機動戦士ガンダム BABEL CORE―第08MS小隊、シロー・アマダが見た「もう一つの一年戦争」と、ララァ・スンが名前を得る前の記録― 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
シロー・アマダ。
名を呼ばれた瞬間、彼の身体が弾き飛ばされた。床板へ背中を叩きつけられ、息が消える。視界の端で、ララァの身体が白い光の繭に包まれていくのが見えた。
「ララァ!」
返事はなかった。
ただ、繭の内側で少女の影が小さく震え、川底の巨大な機械が、彼女の声で世界を聞き始めていた。
シローは起き上がろうとして、肺の中の空気を吐き切った。身体が言うことを聞かない。背中から落ちた衝撃で視界の中心に黒い穴が開き、その縁だけが白く焼けている。
それでも、彼は手を伸ばした。
届かない。白い繭は広場の中央に浮かび、そこから無数の光の糸が床下へ、川へ、さらに深い場所へ垂れている。ララァはその中心で丸くなっていた。眠っているようにも、祈っているようにも見える。
「触っちゃだめ!」
クスコが泣きながら叫んだ。彼女はシローの前へ膝をつき、両手で彼の肩を押さえる。小さな手だったが、その必死さだけで、シローの無茶な動きを止めた。
「さっきの光、触ったところからあなたを見てた。もう一回触ったら、あなたも持っていかれる」
「なら、どうすればいい」
答えは、誰にもなかった。
長老たちは祈りを失い、村人たちは逃げる方向さえ見失っている。足元の床板は、白い光の脈に合わせて薄くなったり戻ったりしていた。どこを踏めば存在が残るのか、誰にもわからない。
クスコだけが違った。彼女は泣きながら、白く薄くなる床板を指で示した。「そこはもういない。こっちは、まだいる」板が存在している場所と、もう崩れかけている場所を、彼女は音で聞き分けていた。
空から、スレッガーの怒鳴り声が降ってきた。
「アマダ! そこから離れろ! 上から見ても、そいつはまともな代物じゃねえ!」
シローは割れた通信機へ這った。指先は血で滑る。送信ボタンは半分溶けていたが、まだ押せた。
「中尉……ララァが取り込まれた。あの繭を引き剥がすには、外側から衝撃を入れるしかない」
「衝撃って、爆弾か?」
「違います。撃ったら壊れる。壊れるのは繭じゃなくて、彼女だ」
自分で言いながら、シローは理解していた。言葉にできないだけで、彼の身体はもう答えを選んでいる。
衝撃ではなく、引く力。
武器ではなく、手。
「俺が、入ります」
通信機の向こうで、スレッガーが息を呑んだ。
「お前、自分の身体がどうなってるかわかってんのか」
「わかってます。だから急ぐんです」
青いザクIが通信に割り込んだ。
「無謀だ、アマダ少尉。あれは人が近づくものではない」
「人が近づくものじゃないなら、どうして彼女だけが中にいるんです」
ラルは答えなかった。
その沈黙を、ハモンの声が切った。
「ラル。撤退して。今すぐ」
その声には、命令ではなく懇願があった。ハモンはルッグンの傍らで、白い粒子に削られ始めた機体外板を見ていた。金属が砂のようにほどけ、風もないのに宙へ舞っている。
「これ以上残れば、あなたも帰れなくなる」
「ハモン、私は――」
「任務の話なら、あとにして。今は、生きて帰る話をしているの」
ラルの機体は動かなかった。
その前で、スレッガー機が白い光柱へ向きを変えた。
「アマダ。俺が上をかき回す。繭へつながってる光の糸を少しでも散らす。お前は、その隙に行け」
「中尉、機体がもちません」
「機体ってのはな、もちそうにないときほど持たせるもんだ」
いつもの軽口だった。
けれどシローには、それが別れの言葉に聞こえた。
白い試験機が光柱の周囲へ突入した。機体表面が瞬時に発光し、装甲の継ぎ目から細かな粒子が剥がれる。スレッガーは速度を落とさない。むしろ、機体をわざと不安定に振り、光の糸を引っかけるように旋回した。
白い糸が試験機へ絡みつき、次々と千切れた。
広場の繭が、わずかに揺らぐ。
「今だ!」
シローは立ち上がった。痛みはもう、身体を止める理由にならない。クスコが泣きながら彼の腰に古い布を巻きつけた。村の命綱だ。反対側を、クスコと数人の村人が掴む。
さっきまで彼を外の軍人と呼んでいた男たちだった。
誰かが、震える声で言った。
「声の守護者を、戻せ」
シローは頷かなかった。
戻すのは、守護者ではない。
ララァ・スンという、ひとりの少女だ。
彼は白い光へ踏み込んだ。