【ガンダム×マクロス】ガンダム ゼロ ――鳥の人は、まだ歌を忘れていない 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
ララァの意識は、身体を離れ、川底の巨躯の内側へ沈んでいた。
そこは、光と音でできた奇妙な空間だった。時間の感覚がない。上も下もない。ただ、無数の記憶の断片が、粒子のように漂っていた。
古い研究者たちの声。実験記録。悲鳴。データの羅列。そして、何度も繰り返される問い。適性者確保、感応耐性試験、閾値観測。声には温度がなかった。ただ手続きとして、恐怖が測定され、記録され、破棄されていった記憶ばかりだった。
ララァは、その中を漂いながら、ひとつの中心を見つけた。
そこにあったのは、装置の意識のようなものだった。人間の言葉ではない。だが、感情に近い波形は確かにあった。
——こわい。
その波形が、ララァの意識に触れた瞬間、彼女は理解した。この巨大な装置の中心には、恐怖しかない。誰かに植え付けられた恐怖、それを何度も上塗りされ続けた、目覚めるたびに殺意にさらされる恐怖。
——なんで、いつも、こわいことばかり。
ララァは、その声に近づいた。
「こわいのは、わかる」
彼女は語りかけた。声にならない声で。
「わたしも、こわい。でも、こわいから壊してもいいわけじゃない」
——でも、こわいから、こわいものを、なくしたい。
「なくならない。こわいものは、なくならない。でも、少しだけ、静かにすることはできる」
ララァの意識が、装置の中心へさらに深く入り込む。そこには、何層にも積み重ねられた記憶があった。過去に接続された被験者たちの、断片化した意識の残滓。誰もが、恐怖の中で消えていった。
その中に、ひとつだけ、違う波形があった。
先ほど、シローが呼びかけた声の残響だった。怖いから、撃たせたくない。怖いから、まだ終わらせたくない。
ララァは、その波形を装置の中心へ、そっと差し出した。
「これも、聞いて」
——これは、なに。
「怖がりながら、誰かを守ろうとする声」
装置の波形が、揺れた。
——知らない。こんな声、知らない。
「知らなくていい。ただ、聞いて」
長い沈黙が、その空間を満たした。ララァには、それがどれくらいの時間なのか、わからなかった。一瞬かもしれない。永遠かもしれない。時間という概念そのものが、この場所では意味を失っているようだった。数えるための身体が、ここにはない。
その沈黙の中で、ララァはふと、別の記憶の層に触れた。もっと古い、もっと澄んだ層だった。そこには、恐怖ではない何かが眠っていた。旋律だった。誰かが、かつてこの器に向けて歌った、子守唄のような調べ。
「これは……」
ララァは、その旋律に耳を澄ませた。聞いたことのある節回しだった。母が、まだ小さかった頃の自分に、何度も口ずさんでくれた歌。境界の歌の、いちばん古い部分。
——その歌、知ってる。
装置の波形が、初めて明確な反応を示した。
——ずっと前、誰かが歌ってくれた。眠る前に、いつも。
「あなたに、歌ってくれた人がいたの」
——名前は、覚えてない。でも、声は覚えてる。優しい声だった。今はもう、いない」
ララァの胸に、痛みに似た共感が走った。この装置もまた、誰かに愛され、そしてその誰かを失った存在なのだと、彼女は初めて理解した。
「わたしが、歌う」
ララァは、静かにそう告げた。
——あなたが。
「まだ全部は歌えない。でも、覚えている分だけ」
やがて、装置の波形が、わずかに変化した。攻撃的な白から、もう少し柔らかい光へと。装置の呼吸のようなものが、ほんの少しだけ深くなった気がした。
だが、その変化は完全な鎮静を意味しなかった。むしろ、装置はまだ、答えを決めかねているように揺らいでいた。1つの記憶が優しさへ傾いても、別の層では、まだ恐怖が渦を巻いている。長い年月に積もった傷は、たった1度の歌では、そう簡単には癒えない。
ララァの意識が、次第に薄れていく。深く潜りすぎた代償が、彼女自身の存在を、装置の中に溶かし始めていた。
「戻らないと……」
その呟きは、誰にも届かなかった。少なくとも、まだこの時点では。
意識の輪郭が、少しずつぼやけていく。自分がララァであるという感覚さえ、装置の記憶の海の中で、次第に希薄になっていった。それでも彼女は、最後の力で、ひとつの名前だけを握りしめていた。
シロー。
その名前だけが、彼女を、彼女自身として繋ぎ止める錨だった。
装置の内側では、別の変化も起きていた。地上でハモンたちが核へ強引に接続を試みたことで、ノイズにも似た異物感が、装置の意識の奥にまで届いていた。
——また、こわいものが、増えてる。
「それは、あなたを利用しようとする人たちの声。わたしとは違う」
——区別が、つかない。全部、同じ場所から来る。
ララァは焦りを覚えた。ハモンたちの干渉が、せっかく緩みかけた装置の警戒を、ふたたび締め上げようとしている。恐怖の器は、優しさと敵意を、まだうまく仕分けられずにいた。当然かもしれない、とララァは思った。何千年もの間、この器に触れてきたのは、ほとんどが恐怖と欲だけだったのだから。
「聞いて。全部が、同じじゃない」
ララァは、装置の記憶の層を、ひとつひとつ丁寧になぞり始めた。恐怖の記憶の合間に埋もれた、ごくわずかな優しさの痕跡を探すように。かつて誰かがこの器に触れ、壊そうとせず、ただ寄り添おうとした瞬間があったはずだと、彼女は信じていた。
やがて、ひとつの記憶が浮かび上がった。ずっと昔、まだ
——これ。
装置の波形が、その記憶に触れた瞬間、大きく震えた。
——思い出した。最初は、これだった。
「そう。あなたは、最初から、こわいものじゃなかった」
ララァの声に、装置がゆっくりと呼応し始める。だが、その均衡は、地上からの干渉によって、いつ崩れてもおかしくないほど危ういものだった。
ララァの意識は、その危うさを抱えたまま、ぎりぎりの均衡の中で、歌の続きを探し続けていた。まだ全部を覚えていない。それでも、覚えている分だけを、丁寧に、丁寧に紡いでいくしかなかった。
お気に入り登録や評価で応援していただけると大変励みになります!