機動戦士ガンダム BABEL CORE―第08MS小隊、シロー・アマダが見た「もう一つの一年戦争」と、ララァ・スンが名前を得る前の記録― 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
クスコたちが握る命綱が、弾けるほど張る。スレッガー機の周囲で千切れた光の糸が再び伸び、青いザクIの装甲にも白い粒子が降り始めた。ハモンのルッグンは離陸直前で外板を削られ、連邦回収艇は高度警報を鳴らしながら後退する。
バベルは、ララァを返すまいとしていた。
いや、違う。
返したら、自分がまた真っ暗な底でひとりになることを、恐れていた。
シローは歯を食いしばった。
「お前も聞け!」
彼は白い眼へ向かって叫んだ。
「怖いなら、怖いまま眠れ! 誰かを飲み込んでまで起きるな!」
白い眼が、初めて閉じかけた。
だが、遅すぎた。
空の戦場で散った殺意、村で溢れた恐怖、連邦とジオンが同時に向けた欲望。そのすべてが臨界値を超え、巨大な回路を白く焼き切っていく。
バベルは、眠る前に壊れ始めた。
光の海が崩落する。
ララァの手が、シローの指から離れかけた。
「シロー」
今度の声は、確かに彼女自身のものだった。
シローはその手を、力の限り握り返した。
握った瞬間、彼の腕が消えた。
いや、消えたのではない。白い光の中で、腕という形を維持する理由が剥がされていく。皮膚が粒になり、血管が線になり、骨が白い座標へ置き換わる。痛みはなかった。痛みすら情報として分解され、遠いところで遅れて悲鳴を上げている。
それでも、握る力だけは残った。
シローは歯を食いしばるという動作さえ失いながら、ララァを引いた。引く、というより、自分の存在の重さを彼女へ渡す。軍籍も、機体も、命令も、戦場で覚えた恐怖も、まだ言葉にしていない未来も、全部を錘にして、彼女が落ちていく夢の底へ投げ込んだ。
現実の広場で、命綱が悲鳴を上げた。
クスコは両足を床板に突き立て、布を腕に巻きつけていた。掌の火傷が開き、血が滲む。それでも離さない。村人たちも同じだった。恐怖で震えながら、祈りの言葉を忘れながら、彼らは初めて自分たちの手でララァを引き戻そうとしていた。
「引け!」
誰の声だったのか、あとで誰も覚えていなかった。
ただ、その声を合図に、村はひとつの身体になった。長老さえも杖を捨て、布に手をかけた。信仰でも命令でもない。目の前で消えかけている少女を戻すためだけの、原始的で不格好な力だった。
空では、スレッガー機が限界を超えていた。
白い糸を切るたび、装甲が削れる。警告音は鳴りすぎて、もはや意味を失っている。コクピット内は光で満ち、計器は全部同じ数字を表示していた。ゼロ。高度も速度も燃料も、未来も、全部ゼロ。
「はっ。縁起でもねえ」
スレッガーは操縦桿を蹴るように倒した。機体は横転し、光柱の縁をかすめる。千切れた翼片が白い粒子へ分解され、彼の背後へ流れた。
「アマダ、まだか! こっちは女を待たせるのは得意だが、神様相手に長話する趣味はねえぞ!」
応答はない。
代わりに、光柱の中心で、繭が裂けた。
最初は、細いひびだった。卵の殻に入る傷のように、白い表面へ黒い線が走る。次にその線が増えた。蜘蛛の巣のように広がり、内側から少女の影が浮かび上がる。
シローは、最後の力を使った。
「起きろ、ララァ!」
白い繭が破裂した。
爆発ではない。音も熱もない。ただ、世界の解像度が一瞬だけ失われた。村も、空も、川も、人の顔も、すべてが白い面になり、その面からララァの身体だけが剥がれ落ちる。
シローは彼女を抱き止めた。