機動戦士ガンダム UC0078 ガンダム ZERO ララァが戦争の前に壊れた世界の話 ― BABEL CORE―― 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
そのとき、音が消えた。
発電機ではない。虫でもない。世界全体から、環境音というレイヤーが削除されたような沈黙だった。
直後、基地北側の通信塔が爆発した。
窓が内側へ砕け、熱風が兵舎を撃ち抜く。赤色灯。警報。怒号。遅れて、戦場が起動した。
「敵襲! 北東外周、熱源多数!」
「レーダー応答なし! 通信、混線しています!」
シローは飛び起きた。飛行服を掴み、廊下へ飛び出す。格納庫へ向かう途中、スレッガーが反対側から走ってきた。笑ってはいなかった。
「新入り、初日から大当たりだ。喜べ、歓迎会に花火がついたぞ」
「敵は?」
「ジオンだろうな。礼儀正しい敵なら、もう少し明るくなってから来る」
格納庫の天井が展開する。整備員の怒号。燃料ホースの切断音。未完成の試験機が、夜明け前の闇へ押し出される。
外板は無塗装。配線カバーは仮止め。警告灯はすでに黄色い花畑だった。
シローはコクピットへ滑り込む。慣熟訓練は完了していない。シミュレーションと実機は違う。実機と戦場は、もっと違う。
管制の声が途切れ途切れに入る。
「アマダ機、発進許可。繰り返す、発進許可。敵機、滑走路東端へ接近」
「了解。アマダ機、出ます!」
加速は暴力だった。
カタパルト補助推力が機体を射出する。試験機は滑走路を蹴り、夜へ突き刺さった。エンジンが限界音を吐き、翼面が空気を噛む。
地上の炎が、数秒で遠景になる。視界いっぱいに、まだ青くなる前の黒い空が開いた。
「高度を取りすぎるな、アマダ!」
スレッガーの声が割り込む。
「ミノフスキー粒子が撒かれた。レーダーは飾りだ。目で見ろ。肌で読め。死にたくなきゃ、空の匂いを嗅げ!」
粒子は通信を鈍らせるだけではなかった。濃度が上がるほど、機体の補助回路に奇妙な揺れが出る。後にマチルダはそれを、粒子場内で未分類感応信号が干渉しているようだ、と一度だけ言った。
スレッガーが粒子の効果を知っていること自体、彼がどこにいたかを推し量る材料になった。本来、その名は末端の航空士官の耳には届かない。
正面の闇に、赤い曳光弾が走った。遅れて機影が出現する。航空機ではない。人型の胴体に大型推進ユニットを背負い、重力圏の空へ強引にねじ込まれた鋼鉄の異物。
モビルスーツ。
旧式のザクIをベースにした機体のはずだった。だが動きは古くない。むしろ異常に新しい。重力を理解したうえで、重力を嘲笑している。
バーニアの青白い炎が夜を切り、モノアイの赤がノイズの奥で瞬いた。
ラルの機体は、ザクII配備が進む中で、あえて旧型のザクIを選んだ特殊仕様だった。機動性はザクIIに劣る。だが応答性は素直で、熟練した操縦者ほど手足のように扱える。青く塗られたその機体は、ザビ家の顔色より、戦場そのものと会話することを選んだ男の道具だった。
「連邦の試験機か」
敵機の通信が、ミノフスキー粒子のノイズを貫いて一瞬だけ混じった。低い声。太く、落ち着きすぎている。
「面白い。だが、戦場に出るには若すぎる」
その瞬間、ザクIが消えた。
いや、消えたのではない。減速、旋回、失速制御。3つの挙動を1拍に圧縮し、シローの視界から外れただけだ。
警告音。後方。至近。シローは反射で操縦桿を倒した。機体が横滑りし、モノアイの赤い光がキャノピーの端を掠める。
「動くな、少尉!」
スレッガー機が割って入った。2機の試験機と1機の旧ザクが、ガンジス上空の暗闇で交差する。
銃火が線を描く。金属片が星屑みたいに散った。スレッガーは笑っていた。通信越しに、ほんとうに笑っていた。
「いい腕してるじゃねえか、ジオンの旦那!」
「貴様もな、連邦の伊達男」
2人の戦いは、空中戦ではなかった。剣戟だった。距離を取れば銃撃。詰めれば質量そのものが刃になる。
スレッガーは可変翼を畳み、ホバー推力を一瞬だけ噴かして機体を宙に立たせる。ありえない機動。ラルのザクIは即応し、脚部スラスターで真横へ滑った。
シローは追いつけなかった。
技術ではない。経験だけでもない。戦場の処理速度が違う。彼らは弾丸が発射される前に弾道を読み、殺意が形になる前に機体を動かしている。
シローが教科書で学んだ空は、そこには存在しなかった。
基地では爆発が連鎖していた。倉庫が燃える。対空砲座が沈黙する。滑走路の一部が黒く裂ける。
マチルダのミデアは、格納庫脇でエンジンを温めていた。補給機を逃がすには、敵の視線を引き剥がす必要がある。
「アマダ、東へ振れ! 奴の2番機がミデアを狙ってる!」
シローは機首を振った。闇の中、もう1機のザクIが低空で滑走路へ迫っている。背部ユニットの炎が地面を焼き、マシンガンの砲口がミデアを捕捉していた。
「やらせるか!」
照準器は粒子干渉で乱れていた。ロックオン不能。手動照準。訓練では何度も成功した手順が、実戦では別の言語に見える。
指が震える。引き金を引く。
弾は外れた。
ザクIが振り向く。モノアイが赤く光った。次の瞬間、シローの機体右翼が爆ぜた。
警告音がすべてを塗り潰した。推力低下。姿勢制御不能。油圧低下。機体は横転しながら空を落ちていく。
地上の火が回転する。空と河が入れ替わる。重力だけが、正確だった。
「アマダ、脱出しろ!」
スレッガーの声。
だが、脱出レバーへ伸ばした手は、途中で止まった。
眼下に、基地ではなく河が見えた。
黒い大地を裂いて流れる銀色の線。ガンジス川。夜明け前の光をわずかに反射し、巨大な刃のように走っていた。
この高度で射出すれば、風に持っていかれる。敵の勢力圏か、炎上する基地か、岩場か。着地点は乱数になる。
なら、機体ごと河へ持っていく。
シローは操縦桿を握り直した。
「まだ……まだ落ちてない!」
右翼は死んだ。左推力も不安定。機体はスピンへ移行しかけている。だが腹部ホバー推力ノズルだけが、まだ生きていた。
シローは教本にない操作を選んだ。可変翼を中途角で固定し、失われた揚力を腹部噴射で補正する。
機体は空中で跳ねた。
衝撃で視界が白く弾ける。胸骨が軋み、奥歯が鳴った。高度計の針が狂ったように回る。
通信はもう、砂嵐のようなノイズしか吐き出さない。
そのノイズの向こうで、誰かが叫んだ気がした。
スレッガーか。
マチルダか。
それとも、まだ会ったことのない誰かの声か。
――来て。
声は、耳ではなく、頭蓋の内側へ直接落ちた。
シローは息を呑む。次の瞬間、キャノピーの外いっぱいに河面が展開した。
機体はガンジスの支流へ叩きつけられた。
水が割れる。鋼鉄が軋む。世界の上下が反転する。
衝撃。
暗転。
最後に見えたのは、燃える基地ではなかった。
夜明けの空でもなかった。
水の向こうからこちらを見ている、少女の瞳だった。
その瞳は恐ろしいほど静かで。シローはそのとき、自分がどこで生きているのかを、初めて知らなかった。
そしてありえないほど懐かしかった。水の向こうで、少女の瞳だけが彼を知っていた。