡回も終わりごろ、太陽は頂点に達しようというところ。先生のもとへ花の香りがほんのり匂っている。それを追えば、ゆっくりと動く細い顎に目が行く、すると汗に塗れた首を見つけて、手巾を裏返して畳んで彼女の首を拭いた。愛でられる猫のように受け入れたナグサは、心持目を細めて口角がほころぶ。それでも銃を握る手は一瞬のゆるみもない。鋭い瞳の先は絶えず四方へ向く。

「ここで終わりだよ、先生」

 家々の列を抜けて森が広がっている。その境界線として川が流れていて、一本橋が通っていた。

 乾き冷涼とした空気が森から漏れ出て、汗に濡れた二人は一層強くそれを感じる。

「ナグサ?」

 森に入らんとした先生の右袖をナグサは引いた。漏れ出る森の空気は風となって運ばれ、先生の粟(あわ)立つ肌はしかし震えもない。森の喧騒は一層激しく、川の流れる音と一緒になって、先生の鼓膜を揺らしていた。

「ひとまず川に降りてみようか、そこが一番涼しいだろうし」

 頷いた彼女は先生の一歩後ろをついて行く。

 

 

 ナグサは橋下(きょうか)で何やら着替えていた。呼び出した時から、すべて意図したことかと先生は思ったが、言及するつもりはなかった。その川は蛇行していて、激しい流れと緩やかな水の溜まり場があった。そこには多くの岩があって、何度も掘り返されたような跡があった。

「先生、終わったよ」

 ナグサの呼びかけに先生は振り向く。彼はしばらく焦点を合わさずにぼうっと眺めていた。川はよく流れている、草木は何か揺れている、けれどせせらぎもざわめきも聞こえない。自然はただ白光をのみ反射し、そのただなかに的礫たる彼女が佇んでいた。

先生がずっと眺めていると、ナグサは頬を紅潮させた。先生はすっと近づいて彼女の両頬を両手で包んだ。その時、森からの冷たい空気が一瞬間に二人の元まで落ちてきた。

「あ、ごめん。つい、ぼおっとしてたんだ」

 先生の目には一面の白い世界に咲く二輪の花に見えた。あるいはいまだその幻想を追いかけているのかもしれない。彼がすっと両手を引こうとすると、ナグサはそれを掴んだ。しかし弱々しい握力のために離れてしまった。彼女は寂し気な顔をしている。町から湿った空気が風と一緒に運ばれて、確かな質量を持った空気がまとわりつく。

「そうだ、こうしちゃいられない。早く行こうか」

 先生はナグサの片腕を掴んですぐに川へ向かった。そして足だけ浸かって岸に腰かけた。

 ナグサは先生の横で川原の石を枕に、澪筋(みおすじ)から外れた浅瀬に横たわった。流れは緩やかに右から左へすっと過ぎ去る。つつましやかな乳房が水面から出て、緩やかな流れがそこから分かたれていた。絹糸のような髪が毛先に至るにつれて、踊るようにうねっている。

「気持ちいいね。そのまま溶けて行きそう」

 ナグサは目を細めて穏やかな顔をしていた。

「それは困るね、目が離せないね、怖いよ、目を離した隙にふっといなくなるなんて」

 先生はナグサの目を見て答えた。不意にちゃぽんと音がして、下から伸びて来た二つの手が彼女の顔の上半分を隠した。対岸の森林はざぁと音がして、向かってきた風は先生の前髪を揺らした。

「そんなに見られたら、穴が開いちゃうよ。ほら、何だったっけ?……美人薄命。そう、だから何が死因になるか、ひょっとしたことで亡くなっちゃうかも。怖いね、怖いよ」

「なら大切に扱わなくちゃ」

 先生はナグサの手の甲を左手の指先でさすった。澪筋から外れた浅瀬は確かに流れていたけれども、今や凪いで風も吹かぬ。

次第に水の中で溶けるように、ナグサの体の輪郭がぼやけ、川の流れと同じように感じられた。その、ぼんやりとした中に確かに、そこにあるとわかったのは彼女の腹だった。先生はその腹に手を置いた。掌はぬくい、手の甲は冷たかった。

 対岸に打ち付ける流れがよく先生の耳を打った。なんとはなしにそこを向けば白波が立ち、波紋が広がり、ナグサの足先にすら来ぬうちに消えてしまって、それが何度も繰り返し起こっていた。

「………」

 先生は、なおも沈黙しているナグサの腹から手を除けた。許容か服従かあるいは虚ろであったか、どれにしろ申し訳ない気がしたのであった。

 そんな時、透き通った水に白泡の浮く速い流れに、茶色い大きいのが浮き沈みしていた。おそらくそれは鳥であって、脱力に憑かれ、流れの暴力にされるがままとなっていた。先生はただ茫然と見つめるのみであった。

 それはトンビであった。それは二人の目の前に来たあたりで、石に引っかかってそれ以上進むことはなかった。先生があまりにもそれを見つめ続けるので、異変を思ったナグサは上体を起こして先生の目線を追った。

「ああ……かわいそう。これじゃあ罪人、駄目だよ、違うよ」

 速い流れをものともせず、浮べるトンビを抱え上げた、ナグサに滴りの後が何本も通って、清潔な文様を描く。自分の羽織っていたものでトンビを包むと、そのまま岸まで戻ってきた。

 そのトンビは件(くだん)のトンビであろうか、わかる術はない。自然の無表情たる流れが、ざわめきが、今も時の移ろいを宿している。ナグサは暗い表情でトンビを眺めていた。

「この子は、また人と出会うのかな。それとも森にこもって、もう人と会うことはないのかな。わからないけれど、少なくともこの子はこれからも生き続けなければいけない。生き続けるために、トンビで居続けなければいけない。けれどトンビで居続けたから、こんなことになった。そう思えるの」

 包(くる)まるトンビを丁寧に岸に置いて日に当てながら、ナグサはそんなことを言った。鳥の羽毛は水をはじく、トンビからはもう水気はなかった。ナグサも先生も見ていることしかできなかったけれども、トンビはピクリと動き出し、回復していった。弱々しい様子からすぐに生きる強さが宿ってきたトンビは、飛び上がって森のほうへ逃げていく。それが太陽の光と近くにあって、二人は眩しさに目を細めた。

「行っちゃったね。ずっと、真っすぐに。……あ、先生」

 ナグサは遥か遠へ行くものの影を追わず、ただ川の流れの光の反射を眺めていた。すると突然川幅の中央を指さして、そこまで歩き、かがんで底をあさり始める。

「こんなのを見つけた」

 にっこりとしたナグサが右手でつまんでいたものは砂金の大粒だった。ナグサは砂金を右頬まで近づける、反射した光が彼女の顔を照らした。

「ああ、良く輝いているよ」

 今をもって、亭(てい)午(ご)の空の陽光に的(てき)礫(れき)たる華開花もたけなわ。喧騒と夏の日盛り、二人は身体を拭いて着替え、帰路に就いた。

 


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